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オープニング

(暗転したスタジオ。静寂の中、かすかに風の音が聞こえる。やがて一筋のスポットライトが灯り、中央に置かれた天秤のオブジェを照らし出す。天秤の片方の皿には白い羽根、もう片方には黒い石が載っている。均衡を保ったまま、微かに揺れている)


(静かなストリングスが流れ始める。低く、荘厳な旋律。あすかの声がナレーションとして響く)


あすか(ナレーション):「善と悪。光と闘。人類は何千年もの間、この問いと向き合ってきました」


(天秤のクローズアップ。白い羽根が風に揺れる)


あすか(ナレーション):「古代の王は石に法を刻み、『これが悪だ』と宣言しました。哲学者は書斎で思索し、『悪など存在しない』と結論づけました」


(黒い石の表面に、楔形文字のような模様が浮かび上がる演出)


あすか(ナレーション):「ある者は法廷で怪物を探し、凡庸な男を見つけました。ある者は戦場で正義を掲げ、屍の山を築きました」


(照明が徐々に広がり、スタジオ全体が見え始める。白と黒のモザイクタイルの床、四方の壁に刻まれた時代を象徴するレリーフ。コの字型に配置されたテーブル、中央に立つあすかのシルエット)


あすか(ナレーション):「しかし、誰も決定的な答えを出せないまま、今日もどこかで『悪』が語られています。法を破ること? 秩序を乱すこと? 悪意を持つこと? それとも——歴史が決めること?」


(照明が完全に上がる。あすかが中央に立っている。黒のロングドレスに銀の装飾、胸元には白黒のコサージュ。手には薄く光るタブレット「クロノス」を持っている)


あすか:「皆さん、こんばんは」


(微笑みながら、カメラに向かって軽く会釈する)


あすか:「『歴史バトルロワイヤル』へようこそ。物語の声を聞く案内人、あすかです」


(一歩前に出て、天秤のオブジェに手を添える)


あすか:「この天秤、ご覧になっていますか? 白い羽根と黒い石。善と悪の象徴……と言いたいところですが、実はこれ、どちらが善でどちらが悪か、私にも分からないんです」


(悪戯っぽく肩をすくめる)


あすか:「白が善? 黒が悪? それとも逆? あるいは——そんな区別自体が無意味なのか。今宵は、人類最古にして最新の問いに挑みます」


(クロノスを掲げる。画面が淡く光る)


あすか:「テーマは『悪とは何か?』」



(あすかがクロノスを操作すると、空中にホログラム風の図解が投影される。四つの円が交差する図形)


あすか:「クロノスが示す今夜のテーマは『悪の解剖学』。悪という概念を、四つの視座から解剖していきます」


(図解の一つ目の円が光る。石板のイメージ)


あすか:「一つ目は『法と規範』の視座。ルールを破ること自体が悪なのか? 法典に書かれていないことは、悪ではないのか? 逆に、法に従えば何をしても許されるのか?」


(二つ目の円が光る。レンズを通した光の屈折のイメージ)


あすか:「二つ目は『機能とシステム』の視座。そもそも悪は本当に存在するのでしょうか? 私たちが『悪』と呼んでいるものは、実は——人間の認識が生み出した幻想に過ぎないのかもしれません」


(三つ目の円が光る。法廷のイメージ)


あすか:「三つ目は『心理と動機』の視座。悪には意志が必要なのか? うっかり人を傷つけてしまった場合と、故意に傷つけた場合、悪の重さは同じなのか? そして——考えることをやめた人間は、悪なのか?」


(四つ目の円が光る。戦場と玉座のイメージ)


あすか:「そして四つ目は『歴史と政治』の視座。悪は誰が決めるのでしょう? 勝者が正義で、敗者が悪? 歴史の評価は、時代とともに変わりうるのか?」


(四つの円が重なり合い、複雑な模様を描く)


あすか:「四つの視座は、時に重なり、時に激しくぶつかり合います。どれが正しいのか——それを決めるのは、視聴者の皆さん、あなた自身です」


(クロノスを下ろし、スターゲートの方向を見る)


あすか:「今夜、この問いに答えてくださるのは、時代を超えた四人の賢者たち。紀元前18世紀から20世紀まで、4000年の知恵がこのスタジオに集結します」


(スターゲートがかすかに光り始める)


あすか:「さっそくお呼びしましょう」



(スターゲートが琥珀色に輝き始める。砂漠の風音、遠くに聞こえる古代の祈りの声。光の中に、威厳ある人影が浮かび上がる)


あすか:「最初の賢者は、紀元前18世紀のメソポタミアから参ります。チグリスとユーフラテスの間に栄えた、人類最古の文明の一つ」


(風音が強まる。光が脈動する)


あすか:「『目には目を、歯には歯を』——この言葉を聞いたことがない方は少ないでしょう。復讐の正当化と誤解されがちですが、本来の意味は『刑罰は罪と釣り合うべき』という均衡の思想。過剰な報復を禁じ、法の支配によって混沌に秩序をもたらした古代の王」


(スターゲートから、堂々とした足取りで男性が現れる。長いローブ、頭には王冠、顎には豊かな髭。眼光は鋭いが、どこか慈悲深さも感じさせる)


あすか:「バビロン第一王朝第六代——ハンムラビ王です!」


(ハンムラビ王がスタジオを見渡す。天井のレリーフ、床のモザイク、光るタブレットを持つあすか。すべてを値踏みするように観察した後、ゆっくりと頷く)


ハンムラビ:「ほう……見事な神殿だ。余の時代にも、これほどの技を持つ職人はおらなんだ」


(席に向かって歩きながら、壁面の楔形文字のレリーフに目を留める)


ハンムラビ:「おお、これは……余の言葉ではないか。4000年の後も、読める者がいるとは」


あすか:「ようこそ、偉大なる王。今宵は法の守護者としてのお知恵をお借りしたく存じます」


ハンムラビ:(席に着きながら)「悪を問うか。よかろう。余が石に刻んだ言葉は、今も人の世を照らしていると聞く。なれば、余の言葉には価値があろう」


あすか:「法典の序文には、『強者が弱者を虐げないように』とありますね」


ハンムラビ:「然り。法とは弱者を守る盾であり、強者を縛る鎖だ。余はそれを万人に見える形で示した。悪とは何か? 簡単なことだ——法に反すること。それ以外に悪はない」


あすか:「明快なお答えですね。しかし今夜は、その明快さに挑む者たちがおります」


ハンムラビ:(興味深そうに眉を上げて)「ほう? 面白い。余の法に異を唱える者がいるとな」



(スターゲートの色が変化する。琥珀色から、透明な白光へ。レンズを通した光の屈折のような、幾何学的な輝き)


あすか:「二人目の賢者は、17世紀オランダから参ります。黄金時代のアムステルダム、宗教的寛容と商業的繁栄の中で——」


(静かなチェンバロの音色が聞こえる)


あすか:「神を自然と見なし、善悪の彼岸を見つめた異端の哲学者。23歳でユダヤ教共同体から破門されながらも、真理を追い求めることをやめなかった。レンズ磨きで生計を立てながら、人類史に残る哲学体系を築き上げた孤高の知性」


(スターゲートから、質素な黒い服を着た男性が現れる。穏やかな表情、深い知性を湛えた眼。物腰は柔らかいが、芯の強さを感じさせる)


あすか:「バールーフ・デ・スピノザさんです!」


スピノザ:(静かに周囲を見回しながら)「お招きいただき、感謝します。興味深い場所ですね。光の使い方が……実に幾何学的だ」


(席に向かいながら、天秤のオブジェに目を留める)


スピノザ:「天秤……。人間は何かを測りたがる。善と悪、正と邪、真と偽。しかし——」


(軽く首を傾げる)


スピノザ:「測る基準そのものが、人間の作り出したものだとしたら、何を測っていることになるのでしょうね」


あすか:「さっそく哲学者らしいお言葉です。本日のテーマ『悪とは何か』について、どのようにお考えですか?」


スピノザ:(席に着きながら)「そもそも、その問い自体を問い直す必要があるかもしれません。『悪とは何か』ではなく、『なぜ人間は悪という概念を必要とするのか』と」


ハンムラビ:「ほう? 悪の存在を疑うか、哲学者よ」


スピノザ:(穏やかに微笑んで)「疑うというより……定義を確認したいのです。王よ、あなたは法に反することが悪だとおっしゃった。では、法がなければ悪もないのですか?」


ハンムラビ:「法がなければ、悪を裁くことができぬ。裁けぬ悪に、何の意味がある?」


スピノザ:「興味深い。裁けないものは悪ではない、と」


あすか:(二人のやり取りを見ながら)「おお、早くも火花が散りそうですね。でも、次の賢者をお迎えしてからにしましょう」



(スターゲートの光が再び変化する。白光からモノクロームへ。白黒写真のような、どこか緊張感のある明滅)


あすか:「三人目の賢者は、20世紀から参ります。二度の世界大戦、全体主義の台頭と崩壊——人類が最も深い闇を覗き込んだ時代」


(タイプライターの音が微かに響く。古い法廷の喧騒が遠くに聞こえる)


あすか:「ナチスの迫害を逃れ、全体主義の本質を暴いた政治哲学者。1961年、エルサレムでナチス戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、世界に衝撃を与える概念を提唱しました——『悪の凡庸さ』」


(スターゲートから、知的な眼差しの女性が現れる。シンプルなスーツ姿、髪はきちんとまとめられている。手には火のついていない煙草。鋭い観察眼と、どこか悲しみを湛えた表情)


あすか:「ハンナ・アーレントさんです!」


アーレント:(スタジオを見回しながら)「こんばんは。なかなか……演出の効いた場所ですね」


(席に向かいながら、ハンムラビとスピノザを観察する)


アーレント:「古代の王と、17世紀の哲学者ですか。私は場違いかもしれませんね。私は体系的な哲学者ではありませんから」


あすか:「しかし、『悪』について最も実践的な洞察を持つ方だと存じます」


アーレント:(席に着きながら)「実践的、ですか……。確かに、私は書斎で悪を考えたのではありません。法廷で、悪の顔を——いえ、悪の『顔のなさ』を見たのです」


スピノザ:「顔のなさ?」


アーレント:「アイヒマン——600万人のユダヤ人を死の収容所に送った男です。私は怪物を見に行きました。悪魔のような眼、残忍な笑み、そういうものを期待して。しかし——」


(煙草を指で弄びながら)


アーレント:「そこにいたのは、恐ろしく普通の男でした。陳腐なフレーズを繰り返し、自分の言葉を持たない、凡庸な官僚。それが私を震撼させました」


ハンムラビ:「凡庸な者が、それほどの悪を?」


アーレント:「ええ。だからこそ恐ろしいのです、王よ。悪は特別なものではない。考えることをやめた人間なら、誰でも——」


あすか:「その議論は、ぜひ後ほど深めさせてください。まずは最後の賢者をお迎えしましょう」



(スターゲートが劇的に変化する。モノクロームから、赤と金の炎のような輝きへ。遠くに軍楽隊のファンファーレ、馬のいななき、大砲の轟音)


あすか:「そして最後の賢者は、18世紀末から19世紀のフランスから! 革命の混乱から立ち上がり、ヨーロッパの地図を塗り替えた軍事的天才」


(音楽が高揚する。スターゲートの光が最大になる)


あすか:「英雄か、暴君か。解放者か、侵略者か。評価が真っ二つに割れる歴史の巨人。彼を悪と呼ぶ者は多い——しかし同じくらい、彼を称える者もいる。フランス革命の申し子にして、近代ヨーロッパの設計者」


(スターゲートから、堂々とした足取りで男性が現れる。特徴的な二角帽、軍服、胸に輝く勲章。小柄だが、その存在感は圧倒的)


あすか:「ナポレオン・ボナパルトさんです!」


ナポレオン:(周囲を見渡し、満足げに頷きながら)「ふむ、なかなか趣味の良い演出だ。余を迎えるにふさわしい」


(他の三人を順に見る。ハンムラビには敬意を、スピノザには興味を、アーレントには警戒を込めた眼差し)


ナポレオン:「古代の王、哲学者、そして——余を裁こうとする者、か?」


アーレント:「裁く? いいえ、私は裁判官ではありません。考える者です」


ナポレオン:(笑いながら)「考える者か。余の周りにも、考える者は多くいた。しかし、考えるだけでは世界は動かぬ」


(席に向かいながら)


ナポレオン:「余を悪と呼ぶ者は多い。100万の兵を死なせた、ヨーロッパを血で染めた、とな。だが——」


(席に着き、堂々と腕を組む)


ナポレオン:「余を英雄と呼ぶ者も、同じくらいいる。封建制度を打破した、法の前の平等を確立した、とな。では、真実はどちらだ?」


あすか:「それを探るのが、今夜の対話です」


ナポレオン:「面白い。余は答えを持っているがな。悪とは——敗者に与えられる称号だ。勝てば正義、負ければ悪。歴史とは、そういうものだ」


スピノザ:「つまり、善悪に絶対的な基準はないと?」


ナポレオン:「哲学者よ、貴公の言葉は余の耳には心地よい。貴公も善悪の相対性を説いているのだろう?」


スピノザ:「似ているようで、少し違います。私は善悪が『人間の認識』だと言っています。あなたは善悪が『勝者の定義』だと言っている。前者は認識論、後者は権力論です」


ナポレオン:「ほう、違いがあるか。面白い夜になりそうだ」


ハンムラビ:「貴公は王として戦ったのだな、ナポレオンよ。余も同じだ。メソポタミアを統一するために、余も血を流した」


ナポレオン:「おお、偉大なる先達よ。貴公の法典は知っている。余の法典——ナポレオン法典の手本になった」


ハンムラビ:「光栄なことだ。しかし、貴公の法典と余の法典には違いがある。余は法の上に立たなかった。貴公はどうだ?」


ナポレオン:(一瞬言葉に詰まり、それから笑う)「鋭いな、王よ。確かに——余は時に法を超えた。だがそれは——」


あすか:「その議論も、ぜひ後ほど!」


(四人が揃った席を見渡す)


あすか:「さあ、四人の賢者が揃いました。紀元前18世紀の王、17世紀の哲学者、20世紀の思想家、そして19世紀の皇帝。4000年の知恵が、今、一つのテーブルを囲んでいます」



あすか:「本格的な議論に入る前に、まず簡潔に伺いたいと思います。『悪とは何か?』——一言でお答えください。ハンムラビ王から」


ハンムラビ:(重々しく)「法に反すること。それ以外に悪はない」


あすか:「スピノザさん」


スピノザ:(穏やかに)「人間の思い込み。自然には悪は存在しません」


あすか:「アーレントさん」


アーレント:(静かだが力強く)「考えることを放棄すること。思考の不在です」


あすか:「ナポレオンさん」


ナポレオン:(自信に満ちて)「敗者のレッテル。勝てば正義、負ければ悪だ」


あすか:「四者四様。見事に異なるお答えですね」


(クロノスを操作すると、四つの答えが空中に表示される)


あすか:「法への違反、人間の認識、思考の放棄、歴史の審判——同じ『悪』という言葉を使いながら、皆さんが語っているのは、まったく異なるものかもしれません」


ハンムラビ:「異なるからこそ、議論の意味がある。余の法廷でも、異なる意見を聞いてから裁きを下した」


スピノザ:「議論は理解を深めます。私は正しさを主張したいのではなく、真理に近づきたいのです」


アーレント:「複数の視点を持つこと——それ自体が、思考の本質です。一つの答えに固執する者は、考えることをやめた者です」


ナポレオン:「議論か。余は戦場で決着をつけることに慣れているが……まあ、たまには言葉で戦うのも悪くない」


あすか:(微笑んで)「ナポレオンさん、今夜の武器は言葉だけですよ」


ナポレオン:「言葉も武器だ。余は演説で兵を奮い立たせた。今夜は——諸君を論破してみせよう」


アーレント:「論破、ですか。私は論破されることを恐れません。考えを変えることは、敗北ではなく成長ですから」


ナポレオン:「ほう? 余にそれを言えるか、最後まで見届けよう」


あすか:「早くも緊張感が高まってきましたね。では——」


(クロノスが「ROUND 1」と表示する)


あすか:「これから四つのラウンドで、『悪』を徹底的に解剖していきます。ラウンド1のテーマは『悪の定義』。それぞれの立場をより深く掘り下げ、論点を明確にしていきましょう」


(照明が切り替わり、議論モードに移行する)


あすか:「さあ、4000年の対話が、今、始まります——」

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