9)武道大会
今日は二話、投稿しております。(一話目は朝9時に)
こちらは二話目の投稿です。
王妃の手紙が届いてから一か月が過ぎた。
ルーファスは制服のローブのフードをかぶり騎士科の訓練場に赴いた。
今日は、騎士科で秋の武道大会が行われる。
他の科では運動系の催事はあっても大会と言うほど大がかりではなかった。魔導科では攻撃魔法を使った小型魔獣の討伐スピードを競う試合が行われるが、騎士科の大会とは時期が違った。
騎士科では年に二回武道大会がある。春と秋の大会だ。春の大会のほうが大規模で二日にわたって行われる。全学年で騎士科をあげての大会だ。
秋の大会は小規模で学年ごとに別れて行われる。大会というよりは実技試験に近いという。それでも、他の科の生徒たちが見学に来て賑わっていた。
今日は一学年の部だ。シンシアが出場するはずだった。
今回、初めて見学に訪れ、ルーファスは久しぶりにシンシアを見た。学友たちと歩いているシンシアはすぐにわかった。
シンシアもルーファスと同い年だ。十六歳になる。
白金の髪にスミレ色の瞳は記憶の中にある色だ。最後に見た姿よりもすらりと背が伸びて訓練着越しにあらわになったその肢体は見事に均整がとれている。はち切れんばかりの若さと丸みのある胸。シンシアたちは周りの男子の視線を集めていた。
綺麗だった。
婚約が決まった当時も可愛らしい少女だったが、大人の女性へと成長しつつある彼女は瑞々しくも麗しい淑女となっていた。仲間の友人たちと明るく笑っている。とても楽しそうだ。
シンシアはあんなに朗らかな人柄だったんだな、と改めて思う。四年前に婚約候補が集められた茶会でも彼女は明るかった。
姉御肌なのだろう。緊張している令嬢に話し掛けていた。それをセリーナは「マナーがなってない令嬢」と噂に流したのだ。
あの噂などもう残ってはいない。セリーナは信用されていなかった。そもそも四年近くも過ぎたのだ。
あの頃の愛らしい容姿の記憶が、今現在の美しい姿に上書きされていく。この四年はルーファスとシンシアの関係にとって本当に無駄な年月だった。本当は二人で少しずつ寄り添っていくための年月のはずだった。
それを台無しにした正体はもうわかっている。物証や証人は見つかっていない上に王妃が加担している。ゆえに王家としては公にはしないと決めた。
あんな詐欺師に填められた母は、王妃として許されない失態だった。放置した結果となった国王や王室管理室をはじめとする周囲の失態でもある。あまりにもお粗末だった。
一番の被害者はルーファスとシンシアだった。
これから、レヴァンス侯爵家の信頼を取り戻すのは時間がかかるだろう。王家はレヴァンス侯爵家にとっては長らく軽蔑の対象になりそうだ。
宰相はなにも言わない。彼は冷静でそつの無い男だ。
父である国王はとっくに切り替えて宰相と接しているように見える。もう些事として忘れた様子だ。
この件は後々まで響くとしても済んだことだ。ルーファスも前を向くべきなのだろう。けれど、胸に重りを押し込まれたように辛い。
ジャニスという女のおぞましさ、セリーナという毒婦の忌ま忌ましさ。それに自分の母親がどっぷりと浸かっていたことが頭から離れない。
ルーファスの妻は、下手したらジャニスになっていたかもしれない。その可能性を僅かでも思うと嫌悪感で吐き気がする。
ルーファスは首を振って怖気をやり過ごした。
「どうされましたか」
隣を歩くリンクスに心配そうに尋ねられた。
リンクスは側近候補の二人が除けられてから常に側にいる。
五歳年上で、王立学園は卒業済みだ。今はルーファスの側近として仕えていた。陛下ももう側近はリンクスで良いだろうと考えている。将来的には増やすとしても今はいい。
リンクスの家は代々王家に仕えていて信頼できる。今まではリンクスが五歳年上ゆえに歳の近いカイトやキリアンが選ばれていただけだ。
「いや。久しぶりにシンシアを見たので、何というか、動揺した」
ルーファスは正直に答えた。ごまかす必要もない。彼女に見惚れたのは事実だ。
「騎士科は自由な雰囲気ですね。魔導科や他の科とずいぶん違います」
リンクスが穏やかにそう述べた。
「そうだな」
ルーファスは魔導科だが、王族は法学科に進むことが多い。次点で魔力量の高さゆえに魔導科に進むこともある。法学科でも良かったが、ルーファスは魔導科を選んだ。
密かにシンシアも魔導科ではないか、と思っていたからだ。令嬢は一般教養学科に入ることが多いが、彼女は魔力量が高かった。
それがまさかの騎士科だ。
ルーファスはシンシアの見える位置を取り、試合場へと歩いた。
遠目に婚約者を見つめるルーファスをリンクスは不思議そうに眺めていたが、防音の結界を自分とルーファスに施してから口を開いた。
「ルーファス殿下。一つ確認して良いですか」
「なんだ?」
ルーファスは視線をリンクスに移した。
「殿下は、シンシア様をどう思ってらっしゃるんですか」
「え?」
前置なしの問いにルーファスはすぐには反応できなかった。
「陛下は、ルーファス殿下は好きな令嬢はいないようだ、と仰ってました。ですが、もしかして、シンシア様がお好きなんですか」
ルーファスはそんな基本的とも言えることを尋ねられ辛そうに顔を歪めた。
リンクスは、皆は勘違いをしていたのだと気づいた。
殿下はジャニスを好いている、と思い込んでいる者は多かった。だが、身分違いを超えて婚約者にしたいほどは好いていない、という認識だ。ルーファスがジャニスを婚約者にしたがっているなどという話は一度も聞いたことがなかった。
とはいえ、ルーファスが婚約者のシンシアを気に入っているとも思えなかった。単に自分の婚約者としてはシンシアは相応しいと考えているのだろうと、そう思われた。
まさか、シンシアが好きだなどと思う要素がない。ずっと彼は婚約者を蔑ろにしていたのだ。
シンシアの父は宰相であり、いつも王宮にいる。なんなら、陛下と会う機会は重鎮としては最も頻繁かもしれない。
ルーファスがシンシアと会いたければ幾らでも申し入れることができた。婚約者に会いたいと、一度でも伝えていたら今回のすれ違いはなかった。
ルーファスが唇を噛んで黙り込んでいると、リンクスが続けた。
「婚約者殿に、殿下は全く無関心でしたよね」
「無関心なつもりはなかった。ずっと変だとは思っていた。ただ、招かれても来ない婚約者のことを見ないふりをしていたんだ」
「四年間もですか」
リンクスの声音は、呆れると言うより驚いていた。
「嘘を、信じていた。母が『招いても来なかった』と言った嘘を。招待しても来ないと言われて、酷くがっかりした。私のことを気に入っていたのではないのかと。嘘だったのかと」
ルーファスは話しながら力が抜けていった。王妃だけでなくルーファスも填められていたのだ。
「ああ、その嘘もありましたね。それから、嘘の噂を流した件も。シンシア様が、ルーファス殿下に無理に婚約をねじ込んだのだとね、なるほど。あのセリーナという夫人はなかなかの策士です。初めにあの噂を流したのも良い手でしたよ、あちらにとっては」
ルーファスはリンクスの言葉に眉間の皺を深めた。
王子と婚約者のことは王妃が仕切っていた。
婚約の件は、国王と宰相は、簡単に言えば「担当ではなかった」。双方ともに、妻に任せていた。
さらに言えば、王妃が中心となるべきことだった。侯爵家から王家に指示などできないのだから、レヴァンス侯爵家は受け身にならざるを得なかった。
王妃が嵌められて婚約は駄目にされかけたが、王子にもその原因の一端はあった。
「シンシアが我が儘を言ったと言うあの噂」
母も加担した、と言う言葉は言わずに飲み込んだが、当時の事情はリンクスは知っていた。必要な情報は側近にはすべて伝えてある。
「レヴァンス侯爵家を怒らせたでしょう。由緒正しいレヴァンス侯爵家のご令嬢を貶める噂が流れたのですから。レヴァンス侯爵夫人は噂の出元くらい掴んだでしょうね。王妃様が加担したことも」
「そうだな」
ルーファスは辛そうに同意した。
「こう言ってはなんですが、セリーナは胡散臭い夫人でした。レヴァンス侯爵家はあの時、王家を見限りました。招待が来る来ないなど些細なことでしょう。レヴァンス侯爵家を怒らせたのはあの嘘の噂ですね。ですから、王家からの招きが来なければレヴァンス侯爵家からは何も言ってこない。宰相も言わない。おかげで、それきりとなった。王家側は気づきませんでした」
嵌められていたから、という言葉はリンクスが言わなくてもルーファスには十分すぎるほどわかった。
「ですが、殿下は嵌められていなかったですよね。それなのに婚約者を放置したのですから、おそらく殿下はシンシア様のことは好いていないと陛下はお考えです」
「違う」
ルーファスは力無く否定した。
そう思われても仕方がない。だが、違う。
「ですが」
リンクスはただ確認のように問いかけようとしたが、ルーファスは首を振った。
「父が、国王が、どうしてそんなことを言うのか私にはわからない。私は、何度も父に言った。レヴァンス侯爵家に行きたいと。婚約者に会いたいと思っていた。謝るべきだとも」
「そ、そうなんですか」
リンクスは思わず目を見開いた。
「本当だ。手紙さえも出すことは許されなかった。父上は忘れておられるのかもしれないが」
ルーファスは気落ちした様子だった。
「いや、まさか。忘れるなど」
忘れる内容ではないだろう、とリンクスは思いながら言葉を続ける。「ですが、このままでは婚約がなくなる運びなのはご存じですよね」
側近の言葉にルーファスは「なぜだ?」と眉根を寄せた。
「王家は放置してますから。おそらく」
リンクスも気難しい顔となった。
「放置していれば、そのままシンシアは婚約者だろう」
「レヴァンス侯爵家は婚約がなくなることを望んでいるでしょう」
「そ、そうなのか」
「そりゃそうですよ、王家がシンシア様になにをしたかご存じでしょうに」
リンクスに呆れたように言われ、ルーファスは「それはそうだが」と口ごもった。
「陛下も、宰相閣下から『婚約をなくして欲しい』と言われれば断れないです。陛下はせめてほとぼりが冷めるのを待って欲しいと思っていることでしょう。あの毒婦たちのためにルーファス殿下の悪評が立ってますから。今のままでは、他に理想的な婚約者を見繕うのは無理ですのでね。私が思いますに、幾ら待っても殿下の悪評は消えないと思いますが」
「はっきり言うな」
ルーファスは思わず項垂れた。
「はっきり言うもなにも。もしも殿下が知らなかったら、そのことに私は驚きますよ」
「それどころじゃなかったんだ」
「はぁ。とにかく、王家は殿下の悪評がさらに悪化することも覚悟の上で、宰相閣下に望まれたら婚約解消でしょう。他国の姫からも候補を探していますからね」
「このまま婚約継続にはならないのか。我が国には他国の姫が来たがらないだろう」
ルーファスは冷気を浴びせられたように自分の心が凍えるのを感じた。
「陛下はルーファス様に、婚約を継続するためになんとかしろと仰いましたか?」
リンクスに尋ねられ、ルーファスは戸惑いながら、
「いや」
と答えた。
「ですから、わかるじゃありませんか。婚約はなくなってもいいだろうと陛下は考え、それに殿下は逆らいませんでした」
「そんな馬鹿な。違う、なにもかも違う」
ルーファスは、初めて気づいた。
そうだ、自分が放置したと、そう思われていたんだ、と。
「挽回したいのですか」
リンクスは哀れむように尋ねた。
「したい」
「それは、かなり難しいと思いますけどね」
「そう、なのか」
ルーファスは半ば絶望した心地でリンクスを見た。
「たぶん、もうすぐわかりますよ、このままシンシア様を見ていれば」
リンクスは遠くを見る目をした。
「どういう意味だ」
「さぁ」
リンクスは顔を背け、ルーファスは嫌な予感がしながらシンシアに視線を移した。
ありがとうございました。
明日も二話、投稿いたします。朝9時と夕方20時の予定です。