5)二人の側近
シンシアは屋敷に帰ると早速、母に尋ねることにした。
マーシアは丁度、茶会から帰ってきたところだった。相変わらず母は美しくセンスが良い。深い青い装いは派手さを抑えた色だが、同系色のゴージャスなレースが襟元や袖にあしらわれ目を惹く麗しさだ。母によく似合っていた。
シンシアは母がソファに一息ついている間に向かいのソファに座り込んだ。
「お母様、ルーファス王子はジャニスとかいう令嬢と付き合っているって本当ですか」
シンシアがなんらひねりもなくズバリと尋ねると、マーシアは「ふふ」と優雅に笑った。
「まさか、今頃気が付いたの? シンシア」
マーシアは楽しげにシンシアを細めた目で見ている。
「今日、友人に言われて」
シンシアは気まずく言い訳をした。
「そうみたいねぇ。いつでもどこでも、あの下品な娘を連れて歩くなんて今どきの王家はずいぶん落ちたものだわ」
母の不敬発言が止まらない。そう思いながらも、シンシアは脳内で小躍りしていた。
「じゃぁ、婚約は取りやめですね!」
シンシアが満面の笑みでそう言うと、マーシアは細い肩をすくめた。
「あなたがお父様をせっつくべきでしょう」
「そ、それは。私が余計なことをするとろくなことにならない気がして」
「とりあえず、シアの気持ちをお父様に知らせておかないとなかなか先へは進めないわよ」
「そうなんですか」
「ええ。だって、あちらの希望としてはシアはお飾りの妃で、子爵家のゆるい娘は愛妾になる予定みたいですもの」
「え? え?」
お飾りの妃とは初めて聞く情報だ。おまけに、相手の令嬢には問題があるらしい。
ゆるい、ってどこが? とシンシアは急いで考えを巡らせる。頭がゆるいのか、下半身がゆるいのか。
シンシアは「ん、ん!」と軽く咳払いをし「お飾りの妃って何をすればいいんでしょうか」と首を傾げて尋ねた。
途端に母の目が険しくなり、シンシアはぞくりと背筋を震わせた。
「シンシア! まさか、私の娘ともあろうものが! お飾りの妃なんぞになるつもりはないでしょうね」
母の声が地を這うように低い。
「そ、それは、よくわからないのでなんとも言い様がありませんが、ちょっとした好奇心です! どんなことをやるのかなぁって」
「お飾りですからね! 表向きは妻でも夫に冷たくされ寝室は別で、旦那は愛妾といちゃいちゃしてるって状態でしょうよ。王子の妃ですから、外交や内政であれこれ忙しいでしょうしね」
「へぇ。お仕事は妃の仕事だけで、夫とは不干渉で良い、みたいな? お給料は貰えるんですよね?」
それって、別に悪くないのでは、とシンシアは思ってしまった。でも、あまり忙しいのは嫌だが、暇な穀潰しにもなりたくない。
「そりゃ、貰えるでしょうけど。シンシア? あなた、愛してくれない夫で良いの?」
「うーん。王家との婚約が流れたら、私の結婚って前途多難になりますよね」
シンシアは騎士科に通い始めて半年が過ぎ、徐々に己の進路について考え始めた。考え始めるのが遅すぎたかもしれない。
それに、家庭教師からの四方山話で聞いたのだ。一度、婚約が駄目になった令嬢は結婚相手としては敬遠される、と。理由は幾つもある。
まずは「誰かのお下がりはお断り」と拒絶される。
プライドの高い貴族なら、余所で捨てられた者などそれだけで要らないと断られる理由になる。あるいは「問題があるから駄目になったのだろう」と思われてしまう。
他にも「婚約相手がいたなら、お手つきになっている可能性がある」とか「元の婚約者に心を残しているかもしれない」などと、一度でも婚約が駄目になると負の条件が付いてくる。
一つ目と二つ目の「お下がりはお断り」「問題があるから駄目になった」という理由が大きいらしいが、他の二つも地味に効いている。
「我がレヴァンス侯爵家の令嬢ともあろうものがずいぶん自信がないのね。そんなことはあり得ないわ。幾らでも良い相手が見つかるわよ」
マーシアは不機嫌に答えた。
「そうかもしれませんけど、私の同級で婚約相手がいない人って高位の貴族令息では珍しいんですよね。下位の貴族や平民の男子ならそれなりにいますけど」
「それは、まぁ、そうね」
マーシアは渋々認めた。
シンシアの脳裏にアレンの姿が過ったが、考えないことにした。彼も婚約者はいないらしいが、シンシアは彼からは恋愛感情は持たれていない。シンシアに王子という婚約者がいるためとしても、それだけではない。
残念なことに、シンシアは彼の好みではなかった。
「騎士科に通って悟ったんですけど、私の剣術の腕は並です。騎士として大成できそうにありません」
「そう。良かったわ」
マーシアはにこりと頬笑んだ。
シンシアは母の無慈悲な言葉は無視した。
「弓術とか体術はかなりのレベルだと褒められていますが、騎士としては微妙で、私が武術の道を進んだとしても女性の要人の護衛とかの仕事になりそうなんですよね。でも、私自身が気配りのある女じゃないので天職にするのは」
「当たり前でしょ! あなた自身が『女性の要人』でしょうに!」
「えっと、まぁ、それはひとまず置いておくとして」
「置いておけるものじゃないでしょ!」
母の機嫌が下り落ちてゆき、シンシアは焦った。
「あ、あとは、斥候とかに使えそうな能力かなとは思うんですが、そんな機転が利く人間とも思えなくて」
「危険な斥候任務ですって? 冗談は止めてちょうだい!」
マーシアが叫ぶ。
「そんなわけで、ここ半年あれこれ考えてたんですけど、孤児院の慰問とか、父に付いて領地の視察とかはやりがいがあるし楽しかったので」
「まぁ、良いことだわ! そうよ、シンシアの適正はそこよ!」
マーシアが頬笑む。
「ですよね。そうしたら、王子のお飾りの妃も悪くないっていうか」
「なんでそうなるのよ! この馬鹿娘!」
母に怒られ、シンシアは「ひぃっ」と息を呑んだ。
「まったくぅ。なんでこんな娘に育ってしまったのかしら。あなた、騎士科で親しくしている令息がいるんじゃなかったの!」
「えぇ! なんでそれを。っていうか、そ、そんな親しくなんて。し、してないっていうか。誤解なんですけど、お母様」
シンシアが取り乱すと、マーシアは意味ありげな横目で見てくる。
「隠す必要はなくってよ。私はこう見えて情報収集能力が高いんですからね! 侍女たちの親類縁者も王立学園に通ってますからね」
「そ、そうなんですね、いえ、でも、あの、辺境伯家のアレンのことを仰ってるんでしたら、ちょっと私は見込みがないというか」
「名前を呼び合う仲なのね」
「お母様、騎士科の同じクラスは皆、そうなんです。共に戦う仲間ですから」
「た、戦うって、戦うですって? 我が娘が」
母親に目を剥かれ、シンシアは「いや、でも、騎士科ですから」と口ごもり無理矢理、話を進めた。
「あの、ここだけの話、王子殿下よりもアレンのほうが私の好みではあります」
「まぁ!」
マーシアが目を輝かす。
「でも、残念ながら、彼のほうは私になんら関心はなく」
「仲が良いと評判なのに?」
「そ、それでも、彼にとっては単なる話しやすい女子というか、色気のない友人枠でしかないんです」
「あなたねぇ、私に似た容姿のくせに、なんでそんなに自信がないのよ」
「観察結果です!」
「はぁ? なにを観察したというの」
「いえ、その、視線、とか、です」
「視線? つまり、そいつの視線が他の女に向かっていた、と?」
「う」
シンシアは思わず俯いた。
学生のころモテたという母には特に言い難くかった。
マーシアは娘の態度に思うところはあったが、止むなく矛を収めておいた。
□□□
手紙紛失が発覚したのち。
ルーファスは幾度か、レヴァンス侯爵家を訪問しようと試みた。けれど、国王である父に反対されて叶わなかった。
あげく、ルーファスがレヴァンス家に出そうとした謝罪の手紙も王の側近に回収され「王家の方針に逆らい勝手なことをするな」と厳しい叱責を受けた。なにが王家の方針なのか。ルーファスには理解できなかった。
王家として謝るべきだとも思い父にそう告げたのだが、父は酷く冷淡な空気を纏い、話し掛けるのも躊躇するようになった。
以前から父にはそういう雰囲気というか、拒絶感のようなものを感じていた。父というよりやはり国王なのだ、当たり前ではあるが。いつも絶えず「国王とその後継者」という間柄で、父と子という気安さはない。
十五歳となったルーファスは王立学園に入ればシンシアと会えると思っていた。だが、会えなかった。
シンシアは家庭教師に学んでいるか、あるいは他の私学にでも通っているのかもしれない。レヴァンス侯爵家と王家はわだかまりを抱えたままだ。
父はなにか考えているはずだ、近衛の諜報部は手紙の紛失事件をまだ調べている、そう思っていた。けれど、諜報部の手はもう離れていると父から聞いた。
「そんな些事に諜報部はいつまでも使えない」と言われ、ルーファスは愕然とした。王妃の手紙が無くなったことは些事なのか。
学園に通い始めて半年が過ぎた。
今日は生徒会の活動がある。
ルーファスはカイトと廊下を歩いていた。カイトは二人の側近候補のうちの一人だ。まだ候補が二人なのはルーファスはまだ学生なので二人で十分だからと、公には理由を述べている。
本当の理由は「手紙状紛失事件」のためだ。
王室管理室が事件の真相が明らかになるまでは下手な人間をルーファスの側には置かないと決めた。
二人の側近はルーファスとともに生徒会に出入りするために役員にしてもらっていた。
学園ではジャニスがまた付きまとい、生徒会室に頻繁に出入りしていた。ジャニスの実家アルド子爵家は弱小子爵家だ。生徒会に入れる家ではない。
生徒会は、生徒たちと学園との橋渡し役だ。各種の行事のさいや各委員会とのやり取りでも手がかかる。
とはいえ、貴族令息はなにかと家の用事がある。学園側も配慮し、雑務を手伝う要員が手配されている。ゆえに、生徒会役員が行うことは多くはない。週に一時間ほどを二日か三日、充てれば良いくらいの量だ。
王立学園には貴族の令嬢令息が通っている関係で、生徒に指示できる高位貴族や王族が役員をやると決まっていた。機密といってもよい情報も生徒会室には置いてあるため、関係者以外は立ち入り禁止だ。それなのにジャニスは勝手に入ってくる。
世間では、ルーファス王子はシンシアをお飾りの妃にして愛するジャニスを妾妃にしようとしているというデタラメが広まっていた。
社交界での第二王子に関わる噂は二つ。一つ目は、第二王子の婚約が決まったと同時に流れた。「シンシア・レヴァンスの我が儘で婚約が決まった」というもの。王妃のお気に入りであるセリーナ・アルド子爵夫人が暴露したと言われている。
次いで「ルーファス王子の想い人はジャニス・アルド子爵令嬢だが条件的に無理だったので愛妾にし、表向きの妃はシンシア・レヴァンスに決まった」という噂が流れた。
実際に王家はそのように振る舞っていた。ルーファスは主立った茶会や催事にジャニスを伴って出かけ、シンシアは王宮に出入りしているのを誰も見たことがなかった。
王妃は十年以上にも及ぶ年月、ジャニスの母である子爵夫人と懇意にしていた。
婚約した当時に流れた噂「シンシアの我が儘で婚約が決まった」という話はセリーナ・アルド子爵夫人が盛んに言い立てていたという事実も知られている。
その結果、この噂の真相は「シンシアをお飾りの妃にすることの批判を、王家が誤魔化すためにジャニスの母親と王妃が広めたデマ」という説もまことしやかに広まっている。
これも辻褄が合うため、広まったきり消えることはない。
なにが真実かは、世間は見たままを信じている。
ここ最近では、シンシアの母マーシア夫人が「王家から娘に招待が来たことはありませんわ」と友人たちに話し、それは真実だった。
王家は否定できなかった。それでなくとも宰相に対して信頼を裏切ることを再三にわたって行っていた。本来なら、こういった社交上の問題に関わるべきなのは王妃だ。だが、王妃は療養中で、そもそも王妃に問題を解決するような能力はなかった。
ルーファスはジャニスとはもう付き合いたくなかった。ルーファスとジャニスの噂は不愉快だ。
父にも「アルド子爵家の娘とは懇意にするな」と言われている。けれど、ジャニスはルーファスの側近候補二人と親しいため、なにかと近寄ってくるし側近たちもそれを許している。
側近候補を変えたほうが良さそうだ。ジャニスに操られるような側近は要らないのだ。
ルーファスは生徒会室に向かいながら、どう言って変えようかと考えた。
軽くノックをして生徒会室に入ると一瞬、ルーファスの眉間に皺が寄った。室内にはすでに数人の人の姿があったが、そのうちの一人が満面の笑みを浮かべてルーファスに声をかけてきた。
「ルーファス! 遅いわよ!」
「ジャニス、私を名で呼ばないでくれ。それに君は生徒会の役員ではないだろう」
ルーファスは冷淡に答えた。
「そんな冷たい言い方しないで。お手伝いをしていたのよ」
ジャニスが目を潤ませた。
会長のセオドアが困った顔をしている。
キリアンが入れたんだろう。
ルーファスは苛立ちが表情に出るのを抑えきれなかった。キリアンはもう一人の側近候補だ。
現在、生徒会は、三年の公爵令息のセオドア会長と二年の副会長エドニル、それにルーファスと二年の会計と書記がいる。
庶務はルーファスの側近候補二人だ。
ルーファスは半年間はエドニルと二人で副会長を務め、その傍ら会長の仕事を引き継ぐ。会長のセオドアは三年なので半年後には引退し、その後はルーファスが会長となる予定だった。
まだ引き継ぎの段階で問題など起こしたくはない。候補とはいえ、キリアンとカイトはルーファスの側近なので彼らの失態はルーファスの責任となる。
「キリアン、部外者を生徒会室に入れないでくれ。ここには部外者には見せられない資料もあるんだ」
「ジャニスは信用できます」
「信用するしないの問題ではない。規則をねじ曲げるな!」
ルーファスが厳しく声を荒げると、ジャニスがぽろりと涙をこぼした。すぐにカイトがジャニスの肩を抱く。
これで二人を側近候補から解く理由にはなる。けれど、ルーファスにとって、ことはそう簡単ではなかった。
「早く出ていってくれ」
「殿下、せっかく雑務を手伝ってくださっているご友人にあんまりです」
「手伝いは要らない。キリアン、彼女を連れて出てくれ。規則を無視するな」
「庶務の仕事がございます」
「部外者なしでやってくれ」
言い合いをしているうちにセオドアが「時間がなくなるよ」と声を掛けてきた。
ルーファスはため息を噛み殺してジャニスたちを無視し、セオドアに顔を向けた。
「セオドア会長。引き継ぎの資料は読んできました。いくつか確認したいことがあるのですが」
「それでは隣の準備室に行こう」
セオドアに促され、副会長のエドニルと共に準備室に向かう。
ドアを閉める間際に、
「わ、私、お茶をいれます」
とジャニスが健気に立ち直ろうとしている声が聞こえ、セオドアとエドニルはあからさまにうんざりした顔をした。
まだ居座るつもりらしい。ルーファスはジャニスの図太さに呆れた。幼なじみだから彼女の性格は知っているつもりだったが思っていた以上に酷い気がする。
このしつこさはまるで魔物の触手のようだ、とルーファスは苛立ちながら思った。