20)求婚
本日、一話目の投稿です。
シンシアが見えなくなるとすぐさまシンシアを追って王子は走った。花束は王子を追う侍従に投げ渡している。
アレンは出遅れたまま固まっていた。
追えよ! と友人たちは心の中で叫んだ。騎士科男子の過半数も胸中で叫んだ。
皆の心の叫びがようやく届いたのか、アレンは花束を三位の男子に押しつけて走り出した。
ルーファスは馬車に駆け乗ったシンシアにあと一歩で追いつけなかった。
すぐさま王家の魔導車に乗り込もうとして、視線の端でシンシアの馬車の前に現れた男に気付いた。アレンだった。
アレンは食堂を突っ切り、あり得ない近道をして回り込んでいた。
「シンシア! 待ってくれ」
御者は走り出すことができず、シンシアは慌てて馬車から降りた。
「あ、の、アレン、えっと、なに、かしら」
動揺しまくったシンシアは口ごもりながらアレンに対峙した。
「好き、なんだ。お、俺と、その、こ、婚約を」
とアレンがなんとか絞り出したところで、リンクスがそっと歩み寄った。
「ええと、アレン・ゼルーデオ殿。ご令嬢に婚約を申し入れる前にこちらの説明をされるべきでしょう」
リンクスが差し出した魔導具で撮られた写真には、アレンがキャリーの巨乳に指で触れている姿が写し出されていた。
「は? なんなのこれ!」
思わず叫んだシンシアの眉間に皺が寄る。
「ち、違う! これは、そんな不埒なものではない!」
「これが不埒じゃないって? どんな言い訳よ!」
「違う! キャリーの胸は不自然だろう! だから、なにか細工がしてあると思ってたんだ! そうしたら、先日、偶然、水飲み場で二人きりになったときに彼女が『気になるなら触れてみますか』と聞いてきたんで、詰め物がしてあると思う辺りを触らせてもらった。そうしたら、やっぱり細工してあったんだ!」
「えぇ! あの巨乳、紛い物?」
「シンシア! 気にすべきはそこじゃないだろ!」
慌てて駆け寄ったルーファスがシンシアとアレンの間に分け入った。
「紛い物だった! おそらく、魔獣素材だと思う、不自然な硬めの弾力で」
「本物かもしれないだろ!」
「硬めだぞ、硬め! 変だろ! 不審物だろ!」
「えーと、ちょっとお待ちください。今、検討するのはそれではありません」
リンクスが話を元に戻そうとするが、思いがけぬ速さで駆け寄る人物たちがいた。
「シンシア!」
レヴァンス侯爵夫妻だった。侍従も一緒に駆けつけていた。
「お、お父様、お母様」
「宰相閣下、お嬢様との婚約をお考えいただけませんか」
「やめ! シンシアは私の婚約者だ!」
「殿下の浮気で終わったでしょう!」
「終わってない! 浮気はしてない! 貴様の巨乳つっつき事件より清らかだ!」
「違う! つ、つい気になって。調査してただけだ!」
「シンシア、お前はどうしたいんだ?」
父に尋ねられ、呆然としていたシンシアは急いで考えた。考えても「こんなの嫌だ」と思うだけだ。
これを、選べというのか。
デリカシーがミジンコ並とわかった辺境伯嫡男と、面倒くさい王子妃か。
今、ここで? 二択しかないのか。
シンシアは「どっちも嫌だし」としか思えなかった。
他の普通の幸せを選びたかった。
「わ、私は、領地のために人生を捧げるつもりですから! お二人ともお断りいたします」
「そうか!」
なぜか父が嬉しそうにし、母は一言言いたかったが今この場では押し止めておいた。
□□□
それから、宰相家一家は帰宅してしまった。
アレンは呆然とシンシアの乗った馬車を見送ったが、ルーファスはいち早く気を取り直し王家の魔導車に駆け寄った。
飛びつくように乗り込むと運転手に「レヴァンス侯爵家へ」と告げた。
「先触れは出していませんが」
リンクスがぼやく。
「非常事態だ。後で詫びる」
「非常事態ねぇ」
リンクスはルーファスに苦笑いで答えると「運転手くん、安全運転で」と頼んでおいた。
アレンはルーファスが運転手にレヴァンス邸へ向かうよう告げた声を聞き、慌てて周りを見回した。
表彰式の途中でアレンたちは馬車留めに来ていた。そのため、先ほどまでは人が少なかったが、今はだいぶ賑やかになっていた。試合場のほうでは表彰式が終わったのだろう。
「アレン! どうなった?」
駆けつけてきたキースに問われ、アレンは友人の腕を掴んだ。
「レヴァンス侯爵家に行かないと」
「えぇ?」
それから、アレンは友人らに手伝わせて馬車の都合を付け、乗り込んだ。
一方、ルーファスらの乗った魔導車は事故もなく不調もなくレヴァンス侯爵家に到着した。
玄関で幾らかの押問答はあったが、侯爵は王子の頼みを斥けられなかった。
侯爵夫妻は娘に任せた。夫人は不本意そうだったが、夫の説得に珍しく折れた。
ルーファスは訓練着のままなので「庭で良い」と言い、勧められたガゼボの椅子でさりげなく浄化魔法を自分にかけた。
これから一世一代の求婚をするのに汗臭いのは良くないだろう。そもそも訓練着の格好も理想とは離れているが、この際目を瞑ろう。
ざっと湯を浴びて急いで着替えたシンシアが下りてきた。
髪がまだ湿気ている様子だ。普通の令嬢ならもっと何倍も時間がかかっただろう。シンシアは最速でやってきた。
ルーファスには湯上がりのシンシアが眩しかった。
「えぇと、王子殿下、どうされたんですか」
戸惑うシンシアのもとに跪くと、ルーファスはシンシアの手を取った。
「シンシア、結婚してくれ」
「え?」
もうお断りしたのでは? という疑問はとりあえず飲み込んだ。
シンシアは二人の婚約はケチが付きまくっているくらい知っているし自覚もあった。先ほどのお断りで決着が付いたつもりだったが、充分ではなかったらしい。
「シンシアはどこら辺が気に入らないんだろうか。私の妻となっても必要であれば領地に行ってもいい。兄上の補佐をしたいのだろう? 君の意思をいつでも尊重する。好きなことをたくさんやってくれてかまわない」
「え? そう、ですか。領地に行ってもいい?」
しばし無言で考えた。
そんなに譲歩してもらえるのなら検討してもいいかもしれない。
シンシアは自分の今後の結婚がずっと不安だった。前途多難だと思っていた。独身で一生過ごすのも悪くないが、年を取ったときに寂しいと思うかもしれない。シンシアは自分がそんなに孤独に強いかわからない。
一人で楽しめる趣味も持っていない。仲の良い家族がいたらいいな、と思うほうだ。だが、一度、婚約を駄目にした令嬢の結婚事情はこの社会では厳しい。
アレンは好きだった。初恋だった。ルーファス王子に最初に婚約を望んだのはシンシアだったが、もうそんな子供の思い付きなど忘れていた。アレンの剣を振るう姿を見るのが好きだった。
キャリーに奪われた気分だ。
アレンの言い訳を信じるなら違うのかもしれないけれど。この際、巨乳が偽物だろうが不自然だろうが関係ない。そんなのはガン見しなければ気付かなかったことだ。そう思うと奪われて良かった。シンシアは年齢相応の乳だ。
王子妃など面倒だと思っていた。
けれど、こんなに気遣ってくれる彼の妻なら前向きに考えてもいいのではないか。
シンシアは決断力はあるほうだった、考えるのが面倒臭いともいえる。うじうじ悩むのは性に合わない。
「とりあえず、婚約し直しで」
今度はきちんと婚約者としてお付き合いをし問題がなければ結婚しよう、そう思えた。
もうシンシアが無理矢理、婚約したなどと誰も疑わないだろうし、ルーファスが浮気しているなどという噂がたつこともないだろう。
誰も横やりを入れてこないだろうし、シンシアの心が揺れることもない、はずだ。
互いに信頼しあって婚約期間を無事に終えられたら、そのときは結婚する。
お飾りではなく。
「わかった。誰よりも優しく頼りになる婚約者になると誓う」
ルーファスが満面の笑みで頷く。
「よ、よろしく」
その返事もおおよそ貴族令嬢らしくはなかったが、ルーファスは頬を染めたシンシアがたまらなく可愛かった。
シンシアは、ふいに背後の足音に気付いた。
突然の求婚に気を取られていたために間近になるまで知らないでいたが、ルーファスは元より気付いていた。
「お嬢様」
と声を掛けられた。レヴァンス家の執事の声だ。
振り返ると執事の隣にはアレンの姿があった。
ルーファスに手を取られるシンシアを呆然と見ている。
「シンシア」
「あ、アレン」
「返事を、して、しまったのかい」
「ああ。了解してもらった」
答えたのはルーファスだった。
「そうか。わかった」
辺境伯家の跡継ぎは、潔く踵を返した。
お読みいただきありがとうございました。
真相やその後などを、今夜20時に投稿予定です。




