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07.約束の専属講師 -3-

 翌日、講義室に行くなり、イリスは女子生徒に囲まれた。


「コストさん、抜け駆けは許されませんよ」


 イリスに抜け駆けの認識はなかったが、彼女らがそう認識するのは仕方ないと思った。そして、わかっていながら、リュドウィックの誘いを断らなかった(断れなかった)のも、また事実である。


 イリスが何と弁明しようかと頭を悩ませていると、話の流れが少し変わってきた。


「ファンクラブに入る気になりました?」

「リュドウィック様の魅力を語り合いましょうよ」

「どのように勉強を教えてくださるのかしら」


 イリスもリュドウィックに魅了された仲間と思ったのか、ファンクラブのメンバーは声を弾ませた。抜け駆けを恨んでいるのはほんの一部だったのだ。ほとんどがリュドウィックと不釣り合いの身分だと弁えている。イリスに忠告をしに来た人も、純粋にリュドウィックの話を聞きたがる多勢に負けた。


 イリスは内心ほっとしながら、救いとなった彼女らのために昨日の話をしてあげた。ただあったことを話しただけなのだが、とても喜んでもらえた。最初は目を吊り上げていた人も、興味を示し、段々表情を和らげていった。


 だが、残念ながらそれだけでは許されなかったらしい。


 放課後、ノブルクラブ室に向かおうとするイリスの前に数人の女子生徒が立ちふさがった。


「リュドウィック様がお優しいとはいえ、勉強を見てもらうだなんて図々しいのよ」

「今日は行かせないわ」


 彼女らはイリスの立場を羨ましがるが、それほど良いものでもない。少なくともイリスはそう思っている。


 リュドウィックの厚意に甘えているのは本当だが、イリスが選ばれたのは都合が良いからに過ぎない。ノブルクラブ室に共に入れて、勉強を見ると言う口実で他者の干渉を拒絶するのに使える。彼のプライベートを確保するのに利用されているだけなのだ。


 今度こそ真剣に弁明の言葉を考えた。今朝と違って、楽しい雰囲気に変えてくれる者達がいない。


 イリスはこれを何としても突破しなければならない。リュドウィックとの約束を破れば後が怖い。身分の高い者と気軽に約束するものではないな、と少しばかり後悔する。


 イリスは宿題さえできれば良いのだから、彼女らに従って、ここで勉強したって良い。でも、それが許されない状況だ。


「リュドウィック様はこの尊きエトワール校の品格が落ちないよう、貢献しているのです。この子みたいな落ちこぼれがいては、学校の誇りを傷つけてしまうでしょう? リュドウィック様は素晴らしいお方だから、そんな煩わしいことも進んでやってくださるんだわ。それを邪魔するのは、あまりよろしくないのでは?」


 マグノリアが助けにきてくれた。普段なら真っ先に弦楽部に行っている頃だ。それを蹴ってまで従妹を見に来てくれたのだ。マグノリアの情の前では、落ちこぼれと言われたなど気にならなかった。


 マグノリアの出まかせを、尤もだと思ったらしい。彼女らが納得するくらい、イリスは悪い成績をとっている。


「……リュドウィック様と呼んでいいのは、ファンクラブ会員だけよ」


 女子生徒は言い返せないかわりに、マグノリアに呼び方を変えるように指示した。マグノリアはリュドウィックに対し、もう何のこだわりも持っていなかったので素直に従った。


 マグノリアのおかげで丸く収まり、イリスはノブルクラブ室に行くことが許された。


 今日はリュドウィックの方が先に来ていた。イリスは待たせてしまったことを謝らなければと思いながら、昨日と同じソファに座るリュドウィックに近づいた。


「リュドウィック様、私にも勉強を教えてくださいな」


 リュドウィックの隣から聞こえて来た声に、イリスはぎょっとした。


 この展開が予想できなかったわけではない。でも、あまり考えたくなかった。


 イリスが座るはずの場所にミレーユがいて、リュドウィックに迫っていた。


 イリスとリュドウィックの噂が広まっていたのなら、当然ミレーユの耳にも入るだろう。そして、彼女はこのノブルクラブ室に入ることを許された人間。イリスに対抗することができるのだ。


「離れろ」


 リュドウィックは相変わらず冷たくあしらった。そこでめげないのがミレーユのすごいところだ。


「なぜコストさんは良くて、私は駄目なんです?」

「くだらない質問をするな。どけ」


 イリスはどうするべきかわからず、傍観していた。


 イリスが来たことに気付くと、リュドウィックは力づくでミレーユを引き離した。すぐさまイリスを呼び寄せ、自分の隣に座らせる。


「イリス・コスト、そこをどきなさい」


 ミレーユは目をいからせて、イリスに命令した。反射で従ってしまいそうになったが、リュドウィックに押さえつけられ、席を譲ることができなかった。


「今日は何からやるんだ?」


 リュドウィックはミレーユの存在を無視して、イリスに話しかけた。宿題に取り掛かるよう促され、イリスもミレーユを気にしないことにした。


 じっと見ているだけで満足しないのがミレーユの良いところであり、悪いところである。


 ミレーユは近くの上級生に一人用ソファを運ぶよう指示した。いくらミレーユの方が身分が上だからといって、上級生をこき使うのはいかがなものか。


 依頼された上級生は仕方なく従い、テーブルの横に取り付けるようにソファを用意した。イリスの右斜め前に、ミレーユが当然の顔をして座った。


 ミレーユも勉強を教えて欲しいという言葉にたがわず、宿題を持参したらしい。イリスのノートにかぶせるように宿題を広げた。


 邪魔をされてイリスが困っていると、リュドウィックがさらに左に体をずらし、イリスも傍に寄らせた。そうして少しずつ左にずれてミレーユから距離をとると、十分に文字が見えるようになった。


 ミレーユは面白くなさそうに、頬杖をついてイリスの宿題を見下ろした。


「そんなこともわからないの?」


 イリスの手が止まるなり、ミレーユはやじった。


「それは授業でやった問題の応用だ。授業のノートは持ってきただろう?」


 イリスが反論する前に、リュドウィックが指導を始めた。ミレーユの挑発は不発に終わった。


 この場において、頭が悪い方が得をするらしい。そう思ったミレーユは、自分の宿題を手に取ってわからないふりをした。


 リュドウィックは、自力で解こうとした形跡もない宿題を見て、ミレーユを軽蔑した。


「そんなこともわからないのか」

「……!」


 ミレーユは声にならない叫び声をあげて、悔しがった。


 その後もミレーユは居座り続けたが、イリスにちょっかいをかけたり、リュドウィックに無理に迫ったりしなかった。リュドウィックに気に入られるには真面目に勉強に取り組んだ方が良いらしいとわかり、宿題に集中したのだ。


 先に宿題を終えたミレーユは、いまだに全体の半分も終えていないイリスに憐れみの目を向けた。そんなに時間をかけてやるくらいなら、誰かにやらせればいいのに、と思った。リュドウィックに迷惑をかけているのも腹立たしかった。それを口にしなかったのは、イリスが真剣な表情で取り組んでいるのを見たからだ。


「……aqua()aula()の意味を取り違えているからおかしくなるのよ」


 ミレーユがぶっきらぼうに言った。イリスの手助けをしてやるつもりはなかった。思ったことがあるとすれば、リュドウィックの負担を減らすことと、あまりにじれったくて口を出さずにいられなかったことだ。


 イリスはミレーユが助言のようなものをしたことを大層意外に思った。ミレーユが熱でも出したのではないかと疑ったほどだ。思わず顔を上げて、じっと彼女の顔を見つめてしまった。


「なによ」


 ミレーユは不快そうに眉を曲げた。そして、「さっさと再開しないと、紅茶を淹れさせるわよ」と脅した。イリスは下手なことは口にしまいと決め、言われるままに古典の宿題に目を戻した。


 意外に思ったのはイリスだけではなかったようで、リュドウィックも珍しく驚きの表情を見せていた。


 なぜか指導員にミレーユが加わり、イリスは二人がかりで勉強を教わることになった。時折、イリスの手助けをしていたはずの二人が、宿題の範疇を超えるやや高度な話題に盛り上がり、イリスは迷惑した。


 最初はイリスを邪険に扱っていたミレーユだが、寮に戻る頃にはリュドウィックと言葉を交わせるきっかけを与えてくれたイリスに感謝の念すら抱いていた。


「仕方ないから、明日も宿題を見てあげるわ」


 ミレーユは翌日の約束を取り付けて、上機嫌に去っていった。


 イリスは当然、それがただの親切心でないことを理解していたので、邪魔だけはしないでくれと願った。


 三日目。この日はイリスが一番にノブルクラブ室にやって来た。


 イリスが部屋に入った時、まだリュドウィックは来ていなかったが、連日使用していたソファは空席のままだった。リュドウィックのために空けてあるのだろう。


 まあ、すぐに来てくれるだろう。


 そんな甘い考えで、イリスはリュドウィックの専用ソファに腰かけた。この日は比較的利用者が少なくて、リュドウィックの席に限らず、いくつかソファが空いていた。イリスが使用してもとやかく言われないはず。


 先に少しでも宿題を進めておけば、万に一つもないが誉めてもらえるかもしれない。イリスは早速宿題にとりかかった。


 しかし、リュドウィックが一向に来ない。高らかに再来を宣言していたミレーユすら姿を現さなかった。


 上級生達はミレーユと違って、わかりやすくなじったり、雑用をなすりつけたりしないが、軽蔑の視線を送ってくる。いっちょ前にソファを使ったり、社交クラブを自習室扱いしたりするのは許容しがたいようである。


 直接上級生の顔を見ることはないが、何も感じずにいられるわけではなかった。イリスは徐々にペンの動きを止めた。


 さすがにこれ以上は耐えられないと思い、荷物をまとめ始めた。その時、隣に誰かが座った。


「良かった。クーザンさん……」


 安堵して横を見ると、いたのはリュドウィックではなく、ロベールだった。


「い、イリスさん、こんにちは」


 ロベールは自信なさげな笑顔をイリスに向けた。


 ロベールも時々、この部屋を利用していたらしい。偶々、イリスが肩身狭そうに勉強しているのを見かけ、フォローに来てくれた。ロベールもまた地位が高く、一年生にして上級生以上に優遇される立場にある。


 ロベールは詳細を語らなかった。だが、イリスが文句を言われないように傍に来てくれたのだと、イリスは理解していた。


「ありがとう、ロベールさん」

「ぼ、僕のことは気にしないで。その……、続けて?」


 イリスのお礼を、ロベールは重く受け取らなかった。イリスは彼の飾らない人柄が気に入っている。隣に座ってから、異様に体をこわばらせていることには疑問を抱いたが、ロベールの気遣いをありがたくちょうだいする。


 イリスが心を落ち着けて勉強をしていると、不意に紳士に似合わない、ものものしい足音が近づいて来た。足音の主を確認すれば、仁王立ちのリュドウィックがいた。ロベールはリュドウィックの存在を認めるや否や、小動物のように体を震わせた。


「それは俺の椅子だ。どけ」


 リュドウィックは目くじらを立てて、ロベールを責め立てる。ロベールは戦意すらなく、俯いて言い返せないでいる。


「ロベールさんは私のために傍にいてくれたの。そんなふうに言わないで」


 イリスは反比例するように反抗心を燃やした。くわっと目を開いて、リュドウィックに立てついた。自分が正しいと思う時は強くなれる。高貴な者(ノブル)に押さえつけ慣れようと、格上に噛みつく無鉄砲さは健在だ。


 イリスがたった一言放っただけで、リュドウィックはたじろいだ。


「なぜこいつの肩をもつ?」


 顔は怒っているのに悲しそうな声だった。イリスはリュドウィックが存外脆いと思った。


 もう強い言葉は必要ない。改めて弁明しようと、息を吸った時、突然パアンと手を叩く音が鳴り響いた。


「さあさあ、どいてくださいまし。こちらのテーブルは撤去いたします」


 そう言ったのはミレーユだ。彼女が準備のために姿を現さなかったのだと誰もが即刻理解できた。ミレーユは大型の機材を持った従者を引き連れていた。


 三人がソファから離れると、すぐに移動された。もともとあったソファとローテーブルは別の空きスペースに移された。


 そして、窓際の空白には新しいテーブルと椅子が設置された。他とは違って背の高い、木製の家具だ。部屋の雰囲気に合うよう色やデザインが統一されているため、後付けながら決して悪目立ちしなかった。


 ミレーユは勉強のしやすさを重視して、これらを用意したのだ。


 確かに今までは椅子とテーブルの高さに差がなく、上半身を倒した状態で勉強しなければならなかった。物を書くのに適しているとは到底言えなかった。


「私の手配したテーブルなのですから、使えるのはもちろん、私が認めた方のみですわ」


 さすがとも言うべきか。ミレーユは期待を裏切らない。業者が去ると、ミレーユはイリスにテーブルの使用を拒否した。


「行こ、ロベールさん」


 反抗する気も起きず、イリスはロベールの手を掴んで、他の空いているソファに移動した。ロベールを巻き込んでしまって悪いと思ったが、あの場に放っておくのも気が引けたのだ。


 二人がソファに座って、ほっと一息をついたのも束の間、イリスとロベールの間にリュドウィックが入って来た。「つめろ」と低く言って、二人を端に追いやった。


「リュドウィック様、こちらのテーブルの方が快適ですよ?」


 ミレーユがすぐさまリュドウィックに取り入った。だが、リュドウィックは聞く耳を持たなかった。彼はイリスの勉強を見るためにいるのだから、当然イリスの方に行く。


 観念したミレーユが、イリスに勉強机の使用許可を出した。


「あんたも使っていいけど、私を除け者にするのはやめなさい」


 除け者にしようとしたのはミレーユの方ではないか。イリスは賢いので、思ったことは声に出さなかった。


 四人掛けのテーブルで、椅子もきっちり四脚用意されていた。


 リュドウィックはイリスを強引に自分の隣に座らせると、満足気に読書を始めた。リュドウィックの隣を狙っていたミレーユは渋々、リュドウィックの目の前に座ることを選んだ。成り行きで、ロベールも一緒にテーブルについた。


 放課後は、この四人で過ごすことが日課になった。






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