35.契りの腕飾り -1-
友との再会を済ませ、ディディエとシモンの帰宅を見送ったイリスの元へ、王城からの手紙が届いた。女王からの招集である。リュドウィックと共に城に来い、と。
「陛下には俺から断りを入れておく。俺一人で行けば良いことだ」
リュドウィックは断固として、イリスを会わせたがらなかった。女王はまだイリスの力を欲していて、会うのは危険なだけだ。
「大抵の危険はイリスが自分で跳ね除けられる。人間が一人で行く方が危ないと思うけどね」
オベロンが呑気にシュークリームを頬張りながら意見する。
「人の王は面倒だけど、大した力はないからね。イリスの敵じゃない」
「敵だなんて……」
イリスはオベロンの無遠慮な物言いに文句を言いたかったが、彼が取り合う訳もなかった。
咥えた所と反対側からクリームが飛び出て、オベロンの手が大惨事になる。オベロンはそれも気にしないで、黙々とスイーツを食べ進め、最後にペロペロと手をなめる。
「言い方は悪いけど、オベロンの言ってる事は正しいと思うの。少し気になる事もあるし」
「気になること?」
イリスに相槌を打ちながら、リュドウィックはオベロンにハンカチを差し出した。ベタベタになった手を拭かせるためだ。
しかし、オベロンは受け取らなかった。そのまま部屋の物を触ろうとしたので、イリスが慌てて水を出して洗わせる。風を吹かせてオベロンの手が渇くまで、捕まえておく。
「私一人じゃなくて、リュドも一緒なのはなんでかなって」
「俺の監視下にあるからだろう?」
「そう。状況はブランシャールさん達と同じなの。監視役とは違うけど、ブランシャールさんはいつもバイイさんと一緒にいた。けど、女王様はバイイさんが一人になるタイミングを狙った」
「ブランシャールがあの男を隠してたからだろ」
「それだと、リュドと同じって事にならない? 女王様は私が一人の方が捕まえるのに都合が良いはずなの」
「イリスの場合は一人の方が恐ろしい、か」
「だからね……」
イリスが言わんとすることを理解し、リュドウィックは苦笑した。
「陛下は敵ではないか」
「リュドまで」
イリスはリュドウィックの腕をぺしっと叩く。
クーザン家の馬車が門を潜り抜け、王城の敷地に入る。城と王を守る兵士達がずらりと並んで、目の前を通る馬車を警戒している。雨風に打たれる兵士達は目を開けるのもままならぬ状態でありながら、決して緊張を緩めない。
城の目の前で馬車が止まる。侍従がキャビンの扉を開ける。
侍従が差し出した掌に、グリーントルマリンのブレスレットを付けた手が重ねられる。白い靴が地面に着き、黄緑色のドレスの裾が舞い降りる。
イリスが馬車を降りた瞬間、分厚い雲が割れ、光が差し込んだ。次第に雨も風も止み、一か月ぶりの晴れが訪れた。
イリスが尖塔を見上げると、城を覆っていた蔦がスルスルと縮み始めた。まるで蛇が寝床に帰って行くように植物が素早く姿を消す。あの白くて美しい王城が帰って来た。
雨風に動じなかった兵士達も、これには感嘆の声を漏らした。久々の青空と、見慣れた城に目を見張る。
イリスが振り返ると、リュドウィックも馬車から降りていた。イリスの隣に来ると、脇を少し開けて右腕を構えた。イリスはそこに左手を添えて、リュドウィックのエスコートに従う。
二人は謁見の間に通された。中央で深いお辞儀をして待っていると、女王が現れた。玉座に腰かけ、階段の下にいるイリス達を見下ろす。
現在、十二王宝は聖騎士が持っている。したがって、女王は地位に相応しい重厚で煌びやかな装飾品を身に着けている。玉座は金で、マントは赤い。古めかしいのは王冠だけだ。
「リオン公、それに、イリス・コスト。よく来たな。面を上げよ」
女王に言われ、イリスとリュドウィックは礼をやめた。二人は発言を許されるまで黙って女王を見つめる。
「活躍は聞いているぞ、イリス・コスト」
「……っ!」
「聖騎士解体を目論んでいるらしいな」
褒められたことに対して謙遜の言葉を述べようとした。イリスが腰を曲げかけた、その瞬間、女王は続けた。
女王はイリスの行動を知っている。吸血鬼の眷属を解放し、ケルベロスを人体から追い出した。それによって、二人も聖騎士たる力を持たぬ状態になってしまった。
(制御できない力は、周りも本人も傷つける。女王様が必要としても、残したままにしておけなかった)
イリスは心の中で言い分を述べたが、女王に届く事はない。イリスの心を読むことは出来ないから。
女王はイリスの反応を気にしているが、時々無意識にリュドウィックを視線を向ける。
「聖騎士はこの国に必用なのだ。だのに空席が二つも出来てしまいそうでな。代わりが必要だ」
女王が口角を上げる。
聖騎士の解散はあり得ない。所属する者の除籍も基本あり得ない。ただし、より強い者が聖騎士になるのであれば話は別だ。
女王は事細かに説明してはくれないが、彼女の考えていることがイリスにはよく理解できた。要はディディエとベルナデットを人質にされているのだ。ディディエとベルナデットを聖騎士から除籍するには、イリスが聖騎士になる必要がある。
女王はこうして脅す事でしか、イリスを取り込めないのだ。
イリスは何も言わない。悔しい顔も悲しい顔も見せなかった。
女王がリュドウィックを見る。
「リオン公?」
呼びかけてもリュドウィックからの返事はない。女王は漸く違和感に気付いた。
リュドウィックの考えが読めない。玉座の間に来てから、リュドウィックは一切語らず、一切考えを抱かなかった。
リュドウィックを一緒に呼んだのは、心が読めないイリスへの対策だった。女王に反抗の意思が少ない一方、イリスを大切に想い、イリスをよく知っている。イリスが何か目論もうと、傍にいるリュドウィックを通して察することができる。
しかし、今、リュドウィックの心も読むことができない。
リュドウィックはイザアクの眷属だ。
イリスが王城に行くにあたって、説得の意味も兼ねて、リュドウィックと綿密に作戦を立てた。それを知っているリュドウィックが一緒では、実行する前に女王に全てバレてしまう。だから、イザアクに頼んで眷属にしてもらった。そうして「イリスの前では女王と会話すべきではない」という認識を植え付けた。主から与えられた課題に脳が支配される時、眷属は何も考えられなくなる。それを利用したのだ。
女王は一人でイリスと対峙することを恐れている。心を読めない相手だからだ。圧倒的力を持つ相手だからだ。
イリスは不敵に微笑んだ。イリスは女王を敵と思っていなくても、女王はイリスが敵に見えることだろう。
「リオン公、そいつを止めろ。王笏は持って来たんだろ?」
女王は玉座からずれ落ちそうになりながら、リュドウィックに命令する。リュドウィックは指一本動かさない。
イリスは許可を得ずに前に進み出た。当然、女王は「来るな」と言った。通常なら異変を察知した衛兵が部屋に飛び込んでくるところだが、それも対策済みだ。風の妖精が声が漏れないように空気の層を厚くしているし、花の妖精が付近の衛兵に幻覚を見せたり、眠らせたりしている。
イリスは誰にも邪魔されることなく階段を上る。女王は立ち上がって後ずさった。
「そなたに国はやらんぞ。私が女王だ」
女王は玉座の後ろに回り、椅子を盾にする。階段を上り切り、同じ高さにいるイリスを強く睨む。
イリスは一度立ち止まり、女王に僅かな暇を与えた。深く息を吸って、気が動転している女王にも聞こえるように努めてゆっくり言う。
「私の言葉を聞いてください。信じてください。心の中でどれだけ思っていようとも、行動に、態度に、言葉に表さなければ無いのと同じです。女王様ならよくご存じでしょう? 私は決して女王様を傷つけません」
そこまで言って、突然腕を振り上げた。イリスの読めない行動に、女王は驚いて目を閉じた。イリスはその隙をついて女王に触れた。
ゴオッと強い風の音が耳を走り抜ける。上昇気流が体を持ち上げる。スカートが広がり、マントが煽られる。
「な、なんだあ!?」
女王が情けない悲鳴を上げる。
イリスと女王は一瞬で天空に移動した。足の下に城の尖塔が見える。
女王はイリスにしがみついた。イリスが女王に触れなければならなかったのは瞬間移動の時だけで、風が体を支えている今はイリスがいなくても問題ない。女王にそれがわかるはずもなく、振り落とされないよう必死に自分より小さな娘に抱き着いている。
「説明もせずにごめんなさい。女王様に見せたい物があるんです」




