34.力と責任 -3-
ディディエを助ける手立てが見つからないまま、二日が経った。
イリスの疑いが晴れ、もはや隠れる必要は無くなった。正式な客人として使用人達の世話を受けることになった。
外で姿を見せようが咎める者はいない。この日の昼頃は気分転換に、リュドウィックと庭で夏の陽気を浴びていた。
そこへ、クーザン家の執事が声をかけてきた。イリスに客が来ている、と。
屋敷の主人であるリュドウィックと連れ立って客間に行くと、ミルクティー色の髪と同じ優しい表情の女性が立って待っていた。彼女の顔を見て、イリスは一切の迷いなく胸に飛び込んだ。包容力のある腕と胸がイリスを受け止める。
「マギュ、会いたかったよ」
涙の滲む声で従姉を呼ぶ。
マグノリアは従妹のビスキュイローズの髪に顔をうずめて、「私もよ」と返事をする。マグノリアの声が、耳を当てた彼女の胸から伝導してくぐもって聞こえる。一度は生死を彷徨った大好きな人が生きているのを感じる。命の温もりの中で、イリスは唇を噛み締めた。
「ありがとう。本当にありがとう。リリは命の恩人よ。それなのに、何も力になれなくてごめんなさい」
イリスが泣いているのを感じ取ってか、マグノリアはイリスの頭を撫でた。
イリスは妖精の力が欲しかったのではない。ただ純粋にマグノリアが生きる事を願っていただけだ。逃亡生活を耐えられたのも、マグノリアが死ぬことに比べれば大した苦痛でないと思えたからだ。
マグノリアの掌はイリスに、それらのことを思い出させた。
「マギュは……、マギュが、助けてくれたの……」
先に命を張って助けてくれたのはマグノリアの方だ。そう言いたいのに、嗚咽で言葉にするのは難しかった。
イリスが落ち着くまで時間を要した。
二人はいつしかソファに腰かけ、互いの顔を見合っていた。マグノリアがハンカチでイリスの涙を拭う。
「マギュが来てくれると思ってなかった。だって……」
「リリは何も教えてくれなかったものね」
「ごめん」
「ふふ、リリがクーザンさんの所にいるって思ったのはリリを知っているからかな。リリは獅子公爵の恋人だから」
「勘が良いんだね」
笑い合う二人は、リュドウィックが離れていた事に気付かなかった。客間を離れたリュドウィックは、玄関で新たに現れた客を迎えていた。
「勘が良いのは従姉殿だけではないようだ」
リュドウィックは、客を連れて戻った。
特徴的な釣り目と金髪のツインテール。忘れる事はない。
「ゲランさん!」
ミレーユだ。ゲラン家の別邸で匿われて以来の再会だ。
イリスはマグノリアとの距離感に慣れてしまって、過去一度も抱き合った事のないミレーユにも抱き着きに行ってしまった。両手を広げて近づいてくるイリスを一瞥し、ミレーユは扇を広げた。自分の前にバリアを張るように扇を突き出して、無言で触れられるのを拒む。
「馴れ馴れしくてよ」
足を止めたイリスの前で扇を閉じ、それでイリスの額を叩く。イリスは「痛い」と両手でミレーユに叩かれたところを押さえる。
ミレーユはイリスを顧みず、廊下に目を向けた。イリスは最初、リュドウィックがいるのかと思った。けれど、リュドウィックは既に部屋の中にいて、壁に寄りかかって静かに見守っている。二人の視線は交わらない。
「あんたも早く中に入りなさい」
ミレーユに促されて姿を見せたのは、エトワール校で最初に出会い、最初にできた友達。
「ロベールさんまで!?」
ロベールは名前を呼ばれて一瞬だけイリスを見たが、すぐに視線を逸らした。もう前髪が目を隠していないのに、出会ったばかりの頃のように目が合わない。
これも仕方のないことなのだ。ロベールは女王に与えられた命に従い、兄の代わりに剣をイリスに向けた。大儀あってのことだが、イリスの命を奪おうとした。イリスに顔向けないのは当然だ。
右足を出して、左足を揃える。右足、左足。右足、左足。イリスは半歩ずつ、ぴょこぴょことロベールに近づいた。
(無理だ。こないで。何を言ったらいい?)
ロベールの迷いが聞こえてくる。今にも逃げてしまいそうだ。
イリスは速度を落として、でも、着実にロベールとの距離を縮める。そうして、握手ができる場所まで近づく。
「私はイリス・コスト。よろしく」
右手を差し出す。決して握り返されない手。イリスはロベールの右手を捕まえて、強制的に悪手を交わす。
ロベールは数秒を状況把握に使い、されるがままになっていた。しかし、イリスに触れている事に気付くと、慌てて手を引いた。
イリスは手が引き離されないように右手の握る力を増し、左手で挟んだ。ロベールが拒もうと許さない。
「ロベールさんは私のことが好きじゃないの?」
二度繰り返したから記憶に残っている、ロベールとの初めて会話の内容。イリスはそれをアレンジする。
イリスとロベールにはやり直しが必要だ。だが、過去を無かった事にするのではない。再構築だ。
「私は好きでも嫌いでもないかな」
ロベールも過去のやり取りを模していると気づいた。続く言葉を察知して、落胆する。ロベールの手から力が抜けて、肩が落ちる。
「でも、興味はあるかな」
だから、イリスから意外な言葉が飛び出した事にロベールは驚愕した。顔を上げて、口を開く。
「ロベールさんのこと知りたい。ね、また友達になろう。嫌?」
ロベールが動揺した隙に迫って、イリスは体をさらに近づけた。下からロベールの顔を見上げる。ロベールは顔を赤くすることで答えた。
「いつまで繋いでいるつもりだ?」
確執が埋まったらしいことを確認して、リュドウィックは口を挟んだ。不機嫌に口をへの字に曲げ、腕を組んでいる。
イリスは笑いながらロベールの手を離す。ロベールは無意識に手をさすった。
「ごめん、痛かった?」
「あ、いや、違うよ。僕は人より丈夫だから」
強く握りすぎたとイリスが謝罪すると、ロベールは両手を大きく振りながら全力で否定した。外気に触れても壊れないように改良されたホムンクルスの子孫だからと、聞かれてない事まで説明する。
「獅子王に妖精、ホムンクルスまでいるの。普通の私って、冴えないわね」
ミレーユが面白くないと言わんばかりに鼻を鳴らす。
「私も……」
マグノリアがおずおずと手を挙げた。何の力も持たぬ方がここでは少数派なのだ。同じ派閥のミレーユに同調する。
「そういえば、あんた偶に見る顔ね。コストさんの保護者って感じで」
「マグノリア・コストです」
「へえ。今度、私のためにお茶を淹れさせてあげるわ。コストさんってば……イリスってばいつまでもお砂糖の量を覚えないんだもの」
滅多に関り合いを持たない二人だが、ついにミレーユはマグノリアを認知した。
そのまま共通の友人であるイリスをからかう流れになるかと思いきや、ミレーユが真剣な顔で話を変えた。巻き毛のツインテールを揺らしてイリスを振り返る。
「ご両親には顔を見せたの?」
「まだ」
イリスが首を横に振って答えると、ミレーユは眉を吊り上げた。「そんなことだろうと思った」と呆れる。
「あんたのご両親が心配なさっているのは想像に容易いわ。一番に会いに行くのが筋でしょうに」
「家を出たつもりだったし、もう少し落ち着いてから」
家族に迷惑がかからないよう、コストの名を捨てたつもりでいた。そう、イリスが言い訳がましく言い返すのを、ミレーユは蔑んだ。久々に見る冷たい視線に、イリスは鳥肌が立った。
「何か問題があるの?」
マグノリアは伯父、伯母の悲嘆にくれる様子を目にしている。ミレーユのように強くは言わないが、やはり両親に会いに行くべきだと考えている。
マグノリアに帰宅を渋る理由を問われたので、イリスは今置かれている状況を説明した。
女王に目をつけられていて、リュドウィックから離れられないこと。ディディエを助けてあげたいと思っていること。
「もうイリスの領分ではないから、気にすることないんだがな」
「イリスさんは優しいんだね」
リュドウィックは今も、イリスには自分の身を一番に案じてほしいと願っている。それをロベールが「優しさ」で片付けたので、リュドウィックに睨まれることになった。支配の王笏を使っていないのに、ロベールは氷のように固まった。
「リュドの言う通り、私の力では何もできないの。生き物なら良かったんだけど、幽霊が体を乗っ取っちゃったようなもので」
「妖精と幽霊は何がどう違うの?」
「妖精は生きてて、幽霊は見えない」
「私には妖精も見えないのよ」
「見えなくてもいるんですうー」
ミレーユは真面目に取り合わない。ふざけた調子でイリスをからかう。本気で自分に無関係な事と思っているのだ。割り切る事が大切な時もある。
ここで自分事として考えてくれているのはマグノリアだけだ。イリスとリュドウィックに、ディディエがケルベロスの力を得た経緯の詳細を求め、一人考え込む。
マグノリアは頭が良い。いつも冷静で、視野も広い。イリスはいつも彼女に助けられてきた。心の声を聞きながら、マグノリアを期待して見る。
そうしてマグノリアは仮説を発言した。
「今、クレマン君に憑いているケルベロスを召喚したらどうなるのかしら? 他の人に取り憑かせる事とか……」
「逆転の発想か!」
マグノリアの言葉を受け、リュドウィックが興奮気味に乗る。
打つ手なしと思われた難題に新たな希望が見えた。それ自体はリュドウィックにとっても喜ばしいことだった。
リュドウィックは早速ユゲットに連絡を取り、実証実験の日取りを決めた。マグノリアの視点が欲しいと、彼女の同席も希望した。
イリスを捕らえる悩みの一つが解決した瞬間だった。




