30.人が摂る物 -3-
ベルナデットは焦りを見せない、堂々とした歩みでイザアクに寄る。シモンは畏怖の対象として見ていたが、彼女の内心はイザアクに駆け寄りたい気持ちで溢れていた。
「無事か? イザアク」
対話には少し遠い地点で、ベルナデットが話しかける。眷属の中心でしゃがんでいたイザアクが立ち上がり、ベルナデットを迎える。
「助かったよ、べべ」
前髪をさっさっと整え、その手をベルナデットに差し出す。笑顔も決めていたが、握手を求めた手はベルナデットに振り払われてしまった。
イザアクは特に気にする様子もなく、軽薄そうな笑顔でイリスを見た。
「お嬢さんも。ありがとう」
イリスも会話をするために、ベルナデットの後ろをついてきていた。握手ができる距離だ。ベルナデットに振られた右手を、今度はイリスに差し出した。
イリスはお礼が自分にしか言われないのを気にして、オベロンを見た。ここに呼び出した時、オベロンは人の目に映っていたはずだ。イザアクを守ろうとしたのがイリスだけでないとわかったはずなのに。
(たぶん見えなかっただけだと思うよ)
オベロンは既に次元を移動している。今はイリスにしか見えない。そうする前は、周りに眷属が集まっていた。イザアクは、人影に隠れたオベロンを見ることができなかったのだろう。
イリスは納得した。オベロンがイザアクに挨拶する気がないことも。
「つれないお嬢さん方だ」
イザアクが肩を落とす。イリスが顔を横に向けたので、握手を無視したと捉えられてしまった。
「あ、ごめんなさい。イリスです。結局私は何もできませんでした」
イリスは急いで謝ったが、イザアクは「そんなことないさ」と笑う。スルーされることに慣れていて、本当に傷ついたわけではないようだ。
「このお嬢さんが、べべが探しに行った子だね?」
イザアクがベルナデットに尋ねると、ベルナデットは無言でイリスに近づいた。高身長な上にヒールの高い靴を履いているので、ベルナデットから完全に見下ろす形で迫られる。二人の胸と顔が触れそうな距離で、ベルナデットは問う。
「味方と思っていいんだな?」
イリスは禄に説明もせずに飛び出した。その時点では、イリスが敵か味方かわからぬ状態であった。結果、イリスがイザアクを傷つけず、彼に礼を言われているのを見て、ベルナデットは結論を出した。
これは最後の確認だ。
イリスは頷きかけてやめた。ベルナデットの望むこと全てを叶えられるかどうかは、まだわからない。イザアクを女王に奪われてはいけないと思ったが、ベルナデットと手を組むかは決めていない。
イリスの迷いが否定と取られずにすんだのは、イザアクが場所を変えようと提案してくれたからだ。ベルナデットが眠らせた眷属達を起こして、家に帰してやらないといけないし、ディディエを外に寝かしたままにしておけない。
ベルナデットの指示で、ブランシャール家の使用人達が村人の対処を始めた。ディディエもイザアクの家に運びこまれた。
イリスは正式にイザアクの家に招かれ、ダイニングでお茶を出してもらうことになった。玄関をくぐりながら、オベロンに呼びかける。
(オベロン、お願いしていい?)
(頼まれてあげるよ)
どこにも行かないと言ったそばから、リュドウィックから離れてしまった。事情を伝えなくては心配をかけてしまうだろう。イリスはオベロンに伝言を頼んだ。
「さて、改めて自己紹介させてもらおうかな」
席についた途端、イザアクが前髪をさっさっさっと整える。
「イザアク・バイイだ、よろしく。べべとは従兄弟違いなんだ。細かく言うと、べべの従兄の子供が俺。歳は俺の方が上だけど。五個もね」
「ベラベラと話すな」
「んで、こっちがべべ」
「人前でやめないか」
イザアクはよく舌が回る。ベルナデットはそれを良く思っておらず、不機嫌に従甥を睨む。
「赤ちゃん?」
ずっと気になっていたことだ。イザアクのベルナデットの呼び名に関して、思わず尋ねると、ベルナデットがさらに不機嫌に貧乏ゆすりを始めた。
「ベルナデット・ブランシャール、BBだろ?」
「はあ……」
イザアクがバチンとウインクする。イニシャルで作ったニックネームだと言うが、どうも意味はそれだけでなさそうだ。イリスは曖昧に頷いて納得したふりをする。
イザアクの自己紹介は止まらなかった。ベルナデットとは十歳でブランシャールに引き取られてからの幼馴染みで、昔は赤ん坊みたいに可愛かったと説明する。(ほら、やっぱり赤ちゃんなんじゃん)と思ったが、声には出さなかった。
十六年来の付き合いにもなると、互いによく知っていて、諦めている部分もある。ベルナデットはつっこむのをやめて、イザアクが満足するのを待った。
そうして思い出話とも思える長い自己紹介を終えると、イザアクは両肘をテーブルについて聞く姿勢をとった。
「さあ、お嬢さん。あなたのことも教えて」
手口はベルナデットと同じだ。自分の情報を開示して、相手にも求める。むしろ、教えたのはイザアクの方かもしれない。
「私は妖精王の半身、ティターニアの子孫です。なので、妖精にできることはだいたいできます」
「妖精のことをよく知らないんだけどね」
「そうですよね。例えば……妖精は自然と繋がる存在です。自然の声を聞いて、自然の力を借りることができます。自然には人も含まれます」
「つまり?」
「つまり、私は人の心の声も聞くこともできます」
「わあお、もしかして今の全部徒労?」
心を読まれるなんて不快なことであるはずなのに、イザアクの反応は軽いものだ。イリスが能力を明かした相手は皆そうだ。
「だから言っただろう」
「それを言うには言葉が足らなかったかな」
ベルナデットがしたり顔で言うのに、イザアクは苦笑する。
「私はあくまで聞いているだけなので、頭の中を覗けるわけではないです。だから、芽キャベツを隠すために庭に埋めたら生えてきちゃった話とか、溜めた宿題を徹夜で片付けた話とか、話していただかなければ知ることはできませんでした」
イザアクが語った、ベルナデットの好き嫌いや幼い頃の失態を例に挙げると、ベルナデットは口をへの字に曲げた。
「貴様までからかうな」
ベルナデットはイザアクといると子供っぽく見える。
社交界におけるベルナデットの印象は、優秀すぎて近寄りがたい超絶美人だった。女性でありながら爵位を継げるような実力者であることも、美人であることも事実。だが、他者を寄せ付けない性質は噂に過ぎなかった。
イリスも最初は怖い人だと思った。けれど、本当の彼女は可愛らしい人なのだ。
イリスが見つめていると、顔を赤らめたベルナデットがそっぽを向いた。
「それじゃあ、それじゃあ、お嬢さんは誰かの心を読んだのかな? 陛下がここに使者を送るとわかったのはなぜかなと思って」
イザアクが話を戻す。ニコニコと優しい笑顔でいるが、その裏では様々なことを考えている。
「女王様も同じ力をもっています。今回のことに予想がついたのは、女王様にブランシャールさんの事情も、お考えも筒抜けだからです」
イザアクが目を見開く。
「女王様は、吸血鬼の力をもっているのがブランシャールさんではなく、バイイさんであることも、力を邪魔に思っていることも知っています。ブランシャールさんが女王様にいつ会われたのかわかりませんが、今日の計画もご存じだったのではないでしょうか。女王様は計画の裏をついた」
女王は特別な力を手中に収めたいと考えている。それが失われることがあってはならない。
ベルナデットはイザアクの存在をひた隠しにし、常にそばに置いて守っている。イリスと接触する計画でベルナデットが単独行動をしたのは、女王にとってまたとない好機だった。イザアクを確保すれば、ベルナデットの思惑を阻止し、力の根源を己のものとすることができる。
ベルナデットと女王はよく似ている。ベルナデットと同じことを企てる可能性は十分にあり得る。
「だったら、どうして陛下は私を公爵に?」
ベルナデットが独り言のように疑問を口にする。
ベルナデットも、女王が特殊な力を欲していることをよく知っている。
あの日、ベルナデットが爵位後継をお願いするために、女王に謁見した日。
──吸血鬼にできるのは眷属を増やすことだけか?
女王は吸血鬼の力について尋ねた。イザアクが吸血鬼の力を覚醒させたのは、ブランシャール家の秘匿事項だった。なのに、なぜか女王は秘密を知っていた。
女王はベルナデットの心を読んだだけなのだが、動揺したベルナデットにできるのは力の持ち主が自分であると偽ることだけだった。女王は言葉を信じたふりをして、爵位を継ぐことを許した。
「私が力を持たぬと知っていて、公爵にしたのか」
「結果的に力が自分のものになれば良かったのでしょう」
ベルナデットの震える声に被せて、イリスは吐き捨てるように言った。女王はあまりに力に固執しすぎている。
「それで、貴様にはできるのか? 吸血鬼の力を取り除くことが」
ベルナデットが前のめりになる。彼女の本命はこれだ。妖精の力をあてにしてイリスをさらったのも、この願いを叶えるためだった。
「イザアクの力は望んで得たものではない。制御できぬことも少なくない。先程のもそうだ。イザアクが願っていなくても、眷属は命を張って守ろうとする」
「ほんとほんと。誰も命令していないのにね」
イザアクがヘラヘラ笑っていると、ベルナデットが睨んだ。ここでふざけるのはさすがに許されなかった。
イリスは返答をする前に、ドアの方をちらりと見た。小さく開いた扉の隙間から、幼い顔が覗きこんでいる。
イリスが言わんとすることを察して、ベルナデットは溜息をついた。そして、ドアの方に向かって言った。
「そこで何をしている。聞きたいなら入ってこれば良いだろう」
ドアがゆっくり開く。赤紫の頭が傾く。
「ディーディーのことも助けられる?」
盗み聞きの犯人はシモンだ。客室のベッドで眠らされたディディエに付き添っていたが、ちっとも目覚める気配のない相棒を待つのはもどかしい。大人達がこそこそと話すのをかぎつけて、情報を盗むことを企んだ。
「ケルベロスがいれば、ディーディーも一緒に戦えると思ったんだ。でも、ディーディーにとっては良くないことだったんだ」
シモンが部屋の中に入ってくると、言葉を紡ぎながら一歩ずつテーブルに近づいた。
「ディーディーは本当は嫌だったのに、俺が一緒がいいって言ったから。もし、ケルベロスを追い出せるなら、お願いだよ、姉ちゃん。ディーディーを助けて」
シモンがイリスに縋る。イリスは少年の体を支えてあげる。涙目で見上げられて、イリスは言葉に詰まった。
リュドウィックから話を聞いているので、ディディエがユゲット・ロネの魔法でケルベロスを憑依させたという経緯は知っている。とはいえ、今存在するケルベロスがどういう存在で、妖精が干渉できる状態なのか不明だ。そんな中で期待させるようなことは言えない。
「力になれるなら、そうしてあげたいけど、私一人だけでは難しいかもしれない」
シモンが今にも泣きそうな顔になる。
こういう時どうやって慰めれば良いのかわからない。イリスが困っているところに、玄関のベルが鳴った。
全員が玄関の方に視線を向けた。イザアクが対応に赴き、ベルナデットも様子を見に着いて行った。
(ボクらを万能の神とでも思ってるのかな?)
背後から抱きしめられる感覚がある。首の横で息遣いを感じる。イリスは安堵の溜息をついた。
イリスの膝で縋って泣いているディディエが顔を上げる。視線はオベロンに向いている。オベロンは人に見えないままなので、シモンは人狼の動物的勘で妖精に気付いたみたいだ。
イザアクとベルナデットが帰って来た。イザアクに案内されて、リュドウィックもダイニングに入って来た。
「帰るぞ、イリス」
リュドウィックは話を聞かずに、イリスを連れ戻そうとする。仏頂面なのは、イリスにも怒っているからだ。イリスがイザアクの家にいるのには、イリス自身の意思もあってのこと。断って逃げ出せたはずなのに、イリスがそうしなかったのが許せないのだ。
「あのね、リュド、ブランシャールさんもこの子も大変みたいなの」
「イリスが手を貸す義理はない」
「聖騎士に関わることだよ?」
「なら俺が聞こう。イリスは関係ない」
「私にも手伝えるかもしれないの」
イリスが立ち上がらないので、リュドウィックは強硬手段に移った。リュドウィックがイリスにくっついているシモンを見下ろす。シモンは目を丸くして、大きな影を見る。
「どけ」
リュドウィックが当然のように命令する。王笏を持ってきているが、その力は使っていない。シモンは言葉だけでリュドウィックの求める通りに動いたからだ。
シモンがイリスの前から引くと、リュドウィックはイリスの手を掴んだ。
「陛下はお前を探してるんだぞ」
「誤解を解いてくれるって言ったじゃない」
「反逆の意思はないとわかってもらえた。だが、駄目だ。陛下はお前の力を利用する事しか考えていない。ひとまず、イリスの居場所を隠さない事、俺の監視下におくことを条件に帰っていただいた。今はまだ危険な橋を渡るべきじゃない」
「バイイさんも私と似た状況なの」
「他者の心配をしている場合じゃないだろうって言っているんだ」
これにはイリスも言い返せなかった。イリスが口を噤むと、リュドウィックはイリスを立ち上がらせた。イリスは黙って着いて行く。
そのままクーザン家に行くかと思われたが、再び邪魔が入った。二人の前にイザアクが立ちふさがる。
「どいてくれ」
リュドウィックがうんざりして言う。イザアクは命令を聞く理由はないと言いたげに、眉を上げた。
「まあまあ、お茶でも飲んで行きなよ」
イザアクが悠長にリュドウィックの肩に手を置いて言う。
リュドウィックが王笏を持ち直した。イリスは「駄目だよ」と言うように手を引く。
「話を聞いてくれるんだったな? リオン」
腕を組んで見物していたベルナデットが口を開いた。ベルナデットはリュドウィックと同じ聖騎士。確かにリュドウィックは、聖騎士に関する事は自分の領分だと言った。
リュドウィックは観念したように、椅子に座った。
「聞くだけだ」
イリスはリュドウィックと手を繋いだまま、その隣の椅子に座った。
「俺達とそこの少年の……」
「シモンだよ」
「要望は力の消去だ。俺に眷属は不要だし、シモンの友達はケルベロスにいなくなってほしいと思っている」
シモンは名乗りながらイザアクの脚に抱き着きに行った。最初、イリスの所に戻ろうとしたが、リュドウィックに怖い顔で睨まれて逃げて来た。ベルナデットのことも味方と認識していたけれど、触れる事を許容するタイプではないと端から感じ取っていた。
「眷属を増やしたのは自分だろ?」
「リュド」
リュドウィックが自業自得だと言う。イリスは無遠慮な物言いを良くないと思った。
「リオンは眷属の増やし方を知っているか?」
弁明に動いたのはベルナデットだ。カツカツと踵を鳴らしながら、テーブルに近づく。
「有名な話だ。吸血鬼は血を吸う生き物だが、逆に与えることで眷属にすることもできる」
「ああ。眷属の増やし方は変わらない。盟約の盃も、その時に使った物だ」
ベルナデットが盟約の盃をテーブルに置いた。
「一部ではワインを入れて飲ませれば命令を聞かせられると言い伝わっていたようだが、実際に飲ませるのは血だ」
盃を指ではじくと、銀でできた食器はリインと高い音が鳴る。
「言い方を変えれば、血を飲ませさえすれば下僕にできるんだ。こんな道具を使わなくてもな」
「他人の血を誰が飲むって言うんだ」
リュドウィックが嘲笑する。「お前らが無理矢理飲ませたんだろ?」と。
しかし、ベルナデットは冷静にリュドウィックを見つめた。
「ならば考え至るはずだ。血の主を無視することだって出来る事に」
リュドウィックはベルナデットの言わんとすることに気付いた。罰が悪そうに目を伏せる。
「ねえ、どういうこと? 俺にも教えろよ」
突然話が終わってしまったので、シモンが続きを語るように駄々をこねる。脚を引っ張る少年の頭を、イザアクが撫でてやる。
「うちの偉い人が俺の血をばらまいたのさ。パンに混ぜて、村の人に配ったんだ。皆喜んだよ。眷属にされるなんて知らずにね」
イザアクの力量の研究と、ブランシャールの支配領域拡大のために行われた食品分配。標的となったのは、イザアクが生まれ育った村だった。この村の出身者の多くは、イザアクの眷属なのだ。
(そういえば、最初に眷属っぽい人達に会ったのもこの辺りだったかも)
(イリスを誘拐した侍女の出身は……)
イリスもリュドウィックも思い当たる節がある。
「なんでそんな事したの?」
「老人どもは愚かでな、眷属が国民の多数を占めれば、この国を乗っ取れると思ったんだ」
「へー、世界征服が夢だったの」
ベルナデットがシモンの質問に答えてやり、大きく溜息をついた。
「俺達はその犠牲者を救いたいと思っている。けど、眷属の解放はできない。何を試しても血の契約は解除できない。そんな方法ないんだ。こんな力ない方が良いのに」
イザアクがぼんやりと呟く。空気が沈む。
シモンが緊張して服を引っ張るので、イザアクは背中をトントンと叩いた。その音を聞いて、リュドウィックが重々しく口を開いた。
「事情はわかった。その上で言わせてもらうが、イリスが関わる事じゃない」
イリスはリュドウィックの横顔を見た。リュドウィックは目を合わせてくれない。リュドウィックの意思は固そうだが、構わず話しかける。
「リュド、私を心配する気持ちも、良くないものから守ってくれようとしているのもわかるよ。今、こうしてお話しできるのも、リュドが女王様を止めてくれたからだよね?」
繋いでいた手にさらに右手も重ねる。両手でリュドウィックの手を包み込んで、訴えかける。
「でもね、待ってるだけじゃいけない。責任ってあると思うの。せっかく手に入れた力を、良い事に使いたいの」
皆が自らの力を否定する。イザアクも、ディディエも望まぬ力に悩まされている。ヴィエルジュ公ルイ・ボネも、ユニコーンの力を忌み嫌っていた。
それでも、イリスは自分の力を否定したくない。
イリスが考えをはっきりと述べると、リュドウィックの手が「責任」という言葉に反応してピクリと動いた。




