表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/38

29.人が摂る物 -2-

 イリスがリュドウィックの屋敷に来てから一週間。イリスは客室で寝食を行い、身を潜めた。イリスの世話をする侍女は必要最低限に絞られ、秘密が外に漏れぬよう徹底していた。


「当主様、愛人を連れ込んだらしいのよ」


 使用人達が正体不明の客人の存在に慣れて来た頃、そんな噂話も囁かれるようになった。イリスも妖精経由で噂を知り、あながち間違っていないと思った。


 リュドウィックは仕事の合間を縫って、イリスに会いに来た。食事を共にし、甘い時を過ごした。


 彼の想いを受け取るのに、もう弊害はない。


 イリスが拒否しないのを良い事に、リュドウィックはドレスや装飾品をイリスに贈り続けた。毎日イリスを着飾っては、満足そうに眺める。


「ずっと思ってたんだ。イリスを閉じ込めておけたらって」


 イリスの髪結いを終え、侍女が離れる。入れ替わりでリュドウィックが近づいた。長い髪の一房を手に取り、キスをした。


 対抗意識を燃やしたオベロンが、反対側でイリスの頬にキスをする。


 イリスはその動作をドレッサーの鏡越しに見ていた。リュドウィックの愛情表現には慣れない。顔を赤らめて俯く。


「どこにも行かないよ」


 イリスの精一杯の返答だ。緊張で声が震えている。体が強張って、どこにも行けそうにない。


 リュドウィックは一瞬、嬉しそうな顔をしたが、すぐに表情を引き締めた。イリスの手を取って立ち上がらせると、腰を抱き寄せて言った。


「このまま自由を奪われたままにはしない。誤解を解いてみせる」


 イリスは逞しいリュドウィックの顔を見上げる。望まずとも思念が流れ込んでくる。


「女王様がいらっしゃるの?」


 女王来訪の知らせがあったらしい。リオン公爵家の屋敷は女王を迎えるために大慌てで準備をしている。


 声に不安が表れていたのだろう。リュドウィックの腕に力が加わる。


「心配いらない。どうせ陛下の前では嘘をつけない。本心で語ればいいだけだ」


 リュドウィックには、イリスが疑いをかけられた経緯も、王冠の力も共有している。王冠で心を読まれれば、イリスを隠していることなど簡単にわかってしまう。それも承知の上なのだ。


 リュドウィックは女王を迎えるため、イリスを部屋に残して玄関に向かった。


 ドアの向こうでは、予定外の客を迎えるために忙しなく行き交う人の気配がある。イリスの傍にいる侍女もどこか落ち着かない様子。


(何もトラブルがなければ良いのだけれど)


 侍女が心配そうに扉を見ている。


 イリスの世話役には、信用に足る優秀な侍女が選ばれた。この家においても重要なポジションにあるのだろう。


「行ってください。女王様に失礼があってはいけませんから」


 イリスが察して言うと、侍女は心底ほっとした顔で、礼を述べて立ち去った。


「人の王が来たんだ? 見に行ってこよーっと」


 オベロンはすっかり人との交流を気に入り、姿を隠さなくなった。妖精の言葉で話すことも少なくなった。


 ドアに駆ける後ろ姿を見て、イリスは「女王様の前では隠れててよ」と声をかけた。オベロンは「わかってるー」と振り返りながら、右手を上げた。直後、一瞬だけオベロンが揺らいで見えた。人に見えぬ次元に移ったのだ。その証拠に、オベロンはドアを開けずに、壁をすり抜けて出て行った。


 イリスは一人残された。静かな部屋で、リュドウィックと女王がいると聞く応接室に思いをはせる。オベロンのように隠れて様子を見に行っても良かったかもしれない。


 侍女が淹れてくれた紅茶を飲み終え、何で暇をつぶそうか考え始めた時、突然扉が開かれた。イリスは思わず声を出して驚いた。ドアが開くまで、近くに人が来ていたことに気付かなかったからだ。


「イリス様、裏口よりお逃げください!」


 侍女が駆け込んできた。知らない顔だ。その顔は相当焦っていて、緊急事態だとわかった。


「女王様と何か?」


 イリスは事情を聞きたがったが、侍女は答えなかった。余程余裕がないのだろう。ならば、思考を読めば良い。


「あれ?」


 イリスは首を傾げた。思考が全く読めない。


 イリスが立ち上がろうとしないので、侍女は強引に外に連れ出した。イリスの手を引き、裏口に誘導する。


 ごく普通の人間に見える。考えることができないわけでも、イリスが考えを読めない相手というわけでもない。ただ純粋に、何も考えていないのだ。この侍女におかしなところはない。


 異常。異常といえば──いつか感じた、誰かの血の繋がりをこの人からも感じる。


 裏口には既に馬車がつけられていて、扉を開けてイリスを待ち構えていた。乗るべきではないと直感したイリスだったが、足を止めることは許されなかった。侍女が腕を強く引っ張る。抵抗して足に力を入れたが、それも無意味だった。背後に回った男に口と、反対側の腕を押さえられ、助けを呼ぶ事もできなくなってしまった。


 イリスが車に押し込まれると、馬車はすぐに出発した。


 イリスは自分が誘拐されていることを理解していた。でも、逃げようとは思わなかった。


「やはりリオンが隠し持っていたか」


 タイトな黒いドレスから伸びる長い脚を組み、膝の上で指を組んでいる。馬車がクーザン家の庭を出たのを確認すると、真っ赤な双眸をイリスに向けた。


 イリスは鋭い視線をもろともせず、控えめな笑顔で対峙する。


 抵抗の意思がないと見て取ったのだろう。爪が食い込むほど強く掴まれた手首を心配したのもあったのだろう。


 彼女はちらりとイリスの隣に座る侍女を見る。組んでいた手を解き、しなやかな動きでフィンガースナップをした。


 すると、突然、侍女の力が抜け、かくんと首が沈んだ。解放された腕を引き抜きながら状態を確認すると、侍女は眠っているらしいことがわかった。


 イリスは改めて対面に座る女性を見据えた。


「貴様が妖精だな? 陛下が血眼で探してるっていう」

「そういうあなたはブランシャールさんですね」

「ふっ。聞いていたよりも頭が回るようだ」


 ヴェルソー公ベルナデット・ブランシャールが嬉しそうに笑う。白銀のポニーテールが揺れる。


「その方から聞いていませんでしたか? 花の妖精は無理強いが嫌いって」


 イリスはいつだって逃げ出せるのだ。わざわざベルナデットの話に付き合うのは、彼女がイリスに協力を求めているからだ。女王からイリスを遠ざける行動と、ベルナデットの心の声で理解できる。


(余裕だな。吸血鬼など脅威でないか)


 妖精の力への期待が増したらしい。ベルナデットがほくそ笑む。


「まずは情報交換といこうじゃないか。私の力は眷属を増やすことだ。そこの女も私の眷属として、良く働いてくれた」


 ベルナデットが侍女を目で示す。


 吸血鬼として能力の開示を始めた。それを教える代わりに、イリスにも能力を教えろということなのだろう。イリスに拒否権はないようだ。


「催眠術のようなものだ。現代の吸血鬼は血を摂取しなくても生きられる。代償に力が弱まった。昔は(しもべ)も吸血鬼に変化できたらしいが……この通り、彼女はごく普通の人間だ。そして、具体的な行動を強制することもできない。潜在意識に刷り込むのが限界だ。例えば、イリス・コスト(妖精)はベルナデット・ブランシャールのもとにいるべきだ、という認識を」


 イリスの脳裏に浮かぶ、無数の手のイメージ。イリスを捕らえようと伸ばされる手。聖騎士から逃げる途中、町中で、姿の見えぬイリスを探るような仕草をする人々を見かけた。標の指輪による赤い光の先にイリスがいるのをわかっているように。


 彼らから共通の繋がりを感じた。吸血鬼の眷属だったのだ。


 目の前にいるクーザン家の侍女も、主人に与えられた「認識」に基づいて動いていたにすぎない。イリスがリュドウィックに匿われていると読んだベルナデットは、女王の訪問の時を狙ってクーザン家に乗り込んだ。その馬車を見て、侍女は血に刷り込まれた「認識」に支配された。イリスを部屋から連れ出し、ベルナデットの馬車まで連れて行く。それを無意識の中で果たした。


 恐ろしい力だ。女王にとって脅威とも、有益とも捉えられる。


(女王様が放っておくとも思えないけど……)


 女王が聖騎士にイリスの生け捕りを命じたのは、イリスの類稀な力を欲してのことだった。妖精王の冠を手放せない彼女が、吸血鬼を野放しにしておくとも思えない。


 女王とベルナデット。目的のためならば手段を選ばぬ、芯の強い女性。


「……どこに?」


 イリスの口から言葉が零れる。


「何か言ったか?」

「彼はどこにいますか?」


 ベルナデットに聞き返され、イリスははっきりと述べた。まだ話に登場していない「彼」の存在に触れたので、ベルナデットは少なからず動揺した。


「は? え、彼とは何だ」

「『吸血鬼の力を持って生まれてしまった、イザアク・バイイさん』のことです」


 ベルナデットの言葉を引用して答えると、ベルナデットは冷汗を流した。ベルナデットは確かに彼のことを不幸な男と思っている。そのことをなぜイリスが知っているのか。


「まるで心を読んだかのような…………読めるのか?」


 ベルナデットは震える指を鼻にあてた。イリスが否定しないのを見て、怯えるような笑みを浮かべる。


「バイイさんは今どこに? あなたと二人、いつもは一緒にいるのでしょう?」


 ベルナデットが答えに迷うように、目を泳がせる。イリスは一呼吸の後に、キャビンの扉を開け放った。外の風が流れ込む。


 馬車はイザアクのいる場所に向かって走り続けている。けれど、これでは遅すぎる。


 先ほどのベルナデットの一瞬の迷いで、イザアクの居場所も、馬車の目的地も読み取れた。イリスの向かうべき場所はそこだ。


 イリスは流れる地面に足を下ろすように、馬車の外に身を出した。ゴウッと後ろへと風に転がされたが、地面には落ちなかった。風の妖精がすぐに助けに来て、イリスの手を引く。


「待てッ! イザアクに何をする気だ!?」


 馬車を抜かす時、ベルナデットがイリスに大声で呼びかけた。イリスはそれに答えず、先を急いだ。


 ヴェルソー公爵領の端にはイザアクの生家がある。能力が判明し、本家に呼び出される十歳まで、彼が暮らしていた家だ。


 今、そこにイザアクが身を潜めている。イリスを連れたベルナデットと合流する約束の場所でもあった。


 イリスが到着した時、イザアクを捕らえようとする二人に既に襲われていた。女王の命令で、イザアクの身柄確保に動いたのは、シモンとディディエだ。獣の力を宿した二人が黒髪の青年に飛びかからんとしている。その青年こそ、イザアクなのだろう。


 彼の周りには何の力もなさそうな使用人や村人が集まっていて、中心のイザアクを守るように立っている。目は虚ろで、感情は読み取れない。


 イリスはシモンとディディエの目の前に下りると、オベロンの名を呼んだ。


「変なことになってるね」


 オベロンがやれやれと言った感じに肩をすくめる。オベロンは呼びかけにすぐに応えた。イリスの隣に姿を現し、前と後ろを確認した。


「吸血鬼か」


 オベロンはイザアクの正体に気づいた。


「あ。犯罪者だ、犯罪者。やったな、ディーディー。手柄二倍だ!」


 突然現れたイリスに驚きつつも、シモンは指名手配犯を捕らえるチャンスに興奮していた。目隠しをつけ、目の見えていない相棒の肩を激しく揺らす。


 ディディエは昼の光の中では目を開けられない。だが、その身に宿したケルベロスの聴覚と嗅覚が、乱入者の存在を認めた。


「駄目だ、シー!」


 資格情報を得られない分、動きが遅れるディディエを置いて、シモンはイリスに攻撃をしかけようと地面を踏み込んでいた。ディディエは慌てて止める。


 ディディエの顔はオベロンに向けられ、恐怖に染まっている。二人の前で姿を見せるのはこれが初めてだが、彼が誰なのか、ディディエははっきりと理解している。


 以前、イリスが二人と対峙した際、オベロンが助太刀に入った。シモン達は怒り狂ったオベロンに痛めつけられた。その時の匂いを、ディディエは覚えていたのだ。


「じゃあ、このまま引き下がるって言うのかよ?」


 シモンが吠える。ディディエは判断しかねて黙る。


 一触即発の緊張の中に生まれた隙。イザアクの眷属達が同時に動き出した。イザアク陣営には、誰が味方か見分けがついていない。人の波はイリス、オベロン、ディディエ、シモン……と順に飲み込んで行った。


 眷属は数で圧倒した。イリスは四肢をいくつもの手で掴まれ、完全に動きを封じられた。他の者も同様だった。


 イリスとオベロンに関しては、人に触れられない次元に移動してしまえば何てことはないので、特に焦りもしなかった。一方で、シモンとディディエはごくごく普通の人達に拘束されるのに屈辱を覚えた。


「おい、触るな!」


 シモンが薙ぎ払おうと腕を大きく振った。人狼の並外れた腕力で、人は簡単に持ち上げられてしまう。何人かが吹き飛ばされた。悲鳴が上がらないのが不気味だった。


「シー、どこ? シー!」


 あまりに人が多いので、相棒の匂いが紛れてしまう。ディディエは不安に駆られる。


 真っ暗闇の中、もみくちゃにされ、シモンの存在も感じられない。


(いやだ。いやだ。いやだ)


 ディディエは次第に冷静さを欠いて、全身の筋肉を緊張させる。


主人(あるじ)主人(あるじ)ー!」


 ディディエがシモンではない誰かに、助けを求めて叫ぶ。その声は段々と意味のある言葉から、遠吠えに変わる。三回吠えた後、ディディエは天に声を飛ばすのをやめた。


 「ハァーーーッ」と、大きく開けた口から息を吐きき切ると、力を解放した。縮こまらせていた体を瞬間的に大きく広げる。反動でディディエにとりついてた人達は一気に吹き飛ばされた。


 理性を失ったディディエは相手が人であることを忘れ、暴れまわった。超人的な力を前に、人間は成す術がない。それでも主人を守る為、眷属達は果敢にもディディエの間合いに飛び込んでいく。


 ディディエが最大の敵と判断したのか、イリスを拘束していた手が離れた。オベロンもシモンも自由になる。


 総力がディディエに注がれる。


 されど、人と獣。力の差は歴然だ。続けても負傷者が増えるだけだ。


 どちらかを止めなければ。


 イリスはイザアクを見た。眷属に与えた命令を取り下げてもらえば事態は収まると思った。


 しかし、イザアクは頭を抱えて、絶望に打ちひしがれている。


「やめろ、やめてくれ」


 イザアクはうわ言のように繰り返すばかり。


「暴れるな、ディーディー! この人達は操られてるだけだって、さっき自分で言ってただろ!」


 シモンが大声で呼びかける。ディディエが自我を失っているのを見てとると、シモンは、今振り下ろされんばかりの拳に飛びついた。


 イザアクは眷属を制御できないようだし、力づくでもディディエを止める方が賢明だろう。イリスも加勢しようと思った。


 その時、豪速でやってきた馬車が激しい砂埃を起こしながら止まった。勢いそのままに、中から人が出て来た。


 黒いドレスに白い肌。白銀の髪に真っ赤な瞳。吸血鬼と聞いて疑いようのない、非凡な美貌。ベルナデットだ。


「そのまま押さえていろよ」


 シモンに声をかけ、右手を掲げた。


 新たに現れた敵に注意を向けるように、ディディエがベルナデットに視線を向けた。その瞬間を逃さなかった。ベルナデットの指が高らかに鳴る。


 バタバタと眷属が倒れた。同時に、ディディエも倒れ込む。


「え、ちょっ、ディーディー?」


 シモンが慌てて支える。


「安心しろ。眠らせただけだ」


 何かに執着している状態の人を、意識外から刺激して眠らせる。ベルナデットの得意技だ。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ