28.人が摂る物 -1-
リュドウィックは長い話を終えて、侍女に用意させた紅茶で喉を潤した。
イリスは左手につけたブレスレットを右手で包み込んだ。今、リュドウィックが願ってくれた未来がある。人生一つかけて守ってくれた命がある。
「イリスの話も聞かせてくれ」
リュドウィックに言われ、イリスは我に返った。
「私の話?」
「今までどこにいたんだ? どうやって過ごしていた? 辛かっただろう」
リュドウィックがイリスの髪を撫でた。イリスはふと両親のことを思い出した。
「一人でずっと」
「一人ではなかったよ。ゲランさんも、オベロンも支えてくれたから」
「オベロン?」
イリスが名を呼んだ瞬間、白い絹の服を着た少年がベッドの上に現れた。
(やっと呼んだね、イリスぅ)
オベロンがイリスに抱き着いた。腰に腕を回し、太ももに頬をこすりつける。
オベロンは逆行の砂時計の前に置いてけぼりをくらっていた。リュドウィックが離れ、支配の王笏の力が及ばなくなった後も、遠くに行ってしまったイリスを追うことはできなかった。シルキーになったオベロンには瞬間移動の術がなかったのだ。
主人であるイリスが名を呼んだので、オベロンは引き寄せられた。
「こいつは?」
リュドウィックがオベロンを指さして、眉をひくつかせる。
イリスは驚いた。リュドウィックにオベロンの姿が見えている。
(わざと見せてるんだよ)
妖精は人目から隠れているが、あえて姿を見せることもできる。オベロンが首を回して、リュドウィックに視線を向けた。
「オベロン。元妖精王だよ」
オベロンが自ら声を発して、自己紹介をする。
オベロンが妖精王であることを誇ったことはなかったはずだ。イリスは違和感を抱いたが、それを口にする暇は与えられなかった。
オベロンの美しい顔が意地悪なものに変わる。
「そして、イリスの家守だ。お前がし損ねた、運命改変をしたのはボクだ」
リュドウィックは息をのんだ。悔し気に俯く。
それを見て、オベロンは鼻で笑った。
(結局、人間にできることなんてたかが知れてる。なんかやりました感だしてるけど、この人間がやったのは砂時計を起動したことだけ)
(オベロン!)
相変わらず、オベロンは人間を下に見ている。馬鹿にした物言いに、イリスは頭を抱えそうになる。
「ありがとう」
イリスとオベロンは同時に顔を上げた。
「ありがとう、オベロン殿」
リュドウィックが儚げな笑顔で礼を繰り返す。これは期待外れの反応だ。オベロンは毒気を抜かれてしまった。
「ま、まあ? お前がイリスのために時を戻さなければ、変わらなかった運命かもしれないし。お前のためじゃないし」
オベロンが必死になって照れ隠しをするので、イリスは声を出して笑った。
客室の扉がノックされる。リュドウィックが立ち上がる。「食事の準備が出来たのだろう」と言った通り、扉の先には料理を運ぶ侍女が待っていた。
「お腹、空いてるだろう?」
リュドウィックがイリスの手をとり、ベッドから下ろす。部屋の中にあるテーブルに座らせると、侍女達に食事の支度を進めさせた。イリスの目の前に温かい料理が並べられていく。
リュドウィックはイリスの対面に座った。彼の前に皿はない。一緒に食べるわけではないようだ。
代わりに、イリスの隣に椅子が設置され、皿とカトラリーが用意された。
「良ければ、オベロン殿も」
「えー? ボク、人間のご飯食べたことないよ」
「妖精も食事をするのか?」
「んー、気が向いたら」
「栄養補給のためではないということか」
「そういうこと。えへへ」
オベロンは体をくねくねさせながら、椅子に座った。嫌そうなふりをしているが、嬉しさがあふれ出ている。
いらないと言える雰囲気ではない。イリスは流されるように、スープを口に運んだ。温かい液体が舌から喉を通っていくのがわかる。
イリスはスプーンを器に沈めたまま固まった。
「どうした? 口に合わなかったか?」
リュドウィックがイリスの顔を覗き込む。
イリスは唇を噛み締めて、首を横に振った。そして、急かされるように二口目を口に含んだ。
(美味しい)
イリスは感動していた。まるで初めて味を知った赤子のように。
飲食の不要な体になり、食事に意味はないと思っていた。だが、味がわかる。食感を楽しめる。気持ちが満たされる。イリスには食事が必要だ。イリスは人であることをやめられないだろう。
オベロンもイリスを真似てスープを飲んだ。舌を火傷したらしく、顔をしかめた。
(痛い。人間は何が楽しくて、これを飲むの?)
オベロンは料理を食した経験が浅い。ほんの少し温度が高いだけで、強い刺激になってしまう。
「火傷か?」
リュドウィックは水が注がれたコップを差し出し、オベロンに飲ませた。
「熱い時は冷まして飲むんだよ」
イリスはオベロンのスープを掬い、息を吹きかける。三回冷たい息をかけた後、オベロンの口元にスプーンを近づける。オベロンがそれに食らいつき、料理を味わった。
(風の妖精の力を借りれば良かったのに)
オベロンが体を横に揺らす。イリスが次の一口を冷ますのを楽しみに待っているのだ。けれど、効率の悪さを指摘するのは忘れなかった。
「そういえばそうだったね。小さい時、ママがこうやってくれたから」
(人間のご飯はこういうのなんだね)
「うん、そうなの」
(悪くないかも)
オベロンがパクっとスプーンをくわえる。そのまま視線を感じて、リュドウィックをちらりと見た。
「独り言ではないよな?」
リュドウィックがオベロンとイリスを交互に見る。イリスのみが声を発し、二人がコミュニケーションをとっているので不思議に思ったのだ。
イリスははっとした。リュドウィックの前なので、声を出すのが自然だった。一方、オベロンはあえて人間に聞かせようと思わなければ、音を発しない。
「妖精は心の声で会話ができるの。ね、オベロンもリュドと話してあげてよ」
「まあいいよ」
オベロンは人間のために労力を割くことに同意してくれた。イリスは、彼が人に歩み寄ろうとするのを喜ばしく思う。
「なるほど。オベロン殿、食事は俺が手伝おう。イリスが食べられないから」
「まあいいよ」
リュドウィックもオベロンとの距離を縮めようとする。オベロンの食器を受け取り、イリスと同じように料理を冷まして口に運んであげる。
オベロンはイリスのために用意された様々な料理に興味を持った。イリスを凌ぐ食欲で、リュドウィックをこきつかった。
いつしかオベロンの椅子はリュドウィックの近くに移動していた。




