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23.十二公爵 -3-

 イリスは国中を飛び続けた。途中、休憩のために人里に下りることもあった。


 常時とは言わないが、標の指輪がイリスの居場所を指し続けている。以前はどこから伸びるかわからぬ赤い光に、人々はあまり興味を示していなかった。


 しかし、近頃は光の先にいるイリスを探るように手を伸ばす人間が増えた。情報を得るために顔を隠して話を聞きに行くのが困難になってしまった。


 イリスを探す者は老若男女問わず、様々だ。地方も限定されなかった。


 不思議なのは、赤い光に関心を向ける人には共通の力を感じることだ。場所も顔も全く違うのに、血の繋がりのような見えない絆を感じる。


 休む間もなく飛ばなければならない要因の一つは彼らの存在だ。力を持たぬただの人間であろうと、大勢に囲まれれば逃げ場はない。それに、イリスは彼らを傷つけることができない。非常に扱いにくい相手だ。


(なんで逃げてるんだっけ)


 森の中で膝を抱えて座り、腕に顔をうずめた。体がだるくて動けない。


 処刑から逃れるために始めた逃亡劇。シルヴィーによれば、女王は生け捕りを指示していて、傷つけないよう約束させることもできたと言う。処刑の可能性がないのなら、続ける意味はないのではないか。


(ひめさま、大丈夫?)


 光の妖精が木漏れ日でイリスを照らす。周辺の草花がキラキラと輝く。


(だいじょーぶ)


 イリスは顔を上げて、目の前にいるオベロンに笑いかけた。大丈夫だと言っていないと、妖精王が女王を手に掛けてしまうのではないかという恐れがあった。


(心配いらない。人の子を傷つけたりしないよ)


 オベロンはやつれたイリスを見ていられないようで目を閉じた。


 その後ろに人影が現れ、イリスは表情を固くした。


「ロベールさん」


 イリスは唇を震わせた。


 紫の髪が日陰でより一層黒く見える。後ろで一つに束ねているのはイリスもよく知る格好だ。


 だが、目が、黒い瞳が見えている。長かった前髪を後ろに流して、四角い額を露わにする。


 初めてしっかりと見る友の素顔に、イリスは喜べなかった。彼の手には古い鈍色の剣が握られていたからだ。


 制裁の剣は対峙した敵を必ず滅することができると言い伝えられている。それは制裁の剣が毒を有しているためだ。柄を持つ者をも害する強力な毒が塗りこめられている。国王の宝物庫ではガラスの容器に保管され、誰にも触れられないようになっていた。


 まだ剣から距離はあるが、イリスは有害性を肌で感じ取った。全身があれに触れてはいけないと警告する。


 イリスと聖騎士の戦いに反応を示したことのない妖精ですら、ロベールから離れた。木陰に隠れて恐る恐る様子を見ている。


 ロベールにはトロー公爵率いる軍隊もついている。ロベールの斜め後ろで、セヴランが黒い鎧をガシャと鳴らして剣を抜いた。


「イリスさん、投降してください。陛下はあなたの力を脅威とみなしました。抵抗せず、処分を受けてください。僕もイリスさんを殺したくはありません」


 従った場合、首を切られるとは明言しなかったが、ただではすまないことは確かだ。


 シルヴィーと話した頃と状況が変わってしまったようだ。前回、オベロンが怒って山を焼いてしまった。その惨状から、イリスが国の脅威となることがわかってしまった。


「ロベールさん……」

「許して、イリスさん。僕は兄さんの代わりに役目を果たす」


 最早ロベールも味方ではない。ここにはいないがリュドウィックもきっと同じように剣を向けるだろう。


 イリスの泣きそうな声を聞き、ロベールは苦痛に顔を歪めた。けれど、決して剣を離さなかった。


 対するイリスも、ロベールの通告を聞かなかった。


 光の妖精にお願いし、今も胸を指し続ける指輪の赤い光を消してもらった。これで人はイリスを追う事ができなくなる。


 イリスはウンディーネの力を借りて周囲に霧を発生させた。視界が悪くなるのと同時に、イリス自身も空間の層を移動する。


「イリスさん、行かないで!」


 ロベールは剣ではなく、何も持たない左手を突き出した。


 ロベールに覚悟がないとわかると、セヴランが制裁の剣を奪い取り、消えかけたイリスに向かって投げた。剣は空気を引き裂いて真っすぐに飛び、霧を突き破って落ちた。剣に触れた草が黒く変色する。


「ちっ、間に合わなんだか」


 セヴランは悔し気に呟いて、膝をついた。毒が回り、立っていられなくなったのだ。


 セヴランの部下を押しのけ、ルイが前に出た。ユニコーンの水晶を使って、セヴランを治療する。救護のためにヴィエルジュ公爵も同行していた。毒剣を使うと聞いた時から、こうなる可能性を考えていた。


 イリスは逃げたが、遠く離れることができなかった。体力は底をつきていた。


 空を飛ぶことはおろか、走ることもままならなかった。霧を使ったのも、妖精が住む層に居続けるのが困難だったからだ。物理的な妨害がなければ、簡単に見つかってしまう。


 ロベールのいる所から五百メートルも離れていない場所でばててしまい、両膝に手をついて項垂れた。地面を見つめて肩を上下させる。


 カサ。ドドッ、ドドッ。


 木の間を何かが駆ける音がする。それも一つではない。


 イリスは寒気がして、身を縮こまらせた。感じたのが殺気であると理解するのに、長い時間はかからなかった。


 恐怖に負けまいと顔を上げ、周囲を確認した。


 霧の中を、四つ足の大きな生物が動き回っている。確認できただけでも五体はいる。


 それらは次第に円を描くようにイリスの周りを走り、統率の取れた動きを始めた。反時計回りに進む隊列は、頭が全てイリスの方を見ている。


 キリリと糸を引く音がする。弓を構えているのだ。


(ケンタウロス……?)


 正体は馬に乗った人間だったのだが、一体の生物かと思うほどに彼らの息が合っている。


 イリスはどこから飛んでくるかわからない矢を恐れて、身を屈めた。どこに逃げることもできず、頭を抱えた。


 直後、恐れていた音が聞こえた。風を切って矢が飛ぶ音だ。


 イリスは痛みに備えて、目を固く閉じた。だが、待てど痛みはやってこなかった。


 横で何かが土に刺さる音がする。薄目で確認すると、金色の矢が落ちていた。


 状況を確認するために頭を上げると、オベロンがイリスを守るように立っていた。イリスを心配して振り返った顔には矢がかすった傷があった。


(王様に矢が当たるの?)


 人に触れられぬ妖精で、力のある王だ。オベロンに怪我を負わせられる矢が存在することに驚いた。


 イリスはオベロンの頬に向けて手を伸ばした。オベロンは無表情で、イリスの腕を掴み返した。


(王様?)


 様子のおかしいオベロンに戸惑っていると、景色が急激に変わった。


 風が吹き上げ、二人を中心に竜巻が起こる。熱を感じたかと思うと、竜巻を火をまとい、大きな火柱となった。


 風に促されるように上を見ると、雷雲が立ち込めていた。火と風の壁の外で落雷の音がする。


 お腹の底が震えたかと思うと、地鳴りが響いた。人の悲鳴がかすかに聞こえる。地面が割れたかのような騒動だ。


「王様、何をやってるの?」


 イリスが尋ねても、オベロンは答えない。黄緑色の瞳をらんらんと輝かせるばかり。


「駄目だよ、王様。人を傷つけるのだけは駄目だよ」


 オベロンに縋りつく。衣を引くと、オベロンがにこりと笑った。


(そうだね)


 再び地面が揺れ始め、イリスの下で土が盛り上がった。かと思うと、ぐんっと上に押し上げられた。イリスを載せたまま、天に伸びる土の塔が出来上がる。


 炎の竜巻は消え去ったが、塔に一定距離近づく者を攻撃する雷は残った。


 イリスに太刀打ちできないと判断した聖騎士達は森から立ち去った。塔の上から、皆が無事に逃げるのを確認した。


 騎馬隊を率いるサジテール公爵、金のマントを巻いて走るベリエ公爵、避難誘導をするセヴラン、最後まで塔を睨んでいたロベール……イリスを捕らえるために集まった人々が城の方角へ去っていった。


 イリスは下を覗いたまま、嗚咽をもらした。


 なぜか涙が止まらない。様々な感情が渦巻いていて、自分の状態を何と表現して良いかわらかなかった。


(泣かないでくれよ、イリス)


 オベロンがイリスを後ろから抱きしめる。オベロンには体温がない。わかっていたことだが、今は虚しく思える。


 イリスはオベロンに向き直った。顔の傷が人と同じように赤く筋になっている。


(守ってくれてありがとう。その怪我、治るかな?)


 イリスがためらいがちに手を伸ばすと、オベロンから顔を近づけて来た。手と頬が触れ合う。


 オベロンから「ふふっ」という笑い声が漏れる。なついた猫が頭を押し付けるように、オベロンは目を閉じて微笑みながら顔を押し当ててくる。


 オベロンの様子がおかしい。


(きっと矢に当たったせいね。黄金の矢尻……まさかキューピッドの金の矢だったり? キューピッドも自分を傷つけて恋に落ちたという伝説があるから、王様に効く可能性はあるし……。怪我してから最初に見た人を好きになるのかな?)


 サジテール公爵が捧げた王宝について考えを巡らせる。


 その間も、オベロンは(イリス、イリス)と頭の中をイリスのことでいっぱいにしながら、手を握ったり、抱き着いたりしていた。オベロンはイリスのそばにずっといたが、必要にかられた時以外、体に触れることはなかった。これは異常だ。


 イリスは治療法に考えを移した。その時、オベロンがイリスの顔を両手で挟み込み、動けなくした。オベロンの目がとろんとしている。まるでゲラン家の別邸で再会したシルヴィーのように。


 シルヴィーの顔を思い浮かべている隙に、オベロンは顔を引き寄せ、唇と唇を重ね合わせた。


 雲が割け、イリスとオベロンに光が降り注ぐ。祝福の鐘のような響きも聞こえる。


 オベロンの白金色の衣が、見慣れた素材に変わっていく。白い絹へと。


 変化を終え、顔を離すと、オベロンは「えへへ」と照れくさそうに笑った。


(最初からシルキー(家守)になれば良かったんだ。どうして気付かなかったんだろう)


 オベロンが子供のようにはしゃいでいる。イリスには何がなんだかわからない。


(王様?)

(もう王様じゃないよ。イリスの守護霊になったんだ。オベロンって呼んで)


 イリスは頭を真っ白にした。


 宿り先を見つけられなかった妖精が、イリスの守護という役目を見つけた。口づけによって契約はなされ、オベロンは妖精王ではなくなった。


(おめでとう)

(おめでとう!)


 こんなにいたのかと信じられないほどの妖精達が集まって来て、イリスとオベロンを取り囲んだ。オベロンは(ありがとう)と清々しい顔で応えている。


 ひとしきり祝われると、オベロンは再びイリスの所に帰って来た。


(変なんだ。イリスに触れると嬉しい。イリスに触れたい)


 オベロンも異常性に気付いている。だが、何もできないでいる。欲望のままにイリスを抱きしめ、(もっともっと)と撫でて欲しがる。


 矢のせいだ。


 オベロンは大人になれないことを悩んでいた。だが、このような形で悲願を達成してしまって良かったのだろうか。


 後悔してももう遅い。成長した妖精は以前の姿を忘れ、新たな力と姿を全てと思う。元妖精王は、妖精の平和を願う存在ではなく、イリスの安全だけを叶える存在に変わってしまった。






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