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21.十二公爵 -1-

 ヴェール伯爵領の湖に隠れて過ごしようになって早一週間。イリスは両親の様子を見に、屋敷に戻っていた。


 普段から湖に集まる観光客から見えないようにしているので、両親や使用人達に見つからないようにするのは簡単だった。


 しかし、番犬プリンスは人の目には見えないイリスの居場所がわかるようで、イリス目掛けて駆けた。何もないはずの場所に一目散に走るプリンスを、従僕は不思議そうになだめた。


 使用人達はいつもと変わらぬ働きぶりだったが、どこか落ち着かない様子でもあった。


 それもそのはず。仕える家の一人娘が女王によって指名手配されているのだから。働き口の行く末に不安を感じるのも当然である。


 イリスは彼らに申し訳なさを感じながら、その横を堂々と通り抜けた。


 ヴァレリーとカメリアはリビングにいた。二人一緒にいるのに、どちらも無言で、時折ため息をつくだけだ。二人とも顔には疲労の色があった。


(お花ちゃん、どこにいるんだい? 帰って来ておくれ。パパが守ってあげるから)


 ヴァレリーは娘の無実を信じ、捜索している。必要なら国外に逃がすことも考えている。とにかく女王よりも先に見つけることが重要だ。


(どこで間違えたのかしら。いいえ、あの子はまっとうに育っていたわ)


 カメリアは自分を責めていた。


 幸い、両親は共謀者と思われていないようだ。


 二人は出頭を命じられ、女王に会った。女王が二人の心を読み、無関係と証明された。また館にも憲兵が調査に来たが、常駐する事態にはならなかった。


 イリスは安堵しつつ、両親のために何も言い残さなかったことを後悔した。


 今、ここに現れれば家の者に迷惑をかけることになる。せめて二人のために、彼らにしかわからぬように置手紙の一つでも用意するのが良いかもしれない。


 イリスは久々に自室に入った。夏休みに帰省するつもりで、このような形で戻って来ることになろうとは考えもしなかった。


 憲兵の調査があったはずだが、部屋はよく知る状態を保たれていた。唯一変化があったのは机の上だ。


 いつもならイリスに直接渡される、イリス宛ての手紙が机に積まれている。そのほとんどはマグノリアからだった。


(封を開けずに読む方法はないかな?)

(ボクらの力はそんなに万能じゃないんだ)


 オベロンが首を横に振る。オベロンは片時も離れずイリスの傍にいる。


(魔法ならできるかもね)


 イリスは諦めて手紙を机に戻した。その時、見慣れない一通の封筒に目がついた。


 イリスはそれを抜き取って驚いた。差出人はミレーユだったのだ。ミレーユから手紙が送られたのは、これが初めてだ。


 両親に無事を知らせる置手紙を書き、ミレーユからの手紙だけ持って屋敷を後にした。


(まさか人の子に会いに行くつもりじゃないよね?)


 湖に帰ってくるなり、オベロンがイリスの顔を覗き込んで問う。間近にある顏は九十度に傾いている。オベロンは常に浮いていて、イリスに合わせる時でない限り地面に足を着けないからだ。


(どうかな)


 曖昧に答えて、手紙を読み始めた。


 その内容は、ミレーユの屋敷に来いというものだった。匿う準備はできている。もし行く当てがないなら、受け入れる、と。


 イリスは人恋しく感じていた。優しく、楽しい妖精達に囲まれているが、やはり人とは違う生物なのだ。生き方も価値観も違う。流れる時間の長さも違うように思える。寂しくはないが、このまま一生を過ごすことはできないと感じる。


 オベロンの危惧は現実のものとなった。


 イリスは早速フルーヴ侯爵家の別邸を目指して飛んだ。オベロンが使った瞬間移動のような能力もあるにはあるが、イリスの場合は正確性に欠けるし、酷く体力を消耗する。体調を戻す時間を考えると、結局、地道に移動した方が早いのだ。


 道中、オベロンはずっと不満そうにしていた。人間に関わるとろくなことにならない。妖精に近い存在であるイリスも人間との関係を絶つべきだ、と考えている。


 日が暮れた頃、ようやく屋敷に到着した。イリスは敢えて朝を待たずに、ミレーユを訪ねた。人目を盗んで会うなら、夜の方が良いのだ。


 別邸にあるミレーユの部屋を探し当て、彼女が一人だけになったタイミングを狙って窓を叩いた。部屋の中に突然姿を現したら、不快にさせてしまうと思ったからだ。


 ミレーユは手紙を出しただけあって、イリスの来訪の合図と思しきノックにすぐに反応した。窓を開け、イリスの顔を確認する。


「サーカス団もびっくりな登場ね」


 ミレーユは空飛ぶイリスを見て驚きはしたが、それを長引かせなかった。誰かに見られる前にと、素早く部屋の中に引っ張り込んだ。


「思ったより元気そうで良かったわ。まずは食事ね。早く持ってこさせるわ」


 夕食を終えた後なので夜食と偽って用意してもらうのが良いだろう。そんなことを考えながら、ミレーユは扉の外にいる使用人に声をかけに行こうとした。


 イリスはそれを止めて、ご飯を恵んでもらう必要はないと言う。


「あんまりお腹空かないみたい」


 一週間飲まず食わずに生きていると言うと、ミレーユは絶句した。


「あんた人をやめちゃったの?」


 ミレーユの言葉を選ばない物言いが、イリスは嫌いではない。イリスは笑って「そうなんです」と返事をする。


 声を出して、気分が良くなるのを感じた。妖精と話す時は発声しないから、こうして喉を鳴らすのも、笑い声を出すのも久しぶりのことだ。


 あまりに嬉しくて声が大きくなってしまうと、ミレーユは「声を抑えるくらいの協力はしなさい」と眉を曲げた。


「とりあえず、あんたの顔を見られて良かったわ。聖騎士が動いたと聞いて気が気でなかったから」

「聖騎士?」

「やっぱり知らなかったのね。十二公爵や親族が陛下から聖騎士という称号を賜ったのですって。反逆者イリス・コストを捕らえるために」


 女王は、妖精の末裔が妖精王の冠を手にし、力を得たことから着想を得て、王宝を一時的に十二公爵に返還した。特別な力を取り戻した十二の聖騎士にイリスを探させていると言うのだ。


 妖精達といるだけでは知り得なかった情報だ。


「リュドウィック様まで武器を持って、あんたを探してる。もしかしたら何か考えがあるのかもしれないけれど」


 ミレーユが肩をすくめた。イリスは何と言って良いかわからなくて、頷くことしかできなかった。


 二人は早めに休むことにして、部屋を暗くした。イリスはミレーユから借りた寝間着で布団に入った。


 こうしてミレーユの家でお泊りする日がくるなんて思いもよらなかった。


「夏の間はこっちにいるんですか?」


 イリスは天蓋を見上げて、隣で横になったミレーユに話しかける。


「違う。私の部屋はこっちにしかない」


 ゲラン家主催の新年会は、本邸で行われた。だからイリスは、ミレーユが避暑のために別荘に来ているだけなのだと思った。


「話したことなかったかしら。私は継母(はは)と仲が良くないのよ。あんな家にいると息がつまる」


 ミレーユは、イリスに背を向ける形で横向きになった。イリスはシーツとパジャマが擦れる音を、身動きせずに聞いた。


 少し遠くなった声で、ミレーユが続きを話す。


「一年の時、あんたのご両親に会って絶望したわ。子供を愛する親がいるのに、お父様もお母様もそうしなかったのだってね。お父様は政略結婚を期待しているから、ある程度私のことも見てくれる。お母様はそれを良く思わない。学校をやめるかもしれないと言った時……あえて名前は伏せるけれど、小国の王子との結婚話が出ていたの。家を出られるなら、それでも良かった。でも、学校が楽しかったから」


 ミレーユの繊細な部分に触れ、イリスはどぎまぎした。何も言葉にしなかったが、ミレーユにもそれが伝わったらしい。ミレーユは「少し話しすぎたわ」と言って、再び仰向けに姿勢を直した。


「あんたはどうなの? リュドウィック様と上手くいってたんでしょう? 今は……」

「リュドウィックさんの話、嫌じゃないんですか?」

「別に。リュドウィック様に近づくとお父様が喜ぶから。ほら、政略結婚」


 イリスは布団を鼻の辺りまで上げて、恐る恐るミレーユの反応を窺った。ミレーユは冷静に回答していたが、イリスの反応が芳しくないので、訝しみ始めた。


「……本気でリュドウィック様に恋していると思っていたの?」


 ミレーユが右ひじで支えて体を起こす。イリスを覗き込む顔は、呆れと驚きで大きく動いていた。


「違うの⁉」


 常識を根底から覆された気分になった。イリスは掛布団をバンっと引き離して、大声で驚いた。


 ミレーユが「静かになさい」と額を小突く。


「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけれど、ここまでとはね」

「いいえ? ゲランさんが紛らわしいことするからぁ」

「あんたが鈍いだけ」

「違うもんー」


 イリスは恥ずかしくなって布団にもぐりこんだ。ミレーユに顔も見られたくない。全ての視覚情報を遮断すると、急に眠気が襲ってきた。


 夜は妖精と一緒に寝ていたが、湖やほとりの森のような慣れない場所での睡眠は疲れをとってくれなかった。安心して心を休めることのできる寝床ほど、今のイリスに価値あるものはなかった。


 ミレーユの部屋に訪れて三日。屋敷の主を訪ねて客が来た。


「シルヴィーさんがいらしたわ。あんたは私の部屋から出ないように」


 ミレーユはイリスを自室に隠したまま、客人の対応に向かった。


(シルヴィー……どこかで聞いた名前)


 イリスは名前に聞き覚えがあったが、誰なのか思い出せなかった。


 言われた通りに、ミレーユの部屋で本を読む。暇だろうからと、ミレーユが用意してくれたのだ。


 貸してくれたのは王宝とその伝説に関する児童向けの本だった。


 天使の子孫、ベリエ公爵が捧げたのは『神授のマント』。翼を持つ金の羊からとった毛で作られた、決して破れないマント。


 ミノタウロスの子孫、トロー公爵は『英雄の鎧』を献上した。それを着れば無敵の戦士になれると言う。


 人狼の一族であるジェモー公爵からは『変化の首飾り』を。ブルームーンストーンのネックレスは身に着けた者を動物の姿に変える。


 カンセ公爵はドワーフだ。ミスリル製の錆を知らぬ『無欠の盾』は王を永劫に守り続けるだろう。


 獅子王の加護を得たリオン公爵は支配者の器がある。『支配の王笏』を王に授け、その力を譲った。


 ユニコーンと由縁のあるヴィエルジュ公爵は『癒しの宝玉』で安寧をもたらした。


 バロンス公爵はケルベロスに取り憑かれた強者。冥府より持ち出した『真実の鏡』は正しい判決を可能とする。


 ホムンクルスの子孫であるスコルピオン公爵は『制裁の剣』を差し出した。『真実の鏡』によって悪と判断された者は、剣の前に無残に散るだろう。


 『黄金の矢尻』は扱いが難しい代物だ。ケンタウロスの里のサジテール公爵なら使いこなして見せるだろう。


 魔女の末裔、キャプリコルン公爵は悪魔と契約した。『顕現の玉座』は座った者の力を極限まで高めるのだ。


 吸血鬼の一族、ヴェルソー公爵は眷属を多く持つ。彼らの道具、『盟約の盃』にワインを注ぎ、飲ませれば、相手を配下に加えることができる。


 人魚の末裔、プワソン公爵は『標の指輪』を──


 イリスは何かの気配を感じて顔を上げた。このままではいけないという根拠もない考えがよぎり、床から立ち上がった。


 読書に集中するイリスに寄り集まっていたシルフが(わあー)と力の抜ける声で散らばる。


 本を両手に抱えたまま、イリスはその場で顔を動かした。周囲に変化はない。


「ハァー……ナア……アーラー……」


 歌が聞こえる。イリスの知る言語ではない。


 ドアの向こうか、窓の方か。どこから聞こえるのか耳を澄ますうちに、不思議な赤い光が自分の胸に当たっていることに気付いた。赤い光は細い糸のようで、自分とドアを繋いでいる。


 イリスが姿を隠す間もなかった。


 ノックもなく扉が開き、夜明けの空の色(オロール)の頭が現れた。左手を胸にあて、右手でスカートをつまんで礼をする。左手の薬指には赤い珊瑚の指輪がはめられていて、イリスの心臓と赤い光で結ばれている。


「ごきげんよう。やはり私が一番乗りでしたね」


 三つ編みに束ねたオロールの髪を見て思い出した。彼女はシルヴィー・ソヴァージュ。エトワール校の同級生で、ノブルクラブに属する同学年の残り一人の女子生徒。クラブに滅多に参加しないシルヴィーとは、ミレーユ程接点がない。


 イリスが戸惑っていると、シルヴィーは彼女流のカーテシーを解いて、イリスを見つめた。なぜか頬が上気しており、目はとろんとしている。


「お迎えにあがりました、愛しい人。当主でなく、末娘であることをお許しください。石が導くのは愛する者の行先だけですから」


 シルヴィーが美しいソプラノの声で言う。さっき聞こえた歌声も彼女のものだとわかる。


 イリスが答えないでいると、シルヴィーは細い体を揺らして、音もなくイリスに近づいた。独特な動きと生きるのにギリギリな細さの体から、幽霊という文字が浮かぶ。白いドレスが余計にそう思わせるのかもしれない。


「女王陛下はイリス様の生け捕りをご希望です。抵抗せず同行いただけるなら傷はつけないと、同意もいただきました。わたくしにはイリス様を拘束する力がありませんので、従っていただけると嬉しいです」


 シルヴィーは目を細めて笑顔を作る。そこから表情が一切変化しないので、イリスは一種の不気味さを感じた。


 イリスは思わず一歩後ずさった。


「シルヴィーさん、許可なく歩き回るのは無礼よ!」


 少し離れた所からミレーユの声が飛んできた。シルヴィーを咎める声は、焦りが滲み出ている。


「ミレーユ様、お邪魔しております」


 シルヴィーがイリスから視線を外して、ドアの方を向いた。続いて現れたミレーユに、一ミリも変わらぬ笑顔を見せた。


 ミレーユはそれを無視して、シルヴィーの奥からイリスに声をかける。


「無事ね、イリス・コスト」

「うん」


 イリスはうるさく鳴る鼓動を落ち着けながら答える。


「ミレーユ様、イリス様がいることを隠匿していましたね。陛下の意向に逆らう行為です。裁きを受ける覚悟はございますね?」


 シルヴィーは冷ややかに言い放った。彼女の背中から、イリスは思念を受け取った。


(イリス様を独り占めして、ずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるい……)


 重いくらいの感情に情愛に、戸惑う。シルヴィーと言葉を交わした記憶もないのだが、イリスの何が彼女にそこまで思わせるのだろう。


「ゲランさんは関係ありません。私が勝手に居座っただけです」


 イリスが声を発すると、くるりとシルヴィーが後ろを振り向いた。


「そういうことにしても構いませんよ。三日前からここにいることは知っていますが」


 イリスに気付かれないよう、夜間に指輪を使っていたと言う。シルヴィーの方が情報を持っているわけだ。


 分が悪い。イリスはたじろいだ。


「ご承知のことと思いますが、わたくしと共に女王陛下の元へ参じることが条件です。ご安心ください。愛に誓って、あなたに傷一つつけさせません。イリス様のためなら、女王陛下にも逆らう覚悟があります」


 シルヴィー・ソヴァージュはプワソン公爵家の娘。王宝を返還された聖騎士の一人だ。標の指輪が不気味に光る。


 聖騎士の目的はイリスを捕らえること。シルヴィーの言っていることに奇妙な点はあるが、女王の命令を遂行しようとしているのは間違いない。


「様子がおかしい」


 ミレーユが呟く。シルヴィーと交流のあったミレーユだからこそわかる。今のシルヴィーの状態は異常だ。


「これはわたくしとイリス様の運命の赤い糸。この絆を切れる者など他におりません。どうかわたくしと一緒に」


 指輪を見せながら、シルヴィーが一歩近づく。イリスは気圧されるように後ろに下がる。


 シルヴィーの足がもう一歩前に出されようとした瞬間、ミレーユが飛びかかった。背後からシルヴィーに抱き着いた。


「離してください!」

「シルヴィーさん。あなた、ちょっと変よ。落ち着きなさい」


 体の細いシルヴィーは、ミレーユの両腕で完全に動きを封じられる。身をよじるが逃げられそうにない。


 ミレーユの立場が危うくなることを懸念して、イリスは動けずにいた。ミレーユはそのことにも気づいて、咄嗟に言った。


「逃げなさい、イリス・コスト!」


 イリスは次元の壁を抜けて、人間の目から姿を隠す。それでも赤い光はイリスを指していて、どこにいるかわかってしまう。


 大きく息を吸い込むと、風の力を借りて体を浮かした。窓から飛び出し、シルヴィーから見つからない遠くを目指した。






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