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19.妖精王の冠 -2-

 警備隊が現れた時、一人静かに逃げていたリーダー格の男は、マグノリアを人質にするべく連行した。


 追手に追いつかれると、マグノリアを盾にした。その後ろは崖で、後ずさりした二人は下に落ちてしまった。


「マグノリア!」


 マグノリアが治療のために運び込まれた病院に、彼女の両親が駆け付けた。娘の痛々しい姿に、叔母は言葉を失った。


「このまま目が覚めなければ……覚悟はしておいてください」


 医者は希望を与えなかった。それほどまでにマグノリアは危険な状態だった。


 マグノリアは頭を強く打ち、気を失った。落下の途中で木や岩に体をぶつけたので、あちこちが骨折していると言う。


 包帯で体中を巻かれたマグノリアを前に、叔父はイリスに一部始終を尋ねた。


 マグノリアはイリスの代わりに怪我を負ったようなものだ。あの時、マグノリアにイリスのふりをさせなければ、人質に連れて行かれることもなかった。


 しかし、それを聞いても、叔父達はイリスを責めなかった。


本家の公女(ひめ)を守ることができて、あの子も本望でしょう」


 泣き腫らした目で、叔母はイリスに言った。イリスは何も言えなかった。


 母と叔母は姉妹に過ぎず、二人が己の娘を愛する気持ちも変わらない。それなのに、ただ爵位を継いだか否かのみで命の重みが決められてしまう。


 ただ妹に生まれたというだけで、どうして自分の子供を諦めなければならないのだろう。


 イリスは運命の意味を考えた。イリスが姉のもとに生まれ、マグノリアが妹のもとに生まれた。この小さな差を、この越えられない差を運命と言うのかもしれない。


 イリスは病室を出た。息継ぎが必要だった。


 廊下にはリュドウィックがいた。警察の事情徴収が終わったので留まる理由はないはずだが、まだ帰っていなかった。


「イリス?」

「ごめんなさい」


 リュドウィックはイリスと話したそうにしたが、イリスにその余裕はなかった。


 リュドウィックを外まで見送ったついでに、イリスは病院から少し離れた路地に入った。夕日によって影が伸び、建物の間は潜むのに都合が良い。


 その後ろをバンシーが着いて来る。


 襲われた時、バンシーは叫ばなかった。いつものように静かに泣いているだけだった。今回の事件はイリスの死に繋がるものではなかった。


「私はどうやって死ぬの? まさか他の人が犠牲になるわけじゃないよね?」


 人目のない所で、バンシーに話しかけた。


 今まで、聞いてはならない気がして聞けなかった。禁忌に触れるような気持ちになる。


 バンシーは俯いて泣いたまま。しばらく動きがなかったので、応答しない妖精なのかと思った。


 すすり泣く音と同時に頭に声が響く。


(人の王……)


 女王がイリスの死に関わっていると言いたいのか。


 王という言葉を聞いて、一つの考えが浮かんだ。


「妖精の王様なら治せる……?」


 妖精は自然の力を操る。特に力の強い妖精王ならば、生死の境にいるマグノリアを救うこともできるかもしれない。


「王様。王様に会いたい!」


 バンシーに迫ると、突然イリスの背後で光が生まれた。白く眩い光にイリスは目を細め、姿を見せようとしている何かを待った。


 少しずつ光が弱まり、その中に少年の影が見えて来た。


「そろそろ呼ばれる頃だと思ったよ」


 光の中で浮遊する少年が声を発する。


「やあ、ボクの半身」


 完全に光が消えると、地面に足を下した。


 イリスの胸辺りまでの背丈で、緑色の瞳でイリスを見上げている。桃色の髪は眉毛の上で、後ろ髪は首の辺りで切りそろえられている。顔立ちは幼く、大きな目と柔らかな頬が印象的だ。


 十歳くらいのイリスが男の子だったら、このような見た目だったのではないかと思う少年だ。より神秘的に感じるのは、瞳と髪の透明度が高いためだろう。


 宝石を埋め込んだかのような光輝く緑の瞳と、ガラス繊維を赤で染色したような輪郭の淡い桃色の髪。


 彼の身に着ける白金色の衣装にも神々しさがある。デザインも素材も、人の世には存在しないものだろう。


 イリスが見惚れていると、美少年が首を傾げた。


「あれ? 聞こえなかったかな。声を出すのは久々だから……」

「王様?」

「うん、そうだよ。ボクは妖精王オベロン。初めまして、イリス。それと久しぶり、我が半身(ティターニア)


 オベロンと名乗る妖精王はイリスに笑いかけた。無邪気な子供のような笑顔だ。


「さて、イリスの願いだけれど、ボクは叶えない。人の子を救いたいと言うなら自分でやるんだ」

「マギュも王様の子孫ですよね?」

「あの人の子に半身の気配を感じない。それと、勘違いしてはいけない。奇跡を起こすのはボクらの気まぐれ。望まれて自然の力を借りることはしない」


 イリスは見捨てられた気がして、オベロンに恨み言を口にしそうになった。マグノリアを救う力があるのに、それを使ってくれない。今の状況下では、敵に思える。


「よく聞け。自分でやればいい」

「私に力はありません」

「力はあるかないかではない。ボクらは自然の心を聞き、繋がり、力を借りるだけ」

「それが私にもできる、と?」


 オベロンがこくんと頷く。


「イリスは忘れているだけ。わからないなら、冠を使ってみるといい。本来、自然の声を聞くのに道具を必要としないが……冠が手助けになるだろう。きっかけが必要なだけだから、一時で構わない」


 冠と聞いて思い浮かぶのは女王の持ち物くらいだ。十二の王宝には含まれないが、代々受け継がれる宝には違いない。それが妖精王から授かった物だというのも不思議はない。


「冠自体に特別な力はない。少しだけ(まじな)いをかけたんだ」

「まじない?」

「友と同じ世界を見たいと思ったんだ。自然の声が聞こえるよう、少しだけ細工した」

「自然の声。それが聞こえれば、私も力が使えるのね」

「大事なのは繋がりだから」


 イリスが理解を示したので、オベロンは嬉しそうに何度も頷いた。


「それなら、早速取りに行こう」


 オベロンに手を掴まれると、体が軽くなったような感覚を得た。浮いたかと思うと、瞬きの間に景色が一気に変わった。


 イリスとオベロンは王城の中にいた。宝物庫と思われるそこは、薄暗く、骨董品がいくつか置かれている。


「これだよ、これ」


 オベロンがぴょこぴょこと飛び跳ねながら、台座に載せられた黄土色のサークレットを指さす。国王の冠にしては地味で、特別な力があるようにも見えなかった。


 「これを被ればいいの?」と確認するようにオベロンを見ると、妖精王は大きく頷いた。


 イリスは着替えたばかりの制服のポケットからハンカチを取り出し、直接手で触れてしまわないように慎重に冠を持ち上げた。それをゆっくり頭に載せる。


(聞こえるだろう?)


 オベロンの物と思われる言葉が頭に流れ、その直後、あちこちから無数の声が聞こえて来た。


 自然に言語は存在しない。妖精の言葉のように聞くことはできなかったが、感情は読み取れた。空気や草木から喜びや悲しみを感じる。


 心を通わせ、力を借りると言った意味がよくわかった。自然が欲する物を与えれば、お礼に力を貸してくれるであろう。


 イリスはしばし冠を頭に載せたまま、新しい感覚に体を慣らそうとした。城に忍び込んだことをすっかり忘れていた。


「誰だ? どこから入った!」


 宝物庫の中から話し声と物音がしたので、見張りが中に人がいることに気付いた。鍵を開け、中に入って来た。


 女王の冠に触れ、驚いているイリスを見つけ、即座に拘束した。


 宝物庫にて冠と共に保管されていたのは十二王宝だった。この部屋に許可なく立ち入ること自体、大罪である。


 イリスは衛兵に両手を背中側で縛られ、逃げないよう肩や腕を掴まれた。牢に入れられるのが通常の手順だが、イリスはなぜか謁見の間に連れて行かれた。


 男の力で押さえつけられ、よく磨かれた床に両膝をつかされた。頭を垂れる先には空席の玉座がある。


 抵抗せずに項垂れて、しばらくの間待っていると、女王が現れた。


「イリス・コスト。妖精の末裔か」


 女王の声を聞いたのは初めてだ。イリスの想像よりも低く、芯のある声は楽し気に弾んでいた。イリスの存在に興味を示しているかのようだ。


 女王はイリスの顔を上げさせた。


 女王の支度に時間がかかったのは、王宝を身に着けるためだったと予想される。黄金のマントをまとい、大きなブルームーンストーンがあしらわれた金のネックレスと真っ赤な珊瑚の石がついたシルバーの指輪で飾っている。その手には、てっぺんに乳白色の石がついた金の杖が握られている。それらは宝物庫で見かけた神授のマント、変化の首飾り、標の指輪、支配の王笏に違いない。


 多種族から捧げられた秘宝を寄せ集めているため、全体に統一感がない。だが、有無を言わせない強さが女王からは感じられた。


 イリスは正確な年齢を知らないが、女王は三十台後半に見える。その若さで威厳を保ち、玉座を守るのは至難の業だろう。


 女王はイリスの視線を得ると、手にした冠を高々と掲げた。


「そんなにこれが欲しかったか?」


 女王がにやりと意地悪く笑う。彼女はそれが妖精王の持ち物で、妖精の血を引くイリスに由縁ある物だと知っている。


 イリスは発言に迷った。女王も衛兵も、すぐ傍で見ているオベロンを視界に映さない。妖精の存在を知らぬ者に、どのように真実を告げれば良いだろう。


 イリスが目を泳がせると、女王は「ふっ」と笑った。冠を被り、試すようにイリスを見た。


 あんなにも堂々としていた女王に焦りの色が見え始めた。見る見るうちに表情が曇る。


(なぜ聞こえない?)


 これは女王の心の声だ。


 人もまた自然の一部である。自然の声を聞くイリスは、人の心を読むこともできるようになった。


「……真実の鏡を持ってこい」


 女王は焦りを隠しながら、家来に命令を出した。


(陛下自ら判決なさるおつもりか)


 イリスを押さえる衛兵の一人から考えが流れ込んでくる。


 王宝の一つ、真実の鏡は嘘を見破る力があると聞く。ケルベロスの力を持つ一族、バロンス公爵家の先祖が捧げたという秘宝。


 それを使えば大罪人の真意を読み取ることができるのだろう。


 大きな鏡がイリスの前に置かれる。錆が進んでいて、姿見としては機能していない。かつては光沢があったであろう鏡面と金の飾りが黒ずんでいる。


 これを真実の鏡として使用する時、対象者と使用者の間に設置するのが正しいらしい。女王は玉座から鏡を通してイリスを見下ろした。


「答えろ。冠に何をした?」

「何もしておりません」


 イリスは正直に答えた。鏡が嘘を見破れると言うなら、何も問題なかった。


(やはり聞こえない。なぜだ?)


 女王は内心焦っていた。彼女の心の声を聞く限り、鏡は最初から当てにしていなかったようなのだ。


 真実の鏡はもともと上手く使えない道具だった。他の王宝もそうだ。王の証として引き継いだが、伝説の力を発揮する物は一つとしてなかった。伝承では古い王達は宝の力を使って民を導いたとされている。女王は相当焦りを感じていた。


 唯一、妖精王の冠だけが女王に力を与えた。被れば人の心を読むことが可能で、真実の鏡や、相手を服従させる支配の王笏、座った者の能力を高めるという顕現の玉座等を使いこなせるふりができた。


 女王に使用を許された冠がイリスに対してだけ機能しない。


(それはそうだ。友はボクらの声が聞こえたんだから、ボクらの声が聞こえるようには作ってない)


 オベロンがつまらなそうに告げる。その声が女王に届くことはない。


 要するに、妖精の血を濃く引くイリスは妖精に含まれるため、彼女の冠では心を読むことができない。


 オベロンは気にしていない様子だが、これはまずい方向に進みそうな気がしてならない。イリスは冷汗をかく。


(気味が悪い。こやつ、冠を取り上げにきたのか? そうはさせない)


 長い沈黙の後、女王が唐突に言った。


「処刑せよ」


 オベロン以外の誰もが息をのんだ。まさか極刑が下るとは誰も思いはしなかった。王宝に近づいた者の罪は重いとはいえ、死に値するものではない。


「何をしている。さっさと連れて行け。刑は明日執行する」


 女王の命令は絶対だ。裁判の機会すら得られない。


「立て」


 衛兵に無理やり立たされて、イリスは急に死を現実に感じ始めた。


 バンシーが耳の割れそうな声量で叫ぶ。脳が揺れる。



***



『ボクの王冠があれば人の子も助けられるかもしれない』


 オベロンの説明を受け、イリスは女王の冠を被る必要性を理解した。マグノリアを助けるためには王冠が必要だ。


 王城に着いたのはマグノリアが襲われた翌日だった。


 イリスは正面から城を訪ねた。伯爵令嬢とはいえ、突然の謁見申請は通るはずもなかった。


 しかし、訪問者がイリスであることと、理由が王冠であることが女王に伝わると、入城が許された。


 幸運なことに、イリスは女王と話す時間を賜った。


『ヴェール伯爵が娘、イリス・コストと申します。突然の訪問、申し訳ございません。御前にてご挨拶できますこと、光栄の極みでございます』

『早く要件を申せ』


 女王を前にして、イリスは頭を真っ白にした。まさか本当に会えるとは思っていなかったし、話を聞いてもらえるなんて露ほどに期待していなかった。


『はい。恐れ多くも申し上げますが、王冠を返していただきたいのです』


 イリスは間違えた。『貸してほしい』ならまだしも『返してほしい』などと口にすべきでなかった。オベロンが冠の真の持ち主は妖精王だと繰り返したものだから、そのことが頭にしみついてしまったのだ。


 女王は途端に怒りを顕わにした。


『愚かな……』


 女王はそれだけ言って、イリスをじっと見つめた。長い時間をかけて考えをまとめると、冷ややかに言った。


『処刑せよ』



***



 平行世界の記憶が一瞬のうちに流れ込んできた。


(ああ、もう駄目だ)


 平行世界のイリスは女王の命令のまま、死刑を受けた。弁明の機会は一切与えられなかった。


 これでは繰り返しだ。またイリスは死んでしまう。


「女王様……!」


 イリスは衛兵に引きずられながら、女王を顧みた。女王は何者の意見も受け付けぬ、光のない目をしていた。イリスが何を言っても無駄だ。


 結局、何も言葉は思いつかず、イリスは脱力した。


 絶望感でどんどん体が重くなっていく気がする。それは気のせいではないかもしれなかった。イリスを連行する衛兵二人の足が段々と遅くなる。


 体が沈んでいく。足が床に引きずっているが、イリスには下半身が床に溶け込んでいるように感じられた。


 重りになっていく感覚が足から頭まで到達すると、今度は一気に軽くなった。空気に漂い、どこまでも飛んでいけるような気分だ。


 そう、まるで体を手放した幽体にでもなった感覚だ。


 その時にはもうイリスは自由だった。拘束具も衛兵もイリスを捕らえておけない。


(繋がったな)


 オベロンに言われて、イリスは我に返った。


 イリスは城の上空を飛んでいた。






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