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01.若草色のドレス -1-

 イリス・コストはヴェール伯爵家の一人娘として、両親にこよなく愛されていた。典型的な貴族の子供のように甘やかされ、わがまま放題であった。


 使用人達は、お嬢様も十歳になる頃には少しは落ち着くだろうと考えていたが、年々お転婆具合に拍車がかかっている。


 そんな手のかかるイリスを多少なりとも躾てくれたのは、他の令息・令嬢との交流だった。コスト家は建国以前から続く由緒正しい家であるが、国のトップではない。伯爵家よりも身分の高い者は相応にいる。彼らに対しては、イリスも折れることを学ばざるを得なかった。


 社交場に出られない子供達も、時折、親に着いて小さなパーティやお茶会に参加する。子供同士の交流も、後々の社交界に大きな影響をもたらす。


 イリスも、他の家の子の誕生日パーティや顔合わせ程度の食事会に連れて行かれた。


「いい? あんたは今日、リュドウィック様に近づいては駄目よ」


 フルーヴ侯爵家の娘、ミレーユがきつく目をとがらせ、イリスに言った。ミレーユは何かとイリスのことを目の敵にしていた。イリスもまた、ミレーユのことは好んでいなかった。


 彼女の言う通りにするのは癪だったが、イリス自身、参加を希望したパーティではない。フルーヴ侯爵令嬢に命令されたのを良いことに、イリスは大広間から抜け出した。


 気が乗らなかったのは、挨拶回りの退屈さばかりが理由ではなかった。


 イリスはピンク色のドレスを着ている。本当は黄緑色のドレスが着たかった。


 イリスは、自分の瞳の色が好きだ。木漏れ日のような温かな黄緑色。ガラスに緑の光を当てたように、透き通っていて、輝いている。


 鏡に映る自分の姿をよく見ていた。ナルシストと呼ばれるのは不服だったが、自惚れている自覚はあった。


 しかし、十歳のイリスは、己が好きな色と両親が娘に抱くイメージカラーとの相違を実感していた。


 今回のパーティに出るにあたって、たくさんのドレスが用意された。イリスに選択権を与えるためだ。ひときわ目立つのは、赤や桃色の物だ。こういう時、必ずピンク系統の物が用意されている。黄緑を含む他の色のドレスをよこすのは体裁のためだけで、親の思いを察してくれと言わんばかりだ。両親の思いを汲むなら、このピンクのドレスを選ぶべきだろう。


 イリスは他者の喜びを理解できる程度には、成長していた。それでも割り切れないのは、まだまだ子供な証拠だろう。


 ピンク色のドレスを翻しながら、イリスはリオン公爵のカントリーハウスを駆け巡った。案内されていようがなかろうが、無礼であろうがなかろうが、お転婆娘の知ったことではなかった。


 どれほど可愛がっている娘でも、社交界で生き残らせるためには厳しさも必要だ。カメリアは、娘が逃げ出したことに気付くと、慌てて連れ戻しに行った。


 この日、イリス達は国内でも有力な貴族、リオン公爵家の嫡男、リュドウィック・クーザンの誕生日会に招待されてきた。彼はイリスと同じ十歳になる。節目の年として、盛大にお祝いするというのだ。


 イリスが母に連れられ、会場に戻ったのは、主役のリュドウィックが既に登場した後だった。


「リュドウィック様、私と踊ってください」


 ミレーユがなれなれしくリュドウィックの腕にしがみつき、ダンスに誘っている。イリスはよくやるよと、半ば感心していた。


 リュドウィックは十歳にして、成長後が期待できるほど顔が整っている。すっきりした鼻筋に、キュッと引き締まった口元。子供ながらに支配する側の人間であることが伺える、凛々しい目つき。まだ丸い頬に幼さが残るが、あと数年もすれば輪郭もすっきりし、誰もが認める美男となるだろう。


 黒い前髪の右半分がかき上げられていて、彼の不機嫌を訴えて歪む眉があらわになっている。声にも不快感が全面に押し出されていた。


「なんで俺がそんなことしなきゃならないんだ」


 しがみつくミレーユを引きはがそうと、腕を振り回す。負けじとミレーユも捕らえる腕に力を込めた。


「リュドウィック様のお誕生日ですよ。お祝いしなければ、招待された我々の面目が立ちません。ダンスのお相手程度しか務まらないのが心苦しいですが、祝う気持ちをぜひ表明させてください」


 そう言ってミレーユに加勢したのは、他でもないフルーヴ侯だ。


 子供同士の会話に大人が口を挟むなんて見苦しい。政治的思惑が見え透いて、誕生日パーティがむしろ汚されているように思える。


 イリスは嫌悪感を抱いたが、大人達の多くはフルーヴ侯の建前に乗じようと考えた。カメリアもその一人だった。


 嫌がるイリスの背中を押し、リュドウィックに近づけようとする。


 イリスは気難しそうな公爵令息と踊りたくなどないし、ミレーユの反感をさらに買う行動はしたくない。足の裏に力を入れるが、抵抗もむなしくずるずると前へ押し出されていく。


 イリスがリュドウィックを囲む人垣の先頭に追いやられている間、フルーヴ侯の言葉を受け、リュドウィックは思案するような仕草を見せた。口を開いたかと思うと、突飛なことを言い始めた。


「そうだな、若草色のドレスを着てる奴とだったら踊ってやってもいい」


 リュドウィックは大人に対しても物怖じしない性格で──否、彼はフルーヴ侯のことも取るに足らない相手だと見下していて、高慢な態度で応じた。


 皆が自分や、自分の娘のドレスが若草色でないことを(意味もなく)目で確認している中、ついにイリスがリュドウィックの前に立った。


 リュドウィックは吸い込まれるようにイリスを見た。突然現れた令嬢に、無意識に視線を向けただけのことだろう。それなのに、イリスの頭からつま先まで一通り確認すると、なぜか不満そうな顔をした。リュドウィックの口がへの字に曲がる。


「リュドウィック様がそうおっしゃるなら仕方ありません」


 フルーヴ侯は意外にも潔く引き下がった。これ以上悪印象は残すまいと、娘を連れて行くのは忘れなかった。


 該当する令嬢はいなかった。春や夏ならともかく、冬のパーティに緑のドレスを選ぶ者はいない。上手く逃げたと誰もが思った。


 リュドウィックを囲む輪が少しずつ解かれていった。


 「若草色」という言葉に、イリスはドキリとした。もしかしたら黄緑色のドレスを着て来たかもしれなかったのだ。両親が好む色を避け、心のままに選んだなら、きっとあの黄緑のドレスを着ていただろう。


 イリスは声を出して溜息をついた。それが黄緑のドレスを選ばなかったことに対する後悔なのか、安堵なのか、自身にも判別できなかった。


 カメリアが静かに動き出した。イリスもつられるように、人の輪から外れようと体の向きを変えた。その瞬間、右手首が掴まれ引っ張られた。


 イリスを引き留めたのはリュドウィックだった。金の瞳を揺らして、ほんのわずかに背が高いイリスを上目に見つめている。さっきまで横暴な態度で口をきいていたくせに、言葉が出てこないのか何回か口を開閉させた。


「──何色が好き?」


 ようやく出てきたのは、他愛もない質問だった。思いがけない言葉にイリスは目を丸くした。


 掴まれている腕が優しく、くいっと引かれたので、イリスはよく考えずに「黄緑」と答えた。


 リュドウィックのことはよくわからない。返答を聞くと、イリスを解放した。求める答えだったとも、その逆ともとれる表情で、その場を後にした。


 背中を見送ると、不意に背中をとんっと叩かれた。イリスが見上げると、母の顔があった。


 母の前であることを忘れていた。娘がピンクではなく黄緑が好きなのを知ってしまっては、残念に思うではないか。


 間違えの理由には、あまりに唐突な問いであったのと、二重に重なる記憶の世界が邪魔しているのもあった。


 フルーヴ侯がリュドウィックに声をかけたあたりからずっと、イリスは二重の世界に生きていた。このところ、デジャブと言うには内容が違いすぎる『記憶』を見る時間が長くなっている。さらにズレも大きくなっている。話していることも、していることも異なっていて、ひどいときは登場人物が違う時さえある。


 自分の現実を見失わないようにしながら、二つの世界を処理するのは骨の折れる作業だ。失敗をするのも当然である。


 幸いなことに、心配は杞憂だった。カメリアは満面の笑みを見せている。やりとりの内容など肝心ではなかった。娘が公爵令息の興味をひいたことにご満悦の様子。


 イリスはほっと胸を撫で下ろした。


 ようやく世界が収束し、一連の出来事に考えを巡らせる余裕が生まれた。


『そうだな、女王陛下と踊ったことある奴とだったら踊ってやってもいい』


 記憶の中のイリスは「若草色」のドレスを着ていた。だが、リュドウィックが提示した条件も異なっていて、イリスはダンスの相手にはなり得なかった。あちらのイリスもリュドウィックとは踊らなかったらしい。


 結局、公爵令息と踊りたかったのか、自分の胸に聞いてもはっきりしなかったが、記憶のイリスが躍っていなかったことに安心したのは確かだった。






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