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18.妖精王の冠 -1-

 冬休み、春休みと経て、五年生終業の時が来た。


 校長の話を聞いている時、イリスは吐き気がするほど鼓動を速めた。話の内容など理解できるわけもなく、ただ拳を握りしめていた。


「イリス、イリス。どうかしたのか?」


 リュドウィックの声で意識を戻した。


 何度も瞬きをして、現実にピントを合わせてから周囲を確認すると、もうほとんどの生徒が大講堂を出ていた。集会は既に終わっていた。


 イリスは少し大きめに息を吸って吐いた。上手く肺を広げられなくて、深呼吸と呼べる程のものはできなかった。


 少し落ち着きを取り戻すと、服が肌にまとわりついているのに気づいた。びっしょり汗をかいていた。


 いかにも体調が悪そうなイリスに、リュドウィックは「大丈夫か?」と問う。嘘でも大丈夫だと答えられる状況ではなく、「外の空気」とだけ言った。


 広い部屋ではあるが、天井と壁に囲まれた空間では吸える空気も吸えない。イリスは外の空気が吸いたかった。


 イリスの意図するものが何か察したリュドウィックは、イリスの手を引いて立ち上がらせると、体に腕を添わせて持ち上げた。


 自分の足で歩いて行くものだと思っていたので、イリスは横抱きされたことにたいそう驚いた。人目につく格好だとわかったが、抵抗する力はなく、できたのはしがみつくことだけだった。


 そのまま二人は講堂を出て、校庭に姿を現した。休みを前に友と別れの挨拶をする生徒で溢れている場所にお姫様抱っこで登場すれば、当然注目の的になる。


 どこかで「キャー」と悲鳴が聞こえた。公衆の面前でいちゃつくカップルを囃し立てるような、興奮気味の悲鳴だった。


 リュドウィックは、声がした方を睨んだ。瞬時にざわつきが収まった。


「もうだいじょーぶ。降ろして」


 イリスは服を引っ張って懇願した。解放された空気を吸って意識が明瞭になると、視線を集める状況に耐えられなくなった。


「立てるか? 木陰まで運ぶよ」


 イリスに向けられたリュドウィックの声は、先ほど騒ぐ者を睨んだ人と同一人物とは思えないほど優しく、思いやりに満ちていた。


「自分で歩けます」


 イリスは地に足をつけると、本当の意味で落ち着くことができた。


 リュドウィックに支えられながら、木陰に移動する。木の下でベンチに座ると、随分と体が楽になった。


「救護室に行くか? ……水いるか? ……寒い? ……暑い?」


 リュドウィックの全ての問いかけに、イリスは首を横に振った。リュドウィックがイリスのために何かしたい一心であることが伝わって来て、くすりと笑った。


(こんなにわかりやすい人いないよ)


 イリスに笑う余裕が生まれると、リュドウィックは安堵した。イリスの隣に座り、同じ景色を見る。


 迎えの馬車が来た者から順に学校を去っていく。校庭にいる生徒が徐々に減る。


 手を取り、抱き合い、手を振る。いくつもの別れの挨拶が始まり、終わる。


「夏の予定は何か決めたのか?」


 リュドウィックが前を向いたまま尋ねる。イリスはちらりとリュドウィックの横顔を見た後、正面を見つめて答える。


「いいえ、特には」

「陛下に会う予定とか」

「まさか」

「だよな。……今年は珍しくゲランが何も言わなかったからな」


 毎年夏休みになると、ミレーユが四人で集まるイベントを企画する。今年も、旅行に行くのはどうかとミレーユから打診があった。だが、イリスが家族旅行の予定を理由に断ったために、リュドウィック達の耳に入る前に計画が頓挫した。無論、家族旅行は嘘だ。


「リュドウィックさんは?」

「しばらくは書類と睨めっこだな」

「憧れのお父様から引き継いだお仕事、頑張らないとですもんね」


 イリスが笑うと、リュドウィックもつられるように少しだけ笑った。


 笑いがおさまって静かになると、リュドウィックは手をいじりながら、躊躇いがちに話し始めた。


「一か月もすれば落ち着くと思う。そしたら、お前の家に……」


 リュドウィックは思い切ってイリスの方を見た。


 その瞬間、二人だけの空間に足を踏み入れる不届き者が現れた。さくっと、芝生を踏む音と同時に声が発せられる。


「あ、ここにいらしたんですね。クーザン先輩、教授がお呼びです。進級に関わることで確認したいことがあるとかで、急ぎだそうです」


 リュドウィックが先生に呼び出された。


 リュドウィックは行き渋ったが、呼び出しの内容が内容だけに行かない選択肢はなかった。教授の伝言を伝えてくれた後輩に「わかった」と答え、ベンチから立ち上がった。


「戻ってくるから、それまでどこにも行くなよ」


 離れる前に、リュドウィックは強めにイリスに言った。イリスはニコニコと笑顔で見送った。決して頷く事はなかった。


 リュドウィックの背中が完全に見えなくなるのを待ってから、イリスも立ち上がった。最後に彼と話ができて良かった。


「待っててって言われたんじゃないの?」


 迎えが来たことを知らせにマグノリアが近くに来ていた。イリスが傍に行くと、心配そうに問いかける。リュドウィックがイリスを引き留めていたのも見ていたらしい。


「いいの」


 イリスは止めようとする全てを振り切って、馬車に一直線に向かった。平行世界と同じ場所に馬車が来ていたので、マグノリアに聞かずとも迷わずに辿り着くことができた。マグノリアはそのことを不思議がりながらも、尋ねることはなかった。


 マグノリアが無理に止めようとしなくて良かった。あと一歩でも遅れれば、あと一秒でも立ち止まってしまえば、もう動くができなくなりそうだった。少しの油断で、別れ難くなってしまう。


 ベンチに戻って来たリュドウィックはイリスがいないのを残念がるかもしれないが、これが最良の別れなのだ。彼の前で泣いて終わりたくはなかった。


 馬車の中で、イリスはずっと窓の外を見ていた。遠ざかる学校、何度か遊びに出かけた街、ようやく見慣れて来た学校と家を繋ぐ道──目に映れど、心に映る景色はなかった。


「どうしたの? 眠い?」


 窓に寄りかかっているイリスを、マグノリアが気に掛ける。元気がないことに気付いたのだ。


「ううん、眠くはないよ。何?」


 マグノリアは心配をしただけなのだが、イリスは彼女が話をするために声をかけたのだと勘違いした。頭は壁につけたまま、顔をマグノリアの方に向ける。


「あ、そうね。今日のクーザンさん、かっこよかったね。リリをお姫様抱っこして出て来た時、女子の皆、物語の王子様みたいって喜んでたわ」


 マグノリアはする予定のなかった会話を始める。


「相変わらず、恐いお方だけどね。でも、リリにはすっごく優しいんだから。獅子公爵は恋人の前では子猫になる、だって」

「ことわざみたいだね」

「でしょう? 聞いた時、私笑っちゃって。クーザンさんの弱点はリリだって。確かにそうだろうけど、それをわざわざ広めなくても……」


 森に入った時、ガタンと大きめに馬車が揺れた。話が自然と止まる。


 町中に比べれば、整備が行き届いていない森の中は道が悪い。にしても、大きな揺れだった。石を一つ踏んだだけとは思えない、横揺れ。


 外の状況が気になって、二人して窓を覗き込んだ。すると、どうだろう。馬車の速度が落ちている。そして、ついには止まった。


「やっぱり何か……⁉」


 イリスが異変を確認しようと言いかけた時、突然、キャビンのドアが開いた。従者が行う優しい開閉ではなかった。


 力任せに、引きちぎらんばかりの強引さで扉を開いたのは見知らぬ男だった。中を見て、エトワール校の制服を着た女子生徒が二人いるのを確認すると、にやりと笑った。


「嬢ちゃん達は人質になるんだよ」


 男が気色の悪い声で言う。


 その男には仲間がいて、イリスとマグノリアは彼らの手で縛られた。縄で拘束された状態で馬車の中に閉じ込められる。


 イリス達の身元を調べるため、積んでいた荷物が開けられた。着替えや本が放り捨てられ、名前がわかりそうな手紙や成績表だけが大事に回収された。


「マグノリア・コストとイリス・コストねぇ。リストは?」

「あった! こりゃ大当たりだ」


 持物から名前が判明すると、名家の名前と身分が書かれたリストを持つ仲間に共有された。そして、彼らの顔はすぐさま喜びの色に変わる。


「どこのどいつだ?」

「上玉だぜ」

「早く言え」

「ヴェール伯爵の娘だってさ。Sランクだ」

「大当たりだな!」

「それはもう俺が言ったぜ」


 イリスとマグノリアの名前をリストで引き、伯爵家の出自であることがわかったようだ。彼らはリストがなければ、二人が何者かすら知ることができなかった。


 エトワール校から出発した馬車を追って、人目の付きにくいところで襲ってきたのだ。その馬車は無作為に選ばれた。


「おい、どっちがイリスだ?」


 扉を最初に開けた男がこの集団の大将なのだろう。より価値のあるヴェール伯爵令嬢を求め、刃物を突き出しながら、縛られた少女二人に尋ねる。


「私です」


 マグノリアが真っ先に名乗り出た。イリスを隠すために、前のめりになる。


 イリスが申告する間もなかった。


「そうかぁ」


 男達がニタアと笑う。


「そんじゃあさ、そっちは使ってもいいよなあ?」


 イリスが指さされる。状況がわかっていないイリスとは違い、マグノリアは青ざめた。


「人質が欲しいのなら私一人で十分でしょう。この子は解放して」


 マグノリアが声を震わせる。男達はそれを無視して、イリスを引っ張り出した。勢いのまま地面に寝かせられる。


 イリスは縄を解かれた代わりに、両手足が男達の手で押さえつけられる。


「やめて! やめて! その子はあなた達が触れていい子じゃないの!」


 馬車の中からマグノリアが叫んでいる。


「この高そうな服をさ、引き裂いてやるのが夢だったんだよな」


 一人が刃物をイリスによく見えるように持った。それをジャケットに当て、力を入れた。


 ようやくイリスも自分が何をされようとしているのか理解した。


「い、いや……!」


 身をよじって抵抗する。男達はそれすらも面白がるように、イリスを囲んで見ている。


 マグノリアを見張るように馬車の前に立っている、リーダーが不意に姿勢を変えた。イリスで遊んでいる者達も一瞬、彼の方を見た。


「さっさと済ませろよ」


 許可が下り、男達はより一層乗り気でイリスをいじめた。イリスの反応を楽しみながら、じっくり段階を踏んで制服を破り──


 突然馬が現れ、誘拐犯達が蹴飛ばされた。


「イリス!」


 天から声が降ってくる。


 イリスが危機に陥った時、助けてくれるのはいつだってリュドウィックだ。


 イリスは自由になった体を起こし、馬の背に乗る人物を見上げる。イリスの涙とあられもない姿を見て怒りを顕わにするリュドウィックの顔があった。


 リュドウィックに続いて、学校の警備隊とクーザン家の護衛が駆けて来た。リュドウィックの馬に蹴散らされた犯罪者を次々と捕獲する。


 教授の用事を済ませたリュドウィックは、イリスが既に迎えの馬車に乗ったと知り、急いで追いかけた。出発を順番待ちする行列の先頭に、コスト家の馬車を見つけた。と同時に、校門の外で止まっていた不審な荷馬車が、それを追うように動き出すのを見た。


 エトワール校の生徒を狙った犯罪が増えていることを思い出し、自分の従者と学校にそのことを伝えた。そして、大人達の制止も聞かず、リュドウィックは真っ先に飛び出して来た。


 そうして今に至る。


 誘拐犯が制圧されている中、リュドウィックはイリスだけを見ていた。馬から降り、イリスの手を強く握る。


「安心しろ、もう大丈夫だ。怪我はないか?」


 リュドウィックの体温を感じて、イリスはわずかに平常心を取り戻した。


 不意に嫌な予感がして、コスト家の荒らされた馬車を見た。


「マギュがいない!」


 馬車に残されていたはずのマグノリアがいなくなっている。傍にいたリーダーも見当たらない。


 イリスの叫び声に、周囲の大人達が反応した。もう一人の被害者を探しに、数人が駆けだした。


 それから十分以上が経った頃、マグノリアを探しに行った警備隊員が戻って来た。既に拘束した者を護送するのと、イリスとリュドウィックの護衛以外で手が空いた者が応援に向かってからも随分と時間が過ぎていたので手こずったのであろうことは推測できた。


 護身用の剣を鞘に納めた警備隊は、二つの担架を運んでいた。担架が通り過ぎる時に見たのは、制服を赤黒く染めた従姉の姿だった。






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