16.ファーストダンス -3-
白菫色のドレスを着て鏡の前に立ったイリスは、ウエディングドレスっぽすぎるかもしれないと苦笑する。
Aラインのドレスは、平行世界のドレスに比べれば裾の広がりが落ち着いている。五分丈の袖なので、肌の露出も少ない。
だが、胸元より上はオーガンジーを使用しており、透け感がある。肩から三重にふわりとつけられたフリルの袖は、小さな羽を広げているように見える。
平行世界のドレスのテーマが綿毛なら、こちらのドレスは未熟な天使といったところだろう。
「花嫁衣装みたいね。可愛い」
マグノリアがイリスの後ろから鏡を見て言う。
「白に寄せ過ぎたな~」
「仕方がなかったのでしょう? ブラックさんが色をあまり合わせたくないって言ったから」
「うん、まあ」
利害の一致でパートナーになったに過ぎないので、イリスがロベールの髪や瞳の色に合わせたドレスを着るのは良くない。ロベールがそう言ったので、イリスは納得して、紫をほんの少しだけ取り入れたデザインにした。ぎりぎりを責めすぎて、暗い所で見ると完全に白に見えてしまいそうだ。特に、真っ赤なドレスを着るマグノリアの隣では対極に映る。
マグノリアが自分のスカートをつまんで、ドレスを確認する仕草をする。イリスは彼女が何を気にしているのかわかっている。
イリスはすぐさま従姉の美しさを褒めたたえた。
「マギュこそ、すっごく綺麗!」
「私には派手過ぎない?」
「ううん。マギュだから似合うんだよ」
イリスは姿見の前から一歩ずれて、マグノリアの全身が映るようにする。
背の高いマグノリアには、スレンダーラインのドレスがよく似合う。情熱的な赤を選ぶよう勧めたのはイリスだ。その判断は間違いではなかった。
「風の妖精もそう言ってる?」
「え?」
急に話に妖精が出てきて、イリスはどきりとした。マグノリアにも具体的に妖精の話をしたことはないが、よくマグノリアの演奏を喜んでいる存在がいると言っていたので、冗談も交えて風の妖精を出したのだろう。
イリスは頭上を見上げて、きょろきょろと風の妖精を探した。だが、ドレスを着た二人に興味を示す様子はなく、気ままに漂っているだけだ。
「うん、そうだね」
どうせマグノリアに真実はわかりっこない。イリスは妖精も支持していると嘘をついた。
妖精の言葉が力になったとは思えないが、マグノリアは気持ちを固めて「それじゃあ、お化粧と髪を整えましょう」と言ってイリスを椅子に座らせた。
イリスとマグノリアはイリスの部屋で身支度を進めたが、多くの生徒は臨時の更衣室に集まっている。ダンスパーティの当日には小講堂が更衣室として開放され、互いの準備を手伝う者達が集合している。
人の手を借りなければ着られないドレスもあるし、ヘアアレンジが得意な女子ばかりではない。皆が最高のコンディションで挑めるよう、協力し合うのだ。
二人もそこに混ざっても良かったのだが、必要に駆られたわけでもないので、邪魔をされず自分達のペースで進められる寮での支度を選んだ。
マグノリアの手で髪が編まれ、シニヨンが形作られる。平行世界では、生花を挿して飾った緩めの三つ編みだった。今回マグノリアがアップヘアを選択したのは、イリスのドレスが可愛いより、綺麗と表現する方が近いデザインだからだろう。
(いけない。集中しなきゃ)
何かと平行世界と比べてしまって良くない。どんなに望んでも、あちら側には行けない。それに、この状況へと導いたのは自分自身だ。悔んだり、羨んだりする資格はない。
だから、決してパートナーのロベールの前では悲しい顔を見せてはいけない。
舞踏会の会場となる大広間の前でロベールと待ち合わせ、腕を組んだ。ロベールのエスコートの下、イリスは会場に足を踏み入れた。
リュドウィックをパートナーに選ばなかった世界での、舞踏会が始まる。
さて、ファーストダンスのお相手は誰だろうか。イリスは会場入りしてすぐ、ミレーユの姿を探した。
よく目立つ金髪のおかげで、ミレーユはすぐに見つかった。今日も変わらずツインテールで髪をまとめている。瞳の色と同じ青色のドレスは見慣れた姿で、言ってしまえばいつもの社交場と同じ格好だ。
イリスは、そのミレーユが扇子を持つ手とは反対の手で腕を交わらせた相手を見た。
舞踏会は冬休み直前の、忘年会のようなもので、学内の行事の範疇を越えない。故に社交界における正式な舞踏会とは違ってカジュアルなパーティである。
参加する者の服装も、完全なフォーマルを選択する者は少ない。最近は色付きのタキシードが流行っていて、黒以外のジャケットを身に着けている者がほとんだ。その中で真っ黒のタキシードに身を包む彼は逆に目立つ。平行世界と同じだ。
ミレーユのパートナーはリュドウィックだった。
可能性を考えなかったわけではない。でも、噂の一つも流れてこなかったので、結局、誰がリュドウィックの相手に選ばれたのかわからなかった。
それも当然である。二人とも直前まで相手を決めなかったし、決まった後も秘匿していたのだから。
イリスが足を止めたので、ロベールが不思議そうにイリスを見た。動けなくなったイリス達の元へ、ミレーユがリュドウィックを引き連れてやって来た。
「あら、遅かったじゃない。すぐにファーストダンスの時間よ」
ミレーユの隠された口がにんまりと、いたずらに成功した子供のように笑っているのを感じる。
「予定通り交換ね」と言うが早いか、ミレーユはロベールの二の腕を引いて行ってしまった。エスコートを受ける側のはずが、完全に主導権を握っている。ロベールはロベールで、体をかちかちに緊張させながらも、その状況を受け入れている様子で、相手のペースに合わせて歩いている。
残されたイリスとリュドウィックは、どちらも動き出せずにいた。誰から声をかけるべきか永遠に定まらない。
無言のうちに、ファーストダンス開始の合図があった。
リュドウィックが慌ててイリスの手を掴み、ホールの中央に連れ出した。そして、当然のように向かい合って、イリスの腰に手を当てた。
バイオリンの一鳴きで、ゆるりと音楽が始まった。
イリスは未だ放心状態で、ダンスに全く集中できていなかった。それでもステップを踏み続けられたのは、リュドウィックの見事なまでのリードがあったからだ。
曲のほとんどを無意味に過ごしてしまった。二度とないと思った、リュドウィックとのダンスが再び現実のものとなっている。
無駄にした時間を取り戻すように、イリスは最後の一音まで全力を注いだ。
曲の終盤になって、イリスの心が帰ってきたことに気付いたのだろう。リュドウィックの踊りに熱がこもる。
二人は視線を交わし、心を通わせた。だが、時間が短すぎた。
二組のダンスに向けられた割れんばかりの拍手喝采が耳に届いた時、イリスとリュドウィックは息を上げていた。一曲踊っただけとは思えぬ程、異様に疲れていた。
ファーストダンスの披露が終わり、ダンスフロアに他のペアも入って来た。周囲に人がいるのに、世界が隔絶されたかのように、イリスは人の気配を感じられなかった。
全神経がリュドウィックと触れている場所に集まっている。体の全てが、心が「離れがたい」と言っている。
(離れなきゃ。次の曲が始まっちゃう)
頭の中には冷静な自分もいて、イリスは現実をわかっていた。
一曲踊れただけでも十分すぎる幸運だ。身に余る冥土の土産だったと言える。
(さあ、離れよう)
意思に反して涙が流れる。
リュドウィックも掴んだ手を離さないとばかりに強く握る。二人は体をピッタリくっつけて一つの彫刻のように止まっていた。
「彼のダンス、全くなってないわ。あんたのパートナーを奪って悪いけれど、叩き直してくるわ」
抱き合ったままの二人に向かって、ミレーユがあっけらかんと言う。イリスが言葉の意味を理解する前に、ミレーユはロベールを連れて人混みの中に消えた。
そのまま二曲目が始まった。イリスはリュドウィックの腕の中で舞った。
「いい加減泣き止めよ」
リュドウィックが朗らかに笑う。踊っているうちに会話の余裕が生まれたらしく、リュドウィックはイリスの頬を伝う涙を指で掬った。
何の涙か聞かれなくて良かった。上手く答えられる自信はなかった。
けれど、イリスがリュドウィックを好いていることは知られてしまったようだ。泣いたのが拒絶ではなく、喜び所以だとわかったからだ。
リュドウィックから離れられないと悟ったイリスは、涙を止めることができなかった。リュドウィックの優しさを受け取れる嬉しさと悲しさで胸が痛い。
イリスは泣き止むのを諦めて、顔をリュドウィックの胸につけた。耳を当てていると、リュドウィックの生きている音が聞こえる。
リュドウィックはそれを当然のように受け入れた。距離感の近さを怒りはしなかった。
三曲目が終わると、二人は手を繋いで、壁際で休んでいるミレーユとロベールの所に向かった。ミレーユに、パートナーを独占してしまったことを謝らなければならない。
ミレーユは扇を手に、ただ踊る生徒達を見ていた。ロベールはそれに付き添う形で横に立っていた。
イリス達が関係性に変化があったとわかる姿で現れ、ミレーユは一つ溜息をついた。
自分のせいで、ミレーユの舞踏会まで台無しにしてしまった。失望されて当然だ。
そう思ったイリスは、謝罪のために口を開いた。同時に、ミレーユが言った。
「馬鹿ね。下級貴族じゃないんだから、こんなお遊びに全てを賭けたりしないわ」
ミレーユがふっと、顔を柔らかくした。扇子も閉じて、イリスにわかりやすく笑顔を見せた。
「良かったね、イリスさん」
ロベールも口角が上がっている。
ロベールはミレーユの協力者で、全て知っていた。イリスとリュドウィックが本心に従って、共に踊れるように、事を運んだのだ。
「ありがとう」
イリスは二人に向かって感謝を述べた。
「私は眠いから帰るわ。本当に私のことは気にしないで、好きなだけ踊ってなさい。さ、ブラックさん。エスコートしてくださる?」
ミレーユは言いたいことだけ言って、ロベールと一緒に会場を後にした。ミレーユもロベールも、この舞踏会にもう用はないのだ。
思いが通じ合ったイリスとリュドウィックは二人きりで落ち着いて話がしたい気分だった。音楽と賑わいに満ちた舞踏会を抜け出し、外を散歩した。
そういうカップルが他にいないわけではなかった。時折、建物や植木の陰から、潜んだ笑い声が聞こえて来た。
冷たい風が肌を撫でる。イリスが白い息を吐くと、すかさずリュドウィックがジャケットを脱いでイリスにかけた。
「リュドウィックさんが風邪ひいちゃいますよ」と言うと、「大丈夫だ」と返って来た。
庭園を抜け、小さな丘を登る。
「ほら、オリオン座が見えるぞ」
リュドウィックが天を指さす。続いて、「あっちがおうし座で、こっち側がふたご座だな」と二つの星座を見つける。
「ご親族に星座に詳しい方がいらっしゃるのですか?」
「違うが、なぜだ?」
「小さいから星座をよく知っていらっしゃたので」
「ああ。昔、空ばっかり見てる奴がいて、教えてくれた」
やはりリュドウィックに星空を教えた人物がいる。その人のことを、リュドウィックは愛おしそうに語る。自分で聞いておいておかしな話だが、嫉妬を禁じ得ない。
「お前は星が好きじゃないか?」
「好きじゃない」
本当は星も星座の話も好きなのに、嘘を言ってしまった。
リュドウィックが意外そうに「そうか」と相槌を打った。
「でも、黄緑色が好きなのは変わっていないんだろう?」
リュドウィックは空を見上げるのをやめて、ポケットを探り始めた。布にくるまれた小物を取り出すと、イリスに見えるように持った。
「誕生日に渡そうと思っていた物だ」
贈れずにいたそれを、リュドウィックはずっとお守りのように持っていた。今ならイリスも受け取ってくれると思ったのかもしれない。
ゆっくり布をめくり、中身を見せた。
「どこでそれを……?」
イリスは声に驚きを滲ませた。
夜の闇の中でも、それが何かわかった。
父から貰うことができなかった、あのブレスレットだ。金の台座で、グリーントルマリンがイリスの瞳と同じ輝きを放っている。
「これを知っているのか?」
掴みかからん勢いで、リュドウィックが迫る。
彼がなぜ興奮しているのか不明だが、平行世界で見た物だと言えば頭のおかしい人だと思われる。イリスは誤魔化しを考える。
「あ、いえ、似ているブレスレットを持っているので。ストロベリークォーツの」
リュドウィックは「なんだ」と呟いて、瞬時に落ち着きを取り戻した。
「重いって思うなよ。ずっと昔……四歳かそこらの時、街で見かけて。お前の目に似てていいなと思ったんだよ。いつか返すつもりで……」
リュドウィックが照れくさそうに頭をかいた。そんなに幼い頃から好意を寄せられていたと聞くと、イリスもむずがゆくなった。
(四歳? 初めて会ったのは五歳の時だと思ったけれど、記憶違いだったかも。小さい頃の話だし)
イリスは多少の違和感を抱いたが、すぐにそのことも忘れてしまった。なぜならリュドウィックがイリスの左手を持って、跪いたからだ。
「イリスのことは俺が守るよ。必ず成人を迎えよう。卒業して、大学に行んだ。その先もずっと──」
リュドウィックは持っていたブレスレットをイリスの腕にはめた。
二人の頭上を流れ星が駆けて、リュドウィックの瞳とイリスの手首にある宝石が光った。




