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13.兄に似た人

「今月の課題は肖像画です。ペアを組んで、互いの顔を描きましょう。それでは、ペアを組んで始め!」


 生徒達が立ち上がり、画材と椅子を運ぶ。続々と二人組が作られていき、小さな島がいくつもできる。


 イリスもペア探しを始めた。マグノリアは音楽を選択しているため、ここにはいない。美術が必須科目の頃は従姉妹同士で組めて楽だったのだが。


 キョロキョロと周囲を確認し、立ち尽くすロベールを見つけた。彼は誰かに声をかける努力もしないで、全てを諦めたような顔をしていた。最後までペアを組めなかった誰かを待っているようだ。


「ロベールさん、私と組みませんか?」


 イリスに誘われ、ロベールは心底意外そうにした。相変わらず長い前髪が目を隠していて表情が読みづらいが、口を見れば何を考えているかわかる。


「僕で良ければ」


 彼に断るという選択肢はなかった。そそくさと椅子とイーゼルを動かし、イリスと向かい合って作業ができるように準備する。


 二人が椅子に座ったタイミングで、リュドウィックがイリスの真横に立った。リュドウィックの後ろには何人も女子生徒がいて、人気者であったことが窺い知れる。ここに辿り着くのも苦労したようだ。


 リュドウィックと組むという手もあったな、と、イリスは思った。ロベールを助けるつもりで選んだが、正直、ペアは誰でも良かった。離れなければと思いつつ、授業でくらい好きな相手といても許されるのではと思う。


 美術の授業にリュドウィックがいることを完全に忘れていた。何度も見た平行世界で、リュドウィックが音楽を選択していたせいだ。


 リュドウィックは、イリスとロベールが向き合って筆を持っているのを確認すると、諦めて離れて行った。一言も発しなかった。


 ロベールはびくびくとしていた。怖いならわざわざ目で追わなくて良いだろうに、リュドウィックの背中が完全に隠れるまで見ていた。


「ロベールさん?」

「あっ、ごめん」


 イリスが話しかけると、ロベールは我に返った。


「せっかくだから、目を見せてくれない?」


 額の前で手を返して、前髪を上げるジェスチャーをする。ロベールはその意味を理解したが、かぶりを振った。


「そう、残念」


 イリスは強要せず、下書きに取り掛かった。


「卒業製作のテーマ決まった? 聞いても良ければだけど」


 他のペアがしているように、イリスは話し続けた。話題は二人に共通する授業のことだ。


 必須科目だった芸術の授業は五年生で選択科目になり、受講時間が格段に減る。講師による講義も減る。美術では卒業製作と称して、残りの二年の芸術の授業は各個人の作品作りに当てるのが通例のようだ。


 近日中に作品テーマと製作計画を作成して提出しなければならない。イリスは考えるだけ無駄かもしれないが、何をテーマにするか悩んでいた。


 参考までにロベールに尋ねると、予想外に答えはすんなり返って来た。


王宝(おうほう)にするよ」

「えっと、十二公爵の?」


 イリスの確認に、ロベールが頷く。


 公爵を賜った十二の血族は、かつて王に忠誠を誓った際、家宝を捧げたという。王は十二の宝を地位と力の証とし、代々引き継いでいる。


 十二公爵の一つ、スコルピオン公爵の息子であるロベールが、十二の王宝に思い入れるのも自然だ。


「王冠とマントと杖と……」

「王冠は含まれてないよ」

「え、そうなの?」

「勘違いされやすいんだけど……支配の王笏、制裁の剣、盟約の盃、神授のマント、癒しの宝珠、黄金の矢尻、無欠の盾、英雄の鎧、真実の鏡、変化の首飾り、標の指輪、顕現の玉座」

「すごい! 全部覚えてるのね」


 ロベールは王宝のレプリカを製作するのだと言う。イリスは興味津々に聞いていた。


 不意にロベールが前髪を握って俯いた。髪は引っ張ってもそれ以上伸びないのに、顔を隠したがっている。


 イリスは、ロベールが顔を背けた原因の方を見た。ミレーユとペアを組んだリュドウィックが、筆を止めてイリス達を見ている。ミレーユが「リュドウィック様、顔をこちらに向けてください」と言っているのが聞こえる。


「どうしてクーザンさんが苦手なの?」


 リュドウィックを見るのは程々に、イリスは視線を戻して尋ねた。


 イリス以外と話しているのを見たことがないので、この質問を受けたことはないだろう。だが、意外と答えは早く返って来た。彼の中で考えたことのある事項だったに違いにない。


「兄に似てるんだ」


 イリスはロベールの兄を詳しくは知らない。名を聞いたことがある程度で、顔は知らない。というのも、彼が病弱で人前に出ないからだ。


 イリスは目を瞬かせた。病弱と聞く人とリュドウィックが似ても似つかない。


 イリスの困惑を理解したのか、ロベールは自らを落ち着かせるように息を吐いた後、語り始めた。その時、前髪を掴んでいた両手は膝の上に置かれていた。


「体は弱いけど、精神は強いんだ。強いから、弱い人間が許せないのだと思う。昔は声が小さい、はっきりしない話し方は嫌いだと怒られた。今は僕とあまり話したくなさそうにする」


 イリスも、確かにリュドウィックと似ているかもしれないと思った。リュドウィックは何でもそつなくこなすタイプだから、自分と同じようにできない、要領の悪い人間を嫌悪している。その人間が邪魔をしてこようものなら容赦しない。


「公爵として必要な素質は十分なんだ。決断力があって、人を率いる力もある。すごい人だよ、昔から。足りないのは丈夫な身体だけ。僕の身体を兄が持っていればと、よく言われる」

「ロベールさんが責任を感じることじゃないでしょう?」

「でも、弟としての責はあるよ。兄ができないことをやれと言われてきた」


 ロベールは肩をすくめて、肖像画の作成に戻った。集中力は学年一だろう。下書きのペンが滑るように動く。一人で行う作業は得意中の得意なのだ。


 イリスは作業に集中するロベールをしばらく見つめていた。ロベールから兄の話を聞けるとは思いもしなかった。平行世界では、このような話をする程二人の仲は深まっていない。


 ロベールはリュドウィックに兄との共通点に気付いた。リュドウィックにとっての良き理解者となるかもしれない。リュドウィックの今後のために、ロベールと仲良くなってもらった方が良い。


 イリスは妙案を思いつき、椅子と一緒にロベールに近づいた。


「ねえ、共同製作はどう? ロベールさんから誘うの」


 ロベールと目が合った後、イリスはリュドウィックを顎で示した。ロベールは露骨に嫌そうな顔をする。


「無理だよ」

「いつまでも逃げていては駄目だと思うの。私とも話せるようになったんだし、きっとクーザンさんと話せるようになるよ。それに、いつかはお兄さんとも……。ね?」


 イリスが諭すように言うと、ロベールは長いこと悩んでから「やるだけやってみる」と言った。


 授業の終わりを知らせる鐘が鳴ると、ロベールは早速リュドウィックに近づいた。リュドウィックは道具を片付けながら、無言でそばに立つ人物を不快そうに見た。


「え、えっと、あの……」


 なかなか最初の言葉が出てこない。


「リュドウィック様、次の授業に遅れてしまいますわ。片付けは下級に任せて移動しましょ」


 ミレーユが近くの生徒に片付けを命令しながら、リュドウィックを連れ出そうとする。リュドウィックが腕を引いても動かないことで、ロベールがいたことにようやく気がついた。


「なに? リュドウィック様に用があるならさっさとしていただける? リュドウィック様はお忙しいのよ、あなたと違ってね」


 ミレーユの苛立ちに、ロベールは萎縮してしまったかのように思われた。イリスも遠くで見守りながら、邪魔しないでとミレーユに念を飛ばしていたくらいだ。実際には、ミレーユの急かす言葉はロベールの背中を押した。


「クーザン君! 僕と卒業製作を一緒にやってくれないかい?」


 ロベールはついに言い切った。リュドウィックの返事を肩を震わせて待っている。


 こうして誘えただけで大成長だ。イリスは声を出さずに、飛んで喜んだ。


 「はあ? 何それ」とミレーユが物言いをつけかけたところで、リュドウィックが制した。


「わかった」


 リュドウィックは了承した。ロベールが顔を上げた。その口元は驚きと喜びと安堵が入り混じって、忙しく動いていた。何と発するべきか迷っているようでもある。


「それなら私も仲間にいれてくださいね」


 ミレーユが図々しく便乗する。押しに弱いロベールはこくんと頷いた。


 思惑通りに事が進み、イリスは満足していた。だから、自分も巻き込まれるだなんて思ってもみなかった。


「イリスさんも」


 三人から距離を保っていたのに、話に加わるのが当然という温度感で、ロベールがイリスの名を呼ぶ。


「私も?」


 イリスは声を裏返らせて驚いた。


 ロベールの中では、リュドウィックを誘う時点でイリスも頭数に入っていたようだ。イリスは今後のことを考えて一人でやるつもりだったのだが。


「まあ? コストさんがどうしてもと言うなら一緒にやっても良いんじゃなくて? 美術の成績は悪くないみたいだから、リュドウィック様の足を引っ張ることもないでしょう」


 ミレーユが全て決める権力を持っているかのように振舞う。イリスは苦笑いして、返答を考える。上手く断るにはどうしたものか。


「言い出したのはイリスさんでしょう?」


 ロベールがそう言うので、イリスは首を縦に振るしかなかった。顔を輝かせるロベールの後ろで、リュドウィックがしたり顔をしている。彼はこれを見越してロベールの誘いを受けたのかもしれない。


「テーマはどうします?」


 ミレーユが楽しそうにリュドウィックに尋ねる。リュドウィックは手を振って、自分には聞くなと拒否する。何でも良いから勝手に決めてくれと言わんばかりだ。


「テーマなら、ロベールさんがいいのを考えてるよ」

「ふ~ん」


 イリスとミレーユの視線を集め、ロベールが顔を熱くした。


「あ、えと、王宝はどうかな、と……」

「レプリカを作るってこと? まあ、いいんじゃないかしら。神授のマントでしたら、裁縫で役立てそうだわ」


 意外とミレーユは乗り気だった。好感触に、ロベールは自然と笑顔になっていた。


「へえ。ゲランさんも十二王宝に詳しいんだ」

「貴族なら当然でしょ? 生まれた時から聞かされる昔話じゃない」

「知らないわけじゃないよ。詳しくないってだけ。マントはあれでしょ? 天使からもらった頑丈で金色の……」

「ざっくりしてるわね。いいわ。製作の一部として王宝をまとめた資料も作ってあげる」


 ミレーユは自分の担当をマントと資料の作成で決めてしまった。誰も反対しなかったのは、ミレーユの絵や彫刻の出来に不安があるからだ。リュドウィックがいるという理由で美術を選んだだけあって、彼女に美術のセンスはからきしない。平行世界のように、音楽を選んでいれば最低限の成績は維持できただろうに。


 続きは放課後、ノブルクラブ室で話すことになった。製作計画を書くための打ち合わせだ。


「大前提として、女王陛下のご先祖様、この国の最初の王様は多種族を統べられたの。大昔には、今では伝説や幻とされる生物がたくさんいたのよ。天使や悪魔、ユニコーンに吸血鬼……」

「ただの人間がどうやってまとめたんですか?」

「王様も普通の人間ではなかったの。獅子王の加護があって、支配の王笏を使うことができた。それはどんな生き物も服従させる力があるの」

「獅子って、リオン公爵の?」

「王家とリオン公爵家は親戚なの。知らなかったの? それこそ常識でしょうに」


 イリスはむっと口を膨らませた。王宝について教えてくれるのは親切だと思うが、馬鹿にされて無視はできない。


 ミレーユは構わず続けた。


「反逆を許さない代わりに、全ての種族の平和を約束した。その証として、それぞれの種族が大事にしている特別な宝を献上した。例えば、神授のマント。特別な羊の毛が使われているそうよ。金羊毛って言って、翼を持った金色の羊の毛よ。どんな熱にも、刃にも負けないと言われているわ。差し出したのはコストさんも言っていた通り、天使よ。その子孫が今のベリエ公爵。世代を重ねるごとに進化して、翼はなくなってしまったみたい。残念な話よね。同じようにミノタウロスの子孫のトロー公爵も……」

「もしかして、これ十二公爵分続きます?」

「当り前じゃない。何も知らないあんたのために説明してるのよ。黙って聞きなさい」

「今日のところは一旦置いておきましょう。資料を作るのですよね? 二度手間になってしまいます」

「そう?」


 ミレーユは、イリスに気遣われたのだと思ったようだ。少し嬉しそうに「だったら、今度改めて時間を作りましょ」と言った。


 イリスは全力で、何回も頷いた。夕食までの時間を王宝の説明で消費されずに済んで良かった。宿題をやる時間を確保しなくては。


 イリスは、本題を進めている男子陣に目を向ける。放課後、四人が集まったのは、卒業製作の計画を立てるためだ。誰がどの宝を担当するのかを決めるのが主な論題だ。


「それなら、首飾り、盃、指輪はブラックの担当でいいんだな?」

「ああ、はい。僕は何でも……」


 順調に分担を決めているようだ。イリスが安心した次の瞬間、リュドウィックが机を叩いた。カチャンとミレーユのティーカップが音を立てる。


「少しは自分の意見を言えよ」


 静まり返った部屋の中で、リュドウィックの声が低くうなる。


 大きな声ではなかったが、予想外に険悪なムードに、イリスは驚いた。イリスが目を丸くしているのに気づいて、リュドウィックはばつが悪そうに顔をそむけた。


 少しの間、ロベールの反応を待っていたようだが、何もないとわかると、彼は黙って出て行ってしまった。


 イリスはすぐにロベールに事情を聞いた。


 手先の器用なロベールは装飾の多い小物を担うべきで、それに該当する三つをリュドウィックが挙げた。問題はその後。リュドウィックはロベールに意見を求めたが、ロベールは答えなかった。その前から、ロベールはリュドウィックの言葉に頷くばかりで、反論も気持ちも表さなかった。


「僕の意見なんて何の役にも立たないし、時間を奪ってしまうだけだから」


 ロベールがもごもごと口の中で言う。イリスは困ったように眉を曲げた。


 ロベールが共同製作の仲間を作っただけで大成長、と思えるのはイリスだけだった。


 ミレーユがトントンと机を人差し指で突いて、二人の視線を集めた。顎を引き、真剣な眼差しでロベールを見ている。


「何も意見しないのも、逃げているのと同じよ。相手の言う事に従っているあなたは楽かもしれないけれど、それをされる側は辛いの。話し合いを望んでいるのに、放棄されてしまっているのですから。どう思うか聞かれたのなら、誠心誠意をもって答えるのが礼儀というものではありませんか?」


 ミレーユからまともなことを聞けて、イリスは感心した。


 彼女の言葉はロベールにも沁みたようだ。考えるように目を閉じた。


「良い事言う~」


 イリスが茶化すと、ミレーユはじろりと睨んだ。


「コストさんはブラックさんを見習うべき。見てるだけなら、あんたはリュドウィック様を追いなさい」


 イリスは追い払われるようにリュドウィック連れ戻しの役目を任された。


 ミレーユのことだから、リュドウィックの所へ一目散に走っていくものだと思ったが、珍しいこともあるらしい。


「間に合わなかったら、一週間荷物持ちの刑よ」


 ロベールのためにも、罰を食らわないためにも、リュドウィックを見つけなくては。


「ねえねえ、クーザンさん……えっと、この部屋から出て行った、黒髪の男の子がどこに行ったか知らない?」


 イリスは廊下にいた光の妖精に尋ねる。


(ひめさまだ)

(ひめさまだね)

(元気?)


 駄目だ。基本的に妖精は人に興味がない。こういったイリスの手助けは、彼らの気まぐれでしか起こらない。


 生徒の方が確実な情報を与えてくれる。妖精に頼るのは諦めて、人に聞くことにする。


 四人程の生徒に聞いてリュドウィックの後を追った。リュドウィックに追いついたのは、彼が男子寮の手前の分かれ道に差し掛かった時だった。それ以上進まれては、女子のイリスは追いかけられない。


「クーザンさん、待って!」


 イリスが呼びかけると、リュドウィックの足がぴたりと止まった。その場で振り返り、呼び止めたのがイリスだと確信すると、急いで戻って来た。


 走らないぎりぎりの早歩きで近寄ってくるリュドウィックの顔は喜びが隠しきれていない。イリスを見つけると笑顔で走り寄ってくる、コスト家の愛犬プリンスが思い出された。


「もう一緒にやらないって言いませんよね?」


 目の前に迫ったリュドウィックに、イリスは上目遣いで尋ねた。少しだけ走ったので、声が乱れる。それを不安の表れと思ったのか、リュドウィックは途端に申し訳なさそうな顔をした。


「悪い。せっかく楽しそうにしていたのに」


 首の後ろに手を当て、眉をへの字に曲げる。イリスを悲しませるのは不本意なのだ。どうしたら許して貰えるか、イリスの反応を見ながら考えているようだ。


 イリスは落ち込んでいるわけではないので、両手を胸の前で振って否定する。


「ロベールさんのために怒ってくれて良かったと思ってます」


 リュドウィックが次は口をへの字に曲げた。


「それだよ」

「どれ?」

「なんであいつだけファーストネーム呼びなんだ」


 思いがけない方向に話が進んだので、イリスは返す言葉を見つけられなかった。その間にもリュドウィックは持論を展開する。


「俺にもそうしていいんじゃないか? 出会って十年以上経っているし、共に過ごした時間もそれなりに多いはずだ。君の従姉殿には敵わないが、ブラックよりはファーストネームで呼び合う仲にはなれているのではないか、と思う、の、だが……?」


 リュドウィックは腕を組んで威圧的な姿勢をとっているのに、イリスの反応を見る目は恐る恐るといった感じに薄く開けられている。拒否を何より恐れている。


 これ以上リュドウィックに近づいてはいけない。日常の雑音に紛れていたはずのバンシーの泣き声が、嫌に耳につく。


 呼び方を変えることに大きな意味はない。愛称で呼ぶのに比べればファーストネームで呼び合うくらい何てことない。同級生の間ではよくあることだ。


「……それくらいならだいじょーぶ」

「本当か⁉ イリスって呼んでいいんだな?」


 イリスは自分への言い訳を考えているうちに、無意識に声を出していた。


 それを聞いたリュドウィックが是の返事と受け取った。腕組みを解き、笑顔を咲かせる。


 こんなに喜ばれてしまっては、訂正できない。イリスはそれも都合の良い理由の一つにして、改めて頷いた。


「うん。いいですよ」

「そうしたら、お前は俺をどう呼ぶんだ?」

「えっと、えっとー……」


 リュドウィックの顔が期待で満ちている。じりじりと体と顔を近づけてくる。


「二人が帰ってしまう前にクラブに戻りましょう!」


 これ以上二人きりの時間は照れくさくて耐えられない。イリスはロベールとミレーユが待つノブルクラブに戻ることを提案した。


「戻ったら、名前で呼んでくれるんだな!?」


 リュドウィックが何か言っているが、イリスは気にしないことにした。


 イリスは逃げるようにノブルクラブ室に向かった。リュドウィックはイリスを逃すまいと、引き離されないように追った。


 イリスとリュドウィックは早歩きで前後に並んで部屋に入った。変な隊列を組んで移動する二人を、何人か二度見していたが、イリスは全く気付かなかった。


 いつものテーブルで、ロベールとミレーユが顔を寄せて話している。二人の間には、書きかけの製作計画書がある。


「おかえりなさい、リュドウィック様」


 ミレーユがすぐにイリス達に気付いた。目をとろんとさせて、リュドウィックを歓迎する。イリスに対しては「あと十秒遅かったら食堂の席取りの刑に処すところだったわ」と悪態をつくのを忘れなかった。


 どこから取り出したのか、ミレーユが突然扇でロベールを突いた。その後、優雅な所作で扇子を広げて口元を隠した。


「ほら、早くなさい」


 ごく小さな声でミレーユが言う。それがロベールの為に発せられたことは、ミレーユの目を見ればわかった。扇の上で細められた目がロベールに向けられている。


 ロベールは大きく喉を鳴らした。


「クーザン君、いや、リュドウィック君。制裁の剣も作らせてほしい、です」


 ロベールは自分の意思を言葉にした。イリスは「おお~」と歓声を上げて拍手を送った。ミレーユが説得し、背中を押したおかげだ。


 ロベールは達成感に満たされ、イリスは友の成長に感動し、ミレーユは自分の手柄のように誇っていた。誰も肝心のリュドウィックの反応を気にしていなかった。


「はあ? なんで先に、よりによってお前に呼ばれなきゃいけないんだ」


 リュドウィックが癇癪を起して、卒業製作どころの話ではなくなった。


 ミレーユでさえも話しかけるのに躊躇う状態で、リュドウィックの機嫌を直す方法が「イリスがリュドウィックをファーストネームで呼ぶこと」と聞き出すまで、かなりの時間を要した。「リュドウィックさん」と呼ぶだけのことが公開処刑に発展し、呼び方変更がよりハードルの高いものとなったのに、せざるを得ない強制的な空気になった。


 騒動が落ち着いたのは食堂が夕食のために開いた頃。宿題はいまだ手つかずのまま。イリスは泣きたくなった。






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