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12.初めての共同作業

 イリスが学校生活で食事の次に好きな時間は、体育の授業だ。そして、その成果を競う、秋のスポーツ大会は行事の中で最も好きだ。


 イリスは運動が得意で、体を動かすことを好んでいた。それは令嬢としては珍しいことだ。


「コストさん、折り入って頼みがあるのだけれど」


 放課後のノブルクラブで、ミレーユが改まって話しかけてきた。


 イリスは一人で宿題に向き合っていた。イリスの他の誰にも聞かせたくないらしく、リュドウィックもロベールも不在の時を狙ってきた。


 イリスの視線を得ると、ミレーユはイリスの目の前、いつもロベールが座る席についた。テーブルに肘をついて、ずいっと顔を近づける。


「今度の大会でペアを組んでほしいのだけれど」


 ミレーユがこそっと告げる。


 スポーツ大会の競技は毎年同じ。男子はサッカー、女子はテニスだ。テニスはダブルスで行われる。相棒選びは大会の成績において最重要事項である。


 言い終えた口がもごもごと動いているところから察するに、相当の勇気が必要だったのだろう。


「え、無理」


 それをイリスは容赦なく切り捨てた。


「なんで!?」


 内緒話なのを忘れて、ミレーユは声量を大きくした。


 イリスはミレーユをジト目で見る。彼女が持ち掛ける面倒事は避けるに限る。特に今回は断るに足る理由がある。


「マギュ……従姉と組むからです」

「マグノリア・コストね。毎年、彼女と組んでるわね」

「そうなんです。私が他の人と組むと、従姉のペアがいなくなります。困らせるわけにはいきません」


 ミレーユはすごすごと引き下がった。イリスは「ごめんなさい」と謝ったが、その顔は笑っていた。




「ごめん、リリ。今年は他の人と組んで」


 この展開は予想していなかった。


 マグノリアは弦楽部の仲間に誘われたらしく、イリスとは組めないと言った。


 今年は女子の優勝者に賞品が贈られる。その賞品というのが、冬の舞踏会でファーストダンスを踊る権利だ。相手は誰でも好きに選んで良いという。


 学校側が、女子の部が盛り上がらないのを憂いて、女子生徒が喜びそうな景品を用意したのだ。


 舞踏会に参加するパートナーとは別で選べるというのもあって、リュドウィックを始めとする憧れの男子と踊れるチャンスと、女子生徒は躍起になっている。マグノリアは、その助っ人として他の生徒に引き抜かれたのだ。


 昨年の優勝ペアの一人は組む相手を決めた。だが、片割れが残っている。


「コストさん、私と組んでくださらない?」

「いいえ。イリス様は私と組むのよ」

「コストさん、私達の仲じゃない。当然、私と組んでくれますよね?」


 イリスは今世紀最大のモテ期を迎えた。


 イリスは誰と組んでも良いと思った。大会に参加できるならそれで良い。とはいえ──


「ゲランさん、組んであげてもいいですよ?」


 正直、気乗りしなかったが、ミレーユを相手に選んだ。最初に声をかけてきた者を優先するのが道理だと思ったのだ。


「本当に? ……良かったぁ」


 ミレーユは不安そうに瞳を揺らしながら確認し、イリスが頷くと膝から崩れ落ちそうなほど安堵して見せた。


 ミレーユも優勝賞品が欲しいのだろうか。無論だ。ミレーユのことだから、注目の中、リュドウィックと踊ることを妄想しているに違いない。


 ミレーユは、イリスと組めることが確定して、それだけで安心したわけではなかった。放課後、欠かさずテニスコートに姿を見せた。テニス部は迷惑そうにしていたが、真剣な彼女を追い出すことができなかった。


 イリスは意外に思った。ミレーユは汗をかくことを何より嫌っている。このような努力を惜しまないとは思いもしなかったのだ。


 イリスは勉強道具を一式持って、テニスコートのそばに行った。芝生に座って、そこで宿題をした。そして、時々、ミレーユにアドバイスをした。テニス部員は場所を貸してはくれるが、指南してくれるわけではないから。


 ミレーユはイリスがからかいに来たのではないとわかると、何も言わなかった。ひたむきにラケットを振り続けた。


 イリスは彼女の熱心な態度に、ただひたすら感心した。




 その成果は確実に試合に表れていた。イリス・ミレーユペアの戦績は、イリスの実力なしに語れないが、ミレーユの正確性が増したアタックも得点に繋がっている。


 二人は順調に勝ち進み、準決勝までコマを進めた。


 試合の合間や休憩の時間は、男子のサッカーを観に行った。他の女子と違って、イリスは誰かを応援するつもりはなかったが、自然とリュドウィックを目で追ってしまう。


「リュドウィック様をいやらしい目で見ないでくれる?」


 頭からつま先まで布で覆ったミレーユが、イリスの横で言った。半袖半ズボンの体操着の上に、アームカバーや帽子、日よけストールなどを身に着けている。これらはテニスの試合の度、律儀にはずされる。手間と完全防備さから、絶対に日焼けしてやるものかという気概を感じる。


 イリスは直射日光に当たっていなくても、むしろ暑いのではないか、と思いながら、「いやらしい目で見ているのはゲランさんでしょ?」と言い返した。


 ペアだからといって常に行動を共にしているわけではないが、リュドウィックの試合を見る時は嫌でも鉢合わせてしまう。


「ああー」

「何やってるの、もう!」


 周囲から落胆の声が聞こえた。


 試合に視線を戻せば、ロベールがパスを受けそこなって非難を受けていた。


 ロベールは特段運動が苦手というわけではないが、人に見られると緊張してしまう性質から本領を発揮できずにいた。チームメイトのリュドウィックを見に来る女子生徒が多数いるために、ロベールは足を引っ張ってしまうのだ。リュドウィックとロベールは組むべきでなかったといえるだろう。


 パスもシュートもことごとく失敗しながらも、必死に試合に参加するロベールに、イリスは感銘を受けた。


「ロベールさん、頑張って!」


 イリスは思わず応援していた。その瞬間、バッとリュドウィックがイリスに目を向けた。イリスはそれに気づかないふりをした。


 それまで義務感で仕方なく参加していたリュドウィックが、突然、プレーに熱を宿した。奪ったボールを一人でゴールまで運び、見事にシュートを決めた。独りよがりのプレーだったが、チームに貢献しているので誰も文句を言えなかった。


「キャー! リュドウィック様ー!」

「かっこいいー!」


 女子の歓声を浴び、リュドウィックは再びイリスに視線を送った。イリスはこれも無視した。


 ロベールはというと、観客のほぼ全員がリュドウィック目当てであることを理解し、落ち着いて動けるようになった。唯一、声援を送るイリスは、ロベールにとって慣れ親しんだ人だ。イリスとなら、ごく普通に話せるし、見られているとわかっても体がこわばったりしない。


 そんなわけで、リュドウィック達のチームは当然のごとく優勝した。男子の優勝チームには特に景品が用意されていないのは、少し可哀想だ。


 サッカーを見終え、自分達の試合に戻ろうと、テニスコートに移動した。そこでは騒ぎが起きていた。


「酷い……ラケットが……」


 これから準決勝戦に挑もうという女子生徒のラケットが壊されたというのだ。


 正確には、ガットが切られていた。縦、横どちらの方向にも複数個所切れていて、フレームに刃が擦れた後もある。人の手で切られたのだと誰にでもわかる状態だった。


「きっとミレーユ様の仕業よ」


 どこからともなく声が上がった。皆の視線がミレーユに注がれる。


「ゲラン様ならあり得る。誰よりもクーザン様と踊りたいはずだもの」

「イリスさんも脅してペアを組ませたに違いないわ」

「実力がないからって、せこいのよ」


 ざわざわと信憑性のない悪い噂が広まり始める。証拠も無いのに、ミレーユのせいにされている。


 いつもなら強く反論しそうなミレーユも、黙って俯いていた。トレードマークのつり目も、いくらか下がっているように見える。


 イリスは、言われたまま否定しようとしない彼女にいらだった。無実の罪を着せられるのは見ていられない。


「ゲランさんではありません」


 イリスは、はっきりと言い切った。ミレーユが顔を上げる。


 イリスはミレーユが犯人でないとわかっている。妖精達が真実を告げている。


(あの人間がやったんだよ)


 親切心なのか、単なる気まぐれか。妖精達が真犯人の頭の上でグルグル飛び回っている。


「ずっと一緒にいたと言うの? そうは見えなかったけど」

「絶対に違うってわかっているだけです。友達ですから」


 裁判官さながらに、高圧的に責める生徒が一人。これにイリスは喧嘩腰で返した。


 友達という言葉に、ミレーユはぴくりと肩を動かした。


「味方の肩をもつのは当然でしょう? そんなに言うなら真犯人を連れて来なさいよ」


 イリスは頭を悩ませた。犯人は知っている。だが、皆の前に突き出して良いものだろうか。自業自得とはいえ、彼女の立場がなくなるかもしれない。こちらには証拠もないし。


「それはできない。ので、私も自分のラケットを封印します」


 イリスの宣言に、皆、息をのんだ。衝撃を受けたのだ。


「いくらコストさんでも、それは……」


 イリスを責めていた生徒ですら、そこまでしなくて良いと思った。


 イリスはそれほど心配されることを言ったつもりはなかった。


 上等な物を容易く得られる者達は、道具を過信している。ラケットが全てではない。


 学校の貸出ラケットは、ラリーを五回もすれば手になじんだ。多少振り心地に違和感はあるが、パフォーマンスを落とすほどの足枷ではない。


 ハンデを背負った準決勝でも、イリスは順当に得点を増やし、ばて始めたミレーユのカバーも十分にこなした。


「あと一試合ね」


 肩で息をしながらミレーユが言う。無事に準決勝を勝ち抜くことができた。


 ラケットを壊された生徒は、この結果に不服そうだった。イリスも、巻き込まれた彼女には同情するが、勝利は勝利だ。


「さっきはどうして否定しなかったんですか?」


 イリスは立ったまま、膝に手をつく相方に問う。


 イリスがハンデを背負ったことで、ミレーユを疑う声が減った。今ならミレーユも答えてくれるだろうと思った。


 ミレーユはあのつり目をイリスに見せつけてから、再び地面に視線を落とした。


「私を助けようとする誰かが仕組んだことだと思ったのよ」

「助ける?」

「お父様が来ているの」

「フルーヴ侯が?」


 スポーツ大会は保護者の参観が可能な行事ではない。そのルールを押し切って、ミレーユの父が見に来ていると言う。


「お父様は学校を辞めさせたいと考えている。勉強はどこでだってできるし、ここで広げられる人脈も限界。学校に価値はないんですって」


 フルーヴ侯爵は、娘の政略結婚を最優先に考えている。その理論において、寄宿学校での七年間は時間の無駄使いといえる。


 彼がエトワール校でしか得られない経験と認めるのは、体育の授業、及び、スポーツ大会だ。ミレーユは汗をかくことを嫌う。強制的に運動させる授業には、フルーヴ侯爵も魅力を感じている。


 そこでミレーユに学校を続ける条件として言い渡したのが、スポーツ大会での優勝だった。


「え……、それは困る」

「私がいない方がやりやすでしょう?」


 ミレーユがなげやりに笑う。


 イリスはミレーユが思うより本気で困っていた。


 自分がいない未来で、リュドウィックにはより良い相手と結ばれてほしい。候補にはミレーユも含んでいる。侯爵家の娘で、リュドウィックとの関係値が高い。


 だから、ミレーユに去られては困る。


 ミレーユを留める手段が優勝だと言うなら、それを実現するまで。


「次も勝ちますよ」


 イリスが意気込むと、ミレーユはワンテンポ遅れて「ええ」と、同じ方向を見た。


 迎える決勝戦の前、イリスは一人でとある人物に会いに行った。その人は、建物の陰でイリスのテニスラケットのケースを漁っていた。


「その中にはないよ」


 こそこそと作業する彼女の背後から、イリスは声をかけた。


「……あ、これ、イリスさんのでしたのね。自分のと間違えてしまいました」


 無理に誤魔化そうとする彼女に、イリスは一切の笑顔を見せなかった。いつもと違う恐い顔に、彼女はラケットケースを危うく落としそうになった。


 犯人は、マグノリアとペアを組む弦楽部の部員だった。


 準決勝戦の時も、本当はイリスのラケットを壊すつもりだったのだろう。決勝で当たるイリスに、そうでもしないと自分達に勝ち目がないとわかっていたから。でも、間違えて他の人のラケットを壊してしまった。


 彼女はリュドウィックとのダンス権欲しさに、他者を陥れることすらも厭わなかった。イリスは心底腹を立てていた。


「別に私は誰にも言わないよ? でも、ゲランさんには謝って。それと、マギュを巻き込んだら許さないから」


 イリスは言いたい事だけ言って満足した。奪い取るようにケースを受け取り、その場を離れた。


 決勝戦は大勢のギャラリーの中で始まった。観衆の中にはフルーヴ侯の姿もあったかもしれないが、イリスは見つけることができなかった。


「正々堂々と楽しみましょう」


 試合開始の握手でかけたミレーユの言葉は相手を怯えさせるに十分だった。ミレーユはラケット破壊事件の犯人を知らないのだが。


 イリスは自分のラケットを壊されなくて良かったと思った。マグノリアは相当な実力者で、道具の違いで負けてしまう恐れもあった。


 イリスがサーブを打つために球を高く上げた時、不意にコートの外で黄色い歓声が上がった。イリスに向けられたものではない。観戦に来たリュドウィックのためのものだ。


 イリスのサーブは相手コートに強く叩きこまれ、そして妨害されることなく場外に飛んで行った。サーブを受けるはずの、マグノリアのペアが、リュドウィックに気を散らしてボールを見逃したのだ。


 その後も、相手方のミスが続いた。マグノリアでも回収できなかった。マグノリアのペアは自ら負けていった。


 一方、ミレーユは脇目も振らずボールを追い続けた。貪欲に勝ちを目指したミレーユの圧勝だ。


 五年生女子の優勝者はイリスとミレーユ。二人は舞踏会のファーストダンスの権利を入手した。






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