11.赤色のブローチ -3-
バンシーが泣き女であるとわかるのは、バンシーが泣き、人が死ぬまでの一連の流れを見たからだ。
十四歳の時、ブラック家の新年会に参加した。ロベールの家には女の妖精がついていた。
灰色のマントを身に纏い、赤い目をした女が玄関に座っていた。だが、誰もそのことに気付かない。人に似たそれが妖精であると察するのに、時間はかからなかった。
妖精はしくしくと静かに泣いていた。イリスは怪訝に思いつつ、死を予兆するモノであるという可能性を考えもしなかった。
ただし、イリスはそこで起こる全ての出来事に警戒していた。平行世界で火事があった場所だからだ。
平行世界のイリスはブラック家の新年会で死にかけている。実際に犠牲になった者もいる。リュドウィックの父とロベールの父が確たる例だ。
イリスは誰にも傷ついてほしくないと思っている。平行世界と同じく火事が起こるなら、それを防ぎ、皆の安全を確保するつもりでいた。
しかし、火事は起きなかった。火事の原因、放火犯がリュドウィックによって捕らえられたからだ。
リュドウィックは、パーティの途中で姿を消したかと思えば、放火未遂犯を連れて会場に戻って来た。ブラック家に恨みのある者が、ブラック家の人間をめでたい場で絶望に落としてめてやろうと企んでいた。それを予見したかのように、リュドウィックは不審者の身柄を拘束してみせた。
一安心したのも束の間、あの女の妖精が甲高い悲鳴を上げた。玄関から大広間まで距離があるのに耳が痛むくらい大音量だった。心臓が絞られたと錯覚するほど胸が締め付けられる、悲しみに満ちた声だった。
その直後、広間を照らす大きなシャンデリアが落下した。妖精の泣き声に呼応するように、参加者の叫び声が響く。
シャンデリアの下敷きになった人は、火事で犠牲になった人と同じだった。
イリスは、いつかマグノリアと運命について話したことを思い出した。たどる道は違うのに行き着く先は同じ。リュドウィックとロベールが父を亡くす運命は変えられなかった。
リュドウィックは幼くして爵位を継ぎ、公爵となった。スコルピオン公爵はロベールの兄が継いだ。
ブラック家のバンシーは一家を離れ、イリスについて回るようになった。
きっと、イリスの終わりの時は近い。
誕生日の放課後、イリスは平静を装ってノブルクラブ室に入った。
クラブで居合わせた女子生徒達は、イリスが緑色のブローチを付けていることにすぐに気がついた。イリスはいつも通りに勉強机に向かったが、彼女らは変化を目ざとく見つけた。
次に現れたリュドウィックは赤色のブローチをつけている。間違いない。二人はブローチを交換したのだ。
それはつまり、二人は恋人になったということだ。見守り隊の下級生達は想いが通じ合った喜びを分かち合った。無論、本人にばれぬよう、叫び声を必死に抑える必要はあったが。
ブローチを交換したカップルは長く続くというジンクスが生まれるのも時間の問題だった。
関係を噂されていることも知らず、イリスとリュドウィックは通常通りの放課後を過ごした。朝の出来事も、交換したブローチも特別なことではないようにふるまった。
イリスは内心ほっとしていた。ノブルクラブで隣に座った時、リュドウィックに再び何か言われるのではないかと恐れていたのだ。
日常に戻れることへの安心感で、イリスは受け取ったプレゼントの開封を楽しむことができた。
寮に戻るなり、マグノリアと一緒に包みを開けた。
「ものの見事にピンクだね」
「ね、ほんとに」
男子生徒からの贈り物はピンクが多かった。イリスの持物のほとんどがピンク色なのだから、好みの色と勘違いするのも無理はない。
あの時、グリーントルマリンのブレスレットを手に入れることができたなら、両親は娘のイメージカラーを黄緑にすえていたかもしれないと考えないではなかった。だって、平行世界のイリスは黄緑色の物に囲まれ、黄緑色の衣服を身に着けていた。その場合、目の前にある贈り物もイリスの好きな色でいっぱいだっただろう。
誰もがピンクが好きなのだと思った。けれど、リュドウィックは緑色のブローチを差し出した。渡すつもりの包みも緑色のリボンがついていた。彼だけが本当の心を知っている。
また悲しくなってきた。
「これからはきっと自分で買い物する機会も増えるよ。そうしたら好きな色の物を揃えましょう?」
気落ちしているイリスに、マグノリアは励ましの言葉をかけた。
その日見た夢は、平行世界のイリスが妖精と話し始めた頃の記憶だった。
***
《ずっと泣いてるとカラカラになっちゃうよ》
泣いているイリスに、風の妖精が話しかけた。そよ風がイリスの前髪を躍らせる。
『だって、クーザンさんが泣かないんだもん。私が代わりに泣いてあげるの』
それまで妖精に返事をしたことはなかった。
火事に巻き込まれて以来、他の人には見えない不思議な存在が、イリスの視界に入るようになった。降りかかる火の粉から火の精霊が現れ、建物の外へと案内してくれた。彼がいなければイリスは死んでいたかもしれない。だから、イリスに害をなすモノではないとは思う。とはいえ、得体の知れないモノと話して良いものか判断に悩んでいた。
この時ばかりは悲しみのあまり、口をきくべきでない相手かもしれないとか考えていられなかった。リュドウィックが泣き続けるイリスをうっとうしがり、『泣き止むまで顔を見せるな』と言ったのもあって、誰かに話を聞いてほしい気分だった。
リオン公爵が亡くなってすぐ、リュドウィックは爵位を継ぐこと、領地を運営することを考えなければならなかった。悲しむ暇などなかった。
リュドウィックは一度も辛そうなところを見せなかった。十四歳と思えぬ気丈さだった。
前公爵とたいして関りのなかったイリスですら未だ立ち直れていないというのに、リュドウィックは碌に悲しめていない様子だった。それが何よりイリスを苦しめた。
《人間はおうさまの子供をひめさまって呼ぶらしいよ》
《じゃあ、ひめさまだぁ》
イリスの悩みに、妖精達はさほど興味がないようだった。イリスを何と呼ぶかを話し合っている。
『王様?』
妖精が聞き手になり得ないとわかると、イリスは彼らの話に混ざることにした。
《おうさまはおうさまだよ。みーんなのおうさま》
妖精王なるモノが存在すると知り、イリスは興味がわいた。
確かに、コスト家に伝わる伝説では、唯の妖精の血を継いでいるのではなく、偉大な妖精王の血を継いでいるとされている。妖精王の子孫だと言われても驚きはない。
妖精達はイリスが妖精王の子供だと思っている。生殖活動をしない妖精には親子という概念はない。遠い子孫のことを子供とは言わないことを理解できるわけがなかった。
『私も王様に会えるかな?』
イリスは天を仰ぎ見た。妖精を見るイリスの目にも、風の妖精の姿ははっきり映せない。太陽光に反射して、時々人型のような影が見えるだけだ。その影は複数あり、そよ風の声の数だけいるのもわかっている。
《会えるよお》
のんきな答えが返って来た。
『どうしたら会える?』
再びイリスが尋ねる。
《知らなーい》
《会いに行ったことないもん。ねえ?》
《おうさまが会いに来てくれるの》
妖精達によれば、妖精王は確かに存在するが、自ら会いに行くことはできないらしい。そうしようと思ったこともないと言うのだから、王に会うのは簡単でないのだろう。
『ようやく泣き止んだのか』
突然声がかかり、イリスは肩を震わせた。風の精達はその様子をクスクスと笑って見ていた。
リュドウィックは自分が追い出した人間の様子が気になって見に来たらしかった。
『誰かと話していたのか?』
イリスの話し声が聞こえた。だが、その相手は見当たらない。
『ううん、なんでもないです』
イリスは慌てて誤魔化した。妖精と話していたなんて言ったら馬鹿にされるに決まっている。
リュドウィックにも、イリスが嘘をついていることくらいはわかった。けれど、追及はしなかった。尋ねたところで、イリスは答えないだろうと思った。無駄な行為はしない。それがリュドウィックの流儀だ。
『……やる』
リュドウィックはイリスの横にかがみ、小包を差し出した。その中身はクイニーアマンだ。
『どうして?』
『騒ぐ奴らに買いに行かせた』
『じゃなくて、どうして私に?』
イリスにも、リュドウィックが敢えて回答を避けていることがわかった。イリスは追及した。リュドウィックが結局答えないかもしれないとは思ったが、問うことが無駄だとは思わなかった。
『菓子、好きだろ?』
『そうですよ。じゃあ、どうして今?』
『……泣いてたから』
全て言わされてしまって、リュドウィックは悔しげに歯を食いしばった。
要するに、リュドウィックはイリスを慰めたかったのだ。イリスは自然と笑みがこぼれた。
『ありがとうございます』
クイニーアマンを頬張ると、甘味を感じた後、塩味がほんのり広がる。イリスは、これがリュドウィックの優しさと涙の味だと思った。
***
平行世界のイリスはこの頃、リュドウィックを好きになったのだろう。それを自覚したのは、一年半後の誕生日なわけだが。
朝目覚めた時、イリスはなぜこんな夢を見せるのか、と恨んだ。この恨みを向ける相手が存在しないのが何より悔しかった。




