電車の前方窓
電車の先頭車両の一番前に陣取って進行方向の風景を眺めていると、眼前に広がる情景がどんどんこちらの方へと流れ込んでくる。前方の景色がこっちに向かって間断なく迫って来るんだ。あとからあとから色々な光景が次々に現れては向かってきて、やがてまた次々に後方へと流れ去ってしまう。けれど後ろのことなんか関係ない。なにしろ前方からは新たに生まれた景色が装いを変えながら現れて来るのだから。こんな状態でいると僕は自分が次第に貪欲になって行くのを感じる。もっともっと、新しい景色を持ってこい、あんまり単調なのは駄目だ、新奇なものを頼む、劇的に時折人をはっとさせるような、時折でいいんだ、それにただ無雑作に並べてるだけじゃあ面白くも何ともないぞ―――僕は食い入るように、前方に展開される動く遠近法を見つめ続ける。しかしこうなると、それはもう景色を眺めているのではなくなる。単に空間をがつがつと食い破ってどんどん飲み込んでしまっているだけなんだ。
列車はこうして三次元の中を通っている。だからまだ可愛いものなのかも知れない。けれど、例えばこの鉄道の線路が時間軸だったりしたらどうだろう。ちょっと洒落にならない、何かしら怖いんだけど。
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冬の雨は湿っぽくて冷ややかで、おまけにその一粒一粒が傘を持つこの手にビシリビシリと感じられるほど、重い。空を覆っている厚い雲は、朝日も夕日も容赦なく遮って地上の僕らに落ち着くことを、ほっとなごむことを許さない。そうして強力ではないけれど少なからぬ悪意を秘めた、あの冷たい重い攻撃でもって僕らを追い立て追い回し追い散らす。こんな日は犬も猫もスズメもカラスも、みんなどこかに隠れてじっとしているだろうに、僕らばかりが、決められた時間に決められた場所に行かなければならない。空からの冷たい意地の悪い嘲笑に耐えながら、全く因果な話。
確かに、僕の生活は何者かから不断に追い立てられているようなものだ。何者か、とは?最近よく思うんだけど、それは恐らく僕自身の未来に対する僕自身の気遣い、僕自身が僕自身の“明日”に向けて投げかけている日常的な配慮、そしてこんなような気遣いが僕の背後に回り込んで、僕を先へ先へと追い立てて行く。しかもそれが、そう、加速度付きなんだ。何となく以前よりもこういう気遣いが強くなってきている気がする。
そしてその強くなってきた気遣いが、ますます強力に僕を更に先へ先へと追い立てることになる。結局、加速度はその勢いをいよいよ増していって、どこまでもどこまでも、突っ走らされることになる。のんびりとした物見遊山なんかでは決して、ない。




