神ノミゾ知ル
― 1 ―
かつて、某国に「コンスル」と呼ばれたギャングがいた。
コンスルとは、古代ローマの最高指導者を指す言葉であり、彼がイタリア系移民であったこと、そして、暗黒街における比類なき勢力に由来するものであったが、本人もそう呼ばれることをとても喜んでいたという。
195X年、コンスルは腹心の部下の裏切りにより、謀殺・詐欺・誘拐その他諸々の罪状で起訴され、その翌々年には絶対的終身刑が確定した。某国では、既に死刑制度が廃止されていたため、これが実質的な最高刑に相当する。
なお、その判決が迅速であったことについては、当時の政治情勢が大きく関係しているのだが、今回の話とは無関係であるため割愛する。
こうして獄に繋がれたコンスルは、いかにも観念した様子で、未だ明らかならざる悪事を次々と白状していった。
悔恨の念? 否、それはあり得ない。
コンスルが放った言葉の弾丸により、彼を裏切った部下はもとより、癒着していた政府高官までもが処罰されることになったのだから。
暗黒街の執政官は、我が手を噛んだ駄犬も、肝心なところで盾の役にも立たなかった貪官も、同等に許すことは無かったのである。
― 2 ―
コンスルは、ほとんどの悪事を告白した。
しかし、肝心なことについてだけは黙秘を続けていた。
己が隠し財産の行方である。
コンスルが犯罪行為で巨万の富を築いていたことは、某国の誰もが知っていた。
ところが、司法当局はそのほとんどを回収することができなかった。
この上なく厳重かつ慎重に隠されていたからだ。
マフィア達もまた、警察が隠し財産を見つけられないでいることを察知すると、
その行方を追い始めた。
「コンスルが捕まる前に、あいつが呼ばれていた」
「コンスルに一番信頼されていたあいつが隠し場所を知っているらしい」
「あいつが……」
「あいつとあいつが……」
疑心暗鬼に陥った彼らは、抗争と報復を繰り返し、最終的な死傷者は3桁に及ぶほどであった。
そんな狂騒曲の末、屍の山を積み上げて、人々はようやくひとつの結論にたどり着いた。
「今、隠し財産のありかを知っているのはコンスルその人だけである」
― 3 ―
コンスルは、凶悪犯を専門に収容する孤島の刑務所に送られ、さらには外部とのつながりを徹底的に排除した「特別独房」に収監されていた。
それは、コンスルが隠し財産のありかを外部に伝えることができないようにするための「檻」であると同時に、別の囚人から害されないようにするための「防壁」でもあった。
司法当局としては、彼から隠し財産の行方を聞き出すまで、何がなんでも無事でいてもらう必要があったからである。
コンスルは、この特別独房において、24時間体制で厳重に監視された。
彼が外部から情報を得たり、あるいは外部に向けて指示を出したりしないよう、配膳される給食や、その食べ残しですらチェックが入った。
毎日30分の運動時間を除き、この特別独房から出ることは許されず、一般の囚人には認められていた読書やラジオ放送の聴取、家族との面会も制限されていた。
「労働無しで三食昼寝付き」と言えば聞こえはいいが、これは精神的な拷問に他ならない。
そのことをよく理解している司法当局は、コンスルに対して非公式に「隠し財産のありかを言えば、一般房へ移動させてやる」とのアプローチを行ったが、彼は決して口を割ろうとはしなかった。
― 4 ―
そんな特別独房において、囚人が唯一読むことを許されていた書物がある。
――聖書である。
某国では、憲法により信教の自由が何人にも保障されており、それは特別独房に収監中の犯罪王であっても例外ではなかった。
もっともこの措置は、神とは決して相容れないであろうコンスルに対する嫌味のようなものであったが、当の本人は気にするそぶりも見せず、暇に飽かせてそれを読むようになった。
それからしばらくして、コンスルから教誨神父(※)を呼ぶよう依頼があった。
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※…刑務所で在監者に、正しい道を歩むように教えさとす神父
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この申し出もまた、先の「信教の自由」により保証された権利であるから、刑務所側としては斥ることはできない。
ほどなくして、3名の看守の監視の元、コンスルは教誨神父と面談した。
コンスルは問う。
「俺は世間から極悪人と呼ばれているが、俺がそうなったのは貧しかったからだ。
神はなぜ貧富の差をこの世に作ったのか?聖書にその答えがあるかと思って読んでみれば『汝なんじ誰なれば神に言ひ逆らうか』などとぬかす始末。同じようなことを言った俺のクソ親父は五分刻みにして魚の餌にしてやったが、神も同じくバラしてやったほうが世のためではないか?」
そんな乱暴な言葉に、神父は穏やかに答える。
「そこまで聖書を読まれたのなら『幸いなるかな、貧しきものよ』――この言葉もご存知でしょう」
「つまらぬハッタリだな」
「では『富める者の天国に入るは難し』についてはどう思われますか」
「貧乏人の僻みだろうよ」
「ところが、単純にそうとは言い切れないのです。よろしいか――」
そうしてコンスルと神父は、1時間ほど聖書の解釈について話し合った。
― 5 ―
この面談以来、コンスルは事あるごとに教誨神父を呼ぶようになった。
あるとき、コンスルは問うた。
「神父よ、結局、神はなぜ人に試練を与えるのだろう。奴はサディストなのか?」
神父は答えた。
「すべては神の愛です。人は試練を乗り越えることで、信仰を深めます。人々は、知恵があるゆえに悩み恐れます。それを克服するためには、神に頼る他ないのです」
それを聞いたコンスルは、深く感銘を受けた様子で、
「物は言いようだな。だが、おもしろい。確かに俺はずっと何かに怯えてきた。
もし信仰がこの恐怖を取り除いてくれるなら、そう悪い話ではないかもしれない。
……決めた、本気で聖書を学んでみよう。いっそのこと、丸暗記してしまおう!」
そして、監視中の看守に向けて言うのであった。
「諸君、知っているか。昔、中国の学生は経典を暗記すると、絶対に忘れないという意気を込めて、その憶えたページを食べてしまったのだという。この刑務所ではそんなことは許されないだろうが、せめて毎日暗記した部分を切り取って、自分の大切な妻と子供に送りたいと思うが、それを許可してもらえるだろうか?」
看守たちは考えた。
(あのコンスルが、こんな殊勝なことを言うなど、ありえない)
(これは、きっと何か悪だくみをしているのだろう)
かと言って、単なる手紙のやり取りであれば、厳格なルールは存在するものの、特別独房の囚人であっても認められている。
よって、コンスルの申し出を「不可」とするならば、それなりの根拠が必要だ。
看守たちは即答を避けると、対応について上層部に相談したのであった。
看守からの報告を聞き、上層部の頭に真っ先に浮かんだものは、コンスルの隠し財産のありかであった。
「おそらくヤツは、その聖書の断片に何らかの情報を仕組んで、家族に隠し財産の
ありかを伝えようとしているのだ。許すべきではない」
「いやいや、これはチャンスかもしれない。おそらくは暗号の類であろうが、
こちらがそれを解読してしまえば、念願のお宝を回収することができるぞ」
「しかし、相手はあのコンスルだぞ。そう上手くいくかどうか……」
「この件については、国民の目も厳しくなってきている。やるしかあるまい」
そんな思惑もあって、上層部はこの申し出を許可したのであった。
― 6 ―
それからコンスルは、片時も聖書を手放さなかった。そして、聖書から暗記した数ページを切り取り、手紙と共に家族に送ることが日課となった。
刑務所において、囚人が外部と手紙のやり取りをする際には、その中に不適切な文言がないか検閲が入る。その囚人が「特別独房の犯罪王」であれば、検閲は尚のこと厳重であった。
手紙にはもちろんのこと、聖書の断片にも徹底的なチェックが行われた。
あぶり出し、暗号、一度書いた後に消しゴムによって消された痕跡、さらには紙面の細かい引っ掻き傷ですら検閲の対象となった。
しかし、それはもともと刑務所に備え付けの聖書であり、新たに手が加えられた様子もない。
――つまり、紙面にはわずかな異状も見つからなかったのである。
一方でコンスルはと言えば、ますます聖書の勉強にのめりこんでいた。
もともと、恐るべき頭脳をもって裏社会をのし上がった男である。
ある時、教誨神父が試しに聖書の章節を口にしたところ、たちどころにその内容を答えたという。
ついには、教誨神父と対等に神学論議を交わすほどになってしまった。
そんな様子を何度も目撃した看守たちは、
「あのコンスルも、もしかしたら純粋な信仰に目覚めたのかもしれない」
などと噂しあったのであった。
(もちろん、そのことによって看守たちが毎日の検閲を怠るようなことはなかったということを、彼らの名誉のために記しておきたい)
― 7 ―
それからしばらくして、コンスルの手元の聖書が表紙を残すばかりになった頃、彼は突然倒れた。
診断の結果は脳卒中であった。
病巣は致命的な箇所に発生しており、当時の医学では手の施しようがなかった。
死期を悟ったコンスルは、駆け付けた教誨神父に回らぬ舌で、
「神父には本当にお世話になった。妻に、そうだな、すべては神のみぞ知る、聖書を学んで信仰を深めてくれと伝えてくれ」と遺言したと伝えられている。
また、別の説では、看守が隠し財産のありかを尋ねると、彼はニヤリと笑い、
「隠し場所は神様に預けたよ。神のみぞ知る、だよ」と告げたとも伝えられる。
数日の後、稀代の犯罪王コンスルは眠るように息を引き取った。
同時に、人々を惑わせた彼の隠し財産の行方は、歴史の舞台からいったん姿を消すことになったのである。
― 8 ―
この時点でコンスルは、既に隠し財産の場所を刑務所の外に伝え終えていたのであるが、読者の皆様は、そのやり方に気付いただろうか?
― 9 ―
50年後、コンスルの隠し財産がとうとう発見されたというニュースが某国を駆け巡った。
きっかけは、生活に困ったコンスルの子孫が、獄中から届いた聖書の断片をオークションに出したことにあった。
その頃には、コンスルは歴史的な人物として有名となっていたので、遺品にもそれなりの額がつくだろうと踏んでのことであったのだが……
さて、オークション業者がバラバラになった聖書を一冊に復元した際、小口部分(※)に文字が書かれていることを発見した。
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※……綴じられた側(=背)と反対の、開く側にあたる面
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それは、地名といくつかの数字を記載したものであった。
司法当局は、話を聞きつけるとすぐに聖書を接収した。そして解読の結果、かつてコンスルの地所であった○○○○山中から、金銀宝石の詰まった袋がいくつも回収されたのである。
― 10 ―
コンスルは、家族に聖書の断片を送るようになってからしばらくして、手元の聖書の小口部分に隠し財産のありかを書きつけた。
この時点において、神父や看守は「コンスルは聖書をまじめに暗記している」と
いうことを認識していたので、「聖書をわざわざ断片にして送る」というある意味
では「不自然な行為」に改めて疑問を持つことはなかった。
加えて、毎日送られる聖書の断片は、せいぜい2、3ページ、厚さにすればわずか0.2~0.3mm程度であるから、看守たちがいかに紙の表裏に目をこらしても、気が
付くことはできなかったのだ。
そんなコンスルの鬼謀であったが、肝心の彼の家族が、彼ほど熱心に聖書を学ぶ
ことがなかったということは、実に皮肉なことであった。
ちなみに、見つかった隠し財産は、某国の法律に基づき現在の○○○○山の土地所有者のものとなった。
しかし彼は、ギャングの報復といったような後難を恐れ、そのすべてを教会に寄付してしまった。
結局、隠し財産は神様が預かりっぱなしになってしまったのだ。
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隠し財産の騒動が収まった後、聖書はコンスルの子孫の元に返還された。
彼らがこの聖書を改めてオークションに出品したところ、先の事件において重要な役割を果たしたアイテムであったことから、価格は高騰。とある好事家が相当な額で落札したということだ。隠し財産の額には遠く及ばないものの、子孫の窮状はいくらか緩和されたに違いない。
§ § §
聖書は、持ち主を何度か変えたのち、最終的にはコンスルの故郷の自治体に購入され、現在は地元の博物館に展示されている。
私は、この聖書の実物を目にして、コンスルが最期に天国に行くことができたのか、あるいは地獄に落ちたのか――つまり、彼の信仰が本物であったのか、あるいは見せかけであったのか、その点が非常に気になったのだが、その答えを知ることは永遠に叶わないだろう。
それこそ「神のみぞ知る」の域であるのだから。
この作品は「春の推理2024」に投稿したものです。
「推理もの」は初めて書いたのですが、いかがだったでしょう?
ご意見ご感想いただければ幸いです。
2025.5.13 文体等を若干修正