間違いにある価値
日本語練習用で書いたエッセイです:D
手が滑って皿を落としてしまって割れた音がすると、後のかけらを拾ってゴミ箱に投げせば済む大した問題ではない。けど初めてその音を聞くときは直ぐに何をすればいいか分からず、まずは少し考えてから解決策を見つくのだよね。大したものではないからあまり考えもしないかもしれないけれど少なくとも「次は気をつけよ|次はちゃんと力を入れ皿を握って持つべき」とふと思うはずだ。心の声が湧かなくともきっとだ。
人と会話するときにちゃんと聞かない癖が関係を悪くさせることに気づくと次はちゃんと聞こうと自分の間違いから勉強して成長する例を考えてみよう。例は一番都合のいい場合なのだけれどそれを反対にすると、
間違いから勉強すればいいものを、誤りを認めず同じミスを繰り返すのはバカじゃないならその性格をなんて呼べるのか?しかし、間違いに気づくにも時間はかかるし、誤りから知恵を取り入れることも、まして実行に移すまでには人によって異る時間が必要。
でも一生学ばない人もいて、なんで馬鹿のままでいるのだろうと私は気になる。なぜバカか理解するために初めに質問に答えるべきものは学ぶには何が必要か?行動を取ることには何が必要?長く考えるまでもなく答えは明らかに「理由」だね。
理由が行動の基礎となるものだとしたら一番大事なのは理由だ。
子供はちっちゃい(たまに)かわいい人間で、何も知らない(獣)子たち。
大人は大きい(美少女なら)たまにかわいい人間で、比較的に何もかも知るたち。
大人は勿論子供より遥かに経験を積んだ。
しかし、大人っぽい子供もいるし、子供らしい大人もいる。子供と大人の性格に関して何が違うのかはやはり考え方なんだけど、どうして子供はめったといえども大人みたいな考え方ができるのだろう?
大人は子供のような間違いをしない。
子供は?大人のような間違いをするのか?いや...
大人より間違いを勉強して克服できたから大人より大人になった。
より早く理由の大事さを知ればもっと早く成長できる。理由が分かったからこそ自己開発できるようになって皿は二回落とさなくなる。耳をちゃんと向けて二度と向けないことをしない。そして、もっと間違いをすればするほど勉強できることは多くなって成長が早くなる。これはつまり間違いには価値が秘められているということだ。
成長は間違いから生まれる。