一
バイトから帰って、一息吐いていたら従姉妹の和美ちゃんからメッセージが入った。
『みいちゃん、明日暇?』
「明日かあ」
学校も夏休みに入って、暇と言えば暇。バイトも休みぎっちりは入れられないし。
家からは、長期休暇くらい帰ってこいって言われたけど、お盆休みまではこのままでいいやって思ってる。家に帰ると、面倒臭いし。
明日は特にやる事がないから、和美ちゃんにそうメッセージを送ると、今度は電話がかかってきた。
『やっほー、元気い?』
「元気だよ。どうしたの?」
『うん、ちょっと明日、付き合って欲しいんだよね。いいかな?』
「いいけど、どこに?」
『それは内緒。あ、いちま様も連れてきてね』
「やっぱり止める。下は急用が入りました」
『嘘吐け! 大丈夫だよ、怖い事ないから』
「それこそ嘘だ! いちま様を連れて行くんじゃ、絶体怖い事じゃん!」
和美ちゃんは、ホラーが大好きなのだ。特に心霊ものが大好物で、助けてもらった部分もあるけど、引きずり込まれて迷惑した事もある。
そして、私はホラーが大嫌い。映画はおろか、話を聞くのも無理なのに。
なのに! また! 私を怖い話に引きずり込もうとは!!
「和美ちゃんなんか、大っ嫌いだ!」
『私はみいちゃんの事、大好きだよー。じゃ、明日の午後六時、迎えに行くからね。逃げたら、みいちゃんちで怖い話百連発するからね!』
なんで嫌な脅し方をするんだ! 怖くて眠れなくなるじゃないかー!!
結局、怖さに負けて出かける支度をした。和美ちゃんなんか、嫌いだ。
「よしよし、ちゃんと支度してたね。いちま様も久しぶりー。じゃあ、いこっか」
「行くって、どこへ?」
「へっへっへー、いいところ」
絶体よくないところだ。車まで用意していたようで、和美ちゃんの運転で出発した。
首都高に乗って、さらに北へ。え? これもしかして、実家に向かってる?
「和美ちゃん、行き先ってうちなの?」
「え? 違うよ? もと手前。さすがにあそこまでは行かないって」
そうなの? うちは首都高から東北自動車道に入ってさらに北上するからなあ。今も走ってるのは川口線だ。これ、そのまま行けば東北自動車道に入るし。うちじゃないなら、どこ? その手前って事みたいだけど。
車は羽生ICを下りて、さらに走る。もうここが、どこかわかんない。一応、埼玉県内だって事はわかるんだけど。
「ところで和美ちゃん、これ、どこへ向かってるの?」
「んー? もういっか。実はさ、学校で知り合った人が、面白い話を聞いてきてね」
そう言って、和美ちゃんが話した内容は、こういうものだ。
ある何の変哲もない住宅街で、おかしな噂話が広まっている。
曰く、住宅街にある小さな忘れられたような神社の境内で、子供達がかくれんぼをしている。すると、必ず鬼になった子がいなくなるのだ。
「子供がいなくなる?」
「そうなのよ。でも、おかしな話はここから。なんと、誰もその子がどこの子なのか、わからないんだって」
「え? そんな事って、ある?」
「あるから、面白いんじゃない。私にこれを教えてくれた子も、子供の頃にそういう話が広まったんだって。地域限定の都市伝説みたいなもの?」
都市というには、住宅街が舞台だけどね。でも、それって誰かの思い込みや噂が一人歩きしただけなんじゃないの?
そう言ってみても、和美ちゃんは平気な様子だ。
「別にいいのよ、本当に怖い事がなくたって。実はさ、サークルでこういう変な噂話を集めて、本にしようって計画が立ち上がってんのよ」
「何て迷惑な……」
「面白いでしょ! で、今回はみいちゃんにも付き合ってもらおうかなーって」
「何で私ー!?」
「もちろん、いちま様目当て。何かヤバい事が起こってもいちま様が助けてくれるでしょ」
「そういう事言うと、いちま様が怒るよ?」
「後で杏里のケーキ、しかもホールでお供えするから!」
和美ちゃん、いちま様の事、ちゃんとわかってるなあ。
いちま様というのは、私がおばあちゃんから譲り受けた市松人形の事だ。おばあちゃんはひいおばあちゃんにもらったらしく、母からその娘へと渡すものらしい。
その割には、いちま様って綺麗よね。それをこの間電話で聞いたら、なんと定期的に人形師の人に頼んで、補修してもらってるんだって。
で、このいちま様、持ち主を守ってくれるらしいんだ。色々な意味で。
私が今の部屋に入った頃、夜中に変な声が聞こえて困った事があった。和美ちゃんと録音したら、おかしな声が本当に録れた時には悲鳴を上げたよ。
そんな時に、実家からの電話でおばあちゃんからいちま様を受け取ったんだった。
いちま様、私子供の頃から苦手なんだよね。怖くて。それをいちま様の方もわかっているらしく、昔から当たりが強いんだよなあ。それでまた、私が怖がるという、負のスパイラル。
でも、いちま様が私を助けてくれるのは、本当の事。例の声の時も、うちに来てその日の夜には、おかしな声を消してくれた。
その後、好物のスイーツをねだられたのには参ったけど。
他にも、和美ちゃんが開催した怪談ナイトの時も、母方の従兄弟の実兄ちゃんが亡くなった時も、いちま様に助けてもらったっけ。
なんかね、変な夢みたりしたんだよ。でも、その夢の中では、掴まったら死んじゃうって思い込んでて。
で、どっちの時もいちま様が出て来て、夢を吸い込んじゃった。吸い込んだ? うん、なんかね、全部終わった後に、小さいゲップが聞こえるんだよね……
いちま様、まさかああいう変なの、食べてないよね?
まあ、それは置いておいて。いちま様に助けてもらったり、いちま様の機嫌が悪い時なんかには、好物のスイーツをお供えする。
実家に置いていた時は上生菓子をお供えしてたらしいんだけど、うちに来てからはどうやら洋菓子に目覚めたらしく、何もない時でもプリン程度はねだられる。
しかも、コンビニプリンだと不機嫌になるんだよ。近くのケーキ屋さんで売ってる、昔ながらのプリンがいいんだって。贅沢だなあもう。
あ、腕の中のいちま様が、少しだけ不機嫌になった。ごめんなさいごめんなさいもう言いません。
何故か、私が考えてる事が筒抜けになってるらしく、こうしていちま様を怒らせる事も多い。その度に、昔ながらのプリンやらシュークリームやらエクレアやらをお供えするのだ。地味に懐に響くよ。
高速を下りて走っていると、ナビが道順の変更を知らせてきた。
『この先、二十メートル先を左折してください』
ちらりと見た画面には、直進の印が出てる。……あれ?
「和美ちゃん、このナビ……」
「ああ、気にしないで。そういう事が起こるって、聞いてるから」
そういう事って、何? 思わず和美ちゃんとナビの画面を見比べちゃったよ。
あれ? いちま様がナビを気にしてる。近づけたら、いちま様を持つ私の手に、何かぬるっとした感触があった。
うわ! なにこれ? 慌てていちま様をナビから放したら、小さいゲップが聞こえた。えー? マジかー……ナビにまで、おかしなものがついてるなんて。
その後、画面と違う誘導がかかる事はなかった。
ようやく到着したのは、普通の住宅地にある、普通の家。周囲と比べると、ちょっと古いかな?
庭の方に車を停められるようなので、そっちに入れる。
「ここ?」
「うん、あの話を教えてくれた子の家」
チャイムで出てきたのは、私達と同年代の女の子だ。
「いらっしゃい、迷わなかった?」
「大丈夫。地図でも確認しておいたし、ナビもあるしね」
「この辺り、ナビが誤作動しやすいのよ」
「そうなんだー」
やっぱりあれって……思わず腕の中のいちま様を見下ろしたけど、しらーっとしてる。いちま様って、基本クールなんだよね。
家に上げてもらい、冷たい麦茶を頂いた。おいしい。
「今日、ご両親は?」
「近場の親戚の家に行ってて、帰りは遅いの」
彼女には兄弟はおらず、家には今彼女一人だそうだ。普段は都内にある寮で生活しているけど、長期休暇の時には帰省するんだって。
「改めて、こっちは私の従姉妹の下村美羽ちゃん。で、彼女が抱っこしてるのが、いちま様」
「初めまして、下村美羽です」
「初めまして。藤田瑠璃です」
藤田さんって言うのかー。ほっそりした人で、ストレートの髪を流しっぱなしにして、眼鏡をかけてる。知的な美人さんだ。
半袖のカットソーに赤いチェックのミニスカート。すらりとした足が綺麗だわ。
「それで、瑠璃さん。あれから何かわかった事って、ありますか?」
和美ちゃんが勢い込んで聞いているのに対し、藤田さんは苦笑して返す。
「うーん、もともと子供の頃に流行った都市伝説が元だから。ただ、今の小学校低学年にも、この話が広まってるみたい」
「同じ内容?」
「うん、殆ど。違うのは、見知らぬ子がかくれんぼに誘ってくるって導入部があるくらいかなあ?」
「知らない子?」
「うん、それも、決まって赤いスカートをはいた女の子なんだって。それも、後で思い出そうとすると、顔とかは思い出せないのに、スカートの赤だけ思い出すそうなの。私達の頃は、そういうのはなかったんだ。ただ、誰もその子がどこの子なのか、思い出せないってだけで」
いや、それも十分気持ち悪い話なんだけど。見知らぬ子と遊ぶとか。
あー、でも子供の頃って、誰それちゃんの友達、とか、誰それちゃんが連れてきた子、とか言って、見知らぬ子とも遊ぶ事、あったなあ。今の子も、そんな感じなのかも。
その後も少し噂に関する話を聞いてから、実際の場所に行ってみようという事になった。
私は車でお留守番してるって言ったのにい!
噂の神社は、藤田さんの家から歩いて二十分くらいの場所。え、結構歩くね。
「あそこ。寂れてるでしょ」
そう言って彼女が指差した先には、確かに古いお社があった。うわー、年季入ってるなあ。
「ここ、私が子供の頃は一応お祭りとかあって、御神輿も出てたんだけど、年々廃れちゃってね。私が中学上がる頃には、お祭りも途絶えちゃったのよ」
それ以来、お参りする人も殆どなく、寂れていく一方なんだとか。
「最近じゃあ、例の噂が復活してるからか、ここで遊ぶ子供も少なくなってるしね。もっとも、この辺りも子供の数が減ってるからかも」
見ましてみても、境内の端の方に雑草が生えていて、あまりお手入れされていない様子。
こうして見てると怖くはないので、和美ちゃん達とぐるっと回ってみる。
「これといって、おかしなところはないね」
「そうだね。かくれんぼって言っても、隠れられるのは社くらいしかないから、そもそも遊びが成立しなさそうなんだけど」
「でも、謎の女の子が誘ってくるのはかくれんぼだけなんだよね?」
「そうなんだって。私も、友達の友達が見た、って聞いただけで、私は見た事も会った事もないけど」
「ふうん……その子は、ここにいれば誘ってくるの?」
「さあ……そこまでは知らないかなあ。どこで遊びに誘われたか、は聞いた覚えがないや。ごめんね」
和美ちゃんと藤田さんが話しているのを邪魔しないように、少しだけ離れて境内を見てみた。
小さい……と言っても大人が腕を広げて三人くらいは必要な社の表側は、雨風で痛んでいて所々が白くなってる。
賽銭箱も、ようやく役目を果たせそうな感じで、なんか簡単に賽銭ドロとかされちゃいそう。
地元の神社だったんだろうなあ。
「……いちゃん、みいちゃん!」
「あ……どうしたの?」
「うん、ちょっとね、実験をしてみようかと思って」
「実験?」
何か、嫌な予感。
「ここで私らが遊んでたら、例の赤いスカートの子、来ないかなあ? って」
やっぱりー!!
「和美ちゃん、私達もうとっくに子供の年齢超えてるよ? 和美ちゃんに至っては、もう成人してるじゃない!」
「いやあ、そうなんだけどねー。ほら、実験だから」
「やだよ! それで本当に赤いスカートの子が出て来ちゃったら、どうすんのさ!」
「それは実験大成功って事で!」
いやだあああああ! 大体、遊ぶって言っても何をどうすればいいのよ。
「そこはやっぱり、かくれんぼじゃない?」
「え……でも、あの話って、鬼の子がいなくなるんじゃ……」
「そうなんだよねえ……私かみいちゃんが鬼をやろうか」
「やだやだやだ!」
「んじゃあしょうがない。私が鬼をやるよ。瑠璃さーん」
あーあ、和美ちゃんってば、本当に藤田さんに言いに行っちゃったよ。
藤田さんも、この提案には渋い顔だ。
「いくらただの噂と言っても、いい年の私達がかくれんぼは……ねえ?」
「ですよねー」
「もう、ノリ悪いなあ、二人とも」
ノリ悪くてもいいよ。もう、早く帰りたい。和美ちゃんはまだ藤田さんと何やら話していて、諦める様子が見えない。
「もう帰っちゃうの?」
「ううん、まだ帰れそうに……」
待って。今、私に話しかけたのって、誰?
後ろを振り向くと、小学生くらいの女の子。あれ? こんな子、いたっけ?
「まだ帰らないでいいでしょ。遊ぼうよ」
遊ぶって……何をして? って、待って待って待って!
この子、赤いスカートはいてる!!
「か、かず、和美ちゃ――」
「ねえ、遊ぼう?」
やばいいいいい声が出ないいいいい! か、和美ちゃん! 助けて!
女の子は、私の右手の肘辺りをぐいと引っ張った。と思ったら、腕からいちま様が落ちちゃった。
あ! と思ったら、そのまま女の子を凄い勢いで吸い込んだ。
うん、今、目の前で凄い事が起こったよ? 女の子が、映像のようにぐにゃっと歪んで、いちま様の口に吸い込まれたんだけど。
何これ? これが、今回の怖い事!?
ブーブー
ん? これ、いちま様のおなら……じゃなくて、ブーイング? 何が気に入らないの?
「わっかんない……」
あ、声出た。
「みいちゃん? どうしたの?」
和美ちゃんと藤田さんが、こっちに気づいたらしい。それには曖昧な笑みで誤魔化しておいた。
いや、だって。赤いスカートの女の子が現れたと思ったら、あっという間にいちま様に吸い込まれただなんて、言えないでしょ……
滑り込みセーフ……