PART4
裸絞を完成させる要素の一つとして、右腕を固定する左腕をさらに固定するのが頭部である。頭部は加えて対象の首の位置を適切な位置に持っていくためにも活躍しており、もしもこの一点が解除されるようであれば締め付けから逃れることも可能なはずだ。
突如としてスパイクの首が大きく後ろに仰け反った。首を何かが締め付け、強い力で引っ張っているのだ。
ランペイジの怪力を抑え込むのに腕二本だけでは不充分である。固定が緩み、藻掻くランペイジの頸動脈が圧迫から開放された。彼の脳機能は急速に復調し、より強い力で裸絞から逃れようと暴れ出す。
そして堪え切れなかったスパイクの両腕は弾け、巨体が自由となってその場に跪き咳を繰り返した。
後もう一歩のところで無力化に成功したはずの驚異を前にスパイクはランペイジの揺れる背中を忌々しげに睨む。しかし過ぎたことを気にしても無益だ。スパイクは自らの勝利を邪魔した存在を知るべく、力の掛かる背後を見た。
「レプタイル……!」
そこにはビルディングの壁面に四肢で以て張り付き、頬まで裂けた巨大な顎を開いて舌を伸ばした蒼い鱗塗れの異形が居た。
レプタイルと呼ばれる、かつて爬虫類学者だった男である。
複数の爬虫類の遺伝子を自らに組み込み肉体を変異させたレプタイルの舌による捕縛は強力だった。今度はスパイクの首が締められる形となったが、パワーアーマーが窒息を防いでいた。しかし逃れることが出来ない。
なんとかランペイジが完全回復するまでに拘束から逃れるべく、首に巻き付く舌を掴むスパイクはその次いでとレプタイルへ言った。
「刑期はまだのはずだぜ、どうやってアルカトラズから抜け出してきやがった?」
苦し紛れの台詞を前に、レプタイルは独特な形状の口を更に歪ませて嗤う。舌を伸ばしているために幾分か舌っ足らずな調子ではあったが、慣れたものか彼の言葉は鮮明だった。
「ヒヒヒッ、誰かさんが金を払ってくれたのさ」
「ああ? アルカトラズに入ったら金なんかじゃ出られねえはずだ」
「ヒヒャヒャッ、出られるのさ! Dr.レオンが満足する額ならな」
「あのクソ犬っ」
直後スパイクが転身する。舌を巻き込んだ旋回に、舌の主であるレプタイルは踏ん張ったものの手足の吸盤は壁面から剥がれ、白衣を纏った小柄が宙を舞う。
このままではスパイクの良いようにやられると危惧したレプタイルは舌による拘束を解く。そして宙空で大の字になった彼は、脇に生じた膜で以て風を受けて飛翔した。組み込んだトビトカゲの能力である。
とは言え推進力を得ているわけではない。所詮滑空程度の飛行能力である。叩き落としてやろうとスパイクが翼を広げようとした直前であった、ランペイジの肉弾が彼を襲う。
「なんだとっ」
しかしそのときに飛び出した驚嘆は他でもない、ランペイジのものであった。どういうことか、渾身の突撃を叩き込んだはずの彼の足はその場に留まっている。
上空で旋回するレプタイルもその光景に飛び出した両目をぎょろぎょろと動かし驚愕を露わにした。
「だいたいどんなもんか分かったからなぁ、ちょっと気合い入れさせてもらったぜ」
なんと巨漢にして怪力のランペイジの突進を、スパイクはあろうことか真正面から受け止めていたのである。
がっぷり四つに組んだスパイクの全身は眼前の大質量にスーツは言わずもがな悲鳴を上げていた。バルチャーの甲高い悲鳴も耳障りだ。
しかししっかと受け止めている。あまつさえ彼の表情には不敵な笑みがあった。かつて日本で暮らしたことのあるスパイクにはあるのだ、巨漢を受け止める術と覚悟が。
信じられんとランペイジがさらに力を込めるが、スパイクの思惑通りである。直後にスパイクは腰を落とし両足をコンクリートの地面にめり込むほど踏ん張らせる。ランペイジの重心の下に潜り込んだあと、スーツの背部外骨格がそれぞれを支えて機構を固定する。全てはスパイクの背骨を保護するためだ。
みしりと奥歯が軋むほど食い縛り、極限まで力んで真っ赤になったスパイクの両目と鼻腔からは血が滴っていた。だが上げた雄叫びと共に、巨大かつ超重のランペイジの両足が地面から離れた。
そしてスパイクは持ち上げたランペイジを背中から地面に叩き付ける。巨体は容易くコンクリートに沈み込み、自らの重量による圧力を受けたランペイジは胸中の酸素を全て吐き出してしまい悲鳴すら上げられない。
呻き蠢くランペイジの姿を見下ろすスパイクは息も絶え絶えであったが、彼がその巨大を投げ飛ばすに至った理由はパワーアーマーの性能もそうであるが、なにより彼に“相撲”の経験があったからだ。
巨体同士がぶつかり合い、そして押し倒し投げ倒すスポーツだ。ランペイジのようなものを相手取るならばこれ以上ない技術と経験を得ることが出来る。
「……お次はドクター、てめぇだぜ」
EMPとして以外にも人の脳活性を抑制する機能もある円盤を腕部より取り出したスパイクはそれをランペイジの額へと貼り付け、それから見上げたのは街灯の上にとまったレプタイル。
スパイクとレプタイルは以前にも交戦したことがあった。探偵としてのスパイクを圧倒したが、“イーグルガイ”としてのスパイクにレプタイルは惨敗した。
新たな遺伝子を取り入れ、以前よりも力を増しているらしいレプタイルであるがバージョンアップされているのはパワーアーマーも同じである。なによりレプタイルにはパワーアーマーに対する決定的な攻め手が無いのだ。
しかし彼は余裕を崩さない。くすくすと喉を燻ぶらせて嗤うレプタイルにスパイクは眉をひそめた。
「確かに絶体絶命。いや失敬、貴方は命は奪わない。けれど良いんですか? 私たちの相手ばかりしていて」
時間稼ぎ――それに気付いたスパイクがバンの方を見る。そこには依然としてエンジンの停止したバンが残っていたが、問題はそこではない。
「ボーナスは諦めるしかありませんが、まぁ私は貴方が苦しむ姿さえ見られれば構わないのでね」
レプタイルの嘲笑が響く。バンの中から歩み出てくる小さな影。重量感など皆無で、威圧感も無い。ただ不気味さばかりがそれからは滲み出ていた。
その身に纏っているのは白銀に煌めくボディスーツだろうか、まだ十代も半ばに見える黒髪の少女の華奢な姿がバンの荷台より降り立った。
「私はここで観戦と洒落込みましょう。下手に手を出しては逆に叱られてしまいますから……」
少女の虚ろな黒い瞳が鋼の鳥人を見据える。