PART1
スパイク・ニードルランサー――彼が探偵として活動を開始する以前のことを知る者は多くない。ただ首に掛けた指輪は婚約指輪であり、彼には婚約者がいたことは間違いないようだ。
“ニューヒューマン”と呼ばれる超能力者たちが増加を続ける世界で彼が探偵業を営む理由は生活するためというのは当然だが、なにより困っている人の力になるためである。延いては自らのためである。
そう、スパイク本人もまた困難に悩む者の一人なのだ。人のためになる探偵という彼の仕事は誰かのためでもあり、そして自分自身のためでもあるのだ。
ある日の夜のことである。ブロンクス区の安アパートの一室を事務所としている彼の元に男女の二人組がやって来たのは。
「珈琲と紅茶、どっちが良いですか? それとも緑茶?」
「緑茶?」
「そう、緑茶。日本の」
「結構です……」
「そう……じゃ、失礼して」
スパイク・ニードルランサー――ブロンド髪を気楽な坊主に丸めた、八十年代ロックバンドのTシャツを着て色落ちや傷のある年季の入ったジーンズを穿いたその偉丈夫は、鉄板で裏打ちされたテーブルの前で一人用のソファーに腰を沈め急須から湯呑へと緑色がついた茶を注ぐ。渋味を感じさせる茶葉の香りが漂った。
そして立ち上る湯気の向こう側。来客用のソファーに座るのは男女の二人組の内の女性。ベージュのコートを着て、事務所へとやってきてすぐはハットとサングラスをしていた彼女はスパイクに茶を勧められながらそれを断り、落ち着かない様子で一人茶を啜るスパイクを見ていた。
陰影のはっきりした顔立ちに、黒い瞳。ヒスパニック系かと女性をみてスパイクは思う。別段珍しくもない、何処にでもいるし、女性として美貌が際立っているわけでもない。
もう一人の男性はソファーの後ろで突っ立ったまま。着席をスパイクが勧めても座ろうとしない。二メートルはあろうかという長身で、体つきはそれに見合うだけの隆起を起こしている。従軍経験者で、スパイクを観察している青い瞳にはただならぬ“経験”が見て取れる。
この対照的な性質を持つ両者が揃い、スパイクの事務所にやってくる……
ただ事ではない――そう思いながらスパイクは湯飲みの緑茶を口に含む。舌に感じる渋みを茶の熱が和らげ、葉から出た風味が口腔から鼻腔へと抜けた。それが彼の精神を落ち着かせる。
そして両目を閉ざし、深い呼吸を一度行ってからスパイクは閉ざした目を開き言う。
「用件を聞こうか」
一
二日後、二日経ってもいまだスパイクの胸中から不満が消えることは無かった。
彼はニューヨークから日本、そこの東京へと海を越えた。二日前にやって来た二人組からの依頼は簡単だった。
――奪われたテクノロジーを奪い返してほしい。
これはつまり、探偵スパイクに宛てた依頼ではない。
すっかり蒸し暑くなった大都会の只中、スパイクはコンビニに入り涼を得ながら立ち読みなどしていた。昔よく読んでいた漫画雑誌だったが、今やすっかり内容は変わってしまっていた。
やや物寂しさを覚えつつも、目新しさに楽しみを見出す。こんな事をしながら、しかし彼は仕事の真っ最中であった。
丁寧に一頁ずつ読み進め、最後の頁に差し掛かったちょうどその時である。その時すでにスパイクの視線は雑誌にはなく、窓の向こうに向いていた。通りでは数台の車が並んで信号に捕まっている。黒いSUVが四台と、やはり黒いバンが一台。
分かり易いなとスパイクは嘲笑した。
「幾ら日本が平和ボケしてても、限度があるよな?」
そして隣で彼と同じ様に立ち読みしていた“暇そうな”サラリーマンへと日本語で告げたスパイクは自らが読んでいた雑誌を棚へと戻して踵を鳴らす。
「それと騒がしくなるからまだしばらくここにいた方が良い」
かと思えばまた戻って来て忠告。そうしてから遂に彼はコンビニを出て、蒸し暑いビルの谷間へと出た。彼の背中をサラリーマンの男性は怪訝な顔で見送った。
降り掛かる陽光に目を細めながら車道へと向かうスパイク。彼の視線は依然として黒い車の群れに向いていて、さらに詳しく追って行くと車内の人間をそれは差している。
今日日珍しいばかりの光景ではないが、全ての車両に白人が乗っているし、その内の二台が“無線”でやり取りをしていた。雑な仕事だとスパイクは鼻を鳴らす。
「前方二台を転がせ、信号が変わる前にな」
渋々といった調子で右耳に装着したインターカムに告げる。そしてスパイクは後方、二台のSUVへと近付きつつ後部に回り込んだ。そうしながら膝丈のズボンのポケットからコップ受け程度の大きさをした円盤を取り出し、それを二台に貼り付ける。手のひらに収まる程度の機器に付いたスイッチを彼が入れると、円盤を貼り付けられたSUVから聞こえていたエンジン音が止まる。
その後、五台の後ろに詰まっている一般車両に向けて笑みを浮かべたスパイクはベルトに挟んでいた拳銃を引き抜き、銃口を空へと向けて撃った。
激しい銃声が五回鳴り響き、それに驚いた一般車両に乗る運転手は慌てて車から出てスパイクの側を離れんと走った。銃声と、先んじて逃げ出した運転手の様子に彼に気付いた人々も困惑しつつ逃げ出し始める。
スパイクはその様子を見ながら、弾倉が空になった拳銃を再びベルトに突っ込んだ。凡そ二十発ほど弾丸を込められる自動拳銃であったが、スパイクは銃声と同じ五発しかそれには入れていなかった。
それから改めてSUVたちへと目をやる。沈黙した二台の後部ドアが開き、中から自動小銃で武装した白人ら四人が出てこようとしていた。それと同時に前方二台が信号が変わるのを待たずして急発進しようとする。
だがその時、巨大な影が差したかと思うとその二台が浮かび上がり、落下して横倒しになった。バンはその二台により発進出来なくなる。
白人四人に銃口を突きつけられて諸手を挙げていたスパイクのすぼんだ唇から笛の音が響いた。動揺する白人たちが何か叫ぶ中、不敵な笑みを浮かべたスパイクの背後に巨大な金属の“鳥”が降り立った。
「今度からはもっと慎重にやりな」
バルチャーッ――鉄の鳥がくちばしを大きく開いて甲高く自らの名を叫んだ。銃撃が始まり、無数の弾丸が憎まれ口を利くスパイクに迫る。
しかしその弾丸は鉄の翼により遮られ、それが開いたときそこには全身をやはり鋼鉄の装甲で包み込んだ人物が居た。くちばしの意匠が彫り込まれた頭部にある二つの鋭いゴーグルが赤く輝きを放つ。
「鳥野郎だっ、“イーグルガイ”とか云う……」
髭面をした白人の一人が叫ぶ。止まぬ銃弾をしかし防御もせずに全身の装甲で受け止める“イーグルガイ”――スパイクは辟易した調子で告げるのだった。
「その名前で呼ぶなよ」
鉄の翼が羽撃き、黒鉄の鳥人が切り取られた空に舞う。