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6 LOVEをぶっ壊せ

 俺はカードキーを差し込んで703号室のドアを開けた。ベルボーイが手前のクローゼット近くにスーツケースを置き、「何かあればフロントをお呼びください」と言った。


「ありがとねー」


 さやかが笑って手を振ると、若者はお辞儀をしてドアを閉めた。


「すぐ誰とでも友達になるんだな」

 俺は言った。皮肉めいた響きがあったかもしれない。

「そうだよ、コースケとも、もう友達(ダチ)じゃん」

「コースケ?」

「なに? 奥平先生って呼べっての? あんた、あたしの担任? それとも〝おっさん〟がいい?」

「……いや、コースケでお願いします」


 ホテル内で「奥平先生」などと呼ばれるとまずい。教師と教え子が旅行に来ていると誤解され、下手すると通報されかねない。


「ヤバっ」


 部屋に足を踏み入れるなり、さやかが歓声をあげた。


 入って左手の壁に寄せるように大きなダブルベッドが一つ。右手、西側の壁には巨大な薄型テレビ。正面、南側の壁一面には窓ガラスがはめ込まれ、外には赤い夕闇と北海道の大自然が広がっていた。


「めちゃいい部屋じゃん。うわ、なにこれ?」


 ダブルベッドを見下ろし、少女が目を見開く。

 白いベッドカバーの上に赤いバラの花弁でハートマークが描かれ、下に「LOVE」という文字が書かれていた。


「ホテルの人がサービスでしてくれたんだろ」


 俺は興味なさそうにベッドの前を素通りし、窓辺のソファに腰を沈めた。

 にじんだ疲れをとるように鼻の付け根を指で揉む。


「なんで?」

「ツアーを申し込むとき、備考欄に婚約者との旅行って書いておいたからさ。そういうことを伝えておけば、サービスが良くなるんだよ。レストランで窓辺のいい席に案内されたりな」


 彩香へのサプライズのつもりだった。

 今となっては皮肉な出迎えとなってしまったが。


「へー、でも、すてきじゃん」


 さやかはベッドの端に腰を落とし、薔薇の花をつまんだ。

 指を離すと、赤い花弁が白いベッドカバーにはらりと落ちていく。


「いいなー、あたしもいつかこんなホテルにハネムーンで来たいなー」

「おまえはちゃんと彼氏と二人で行けよ。俺みたいなアホなことにならないようにな」

 俺は鼻先で薄い笑いを洩らした。

「あ、コースケ、たそがれてる?」

「悪いか」

「しけた面してると、幸運の神様も逃げてくよ」

「そんな神様、とっくに夜逃げして国外逃亡してるさ」


 ちらっとLOVEの文字に目をやる。

 たまらなくみじめだった。

 ツアーをキャンセルをしなかったことを今さらながら悔やんだ。


 押し黙る俺に、さやかが訊いてきた。

「もしかして後悔してる? 彼女と別れたこと」

「するわけないだろ。あんな女、こっちから願い下げだ」

「ふーん、ならいいんだけど」

「何だよ」

「なんか未練たらたらって感じが」


 俺はぼんやりとガラスのソファテーブルを見つめた。

 そうなのだろうか?

 あんなひどい目に遭っても、俺はまだ彩香に未練があるのか?

 だとすれば、救いようのないお人よしだ。


 ?…………


 さやかが俺のそばに立っていた。腕をつかんで強引に立たされる。


「来な」


 ベッドの近くに連れていかれる。

 少女が手でバラのハートマークを指さす。


「ほれ、ダイブしてみ」

「ダイブ?」

「おもいっきりいきな。こんなLOVEぶっ壊しちまいなよ」

「いいよ、そんなの――」


 俺は静かに手を振りほどいた。生徒と歳の変わらない娘がいる前で、子供じみたことをするのは恥ずかしい。


「気持ちだけ受け取っておくよ。せっかくホテルの人がきれいにベッドメーキングしてくれたんだし、これも何かの記念だから後で写真でも撮って――」

「いいから飛べっつーの」


 背中をドンと蹴り飛ばされ、俺は頭から突っ込むようにダブルベッドに倒れ込んだ。

 きれいに整えられていたバラの花弁が飛び散る。


「おまえなぁ!」


 うつ伏せで痛む背中を押さえ、俺は首をひねった。


 突然、スピーカーから大音量のEDMが流れ、俺の声をかき消した。

 さやかがベッドのヘッドボードにあったオーディオを操作していた。

 ボリュームが限界まで上げられ、耳を圧するビードが鳴り響く。


 少女が白いベッドカバーを引っ張り、俺は転がるようにベッドから落下する。


「こんなもん、捨てちまえ。LOVEなんてぶっ壊せ」


 白い布を窓に放り投げると、少女がベッドに飛び乗った。

 大音量の音楽に合わせ、体をくねらせて踊りだす。

 テンガロンハットが頭から落ち、長い金髪が揺れる。


 ベッドの下でぽかんとその姿を見ていると、枕で頭を横殴りされた。

 よほどマヌケ面をしていたのか、俺を指さしてさやかが笑った。


「ねー、このベッド、跳ねたら天井に手が届くよ」


 ぽーん、ぽーんと体が上下する。

 下から見上げる俺の目には、揺れるおっぱいが見えていた。

 体はスレンダーなのに胸だけは大きい。


 だいじょうぶか。変なクスリとかやってんじゃないだろな……。


 ぷるるる、とインターホンが鳴った。

 俺はあわててベッドのヘッドボードの受話器に手を伸ばす。


「はい――」

「お客様、申し訳ありません。お近くのお部屋から騒がしいとフロントにご連絡をいただいておりまして」

「すいません。いま止めます」


 ボリュームを絞ると、部屋に静寂が戻ってきた。

 ベッドの上で踊っていたさやかが、白けたようにあぐらをかいた。


 俺は疲れた息をもらし、布団の上でゴロンと仰向けになった。

 両手両足を大きく伸ばし、天井を見つめる。


 LOVEなんてぶっ壊せか……。


 浮気が発覚するまで、俺と彩香は喧嘩ひとつしたことがなかった。

 今から考えれば、そうならないよう巧妙に彩香にコントロールされていた。

 彼女は男を立てるのがうまく、衝突する寸前で自分から引き下がる。


 俺はそれを二人の間に「愛」があるからだと思い込んでいた。

 本当の彩香の姿ををどれだけ知っていた?

 彼女と真剣に向き合ったことがあったのか?

 ベッドカバーに描かれたような、見栄えのいい愛に満足していただけでは?


 しばらく沈黙が落ちた。

 

「ありがとう。泊めてくれて」

 ぼそっとさやかが言った。

「いいんだよ。二人分のホテル代がもったいないからな」

「今日は公園のベンチで寝なきゃかもって思ってた」

「なんでそんなに家に帰りたくないんだ?」

「また尋問?」

友達(ダチ)のコースケとして聞いてるんだよ」

 ハーフ風のメイク顔が少し笑んだ。

「東京に戻りたいって言ったら、母親と喧嘩になった。ぶち切れて自転車で飛び出したはいいけど、ケータイは充電切れ、金も財布に千円だけ。おまけにパンク」

 

 事情は想像していた通りだった。どうりで母親に迎えに来てほしがらないわけだ。電話ボックスから本当に電話をかけたのかも怪しい。


「でも、あんたみたいな人、初めて会ったよ。女を泊めたがらないなんて」

「別に……普通だろ」

「男は泊まってけって、そればっか。誘い文句はいつも同じ。おもしろい映画のDVDがあるから見に来ないか。もう少し工夫しろっての。ヤリたいって言われた方が話が早いよ」

「行くのか?」

「イケメンなら――って、嘘嘘。行くわけないっしょ。あたしは付き合ってもいない相手とヤッたりしないよ」


 ギャルにはギャルの筋があるらしい。


「ちょっとベッドに寝てみていい?」

「なに遠慮してんだ? さっきノリノリで踊ってたろ」

「うっせーな」

 さやかが俺の隣にうつ伏せで横たわった。

「うわー、やっぱ高級ホテルのベッドは違うねー」

 布団に顔を埋め、気持ちよさそうにまぶたを閉じる。


 俺は首を傾けて、そばにある少女の横顔を見ていた。

 不思議な気分だった。

 彩香と来るはずだった部屋のベッドに見知らぬ娘が寝ている。

 半日前まで会ったこともなかった他人――それも金髪のギャルだ。


「あー、気持ちいいー、なんか寝ちゃいそう」

「夕飯は食べなくてもいいのか?」 

 少女の体ががばっと起き上がる。

「食べる! フレンチのフルコースだよね? あたし、食べたことない」

 

 俺は笑って上半身を起こした。


 自分が教えている東京の高校にはいないタイプの娘だ。

 エネルギーが有り余ってる気がする。

 ヤンキーやギャルというのは、みんなそうなのだろうか。


 傷心旅行は、思わぬ珍客の登場で色合いを変えようとしていた。

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