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4 職務質問

 駅前のロータリーでは、通勤帰りの人々がバスに乗り込んでいた。


 トラックと事故(じこ)りかけた俺は、それ以後、教習所の仮免運転もかくやという超安全運転モードに入り、結局、予定より大幅に遅れて駅に着いた。


 辺りは薄暗くなっていた。

 電話ボックスのそばに車を停め、俺はドアの外に立っていた。

 実家に電話を終えたさやかがボックスから出てくる。

 

「どうだ? お母さんと電話つながったか」

 さやかが首を振った。

「うちの母親、看護師でさ。勤務中はスマホ、ロッカーに入れとかなきゃならないの」

「そうか……お母さん、心配してるだろうな」

「あー、それはだいじょうぶ。最長で三か月、家を空けたことがあるから。毎日家にいたら、逆に気味悪がられる――みたいな?」

 てへへ、と笑う少女を無視して俺は訊ねた。

「お母さんと連絡がとれるのはいつなんだ?」

「うーん、休憩に入ったら、スマホを見てくれると思うんだけど」

「そうか……」


 重々しい顔でうなずきながら、俺はどうやって、この娘とスマートに別れられるかばかり考えていた。離婚した父親は東京なので助けにならない。


「北海道はお母さんの実家なんだろ。迎えに来てくれるような人はいないのか?」

「じいちゃんはとっくに亡くなって、ばあちゃんはボケて入院中」

「親戚のおじさんとかは?」

「ギャンブルで借金つくって、三年前から行方不明」

「友達は?」

「こっちにはいないねー。あたし、気球ぐらい浮いてたから」

「そうか……」


 同じ言葉を繰り返し、俺は親指の爪を噛んだ。


 今晩、宿泊するホテルはこの近くにあった。さっさとチェックインして、最上階の大展望露天風呂(旅行会社のパンフレットに記載)に浸かり、フレンチのフルコースを心ゆくまで堪能したかった。


 ――のためには、こいつ(ギャル)が邪魔だ……。


 段ボールに猫を捨てる人間の気持ちがはじめて理解できた。


「金を貸してやるから、電車で家の近くの駅まで――」

「ねー、あたしもホテルにいっしょに泊めてよ」

「だめだ」

 被せ気味に俺は答えた。

「なんで? 二人で予約してんでしょ? 一緒に行くはずだった女にフラれて、キャンセル料を払うのがもったいないから一人で来たって言ってたじゃん」

「いや、それは……」

「今日、泊まるホテルには展望風呂があって、夕飯はフレンチのフルコースって言ってたじゃん」


 ペラペラとしゃべりすぎたことを、俺は今さらながら後悔した。


「おまえの境遇には同情する。でも泊めるわけにはいかない」

「いいじゃん。別にあんたとヤルわけじゃないんだし」

「あたりまえだ!」


 近くを通りがかった人間が驚いて何人か振り向いた。

 俺はあわてて声を落とした。


「駅にはお母さんに迎えに来てもらえばいいだろ」

「だからー、夜勤なの。最悪、明日の朝まで来てくんないよ。それに自転車どうすんの? 電車に持ち込めないじゃん」

「またヒッチハイクすりゃいいだろ」

 半ばやけくそで俺は言った。


 かたくなな俺の態度に、さやかはため息まじりにぼやいた。

「あーあ、援交(ウリ)でもしよっかなー」

「……おまえ、本気じゃないよな?」

「一人でやるのは怖いから、客引いてきてよ」

「なんで教師が女衒(ぜげん)やんなきゃならないんだ!」


 視線に気づき、俺は口をつぐんだ。

 鉄棒のような太い黒ぶち眼鏡ををかけたオバサンがこちらを見ていた。


 まずい。地方都市で、おっさんとギャルのコンビは人目を引く上に、援交(ウリ)だの、女衒だのといったワードも不用意に注目度を上げる。


「クスリとかやってない優しいオジサンだといいなー」

 頭の上に両手を置き、唇をすぼめる。

「……わかった。タクシー代を貸してやる」

 俺はズボンのポケットから革財布を取り出した。

「五千円でいいか?」

「どうせなら三万貸してくんない? 東京まで行きたいから」

「ふざけるな!」

 さやかは顔をしかめ、口を尖らせた。

「そんなに怒鳴らなくてもいいじゃん」

「俺は真剣に話してるんだぞ。なのに、おまえはさっきから――」


 誰かが肩をチョンチョンと叩いてきた。

 いらっとした顔で振り向いた俺の目がぎょっとしたように固まった。


 制服姿の警官が立っていた。

 がっちりした体つき、角ばった顔、浅黒い肌……見るからに押しが強そうだ。


「どうかなされましたか? 大きな声を出されておられたようですが」

 声はおだやかだが、目は笑っていない。

「いえ、たいしたことでは――」


 緊張で声がかすれた。

 隣にいるのは家出娘だ。関係を問われるとまずい。

 ヒッチハイクで乗せたと言ったら、警官は信じてくれるだろうか?


「失礼ですが、こちらの女性とは?」


 視線の先には、さやかが立っていた。

 年のころ、16、7歳。胸まで届く金髪、小麦色の肌、ハーフっぽいギャル顔メイクにブラウンの瞳、上はキャミソール、下はデニムのショートパンツ。とどめはへそピアスである。


 欧米じゃ、完全に娼婦(フッカー)の格好だよな……。


 隣にいるのは、ギャルとまるで不釣り合いな36歳の男である。

 警察官の勘なんて使わなくても怪しいと思うだろう。


「いや……」


 俺は声がつまった。焦った。自分にテレビの「警察24時」のような状況が訪れるとは思いもしなかった。

 

 そのとき、俺の服の袖をさやかが引っ張った。


「お父さん、早くホテルに行こうよ。お腹へっちゃった」


 絶句した。お父さん?

 それは警官も同じだったようだ。


「娘さん……ですか?」

 俺の袖をつかんだまま、さやかが言った。

「お巡りさん、こう見えてお父さん、47なんだよ」

 警官が、失礼しました、と答えた。

「お若く見えたものですから……」

 まだどこか疑うような視線を向けてくる。


「若く見えるって。良かったね、お父さん」


 うれしそうに少女が俺の肘に腕を絡め、体を寄せてきた。

 むにゅっとした柔らかい胸が当たる。


「ね、もう行っていいでしょ? 今夜はフレンチのフルコースなの。チョー楽しみ」


 警官は何も言わなかった。

 俺は〝娘〟にうながされ、車の運転席に押し込まれた。

 助手席に身を滑り込ませた少女は、窓の外に手を振った。


「じゃーねー、お巡りさん」


 俺はぺこりと警官に頭を下げ、車のエンジンを入れた。

 動き出した車体に警官が申し訳なさそうに声をかけた。


「どう見ても42ですよ、お父さん」


 バックミラーから警官の姿が消え、俺はハンドルを握りながら安堵の息をついた。


「いやあ、マジであせったよ。でも、お父さんかよ。俺、まだ結婚もしてないんだぜ。せめてお兄さんにしてくれよ」

「おっさん、あんた、いくつ?」

「36だけど……」

「あたしの親父も36。とび職やってた19のとき、足場から落ちて骨折で病院に入院。そこで看護師をしてた四つ年上の母親に一目ぼれしてデキ婚、あたしが生まれたってわけ」


 俺はまたまた言葉を失った。

 お父さん、19でもう子持ちかよ。そのとき、俺は何をしていた? ろくに授業も出ず、学食で友達とバカ話をし、サークルや飲み会に明け暮れていた。

 ちなみにまだ童貞だった。


 この世には、俺の歳で、17の娘がいる人間がいるんだ……。 


 自分が結婚する頃には、あっちは孫ができているに違いない。

 人生で周回遅れの差をつけられている。

 どっと肩に疲れがのしかかり、俺は急に老け込んだ気がした。

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