34 家族会議
「……お父さん?」
俺は首をひねって訊ねた。裸にトランクス姿である。さぞかし間抜けだったに違いない。
「うん、シゲルって言うんだけど」
「いや、別に名前を聞いてるんじゃなくて、お父さんって、あのお父さんか?」
「他に何がいるのよ」
おら、と金髪のオッサンが凄んだ。
「娘が俺の名前を教えてやってんのに、興味ねえとはなんだ、てめえ」
「あ、いえ、お父さん、そういうわけでは……」
とたんに腰がくだけ、俺は両手を前に出す。
「お父さんだとう? てめえ、いつから俺の息子になったんだ」
そう言った後、はっと何かに気づいたようにベッドの娘を見る。
「さやか、まさか――」
「妊娠なんてしてないよ。お母さんから渡されたピル飲んでるもん」
金髪のオッサンがやりきれないように首を振る。
「あのなあ、さやか、俺はいつも言ってんだろ。ゴムだの、ピルだの考えなきゃなんねえ相手に体を許すんじゃねえ。こいつのガキなら産んでもかまわねえって相手とだけ寝ろ」
少女が優しげに、うん、と微笑んだ。
「お父さんとの約束、ちゃんと守ってるよ。あたし、コースケの赤ちゃんなら産んでもいいもん」
「よく言った! それでこそ、俺の娘だ」
いや、お父さん、と俺は心の中で思った。
赤ちゃんって、まだ付き合い始めたばっかりですが。
ふわあ、とさやかがあくびをかみ殺す。
「お父さん、あたし眠いから、もうちょい寝ていい?」
ゴロンと横倒しになり、肩から毛布にくるまる。
さすがに俺は「ちょっと待て」と言った。
「おまえ、この状況で寝るってなに考えてんだ!」
怒気をはらんだ声で突っ込むと、シゲルが眉間を寄せる。
「てめえ、俺の娘に、おまえ、だと」
頭痛がしたように俺はこめかみに指をあてた。
「お父さん、その……ちょっと黙っててもらえませんか? 話がぜんぜん先に進まない」
「だから、てめえのお父さんじゃねえって何度言えばわかんだ」
だめだ。収拾がつかない。
同じ空間にボケが二人。
トリオ芸人の突っ込み役になった気分だ。
「あ、そうだ――」
毛布をかぶった体がむくりと起き上がる。
「お父さん、なんで、ここにいるの?」
思い出したようにさやかが訊ねた。
ようやく話が最初に戻った。
そう、それだ。俺も訊きたかったのは。
「なんでって……おまえが家出したってお母さんから聞いて……いてもたってもいられなくてよ」
「わざわざ東京から?」
「ちょうどこっちに来る用事があったんだよ。お母さんと――」
シゲルが答えようとしたときだった。
部屋の外で、乱れるような複数の足音がした。
寝室の戸口に、二人の人間が姿を現した。
一人は30代ぐらいの大人の女性、
もう一人は、さやかぐらいの少女だった。
少女の方は顔を見てすぐわかった。
これが例の双子の妹だろう。
顔も体型も同じなので、違う部分をあげていく。
まず髪の色。
肩までの長さで濡れ羽色の美しい黒髪だ。
カラコンはしていないので瞳は黒。
ベレー帽をかぶり、黒縁の眼鏡をかけている。
上は薄いシックなセーター、下はフレアスカート。
東京の私立高のお嬢様、あるいは図書館が似合いそうな文学少女風だ。
その隣にいるのが30代ぐらいの大人の女性。
テーラードジャケットにパンツスタイル。
オフィス街にいるデキる女っぽい印象。
恐らくはさやかと双子の妹の母親だろう。
目もとに面影がある。
あの姉妹の母親だけあって、かなりの美人だ。
母親はツカツカと部屋を横切った。
俺の前を素通りし、ベッドのさやかのもとに行く。
パンッ。
さやかが頬を押さえて、顔をうなだれさせた。
母親は娘を見下ろし、凛とした声で言った。
「ハンパなこと、やってんじゃないよ」
徐々に状況がつかめてきた。
家出娘のさやか。
金髪のオッサンが(離婚した)父親。
双子の頭のいい妹(正統派美少女)。
それに看護師をしているシングルマザーの母親。
早朝、北の果てで家族集結というわけである。
で、一人部外者の俺。
立ち位置がわからない、どうしていいのかも。
悩んだ末に俺は遠慮がちに口にした。
「あの……いろいろご事情はあると思いますが、少し落ち着いて話をしませんか?」
裸にトランクスといういちばん間抜けな格好で、俺はいちばんまともなことを言った。
母親が初めて俺に気づいたような顔をした。
「あんた誰?」
俺は言葉につまった。どう説明すればいいのか。
「新しい彼……」
ぼそっとさやかが言った。
母親に手をあげられ、珍しく気落ちしている。
父親のシゲルがうさんくさいものでも見るような顔を俺に向ける。
「彼って、いくつだよ、おまえ」
問われた俺は口ごもるように答えた。
「え……あの……36……です」
「マジか。俺と同い年か」
そういえば、お父さん、俺と同い年だと言っていたな。
あれ? たしか今度、お母さんが再婚する相手も36とか……。
「援交とかじゃないよ! コースケとはちゃんと付き合ってるから」
先回りするようにさやかが弁解すると、ふっと母親が笑んだ。
「わかってるよ。あんたはバカだけど、ほんとに好きになった男以外と寝たりしない」
父親も口を笑いの形にゆがめた。
「ま、族の連中でも、さやかに手を出そうなんて男はいなかったからな。俺の娘を抱くような度胸のあるやつはいねえ。たいてい、さやかが一方的に熱をあげるパターンだ」
妹が白けたように言った。
「だから、お姉ちゃんの彼氏になった人って、たいてい逃げてくんだよ。前の大学生はひどかったよね。付き合って3日で、青年海外協力隊に入隊して海外逃亡したもん」
最初にさやかと会ったとき、少女はどこか自慢げに「同じベッドで寝ても、(ちゃんと)付き合っている男以外とはやらない」とか言ってた。
やらないんじゃなくて、怖くてやれないのだ。2000人の暴走族のヘッド(準構成員の疑惑あり)の娘に、おいそれと手を出せる男はいない。
じりじりと俺は寝室の出口に向かった。
逃げるんじゃない。それは誤解しないでくれ。
ただ、少し頭を冷やす時間がほしかった。
「おい、コースケ――」
金髪のお父さんが俺を呼び止めた。
「気を利かせて席を外す必要はねえ。おまえもさやかの彼氏なら、聞いてほしい話がある」
シゲルは急に改まった顔になった。
全員の視線が金髪のオッサンに集まった。
「実は……お母さんとよりを戻すことになった」
さやかが「はぁ?」と声をあげた。
「それってどういう……」
美人のお母さんが疲れた息をついた。
「あんたたちに言うタイミングが遅れたのは悪かったと思ってるよ。ちゃんと伝えようと思ってたら、さやかに電話を聞かれたみたいでね……」
ようやく話がつかめてきた。
離婚した母親が別の男と再婚すると勘違いしたさやかは家出をしたわけか。
それで家族総出で追いかけてきた。場所は妹から聞いたのだろう。
「お父さんと再婚って……じゃあ、また家族で一緒に住めるの?」
「うん、ただ、お父さんは鳶の仕事があるからね。北海道に来てもらうわけにもいかないし……あんたたちには悪いけど、また戻ることになるかも……あたしは看護師だから、どこでも働けるからね」
「東京に戻れるの?」
さやかの顔がぱっと輝く。
「まあ、そういうことになるね。せっかく編入試験を受けてまで、こっちの高校に来てもらったのに、申し訳ないけど……」
お母さんが腕組みをして、難しい顔をした。
「で、学校をどうするかなんだけど……まあ、こずえはどこの学校でも編入できるけど、さやか、あんたは……前の学校に受け入れてもらえるか、事情を話して頼んでみるよ」
妹の名前は〝こずえ〟と言うらしい。
それはともかく、父の提案を聞いたさやかが手をあげる。
「あたし、コースケの学校に行きたい! あのね、お父さん、お母さん、あたしの新しい彼、学校の先生なんだ。高校の英語の先生なの。だから、コースケの学校に転校したい!」
「おお、そりゃいいじゃねえか。学校でも、ベッドでもいろいろ教えてもらえる――なんてな?」
下品な冗談にお母さんと妹が眉をひそめる。
さやかだけが、でしょ! とお父さんとハイタッチしかねない勢いである。この父娘、どこか似ている。
「いえ、あの……僕の働いている高校、そこそこの進学校でして……」
偏差値38のさやかでは、編入はまず無理だ。
「またこずえに替え玉やってもらえばいいじゃねえか」
まるでラーメンの替え玉を頼むように父親が言った。
替え玉?……
言葉の意味を理解するのに多少の時間を要した。
替え玉って……替え玉受験か……?
それで今さらながら思い出した。
渚家の姉妹は双子だ。
さやか曰く、妹は学費免除になるぐらい頭がいいらしい。
髪の色をそろえれば、試験官はまず見破れない。
「バカ! お父さん!」
妹のこずえが目で注意をうながす。
さやかとシゲルの父娘が、いけね、という顔をする。
お母さんが急にうろたえるはじめる。
「あら、ごめんなさいね、先生……いえ、ちがうんですよ。ちょっとさやかの体調が悪いときとか、妹が〝助ける〟ことがありましてね、ほほほ。ほんとに姉思いの妹で……」
こいつら……母親も共犯か。
家族ぐるみの犯罪というフレーズが浮かぶ。
「ね、いいでしょ。あたし、コースケの高校に行きたい!」
替え玉役の妹のこずえが顔を曇らせる。
「ほんとにいいの? お姉ちゃん、入ってから苦労するかもよ」
もう替え玉受験をする前提で話が進んでいる。
「勉強がんばる! ね、お願い。お父さん、お母さん、コースケの高校に行かせて」
「そうだなあ……」
シゲルが俺の顔をちらっと見る。
おねだりするような目だった。
こういうときの顔だけは娘そっくりだ。
「いやいやいや、替え玉受験なんてダメですよ、ぜったい」
俺がブルブル首を振ると、シゲルが唇を尖らせた。
「ちいせえこと言うなよ。先生だって、女子高生に手を出してんじゃん」
ぐっと俺はうめいた。
いちばん痛いところを突かれた。
「どうせなら、学校だけじゃなく、コースケが担任するクラスがいいなー」
さやかが能天気なことを言った。
「お、いいじゃねえか。彼氏の教師がいろいろ助けてくれるよ。テストに出るところを事前に教えてくれたり――なんてな」
俺は青ざめた。
本当にこの父娘は転校してきそうだった。
そうさせじと俺は必死に抗弁する。
「あの……僕は1年のクラスを担任してるんです。さやかさんは高2ですよね? 編入しても、僕が担任になることはありません」
「え、こいつ、高1ですよ」
あっさりとシゲルお父さんが言った。
俺はたっぷり5秒沈黙し、それから確実を期すため、あえてお母さんに尋ねた。
「あの……お母さん、ちょっといいですか、娘さんたち、おいくつですか?」
「16ですよ。この前なったばかりです」
てへぺろ、とさやかが頭をコツンと叩いた。
「ごめん、ちょっとサバ読んでた。ほら、16っていうとさ、ヒッチハイクで乗せてくれなかったり、お酒を飲ませてもらえなかったりするじゃん。1歳ちがうだけで、引く人いるから……それでね、つい……ごめんね、あとで言い出しにくくなっちゃってさー」
まるで17歳=成人みたいな言い方をする。
「お、おまえ……16か……」
たった1歳の違いが、なぜこれほどダメージを与えるのか。ただ、今思えば、抱いたり、キスをしたとき、なんか体が細いな、小さいな、華奢だな、とは思った気がする。
「大丈夫ですよ、先生。16って親の同意があれば結婚できますよ。もちろん、俺はオッケーな」
「ありがとー、お父さん」
妹のこずえが眼鏡を指で持ち上げ、冷静に告げる。
「民法の改正で、女性が結婚できる年齢は16歳から18歳に引き上げられます。ただし、施行は2021年ですので、今はまだ問題ありません」
金髪のオッサンがうなずく。
「まあ、教師ってのもいいじゃねえか。今まで付き合ってきた男のなかじゃいちばんマトモだし、勉強も教えてもらえそうだしな。ま、俺と歳がタメってのがちょっと気になるけどな……」
動悸が速くなり、周りの景色がぐるぐる回りはじめる。キャンプ場以来、二度目の(良位性)めまいである。
「おう、そうだ、先生、結婚したら、さやかと一緒にウチに住みなよ。足立区にある爺さんの代からの古い家だけど、けっこう広いんだよ。部屋あまってるからさ」
どさっと俺はその場に倒れた。
暗くなっていく意識の中で俺は思った。
目が覚めたら、今度は異世界に転生できないだろうかと。
 




