33 早朝の訪問者
◇
ぼんやりした視界に白木の天井が映った。
窓の外からチュンチュンと野鳥のさえずりが聞こえる。
俺は首を左に傾けた。
隣に金髪の頭があった。毛布からのぞく白い肩とうなじを目にして、今さらながら昨夜の出来事が現実だったのだと理解する。
俺はサイドテーブルのスマホに手を伸ばした。
朝の7時過ぎだった。
まだ早い。さやかはあと1時間は起きないだろう。
野鳥の鳴き声をBGMに、もうひと眠りしようと思ったときだった。
ドドドという低いエンジン音が聞こえてきた。
こんな早朝にバイクかよ……。
音が家の前で止まり、スタンドを立てる気配がする。
俺は体を覆っていた毛布をめくり、フローリングの床に裸の足を落とした。トランクス姿で窓辺に行き、レースのカーテン越しに外を見る。
大型バイクのそばに黒い革つなぎが立っていた。
フルフェイスのヘルメットを脱ぐと、短く刈り込んだ坊主風の金髪が姿を現した。
年齢は30代に入ったぐらいか。
格好もあって若く見える。もちろん見知らぬ男だ。
金髪男はヘルメットをシートに置き、ログハウスを見上げた。
窓辺に立っていた俺と目が合う。レース越しなので外からは見えないとわかっていてもドキッとした。
あいつは――。
俺は急いでベッドに戻り、サイドテーブルに戻した黒いスマホを手に取り、画面をタップする。以前、さやかに勝手に変えられたSNSのアイコンを呼び出す。
やっぱり……。
眉を剃り、頬がこけ、唇にアフリカの部族がつけるような大きなピアスをぶら下げた、見るからにヤバそうな金髪野郎。今、外にいた革つなぎ男とそっくりだった。
たしか、足立区の暴走族のヘッドって……。
さやか曰く、怒羅鬼螺というチームのリーダーで、ニックネームは狂獣。今はもう引退しているが、2000人のチームを率いていたとか。
その狂獣が今、北海道の標津町のログハウスの前にいた。多少、アイコンの画像より歳はとっていたが、さっき窓越しにちらっと見た顔は、たしかにあの男だった。
なんでビーストがこんな北の果てに……。
そこまで考えて、はっと俺は息を呑んだ。
まさか――あいつがさやかの〝元カレ〟?……
ライダーズハウスの駐輪場で、少女は千佳さんにカマハン(※カマキリみたいなハンドル)のバイクは旋回性能が弱いので白バイから逃げきれないとか、暴走族の〝あるあるネタ〟を披露していた(免許も持っていないのに)。
元カレが暴走族だから詳しかったのか?
ビーストは、俺とさやかが一緒に旅をしていることを知って(どうやって知ったのかはわからないが)、怒り狂って、東京からわざわざ北海道までやってきた?
一階からピンポーンと呼び鈴の音がした。
俺は青ざめた顔で、顔の下半分を手で覆った。
くそ、どうすりゃいいんだ?……
話し合いが通じる相手ではない。
なにせ相手は狂獣である。
ドンドンドンとドアを荒々しく叩く音がした。
「おい、中にいるのはわかってんだ、出てこいや!」
マジもんの輩だった。準構成員ではないかもしれないが、半グレあたりの一味だろう。リアル反社というやつだ。
俺はベッドに顔を戻した。こんな状況にもかかわらず、さやかは気持ちよさそうにスヤスヤと寝ていた。
やりすごすんだ……このまま息を潜めて……。
ドアさえ開けなければ、あきらめて帰っていくだろう。
そのとき、ガシャンと窓の割れる音がした。
俺の心臓がジャンプする。
マジか!? あいつ、窓を割りやがった……。
完全に犯罪、立派な不法侵入だ。
俺は警察に電話しようとスマホに指をのせた。
いや、ちがう。さやかを守るのが先だ……。
家に侵入された以上、いつここに来てもおかしくない。パトカーの到着を待っている暇はない。
俺は部屋の中をきょろきょろと見回し、武器になるような物を探した。
何かないか……ゴルフクラブとか、バットとか……。
包丁を取りに一階のキッチンに行けば、あの金髪と出会ってしまう。相手は狂った獣だ。武器を奪われて返り討ちという展開も大いにありうる。
せめてこの部屋に鍵を――。
だが、この寝室のドアには鍵はなかった。
次に考えたのがバリケードだった。重いものでドアを塞ぎ、警察が来るまで時間を稼ぐのだ。だが、リゾート地の別荘の寝室に本棚はない。
そうだ、ベッドのマットを縦にすれば……。
俺はベッドに駆け寄り、少女の肩を揺さぶった。
「さやか! 起きろ。強盗だ」
少女がむにゃむにゃと口を動かす。
「もうちょっと寝させて……」
裸の肩を毛布でくるみ、寝がえりを打つように窓の方を向いてしまう。
「寝てる場合か! 強盗が家の中に入ってきてるんだぞ」
「なんとかなるって」
「おまえ、テキトーに言ってんだろ!」
危機感がまったくない。場違いに、ここまで何も考えてないなら、人生楽しいだろうな、と思った。
階段を上がってくる荒々しい足音がする。
ドンと蹴破るようにドアが開いた。
戸口に黒い革つなぎを着た金髪の男が立っていた。
背格好は俺と同じくらい。手に凶器は持っていない。
実物は、ひょろっとした金髪のパンクロッカーといった風貌。
「な、なんですか、あなたは……」
ベッドとさやかの間に立ちはだかり、俺は震え声を絞り出した。
「なんですか――だとう?」
トランクス姿の俺(ほぼ裸)と、背後のベッドにいる裸の少女を交互に見える。俺たちが昨晩、ここで何をしたかは一目瞭然だった。
「てめえ、よくも、俺のさやかに――」
ビーストがうなり声をあげる。
やはり、さやかの元カレだったのだ。
殺される! 俺は初めて死を意識した。
奥平浩介、北の大地で36年の生涯を終える――。
遺書を破らずにとっときゃ良かった、と後悔した。
そのとき背後で、もぞもぞと人が動く気配がした。さすがに、さやかも目を覚ましたようだ。
「さやか! 警察に電話をしてくれ!」
俺は仁王立ちしたまま、後ろの少女に叫んだ。
数秒の沈黙の後、さやかのねぼけた声がした。
「あれ、お父さん? なんで、こんなとこにいるの?」




