29 ゲスな結末
◇
高原に朝日がのぼり、野鳥のさえずりが響く。
テントの中には三つの体が横たわっていた。
ギャルと美女に左右から抱きつかれながら、俺は仰向けで寝ていた。
くそ……一睡もできなかった……。
充血した目でテントの天井を見つめる。
眠気もそうだが、体勢を変えられなかったのがつらかった。身じろぎしたら、女性たちを起こしてしまいそうで、寝がえりひとつ打てなかった。
ト、トイレに……。
ずっと我慢していて尿意が限界だった。
俺は寝袋から抜け出し、よろよろとテントを這い出た。内また気味に芝生を走り、簡易式トイレに駆け込んだ。ためこんでいたものを出し、ようやく息をつく。
用を足して戻ると、さやかがテントの前にいた。ふわあ、と大きなあくびをし、手に持っていたペットボトルの水を飲んだ。
俺の顔を見て、首をかしげる。
「どうしたの? 目、真っ赤だよ」
「ちょっとな……」
俺はテーブルの前にあった椅子にぐったりと背中を預けた。頭はぼんやりとかすみ、背中はバキバキに張っている。
やばい……俺、今日ちゃんと運転できるかな……。
一晩で何歳も年をとったようだった。
ほどなく、千佳さんもテントから出てきた。
ノーメイクで、寝ぼけまなこの女子大生はかわいらしかったが、今は疲労でそれどころではなかった。
女子大生は心配そうに俺の青い顔を覗き込む。
「あの……奥平さん、大丈夫ですか?」
「はあ、ちょっと眠りが浅かったみたいで……」
「すいません……私のせいですかね?……」
恥ずかしそうにもじもじする。
昨日、俺の胸で泣きじゃくった件だろう。
朝になって気まずくなったのだ。
自分も経験があるから気持ちはよくわかる。
「いえ、松田さんのせいじゃないです。たぶん、慣れないテント泊だったからじゃないかな。僕、けっこう神経質なところがあるんで」
「ほんとほんと」
さやかが笑いながら俺の肩を叩く。
「コースケは繊細すぎるんだよねー。ホテルのベッドじゃないと眠れないとかさー、あはは」
いや、おまえのせいだろ。オッサンを惑わすようなことを言いやがって。
夜中、スマホでHOW TO SEXのサイトを巡回した。女性を感じさせる方法とか、そんな記事を読みあさった。だが、付け焼刃ではどうにもならないとあきらめた。
その後、三人でキャンプの撤収に入った。
俺とさやかはテントの片づけをし、千佳さんはレンタルしたカセットコンロやバーベキューの道具をしまっていく。
俺は地面に膝をつき、テントを固定していたピンを抜いた。
例の件はどうしよう?……
千佳さんからは、家出中のさやかを家に帰し、二人で旅を続けないか、と誘われていた。
一方のさやかからは、千佳さんのいないところで一夜を過ごしたいと迫られていた。
女子大生か、ギャルか。
普通に考えれば千佳さんのような気はする。
彼女は20歳の女子大生で、教職にも興味がある。いささか不倫の過去は気になるが(けっこう最近の話らしいし)、東京に戻ってからも、いい関係は続けられるだろう。英米文学という共通の趣味もある。
対して、さやかは金髪ギャル。育ってきた環境も価値観も違う。いや、悪いコじゃない。純粋で、明るくて、ものごとをはっきり言ってくれるので、優柔不断な俺は助かる。でも、17歳だ。まだ子供だ。
そこまで思い至って、俺ははたと気づいた。
なんてゲスいことを俺は考えているんだ……。
二人の女性、どちらとの関係を続けるのが得か、計算していた。
いつから俺はそんな偉そうな立場になったのだ。つい一か月前には、婚約者を寝取られたあげく、三行半を突きつけられたのでは?
調子にのってんな、という声が聞こえる。今に痛い目にあうぞと。
そうだな。どちらを選ぶにせよ、せめて〝誠実な結末〟になるようにしよう……。
テントの中にいるさやかに俺は訊いた。
「おまえ――家族は心配してないのか?」
そろそろ家に帰らないでいいのか。
暗にそんなニュアンスを匂わせた。
「妹に連絡してるから大丈夫だよ」
荷物をリュックにつめながら少女が答えた。
「でも、おまえが家にいなかったら、お母さんだって心配するだろ」
「うーん、あたしが家にいないって、まだ気づいてないんじゃないかなー」
「そんな親いないだろ」
「妹に協力してもらってるからね。金髪のウィッグをつけて、あたしの部屋でゴロゴロさせてる。親はあたしが部屋にいると思ってるよ」
なるほど、カツラで偽装工作というわけか。金髪も使いようだ。家出した姉のためにそこまでしてやるとは、姉妹仲はさぞいいのだろう。
「妹さんと歳、近いのか?」
ウィッグで実の親の目をあざむけるなら、背格好も似ているのだろうか。
「うん、てか、同い年」
「あ、そうなんだ」
一瞬、そのまま流しそうになった。
「同い年? 妹じゃないのか?」
「あれ? 言ってなかったっけ。うちら双子」
唐突にさやかが告白した。
「いや、聞いてない」
さやかがスマホをいじり、ほい、と黒い筐体を差し出してきた。二人の少女が顔をくっつけ、ピースサインをしている写真が液晶画面に表示されていた。
左に写っているギャルメイクはさやかだ。
それはすぐわかった。
問題は右に写っている娘だった。
メイクを落としたさやかがそこにいた。
王道の清純派美少女が写っていた。
「マジか……」
千佳さんもテーブルを片付ける手を止め、近づいてきた。俺からスマホを渡され、画像に息を呑む。
「……すごい、そっくり」
さやかがスマホを受け取り、ちょっと自慢げに言った。
「あたしとちがって妹は頭イイんだ。あたしは偏差値38のバカ高にギリで拾ってもらったけど、妹は北海道の進学校への編入試験も楽勝だったもん」
あ然としたように俺はつぶやいた。
「同じDNAでか……」
顔は同じなのに、どうして脳が異なるのか。
生命の不思議を感じずにいられない。
「だから、家出のときは、妹にあたしっぽい格好をさせて、部屋で雑誌でも読ませとけば、親はあたしがいると思い込むんだよね。ま、そりゃ親だから、ちゃんと話せばすぐ見破るけどさ。母親は看護師の仕事が忙しいから、けっこう気づかないよ」
なるほど、と俺はうなずいた。
って、感心してる場合か。家族が心配しているぞ、で家に帰す作戦は失敗に終わった。
そのとき、ピロンと着信音がした。
さやかが手の中のスマホを覗き込む。
「あ、妹からだ」
噂をすればなんとやら、当の本人から連絡がきたらしい。
ニヤけ顔でさやかが文字を打ち込む。
嫌な予感がして、俺は訊ねた。
「なんて言ってるんだ?」
「うん? 教師のオッサンと旅行してるって言ったら妹も来たいって。夏休みで暇なんだって」
スマホを手にケラケラ笑う。
「おまえ、妹に俺のことをしゃべったのか?」
俺は顔を青ざめさせた。
「うん、あたしら、隠しごとしないんだ。高級ホテルとか、キャンプ場にテントで泊まったって言ったら、うらやましいって。行きたいって」
「……それで、なんて返事したんだ?」
胸騒ぎを抑えながら俺は訊ねた。
「あ、いいよー、あんたも来なよって」
ばっと俺はさやかからスマホを奪い取った。
アプリのトーク履歴を確認する。
そこには「お姉ちゃん、あたしも行っていい?」「いいよー、いつでもおいでよ」「場所どこ?」「ふれあい牧場のキャンプ場」という、チョー軽いノリのコメントに既読マークがついていた。
「……マジか」
頭からすうっと血が引いていく。
さらにJKが増殖する。
今度は金髪じゃなくて黒髪。
しかも姉妹だ。
「おまえ、どういう――」
つもりだ、と声にできずに絶句した。
「え、いいじゃん。妹はいいコだよ。コースケの好きなセイジュン派だし、すぐ仲良くなれるよ」
「いやいやいや、おまえ、昨日の夜、俺に言ったろ? 二人きりになりたいって」
変な汗がタラタラと流れる。
言ってることと、やってることがまるきり逆だ。
「うん、そーなんだけど……妹はいても別に気にならないっていうか。あ、コースケはそういうの嫌なタイプ?」
「ああ、嫌なタイプだ」
とにかく俺は必死だった。
これ以上、JKが増えたら収拾がつかない。
だから、真剣な顔で訴えた。
「俺はおまえと二人きりになりたい。初めての神聖な夜は二人で過ごしたい。だから、頼む。妹さんにはここに来ないように言ってくれ」
頭を下げ、スマホを少女の前に差し出す。
「……コースケ、そこまであたしのこと、大事に思ってくれてるんだね」
スマホを受け取り、さやかが目を潤ませた。
少女の手ごと、包み込むように俺は握った。
「そうだ。だから、妹さんには――頼む」
「うん、わかったよ」
さやかがスマホを打ち直した。
俺は芝生の上にへなへなと崩れ落ちた。
背中が冷や汗でびっしょりだった。
た、助かった……。
別の方向から怒気のようなものを感じた。
怖々と俺は振り返った。
千佳さんがうつむき、肩を震わせていた。
しまった……千佳さんのことを忘れていた……。
寝不足にストレスが加わり、動悸が速くなる。
ぐるぐると視界が回った。くらっとめまいがして俺は芝生にバタンと倒れこんだ。
暗くなっていく意識の中で俺は思った。
最悪だった。
サイテーにゲスな結末だった。
 




