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28 テントの夜2

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 30分か、あるいは1時間か。

 泣きつかれたのか、千佳さんは寝てしまった。


 体を動かすと起こしてしまいそうなので、俺はテントの天井を見つめたまま、じっとしていた。


「不倫か――千佳さんもけっこう()()()だね」


 耳元で別の女の声が聞こえた。

 驚いた俺は声のした方――左に首をひねった。


 肩のすぐそばにさやかの顔があった。

 まぶたがぱっちり開いている。


「起きてたのか」


「途中からね、話の内容がアレだから寝たフリしてた。ま、二人が()()を越えそうになったら目を覚まそうって思ってたけど」


「一線ってなんだよ」


「アオカンはまずいっしょ。いくらテントの中っていったって、ファミリーキャンプ場だよ、ここ」


「アオカンって、おまえな――」


 声を荒げる俺の口を少女の小さな手がふさぐ。

 もがもが、とくぐもった音が洩れる。

 俺の耳もとで、さやかがヒソヒソ声で告げる。


「バカ、千佳さんが起きるでしょ」


 俺は今度は首を右にひねった。

 肩に顔を寄せ、女子大生が静かな寝息を立てていた。


「でも、しそうになった――でしょ?」


 俺は返答につまった。くらっとなったのは事実だ。隣にさやかがいなければ、理性を保てたか自信がない。


「気持ちはわかるけどね。千佳さん、かわいいもんね」


「そういうわけじゃ――」


「いいのいいの。でも、もうあたし以外の女と()()のはダメだからね」


「へ?」


 この小娘(ギャル)、今なんと言った?


「いちばん最初に言ったでしょ。あたしは付き合ってる男としかやらないって。だから、男もあたし以外の女とやったらダメ。それが付き合ってる間のルール」


「いや、俺とおまえがいつ――」


 付き合ったというのだ。

 少女が眉根を寄せ、不快そうな顔をする。


「はぁ? もう昨日から付き合ってるじゃん」


 俺はあ然とした。

 あの街灯の下のキスのことか。あのキスをもって〝交際成立〟ということなのか。

 そりゃまあ、ノリや冗談で片づけるには、やたら情熱的なキスだったけれども(時間もけっこう長かった)。


「いや、でも――」


「なに、じゃあ、コースケは小学生みたいに、好きですって告白して付き合い始めるの?」


 ぐ、と俺は声につまった。まさにそう思っていた。「告白」と「返答」は、男女の関係に欠かせない段取りだと信じていた。


「あたしは付き合うことにした男とはすぐ()()。だって寝てみないと、どんなやつかわかんないじゃん。昨日も今日も、千佳さんがいるから延期になってるだけ」


 言われてようやく気づいた。

 付き合うまでのハードルが違うのだ。

 ギャルと陰キャの俺とでは、


 俺にとって男女が付き合うとは、


 1・デートを重ねる(映画鑑賞とか)。

 2・相手の人柄をよく知る。

 3・夜景の奇麗なレストランとかに行く。

 4・きちんと告白する。

 5・相手の返答を受けて交際スタート。

 6・キスをする。

 7・セックスをする(6と7は同時の場合あり)。


 ……だいたいまあ、こんな感じだ(異論は認める)。


 が、ギャルは違う。

 心が通じ合えば、だいたいオーケイなのだ。

 で、とりあえずセックスしてみる。

 コミュニケーション手段の一つとして。

 恋愛が野性的というか、瞬間的なのだ。


 黙り込む俺に、さやかが唇を尖らせた。

 

「なに? ()()ないのに、女に付き合ってるって言われるのがいやなの? じゃ今ここで()()? コースケって、そういう趣味の人?」


 俺はぶるぶる首を振った。このギャルは本気でやりそうで怖い。隣には千佳さんが寝ている。今やったら、限りなく3Pに近いことをすることになる。ふれあい牧場のファミリーキャンプ場で!


「あたしも、こういう宙ぶらりんなのはいやなんだよね……だから、明日の夜は絶対にコースケと()()から」


 うん、と自分に言い聞かせるようにうなずく。


 そのためにも、夜は二人きりになりたいとさやかは言った。皮肉なことに、それは千佳さんから求められたことと同じだった。


 薄闇の中でさやかが体を起こした。

 俺の顔に覆いかぶさってきた。

 柔らかい唇が重なり、垂れた金髪が俺の頬をなでる。


 すっと少女の顔が離れた。

 ふふ、といたずらっぽく目が細まる。


「36のオッサンとするのって初めて……ちょっと楽しみかも」


 それから再び俺の体のそばに横たわると、腕にしがみついた。


「おい――」


 呼びかけると、さやかがつぶやくように言った。


「あ、ゴムは用意しなくていいよ。あたし、ピル飲んでるから」


 それだけ言うと、じゃ、おやすみなさい……とまぶたを閉じた。やがてスースーと静かな寝息が聞こえてきた。


 俺はぼうぜんとしていた。

 さやかは恐らく自分と近い年齢の男としか付き合ってこなかったのだろう。つまり10代や20代の男だ。


 30代も半ばのオッサンと寝るのは初めて。それを「楽しみ」とはつまり、俺に36歳の男なりの〝テクニック〟を期待しているということだ。


 頭からすうっと血の気が引いた。


 いやいやいやいや、ないだろ、それ。オッサンに逆の意味で妄想を抱きすぎだろ。年齢=性体験の豊富さ、じゃないだろ。中年男のねちっこい愛撫とかできないぞ。


 ぶっちゃけ、俺が女とちゃんと付き合ったのなんて、大学時代の人形劇サークルの一年下の後輩と、元婚約者の彩香だけだ。


 不意にレジェンド・加藤鷹(※カリスマAV男優)の浅黒い顔が浮かんだ。


「コースケ、ギャルに見せてやれよ、オッサンのテクってやつを。イエス、ゴールドフィンガー!」


 俺は首を振った。


 ないから、それ。絶対にありえないから。「テク」なんて何もないよ。悲しいくらい、何もないよ。


 ブラがフロントホックだったら、外せるかすら自信がない。真っ暗だったら、コンドームの装着すら不安だ。相手は17歳とはいえ、百戦錬磨のギャル。そんな女を満足させるテクなどあるわけない。


 そこまで考えて俺は思い至った。

 それどころではない。

 ベッドの心配をしている場合じゃない。俺は二人の女から、女と関係を切れ、と迫られていたのだった。


 どうする俺?

 どっちを選べばいいんだ?

 ギャルか、インテリ女子大生か。


 レジェンド・加藤鷹が悪魔のようにささやいた。


「3Pって選択もあるぞ、コースケ」

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