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26 からまる指先

 ◇


「うわ、いきなり開いた!」


 ぼわん、と水色のテントがふくらみ、飛びすさったさやかが歓声をあげた。


 そこは、ふれあい牧場に隣接したキャンプ場だった。ちょっとした野外フェスが開けるぐらいの芝生の広場に、赤、青、黄……と色とりどりのテントが咲いている。

 客は家族連れが多かった。ペットの犬を連れてきている人もいる。


 受付でキャンプ道具一式をレンタルし、俺はちょうどテントの設営を終えたところだった。説明書のチラシに目を落とし、驚いたようにつぶやく。


「店員さんが、設営の仕方がわからなかったら呼んでくださいって言ってたけど、意味がわかったよ。こんなの、ただの折り畳み傘だろ」


 寝袋のように巻かれたテントを芝生の上に広げ、四本のポールを伸ばし、最後はボタンを押すだけだった。「ワンタッチテント」と言うだけはある。


「ねー、中もフカフカだよ」


 さっそくテントに入った少女が仰向けで両手両足を広げ、大の字になった。中を覗き込んだ俺に「おいでよ」と手招きする。


 俺は腰をかがめ、テントに足を踏み入れた。

 中は大人3、4人が寝れる広さがあった。下は芝生なのでシートの下は柔らかい。いちおうレジャー用のアルミマットも借りてあるが、このままでも良さそうだ。


「ほら、寝てみて。気持ちいいよ」


 俺は少女の隣にゴロンと仰向けに横たわった。


「……たしかに」

「でしょ!」


 テントの入り口は左右に二つあった。ファスナーを締めても、上半分がメッシュ素材の「窓」のようになり、風が良く通った。


「ね、キャンプにしてよかったでしょ?」


 さやかに言われ、俺は、まあな、とうなずいた。


「でも、突然どうしたの? あんなに嫌がってたのに」


「乗馬をしてたらここのテントが見えてさ。自然の中でキャンプもいいかなって」


 正確には、いいと思ったのは自然ではなく、千佳さんのおっぱいである。

 ギャルか、おっぱいか、二択を迫られた俺は、とりあえずキャンプで一晩を過ごし、結論を先送りにすることにしたわけだが、もちろん、そんなことは言えない。


「でも、自然の中で寝てるって感じがするよ。草の匂いがして……」


 俺はまぶたを閉じた。

 遠くの野鳥の鳴き声、風の音、他の家族連れの子供たちの声……都会では聞かない音が、優しく耳をなでる。


 でも、俺がキャンプでテントなんて……。


 一人の旅だったら絶対にしなかった。元婚約者の彩香は、三ツ星のホテルに泊まるのを好むような女だった。野外で一夜を明かすなどあり得ない(やぶ蚊がどうとか文句を言ったはずだ)。


 俺も、ムカデだの、熊だのって言ってたけど……。


 キャンプも悪くない。アウトドアが好きな人の気持ちがちょっとわかった。


 さやかに感謝しないとな……。


 飛び込み台の上で俺がウジウジと悩んでいるとき、このギャルはいつも「さっさと飛べよ」と背中を蹴り飛ばす。

 でもそうでもされないと、石橋を叩いたあげくに渡らない俺は、いつまでも川の向こうには行けない。


 この旅では、橋を渡るどころか、服のまま川に飛び込んでるけど……。


 涼やかな風がテントの中に吹き込んできた。


「なんか、このまま寝ちゃいそうだなー」


 仰向けのまま、俺は手足を大きく伸ばした。

 指先が、隣で寝ていた少女の手に触れる。 


「…………」


 テントに沈黙が落ちる。

 なんとなく、二つの手が重なるままに任せた。


 さやかが指を絡めるように俺の手を握ってきた。

 俺もそっと握り返した。

 少女の手はすべらかで、少し冷たかった。


 思った。なんと小さな手だろう。夜、街灯の下で抱きしめたときも、細く華奢な体だと感じた。


 まだ17歳だもんな……36歳の俺から見ればまだ子供だよ……性格があんなだから、つい忘れそうになるけど……。


 首をひねって、俺は隣にいる少女を見た。

 さやかは頭の下に置いた腕を上に伸ばし、反対の手を俺とつなぎ、けだるそうに横たわっていた。ショーパンから白い太ももが伸びている。


 カラコンの青い瞳が、じっと俺の顔を見つめ返す。

 指がからまり、二つの手が〝恋人つなぎ〟のようになる。ぬくもりが手のひらから伝わり、愛おしさがふくらんだ。


「わあー、けっこう広いですねえ」


 テントの入り口から千佳さんの声が聞こえた。

 ばっと弾かれたように手を離し、俺は体を起こして、あぐらをかいた。


「ほんと、テントは一つでよかったです」


 ドキドキした。見られなかっただろうか?


「これなら四人でもいけますね」


「はい、二つレンタルしようかと思ったら、店員さんが、三人なら一つで十分ですって止めてくれたんです」


 バーベキューの準備ができ、千佳さんは俺たちを呼びにきたらしい。俺たちがテントの設営、千佳さんは食事の準備、分担して仕事を進めていた。


「うわあ、おいしそう」


 テントの外に出て、テーブルを見たさやかが目を輝かせる。


 オレンジのテーブルには、トング、包丁とまな板、フライ返しなどが置いてあった。レンタルした「BBQグリルセット」には、炭、網、トング、炭ばさみ、着火剤、チャッカマンも含まれている。


 テーブルを取り囲むように折り畳み椅子が三脚、バーベキュー用の黒い鉄のコンロがあった。


 俺はテーブルのトングに手を伸ばした。


「最近のキャンプ場はすごいですよね。炊事棟、ウォシュレット付きのトイレ、コインシャワー、AC電源のあるエリアまであるんだから。Wi-Fiも飛んでるって」


 まさに手ぶらでキャンプである。

 千佳さんが笑ってうなずいた。


「キャンプ場の係の人に、〝チェックアウト〟は10時までにお願いしますって言われました」


「ホテルですよね、完全に」


 遠くの山並みに夕日が沈んでいこうとしていた。青と赤が混ざり合った空になだからな雲が浮かぶ。


 クーラーボックスから缶ビールを出し、俺は千佳さんに渡した。それから自分用のビールも出し、プルタブをプシュッと引く。

 それを見たさやかが首をかしげる。


「私のビールは?」


 俺はクーラーボックスから白いボトルを出し、ほいよ、と手渡した。


「これ、牛乳じゃん!」

「飲め、成長期だろ」

「いいじゃん、ビールぐらい飲ませてよ」

「搾りたての牛乳だぞ。おまえ、乳搾り、あんなに楽しそうにやってたじゃないか」

「搾るのは牛乳でも、飲むのはビールがいい。ねえ、飲ませてよ」

「やなこった」

 

 渋々さやかはボトルの封を切り、牛乳をやけ飲みした。

 こうしてテントの前でバーべーキューが始まった。甲斐甲斐しく野菜や肉を焼いてくれたのは千佳さんだった。


「松田さんも食べてください。さっきから焼いてばっかりじゃないですか」


 俺が声をかけると、千佳さんが、ふふっと笑った。


「大丈夫です。それよりビール足りてますか?」


「はい、松田さん、もう一本いきますか――って、あれ?」


 ほろ酔い気分でクーラーボックスを覗き込んだ俺の声が止まる。

 予備のビールがなく、あるはずの缶が消えていた。


「おかしいな……もっとあったはずなのに……」


 千佳さんが口を手で押さえ、俺の隣を指す。

 さやかが牛乳の白いボトルをグイグイとあおっていた。

 なぜか顔が赤らんでいる。

 ボトルを横から奪い取り、俺は手に垂らして舐めた。

 ほろ苦い味がした。


「……こいつ、中身をすり替えやがった…」


 俺は少女の胸倉をつかみ、グラグラ揺さぶった。


「吐け、今すぐ吐け」

「やなこった」


 ギャルがベロを出し、酒臭い息が鼻をかすめた。


 ……未成年と淫行(キス)、未成年とイチャイチャ、未成年と飲酒……


 俺の頭の中に、次々にそんなワードがよぎっていった。

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