23 バイクと青空とギャルと
◇
「ふわあー、よく寝たー」
バンガローの外でさやかが大きく腕を伸ばした。
ライダーハウスに泊まった翌朝、小屋を出た俺たちの頭上には、透き通るような青空が広がっていた。
駐輪場には、革つなぎを着たバイカーたちの姿が見える。ちなみに先に起きた千佳さんは、シャワー室に洗顔に行っていた。
俺は隣にいる少女の顔をちらっと見た。
ギャルメイクが落ち、清純派美少女との久々の対面だった。寝巻代わりに着ていたのは、上はグレーのカットソー、下は紺のパンツ。普段着感がギャル臭を薄めている。
こうして見ると、王道の美少女なんだけどな……。
俺の視線に気づき、さやかがこちらを向いた。
「何?」
「別に――いやあ、空気がおいしいなー」
俺はさやかを真似て腕を大きく広げた。
「ほんと、北海道って東京より空気が澄んでるよねー。すがすがしいもん。これだけは親について北海道に来てよかったなって思うよ」
スーハースーハーと呼吸に合わせてカットソーの胸が上下する。何をどう食べたらそうなるのか。体は華奢なくせに胸だけがやたらデカい。
昨夜、さやかをバンガローに連れ戻した後、三人で深夜の2時頃まで語り合った。
それ以前の、張り合ったり、突っかかったりする態度は影を潜め、少女は千佳さんと楽しげに会話を交わしていた。
俺はまた、ちらっと少女の横顔をうかがった。
昨日のアレはどういうつもりだったんだろう?……
なぜ俺にキスをしてきたのか。昨夜、バンガローの電気を消した後も、暗闇の中で気になってしばらく眠れなかった(さやかはスヤスヤと眠っていたが)。
からかわれたのかな?……
高校で教師なんかやっているとわかる。とにかくこの年頃の少女は、どこか危うさすら感じさせるほど不安定だ。気分次第で感情がコロコロ変わる。
36のオッサンがあたふたするのがおもしろかったのかな?
あながち的外れとは言えないだろう。きまじめな俺は、格好の〝イジられ〟キャラらしく、学校でもよく女子生徒にからかわれていた。
下手したら、俺とキスしたことなんてもう忘れているんじゃ……。
この旅の途中、俺は清花の胸の中で泣きはらした。
翌朝にそれを詫びたが、本人はケロっとしていた。
そんなことあったっけ、と。
たぶん、日付変更線を越えるとき、ギャルの中で世界も終わるのだ。そして朝になると、また新しい世界が始まる(脳のメモリー領域が少ないとも言う)。
結局、俺は昨夜の出来事は、さやかの〝気の迷い〟として処理することにした。俺的にも、その方が気が楽だったからだ。
街灯の下で少女の体を抱きしめたときは、このまま二人で世界の果てまで行ってもいいとさえ思った。だが、朝になって多少、大人の分別を取り戻していた。
◇
「へー、これが千佳さんのバイク?」
駐輪場でさやかが黒いバイクの車体を覗き込んだ。
千佳さんが、そう、とうなずく。
「ヤマハのドラッグスターっていうの。それのクラシックタイプ」
「めっちゃかっこいいじゃん!」
さやかは、ショーパンにキャミソール、テンガロンハットといういつもの服装である。バイカーだらけの駐輪場で完全に浮いている。
「大きなバイクですね。迫力あるなぁ」
感心したように俺が言った。
女性のバイクだから、もっと小型の車体を予想していた。地を這うような低い車高、尾のように伸びたディープフェンダー、クラシックというだけあって、重厚な印象を与えるバイクだった。
「私、アメリカンが好きなんです」
照れたように千佳さんが言った。
青いスリムジーンズに黒のライダーズジャケット。脇にフルフェイスヘルメットを抱える姿も決まっていた。
バイカーたちがこっちをチラチラ見てくる。癒し系の美女と金髪ギャルが気になるのだろう。さやかと一緒のときもよくチラ見されたが、千佳さんが加わり、さらに注目が増した気がする。
「このチェンジペダル、渋くない?」
足元のペダルを覗き込む少女に千佳さんが驚く。
「バイクに乗ったことあるの?」
「何度かね」
俺は意外な顔をした。
「へー、おまえ、免許もってたのか」
「持ってるわけないじゃん」
知り合いのバイクを無免許で運転したらしい。
悪びれた風もなく、さやかが駐輪場を見回す。
「やっぱ、どのバイクもかっこいいね。暴走族の車体って鬼ハン(※鬼の角のようなハンドル)とか、カマハン(※カマキリの手のようなハンドル)みたいなひどいのばっかだもん」
「……おまえ、ギャルだよな? 暴走族じゃなくて」
俺は疑惑の視線を少女に向ける。
前に俺のスマホのアイコンを、勝手に別人に変えられたことがあった。金髪で、眉を剃り、頬はこけ、唇にデカいピアスをぶら下げた、見るからにヤバそうなやつだった。
地元、足立区の族・怒羅鬼螺のヘッドとか言ってたな。ニックネームは狂獣。引退する前は2000人のチームの頭だったって……。
まさか狂獣が東京にいた頃の彼氏とかじゃないだろうな。獣とギャル、お似合いと言えば、お似合いだが。
「ちがうよ。あたしは暴走族じゃないよ。ただ、東京で周りにそういう連中が多かっただけ。鬼ハンとかカマハンは、旋回性能がないからすぐ白バイに捕まるんだって。だったら改造なんてやめりゃーいーのにねー」
あきれたように言って、肩を小さくすくめた。
「ま、捕まったところで、エンジンの車体番号は削ってるから窃盗罪は成立しないらしいけど」
その後も、さやかは千佳さんにあれこれ暴走族の車体事情を教えていた。暴走族は4ストより、いわゆる転がす系の甲高い排気音がする2ストを好むとか、速さよりも音の方が大事だとか、そんな話だ。
楽しそうな二人の様子を俺は腕を組んで見ていた。
うん、女同士で仲が良いってのはいいもんだ……。
出発前に千佳さんと、しばらく一緒に旅をしようと約束していた。車とバイクだが、ツーリングのような感じだ。
彩香にホテルをすべてキャンセルされ、俺の旅から予定という言葉はなくなった。ここから先は、ルートも、宿も、何も決まっていない。バイカーである千佳さんの知識は正直、助けになる。
千佳さんがエンジンをかけた。
ドッドッドッドとうなるような低い音がする。
「ねえ、これ、二人乗りできるの?」
さやかがバイクの後部を覗き込んだ。大きな革のタンデムシートとシーシーバー(背もたれ)が付いている。
「乗ってみる?」
「いいの?」
千佳さんがバイクのサイドバックからハーフタイプのヘルメットを出し、少女に渡した。
「コースケ、これよろしく」
さやかがテンガロンハットを俺に向かって放り投げ、ヘルメットを被った。分厚いタンデムシートにまたがり、顎紐をしめる。
ドッドッドッと低いうなりをあげ、バイクが動き出す。
俺は車に乗り込み、二人の後を追った。
朝の国道には、他に車が一台もいなかった。
「ひゃっほーーーーーー!」
さやかが両腕を広げ、おたけびをあげる。
千佳さんが片腕を伸ばし、俺に見せるように親指を突き立てる。
フロントガラスの先には、青空の下、地平線まで続く一本道を走り抜けていくバイクが見えていた。
黒革のシートには美女と美少女。
沈まない太陽(実際には沈むけど。まあイメージだ)。
これ以上、人生に何を求めるだろう?
「サイコー! 風が気持ちいい!」
風にのってさやかの声が運ばれてくる。
ああ、まったくだよ。
俺は思った。
なんでだろう、さやか。
おまえを見ていると
自然に笑顔がこぼれるんだ。
こっちまでたまらなく幸せになるんだ。
おまえは自分のことをバカだって言ったけど、
俺から言わせれば天才だよ。
「コースケ、見て!」
バイクの後部シートから少女が腕を伸ばす。
なだらかな丘に藤色のラベンター畑が広がっていた。
ハーブの匂いが窓から流れ込んでくる。
最初、この旅は一人で行くつもりだった。
だが旅の途中、ヒッチハイクでギャルを拾った。
そのときから何かが変わった。
もうナビにルートは打ち込まれていない。
でも、俺の人生はいい方向に向かい始めている。
なんとなくそう思った。




