18 ライダーハウス
「このへんのはずなんだけどな……」
俺は車のハンドルを握りながら、ナビに目をやった。
夜道をヘッドライトが照らし、遠くに黒と群青の混ざった空が見える。
「ねえ、あれじゃない」
さやかがフロントガラス越しに道の前方を指さした。
30メートルほど先に『食事処やなせ』という看板が見えた。
俺は車のスピードを落とした。
国道沿いに、バンガロー形式で黄色い建物が建ち並んでいた。
徐行する車の横に『食事処やなせ 風呂、シャワー、コインランドリー付き』と書かれた看板が照明に浮かび上がる。
ウインカーを出し、車を敷地に入れた。
奥にある駐車場にフォルクスワーゲンを停めた。
バイクが5台ほど(2台はコンビニで会ったバイカーだろう)停まっていた。
「よし、行くぞ」
俺はエンジンを切り、キーを抜くと、ドアを開けて、車の外に出た。
北海道の澄んだ冷たい夜気が頬を撫でる。
「コースケ、よくこんなところ知ってたねー」
助手席から降りたさやかが腕を大きく伸ばす。
「北海道って言ったらツーリングだろ? でもリゾートホテルじゃ、バイカーの姿をほとんど見なかったから、ああいう人たちって別の所に泊まってるのかなってさ」
「さっすが、先生!」
「いやいや、論理的思考ってやつだよ」
コンビニでバイカーの会話を盗み聞きしたことは黙っておいた。多少、尊敬されとかないと、ギャルはすぐ舐めてかかってくる(このへん、猿とか犬とか、動物の上下関係に近い)。
俺とさやかは『食事処やなせ』に向かった。
特に受付らしき建物はない。食堂がフロントを兼ねているのだろう。
引き戸を開き、俺は店に入った。
さびれた蕎麦屋のような店内には、中年の男性客が一人だけいた。
テレビで放映されているプロ野球中継を見上げている。
「いらっしゃい」
前掛けをつけた40代ぐらいの女性が近づいてくる。
「お席、お好きなところにどうぞ」
「あ、いえ、泊まりの方です。先ほど電話させていただいた――」
ああ、という感じで女性がうなずく。
レジに行き、大学ノートを広げた。
「ええと、奥平さん、一泊で2名様ですよね?」
「はい……あのう、バイクじゃないんですけど、いいですか?」
HPには「ライダーハウス」と書かれていた。
もしかしてバイカー以外、お断りの宿かと思ったのだ。
黙っていればいいのに、つい馬鹿正直に俺は確認してしまう。
「もちろんいいですよ。あ、駐車場わかりました?」
ほっとしたように俺は「はい」と答えた。
おばさんが宿泊者名簿代わりの大学ノートとボールペンを差し出す。
俺は自分の名前と住所、電話番号などを書き込んだ。
さやかの名前は求められなかった。特に詮索する空気もない。
いい意味でのいい加減さがあり、それはとても助かった。
ペンを受け取ったおばさんが確認するように訊いてきた。
「あのー、お電話でもお伝えしたんですけど、他のお客さんとご一緒でいいですか?」
バンガローは全部で5棟、一つの小屋に6人が泊まれる。
HPにあった画像では、二段ベッドが3つ、「コ」の字形に組まれていた。
先客がいることは電話で聞いていたので、俺はうなずいた。
「はい、かまいません」
この際、ぜいたくは言ってられない。
当日申し込みで寝泊まりさせてもらえるだけでありがたい。
そのあと、おばさんから説明があった。
宿泊代金はマット、毛布付きで1000円(!)
掛け布団が必要な場合は追加で300円かかる。
俺は布団もお願いした。
それでも1300円だ。東京のカプセルホテル代より安い。
「バンガローは3番です。シャワーは外にあります。使われる場合は、追加で200円です。代金は後払いでかまいませんので」
マットと毛布はベッドの上にあり、布団は後から届けると言われた。
部屋に鍵はついていないらしい。
俺とさやかは食堂を出てバンガローに向かった。
「鍵がないのかー。けっこう不用心だな。1000円で贅沢は言えないが」
「大丈夫、コースケが守ってくれるから」
俺の肘にさやかは腕をからませてくる。
つい「おうよ、任せとけ」と言いたくなる。
闇金ファッションになってからこんな調子である。
見た目だけでなく、心まで輩になった気になる。
「でも、同じ部屋の人って男の人なんでしょ?」
「そりゃ、北海道で鍵のないバンガローに一人で泊まろうってんだからな」
駐輪場に停めてあったバイクはどれも大型だった。
女に扱えるような車体ではない(倒れたらまず起こせない)。
「ヘルズ・エンジェルズみたいなやつかもな」
「ヘルズ……なにそれ?」
「アメリカのバイカーギャング集団だよ。わかんなかったら画像検索でググれ」
マッチョ、黒の革つなぎ、どろぼうヒゲ……みたいなアウトロー。
一人で泊まってんだから一匹狼タイプだろう。
「……コースケって、なんかテキトーになったよね。前はもっと〝かっちり〟してなかった?」
「そうか?」
自分では自覚はない。
さやかと一緒にいるうちにそうなったのかもしれない。
このギャルが相手だと、アバウトでも許されるのだ。
細かいことで傷ついたりしないし、怒ってもケロっと忘れる。
以前の俺は、相手の顔色ばかりうかがっていた。
彩香が楽しんでくれているか、傷つけていないか、不機嫌じゃないか。
そんなことばかり気にしていた。
「ね、怖そうな人だったらどうする?」
「今の俺よりか?」
多少、悪ノリして俺は答えた。
身なりが変わると、気持ちまで大きくなるから不思議だ。
万が一、ヤバそうなやつだとしても、今の俺に怖いものはない。
なんせ闇金コースケである。
輩ファッションの威力は昼間に思い知っている。
野ざらしの土地に、黄色いバンガローが5つ建っていた。
真ん中の「3」と書かれた小屋を俺は見上げた。
木製の短い階段を上がり、扉の前で立ち止まる。
ズボンのポケットからサングラスを出し、顔にかけた。
「なんで、夜にサングラスかけるの?」
「こういうのは最初が肝心なんだよ。舐められたらまずいだろ?」
なにせ相手はマッチョなバイカーだ。
最初に一発かましておいた方がいい。
俺はコンコンと扉をノックした。
「失礼しまーす」
ういーっす、みたいなノリで俺はドアを開けた。
六畳程度の狭い空間に二段ベッドが三台、「コ」の字形に組み合わされていた。
扉を開けたらすぐベッドという感じだ。
正直、圧迫感はある。
悪く言えば環境の悪い刑務所、良く言っても高校野球部の合宿所か。
まあ、素泊まりで1000円だ。それはいいだろう。
問題は――
正面のベッドの一段目に例の先客がいた。
年齢は二十歳そこそこ、といったところ。
ベッドのヘッドボードに背中を預け、文庫本を読んでいた。
俺とさやかを見て、ぺこりと頭を下げた。
胸に垂れた長い黒髪、まぶしいほど白い肌、小さな顔に整った目鼻立ち、長い足をレギンスパンツが包み、ゆったりしたグレーのスウェットを着ている。
まあ、ようするに――
目が覚めるような美人がそこにいた。
地獄の天使どころではない。
リアルな天使である。
 




