16 宣戦布告
ホテルの玄関前、車寄せにシビックが停まった。
若い男のドアマンがさっと近寄り、ドアを開いてにこやかに告げた。
「ホテルマウンテン北海道へようこそ。キーをお預かり……」
運転席から出てきた黒いサングラス男に、顔をぎょっとさせる。
俺はドアマンの手にキーを預けた。
「……お荷物はトランクでしょうか?」
「ああ、よろしく」
相手の態度がぎこちない理由は俺の格好だろう。
撫でつけたオールバック、薔薇模様の入った黒スラックス、魚のウロコみたいに鈍い光を放つブルゾン……闇金ファッションのオッサンを見れば、人はだいたいそんな反応をとる。
どこの半グレがやってきたのかと思ってんだろうな……。
コンビニ寄っても、レストランに行っても、観光地に行っても、完全に輩扱いである。つくづく人は見た目で判断されるのだと感じる。
おまけに――
「ひゃー、すごい豪華なホテルじゃん!」
金髪の少女がホテルの正面玄関に歓声をあげる。
――同伴相手がJKギャルときている。
俺はズボンのポケットに手を突っ込み、大股でロビーを横切った。人の壁がさっと割れる。どこでも自分たちを中心に結界のような空間ができる。
さやかは俺の肘に腕を絡ませ、まるで恋人気取りだ。この服装になってから、何かとベタベタくっついてくる。それまでは「ダサい」だの「童貞っぽい」だの、さんざんな言いようだったのに。
こんな闇金ウシ×マくんみたいな格好のどこがいいんだよ……。
ギャルにとって男は〝強そう〟というのが大事らしい。金を持ってるとか、頭がいいとか、イケメンであるとかより、最悪、実際に喧嘩が強くなくても、見た目のオラオラ感が大切なのだ(さやかはよく〝ツヨメ〟という言葉で表現した)。
思考が単純だよな……サバンナの動物かよ……。
フロントに行き、俺は受付の若い女性に名前を告げた。
だが、ディスプレイで予約を確認した女性が困った顔をする。
「申し訳ありません。そちらのお名前で予約はないようなのですが――」
「はあ、そんなことないでしょう? ちゃんと確認してくださいよ」
知らず声が大きくなる。
「は、はいっ、申し訳ありません。ただいまお調べしますので」
恐縮してキーボードをカチャカチャ打ち鳴らす。
それで気づいた。俺のこの格好は一般市民に無言の圧力をかけるのだ。
まずい……これじゃまるでホテルに因縁をつけている輩だ……。
服装とは恐ろしい。人格まで変えてしまう。
俺はサングラスを外し、〝すっぴん〟で改めて言い直した。
「きちんと調べてもらえれば、ちゃんと予約があるはずですから」
怖がらせないように、ぎこちない笑みを浮かべる。
やがて若い女性がマウスを動かす手を止めた。
「確認できました……ええと、一昨日に、東京の藤井彩香様からキャンセルの連絡が入っておりますが」
キャンセル? 彩香が? たしかにツアーに申し込んだのは俺だが、同行者として彩香の名前は記載がある。旅行会社から届いたツアー書類は彼女にも渡した。にしても――
勝手にキャンセルするなんて、そんなのありかよ!
「でも、前日の解約だと、確か返金は3割程度ですよね?」
俺はフロントの女性に確認するように訊ねた。
ようは、ほとんどお金は戻ってこない。
「はい、私どもも確認しましたが、それでもかまわないとおっしゃられたので……」
他にもチェックインを待つ人が並んでいたので、俺はいったんフロントの前を離れた。さやかに手短に事情を説明し、ロビーの隅から東京にいる彩香の携帯に電話をかける。
呼び出し音が続き、はい、と女の声がした。
『何か用?……』
表示で俺からの電話だとわかっていたのだろう。
あからさまに不機嫌そうだ。
久々に聞く我が元婚約者の声、だが感慨に耽る暇はない。
『北海道旅行のツアー、君、勝手にキャンセルしたのか?』
『いいじゃない。もう行かないんだから。少しでもお金が戻ってくる方がいいでしょ』
『いや……でも、金を出したのは俺だぞ』
返金も俺の口座に戻ってくるはずだ。
『そうだっけ? 私も出さなかった?』
記憶が勝手にねつ造されている。
内心のいら立ちを抑え、俺は言った。
『とにかく――今、北海道にいるんだ。泊まるところがなくて困ってる』
『なんで、あなたが北海道にいるの?』
『君には関係ないだろ』
『まさか、一人で行ってるの?』
一人ではなかったが、あえて否定はしなかった。
さやかの存在は隠しておくほうがいい。
もっとも金髪JKギャルと一緒だと言っても誰も信じないだろうが。
『わざわざキャンセルしてあげたんじゃない。逆に感謝してほしいくらいだわ。何? 返金が少ないから文句を言ってるわけ?』
『金の問題じゃないよ。今夜、泊まる場所がないって言ってるんだよ』
闇金ファッションで電話に怒鳴りつける男。
完全に取り立て業者である。
周りの目が気になり、俺はロビーの隅に退避した。
口元を手で隠し、彩香との会話を続ける。
『他のホテルもキャンセルしたのか?』
この先、四つのホテルが予約されていたはずだ。
カーナビに案内され、合計六つのホテルを巡る旅程になっていた。
『当然じゃない』
『……なんてことをしてくれたんだ』
俺はうめくように頭を抱えた。
夏休みの北海道でそう簡単にいいホテルは抑えられない。
『ホテルに今から泊めてもらえば?』
『無理だよ。もう部屋は埋まってるって――』
そのとき、さっと手からスマホを奪い取られた。
さやかだった。
「おい、クソアマ! 勝手なことしてんじゃねーぞ!」
スマホに大声で怒鳴りつける。
ロビー中の目がいっせいに集まる。
「はぁ? あたしはコースケと一緒に旅してるツレだよ。あんたが泊まるはずだったホテルで寝て、あんたが食うはずだったフレンチのフルコースを食べてんの。なに勝手にキャンセルしてんだよ! てめえ、東京に戻ったら、拉致って裸で高速に放り出してやっからな」
闇金の女どころではない。〝極道の妻〟である。
ホテルの善良な市民たちがチラチラこちらを見ている。
やばい。このままでは警察に通報されてしまう。
「コースケはあんたみたいなババア、願い下げだって。別れてよかったってさ。あんた、教師なんだろ? 教えてんのは二股のやり方かよ。このヤリマン女教師、ヤリチンに種付けされて、少子化に貢献でもしてろ、クソブス!」
マシンガンのようにまくしたて、さやかは一方的にスマホを切った。
怒りで吊り上がった目で、きっと俺を睨む。
「コースケ! こっち来な」
「は、はい」
さやかは俺と強引に並び、頬がつくほど顔を寄せた。
スマホを握った手を伸ばし、二人の姿を自撮りする。
少女が手慣れた様子で俺のスマホを指でタップする。
「あーあ、別れた女のIDまだ残してんの? あんたらしいね。ま、いいや」
「おい、なにを――」
送信ボタンを押し、二人の自撮り写真を彩香に送り付けた。ご丁寧に「今夜いっしょに泊まっちゃいまーす(※ハートマーク)」のメッセージ付きで。すぐに「既読」がついた。
きししし、とさやかが白い歯をのぞかせる。
「んで、ソッコーでブロックと――」
青ざめた顔で、俺はスマホを手にしていた。
画面には闇金風の俺と金髪ギャルが写っている。
どう見てもお似合いのカップルだ。
「まずいよ。削除ってどうするんだよ」
俺はあたふたとスマホをいじる。
「もう既読ついてるから遅いって。ま、とりあえずの宣戦布告ってところかな。この程度でへこむような女じゃないっしょ?」
涼しい顔で言う少女に、俺はぼう然としていた。
宣戦布告? おまえは彩香と何を争ってるんだ?
 




