15 闇金コースケくん
えっくしゅん、というくしゃみの音が響いた。
俺は試着室のカーテンの隙間から頭を出し、辺りを見回した。
少し離れた場所で、さやかがポールハンガーから服を物色していた。
「おい、早く服を持ってきてくれ」
青ざめた顔で俺は催促した。
カーテンの内側はほぼ裸で、身に着けているのはトランクス一枚だ。
俺たちは水族館の近くにあるファッションセンターにいた。
足元に置かれたゴミ袋には、濡れた服がまとめられている。
水族館のイルカショーでプールに転落した俺は、スタッフに救い出された後、更衣室で濡れた服を脱ぎ、貸してもらったバスタオルで体を拭いた。
それから生乾きの湿った服を着なおし、近くにあったファッションセンターに直行した。とりあえずトランクスだけをレジで購入し、試着室に飛び込んだ。
「あー、待って。もうすぐ済むから」
両手に服を抱えたさやかが答えた。
男の一人旅だ。服に気を配る必要もなかろうと、予備の衣類はあまり持って出なかった。
この際、靴下から肌着まですべて買いそろえることにした。ただ、生乾きの格好で店内を歩き回ると風邪をひきそうだったので、服選びは少女に任せた。
「なんでもいいから適当に持ってきてくれ」
プールの水温は低かった。スタッフの説明によれば、イルカは人間と同じ恒温動物で、皮膚の下に厚い脂肪層があるため、冷たい水の中でも平気らしい(ガタガタ震えていた俺にはどうでもいい話だった)。
ようやくさやかが戻ってきた。服を腕にひっかけている。黒っぽいものが多い気がしたが、この際どうでもいい。体の震えが止まらない。
「ごめんごめん、一式となると選ぶの大変だったよ」
「いいから早くくれ」
俺はひったくるように服の束を受け取った。
黒い長袖のカットソーに腕を通し、ズボンをはいた。
最後に薄手のブルゾンを羽織る(上着は俺が頼んだ。夏とはいえ、体が冷え切っていた)。
「着た?」
声と同時に、シャッとカーテンが開けられる。
試着室の前にさやかが立っていた。
俺の姿を足先から頭のてっぺんまでしげしげと眺める。
「うーん、いいねえ。男の色気が出てきたよ」
うながされ、俺は外に出た。
「あ、靴はそれを履いてね」
足下に革靴が用意されていた。
まるで手品師が舞台で履くような、先の尖った白い革靴だ。
「あ、これもつけて」
サングラスとネックレスを渡される。
俺は操られるように黒いサングラスをかけ、金属のチェーンを首にかけた。
胸元に目を落とすと、十字架が揺れていた。
「なんだこれ……」
鏡を見て俺はつぶやいた。
ズボンは、薔薇の模様が入ったストレートスラックス。カットソーの上に羽織ったスタンドブルゾンは、魚のウロコのような質感。どちらも黒光りする光沢が特徴だ。
「キンユウ系スタイルってやつだよ」
「キンユウケイ?」
「闇金ファッション。やっぱ男はこうじゃなきゃね」
そうだ。どこかで見たと思ったら闇金業者だ。
漫画の『闇金ウシ×マくん』に出てくる登場人物そのものだった。
顎に手をあて、さやかが首をひねった。
「ただ、いまいち髪型がね……刈って染めればいいんだけど……そうだ!」
背中に担いでいたデイパックを下ろし、中から整髪剤を取り出す。
頭を下げろ、と言われ、俺はお辞儀をするように腰を折った。
「動かないで。はい、そのままそのままー」
シューと冷たいスプレーを吹きかけられる感触がする。
仕上げにクシで撫でつけられ、オールバックにされる。
「おー、いいじゃん。けっこう似合ってるよ、コースケ」
鏡に写った自分の姿を俺は黙って見つめた。アパートのドアを叩き、「お客さん、家にいるのわかってるんですよ」と怒鳴れば、完全に取り立て屋である。
俺はサングラスを剥がすように外した。
「こんなもん着れるか!」
「いや、似合ってるって。教師より闇金が向いてんじゃない? 転職したら?」
「36から闇金って、どんなキャリア形成だよ。服を戻してこい」
ブルゾンを腕から抜こうとする俺にさやかが、えー、と声をあげた。
「もう、ちぎっちゃったよ」
てへ、と首をかしげる。
広げた少女の手の上には、白い値札の残骸があった。
「おめー、なんでもその顔で許されると思うなよ」
「おおー、ほんとに闇金っぽくなった」
北の大地に〝闇金コースケくん〟が誕生した瞬間である。




