13 水族館にて1
青い道路標識を確認し、俺はウインカーを出した。
車を左折させ、水族館に続く引き込み線にのせる。
広い駐車場の片隅に車を停め、ドアを開けて運転席から降りる。
助手席から降りたさやかが、腕を広げるように大きく伸ばしている。
周りにはファッションセンターやファミレスもあった。
水族館を中心に店舗が集まっているようだ。
夏休みということもあって、子供連れの姿が多い。
俺の前をさやかが鼻歌まじりで歩いていた。
美術館に行くと知ったときとはテンションが違った。
うれしいときはうれしい顔をし、怒ったときは怒った顔をするので、ある意味、すごく楽だ。
受付で二人分のチケットを購入し、館内に入っていく。
「すごい。天井に魚がいる!」
頭上を仰ぎ見て、少女が歓声をあげる。
最初の通路は床以外がガラス張りになっていた。
左右や上を魚たちがゆったりと泳いでいる。
まるで海の底を歩いている気分だった。
うわあ、と少女がまた声を洩らす。
今度は水族館の花形、巨大水槽のお出迎えだった。
北の海を再現した水槽には屋根がなく、海面からキラキラと日光が降り注いでいる。
イワシの大群の前を、大きな亀が悠然と横切っていく。
「あれウミガメ? あたし、泳いでるの初めて見た」
水槽の前では、若い女性スタッフがマイクで解説をしていた。
「みなさーん、水槽にサメがいるのに、なんで争いごとが起きないかわかりますかー」
小さな子供が多いので、幼稚園の先生のようなノリだ。
はーい、と俺の隣で子供ではない女の手が上がる。
「はい、そこのお嬢さん」
「強ぇーやつがはっきりしてるから」
「……えー、ちょっと違いますね。きちんとサメに餌をあげて、お腹が減らないようにしてるんです」
「餌かよ」
あわてたように女性スタッフが付け足す。
「小さなイワシなどは、群れで固まることで、大きく見せてサメに対抗しています」
ほほう、という感じに周りの客がうなずき、さやかも笑顔になった。
遠回りにはなったけれど、ここに来て良かったと俺は思った。
誰かに喜んでもらうだけで、すさんだ俺の心はなごんだ。
巨大水槽を見た後、俺たちはセイウチの檻に向かった。
鉄柵の向こうにでっかいイモムシのような体が横たわっている。
背後にプールがのぞいていた。この檻は夜間の居住場所なのだろう。
「なんか叔父さんを思い出すなー」
「セイウチに似てるのか?」
「ううん、たまに警察の厄介になって留置所に入ってたから」
「檻の方かよ」
「無銭飲食とか、酒で喧嘩とか、しょーもない悪さばっか。迎えに行くお母さんがいつも愚痴ってたもん。悪さのスケールが小さいって」
結局ギャンブルで借金を作り、さやかの母親から5万円を借りたまま失踪したという。妹から借りた5万円程度で夜逃げをするな、と母親は今も文句を言っているらしい。
「このセイウチは、正式にはタイヘイヨウセイウチと言います」
胸付きのゴムズボンをはいた男性飼育係が解説する。
「名前はぷーちゃんです。体重はなんと700キロもあるんですよ」
セイウチの頭をなでてやる。
「生息地は北極です。厚い脂肪で覆われた皮膚は、寒冷地での生活に適しています。この牙のような上顎の犬歯は、生涯を通じて伸びつづけ、オスの中には100センチの牙を持つものもいます」
話しながらたまに青いバケツから餌の小魚をやる。
そのたびにセイウチが、おうっおうっ、と鳴き声をあげた。
「牙はオス同士の闘争に用います。メスをめぐる戦いに勝ち抜いた個体だけが、多くのメスを所有するハーレムを形成できます」
突然セイウチが大きな声で吠え、客たちからどよめきが起こる。
まるで俺は強いんだぞ、と誇示するような感じだった。
牙の大きさもあって、すごい迫力だった。
「ハーレムだって」
「一夫多妻か。俺がセイウチだったら、メスにはありつけそうにないな」
さやかが勝手に入れ替えたSNSのアイコン画像を思い出す。
2000人の暴走族の頭だったか。
力がすべての世界では、あんなやつがメスを独り占めするのだろう。
「だいじょうぶだよ。コースケにはコースケの魅力があるから」
気を遣うように、さやかがフォローした。
「いちおう聞かせてくれ」
「…………」
「ノープランで言ったのかよ」
その後、顔出しボードの前で記念撮影をしたり、サケの一生を描いたアニメを観た。イルカショーまで少し時間があったので、ドクターフィッシュのコーナーに行った。
俺たちは長椅子に並んで座り、足湯のような桶に素足を入れた。
小魚がいっせいに集まり、足先の古い角質をついばむ。
「あはは、だめ、あたし笑っちゃう」
さやかは身をくねらせて悶絶し、俺にもたれかかってきた。
キャミソールから深い胸の谷間がのぞき、さりげなく目を逸らす。
「あーっ、むりむり。くすぐったい。きゃー、だめっ」
白い喉をのけぞらせ、少女が腕に抱きついてくる。
男性客の中には、うらやましそうに俺を見ている者もいた。
隣に奥さんや彼女がいるのに、露骨なせん望の視線を送ってくる。
なんとなく気まずい顔で、俺は隣のギャルの体を支えつづけた。
ま、たしかにこいつは可愛いもんな……。
水族館ですれ違った男性は、たいていさやかをチラ見した。
不思議とああいうものは気づくものだ。
でも違うんだ。彼女とかじゃないんだ……行きずりのギャルなんだ……。
腕に柔らかい胸が当たるのを感じながら、俺は心で訴えつづけた。
最後にいよいよイルカショーに向かった。
そのときの俺は想像もしてなかった。
楽しいはずのショーで、この旅始まって以来の悲劇が待っていようとは。
今思えば、男たちの無用な嫉妬を買ったのが悪かったのだ。
 




