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12 ルートは外れるためにある

『目的地まであと5キロです――』


 カーナビから女性の声で誘導音が聞こえた。

 助手席のさやかが液晶画面を覗き込む。


「これどうなってるの?」

「ツアーのルートがナビに設定されてるんだよ」


 観光名所を効率よく車で回り、夜は旅行会社が抑えたホテルに宿泊する。

 そうやって北海道を車で一周するツアーだった。団体の観光バスで行くよりもプライベート感が保たれるため、若いカップルなどに人気がある。


「次の目的地ってどこ?」

「美術館だ。札幌出身の有名な洋画家の作品が100点近く展示されていて、若い女性に人気らしい」

「……美術館……萎える……」


 少女の声が小さくなる。

 背中を丸め、体も心なしかしぼんだように見える。


「日本の近代洋画史に大きな足跡(そくせき)を残した画家だぞ」

「ソクセキってラーメン?……」

 キレのないボケをつぶやき、苦々しげにカーナビを見ている。

「あたし、図書館と美術館だけは無理……漫画喫茶とかにならない?」

「なんで北海道まで来て、満喫行かなきゃならないんだ」


 さやかがシートから背中を起こした。

 液晶画面に手を伸ばし、周辺のマップを拡大表示させる。


「ほら! ここ、水族館があるよ」

「でも、ルートでは美術館になってるんだぞ」

「ルートなんて外れるためにあるんだよ。いいじゃん。水族館に行こうよ」


 俺はあまり気乗りしなかった。

 水族館は遠い。夜ホテルに到着するのが遅れてしまう。


「水族館だって退屈じゃないか? 魚がいるだけだろ」

「美術館だって絵があるだけじゃん」

「他に何を展示しろっていうんだ」

「水族館にはみんなのアイドル、イルカがいるんだよ」


 スマホをいじり、ほら、と水族館のHPを見せる。

 イルカショーの画像が表示されていた。


「なになに……三匹のバンドウイルカ、(ほく)くん、(かい)くん、(どう)くんの多彩なハイジャンプ、スピンジャンプをお楽しみください。なお、演出内容によっては水がかかる場合がございます……だって。ずぶ濡れになるって!」

「でも、着替えもないし……予定がなぁ……」


 美術館のチケット代はツアー料金に含まれていた。

 いや、金のことはこの際どうでもいい。


 俺はあらかじめ決めた予定を崩すのが苦手だった。

 旅行とは、俺にとって観光地という〝ミッション〟をクリアするゲームだ。

 子供の頃やったスタンプラリーに近い。


「予定予定って、コースケだって朝起きたとき、今日は学校フケたいなーとか思うことあるでしょ?」

「ない。教師が学校フケたらまずいだろ」

「カーテン開けてめちゃくちゃ天気が良かったら、ディズニー行くべってなるでしょ? で、行くっしょ?」

「大人はそうはいかないんだ。俺がいなくなったら、学校は別の教員を補充する。いくらでも替えが効くんだ。昨日まであった机がなくなる」

「机なんてなくても生きていけるよ。あたしの部屋、最初っから机なんてないよ」

「それ自慢げに言うことか」


 社会人になってから無遅刻・無欠勤を続けてきた。

 通勤途中、突然、反対方向の電車に乗って海に行ったことなどない。


 いや、あの朝だけは別だ。

 彩香の浮気を目撃した翌朝、初めて学校に行きたくないと思った。

 けれど、体を引きずるように駅へ向かった。

 電車を待っている間、ホームの外へふらふらと誘われそうになった。


 駅で人身事故のアナウンスを聞くたびに舌打ちしていた。

 朝っぱらから飛び込むな。みんなが迷惑してるじゃないかと。

 でも、その日わかった。

 自分はたまたま飛び込まないで済む人生を送ってきたに過ぎないのだと。


『目的地まであと3キロです。次の信号を左に――』


 さやかがカーナビに手を伸ばし、電源を切った。


「おい――」

「ここからはあたしがナビをするから」

 手元のスマホを覗き込む。

「この先の信号を右に曲がって。目的地は水族館」


 俺は黙って車を走らせた。

 やがて交差点が近づいてきた。

 左折の矢印と「美術館」と書かれた標識が見えた。


 信号は青だった。

 俺はアクセルを踏んだ。車がぐんぐん加速していく。

 戸惑うさやかを無視し、突っ切るように交差点を直進した。


「どうだ! ルートなんて外れるためにあるのさ」


 フロントガラスに俺は吠えた。

 左にも右にも行かない。さやかにもナビにも従わない。

 俺は俺の行きたいところに行く。


 さらに深くアクセルを踏み込んだ。

 とろとろ前を走っていたセダンを弾丸のようにぶち抜く。


 直後、背後で甲高いサイレンの音が聞こえた。

 バックミラーに今追い抜いたばかりのセダンが見えた。

 ルーフで赤色灯が光っていた。



 ◇



 ハンドルを力なく握った俺は、とろとろと車を走らせていた。

 覆面パトカーに速度超過違反で切符を切られ、車内にはどこか気の抜けた空気が漂っていた。


 さやかと俺の関係は、例の「お父さん」で切り抜けた。

 父娘の二人旅という説明に、警官はそれ以上、詮索してこなかった。


「……イルカ見に行くか」


 ぽつりと俺がつぶやくと、さやかが、イエーイ、と手を突き上げた。

 俺はカーナビの電源を入れ直し、目的地に水族館の名前を打ち込んだ。


 今日の教訓――ルートは外れても速度指定は守ろう。

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