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11 いっしょに旅に行かないか?

 俺は部屋のソファで文庫本を読んでいた。

 テーブルに置いたスマホにちらっと目をやる。

 9時30分だった。


 立ち上がり、ベッドのそばに行った。

 掛け布団から少女の頭がわずかにのぞいている。


「おい、そろそろ起きろ。チェックアウトだぞ」

 布団ごと肩を揺すった。

「ううん……もう少し眠らせて……」

 さやかがぐずるように枕に顔を埋める。

「もう9時30分だぞ。普段は学校で一限の授業を受けてる時間だろ」

「ウチの学校、生徒がそろうの10時からだよ」

「どういう学校だよ」


 少女がもぞもぞと起き上がり、ふわあ、とあくびをする。

 枕元のペットボトルを手に取り、ごくごくと水を飲む。

 浴衣が乱れ、胸の白いふくらみが無防備にのぞいた。


「朝ゆっくり来るやつとか、彼氏の部屋に寄ってから来るやつとか……人それぞれだよ」


 中には午後から学校にやってくる強者(ツワモノ)もいるという。

 さすがはギャル高と言うべきか。

 フレックス完備のホワイト企業みたいだなと思った。


「……昨日は悪かったな」


 ぽつりと俺は言った。

 昨夜、年甲斐もなく大泣きしたことだ。

 いい大人のやることではない。詫びておきたかった。


「何が?」


 ぶすっとした顔でさやかは訊ね返してきた。

 最初は、気を遣ってくれてるんだな、と思った。

 覚えてないフリをしてくれたのだろうと。


 だが、どうやら違った。本当に忘れてるっぽい。


 聞いた覚えがある。

 ギャルには〝瞬間(いま)〟があるだけだと。

 過去を引きずらないし、未来を気に病んだりしない。

 世間ではそれを「記憶力が悪い」とも言う。


「昨日なんかあったっけ?」

 眉根を寄せ、頭をポリポリとかく。

「……いや、たいしたことじゃない」


 そうなのだ。まったく、たいしたことじゃない。

 女にフラれただけの話だ。

 なんで俺は、この世の終わりのように絶望していたのだろう?


「あ、チェックアウトだよね。あと何分?」

「10時だから、あと30分ぐらい」

「いっけない!」


 さやかがベッドから飛び降りた。

 デイパックからメイク用具一式を取り出し、洗面所に駆け込んだ。


 その間、俺は部屋の片付けをはじめた。

 タオルハンガーにぶら下がったピンクのブラジャーを横目に、自分の荷物をまとめていく。


 20分ぐらいが経ったころだろうか。

 ガチャとドアが開き、少女が出てきた。

 顔を見た瞬間、俺はがっくりと肩を落とした。

 誰かが言っていた。ギャルのメイクは整形(オペ)だと。

 まさにそんな感じだった。


「はあ、戻ったか……」

「何よ、その言い方。こっちの方が可愛いいっしょ?」


 口調まで清純派アイドルからギャルに戻っていた。

 肩を落とした俺は、スーツケースを手に部屋を後にした。





 チェックアウトを済ませた俺は売店に行った。

 テンガロンハットを被った少女がおみやげを見ていた。

 俺は隣に並び、一緒にガラスのショーケースを覗き込んだ。


「おみやげか?」

「うん、妹にね」


 視線の先には地元名物のマカロンがあった。

 カラフルな円盤状のお菓子が箱に詰められている。


「おまえ、妹いるのか?」

 なんとなく一人っ子かと思っていた。

「うん。あたしとちがって優等生。頭いいんだよ。あんたの好きな清純派ってやつ」

「別にそういうわけじゃ――」

 なぜか弁解がましく言った。

「いいの。おねえちゃん、おねえちゃんって、かわいいんだ、これが」


 さやかはショーケースの中をじっと吟味していた。

 所持金が少ないので、財布と相談しているのだろう。

 悩んだ末に、三つ入りのいちばん小さな箱を指さした。

 

「あの……それ、もらえますか? その三個入りの――」


 店員が腰をかがめようとする。

 それを制するように俺はクレカを小銭受けに置いた。


「そっちの十個入りのやつをください」

 少女に向かって肩を揺すってみせる。

「お母さんのご機嫌をとるのに必要だろ?」

「買ってくれるの?」

「これも何かの縁だ。家に戻ったら美人のお母さんによろしくな」


 ホテルを出た俺たちは駐車場に向かった。

 さやかはマカロンの入った紙袋を手にご機嫌な様子だ。

 車に乗り、エンジンをかけた。フォルクスワーゲンがゆっくり動き出す。

 

 ホテルの敷地を出て、国道に出る。

 目的地は駅だった。さやかとはそこでお別れだ。


「妹よろこぶだろなー。マカロン大好物だから」


 助手席でさやかは膝の上の紙袋を大事そうに抱えた。

 それから俺の横顔を見た。


「コースケは兄妹いないの?」

「一人っ子だ。兄妹には憧れていたな」

「あたしはお兄ちゃんが欲しかった。いつも親から、お姉ちゃんなんだからしっかりしなさいって言われてばっかりだったから。結果は真逆になっちゃったけどね、あはは」

 屈託なく少女は笑った。

「俺は妹がほしかったよ」

「あ、もしかしてお兄ちゃんとか呼ばれたい人? アキバとか行くの? SNSのアイコン、アニメキャラだったりする?」

「勝手に決めつけるな」


 さやかの手が、ハンドル横にあるスマホホルダーに伸びる。

 黒い筐体をさっと抜き取り、胸元に抱え込む。


「あ、おい」

「いいから見せてみ」


 俺の手を振り払い、慣れた様子で画面をタップする。

 SNSのアプリを起動する。ぷぷっ、と吹き出す。


「マジ? ほんとにアニメのアイコンじゃん」

「だから勝手に見るなって」


 ハンドルを握っているので手が出せない。

 少女は指をフリックさせ、過去のコメントをチェックする。


「さて、何をつぶやいてるのかなーっと。ぷっ……アニメの話題ばっかじゃん。なになに……今クールのアニメに良作は少ない。唯一の救いは声優の×××の起用だ。あはは、なに言ってんのかぜんぜんわかんない」

「返せ。勝手に人のスマホを見るな!」

「ごめんごめん。あ、ちょっと待って」


 しばらく画面を指でいじる。

 他人のスマホなのに操作がめちゃくちゃ早い。

 ほいよ、と渡されたスマホを俺は片手で受け取った。


 車が赤信号で停まり、あわてて中を確認する。

 SNSのアイコンが、金髪の若い男の顔に代わっていた。

 眉を剃り、頬がこけ、目つきの鋭い、見るからにヤバそうなやつだ。

 唇にアフリカの部族がつけるようなピアスがぶら下がっている。


「誰だよ、これ」

「あたしの地元、足立区の族・怒羅鬼螺(ドラキュラ)のヘッドだよ。ニックネームは狂獣(ビースト)。今はもう引退したけど、2000人のチームの(ヘッド)だったんだよ。これでつぶやけば、クソリプも減るよ」

「いや、先にフォロワーが減るだろ」


 30分ほど車を走らせると、駅に着いた。

 昨夜、警官に職務質問を受けたあたりに車を停める。


「元気でな」

「コースケも」


 俺は手を差し出した。

 さやかはハイタッチするつもりで手を挙げた。

 腕に高低差ができる。お約束だった。


 俺は肘を持ち上げ、少女の手を叩いた。

 パーンと小気味いい音が響く。


 ヒリヒリする手をさすりながらさやかが言った。

「新しい彼女ができるといいね。なんとなく、この旅が終わるまでに見つかるような気がするよ」

「そんなに早く見つかるか」

「だいじょうぶ。女なんて地球上に100億はいるから……って、40億だっけ?」

「……いや、100億だ」


 ギャルに教えられた。

 教科書に書かれている数字がすべて正しいわけじゃない。

 女なんて星の数ほどいる、これからはそう思おう。


「この後どうするの?」

「予定通りツアーを続けるよ」

「一人で?」

「当たり前だ」

「ホテルの料理とかどうなるの?」

「二人分用意されてるだろうけど……事前に電話して減らしてもらうよ」

「えー、もったいない。お金はもう払っちゃったんでしょ?」


 さやかが何か言いたそうな顔をした。

 悪だくみを考えている猫のような目になる。


「ねえ、あたしがいっしょに行ってあげよっか?」

 俺は首を振った。

「だめだ」

「家に帰れ、お母さんが心配してるぞ――今、そう言おうとしたでしょ?」

「いや――」

 言葉につまった。その通りだった。

「コースケはね、優等生すぎるんだよ。子供の頃から、いい友達、いい学校、ちゃんとした仕事……たまには悪いこともしてみたら?」

「何をすりゃいいんだ?」


 そうねー、とさやかは顎に手をあてて首をひねる。

 なんとなく予想はできたけれど、俺は黙って先を促した。


「美少女の手を引いて、旅に出るなんてどう?」

 俺はこぶしでコツンと軽くおでこを突いた。

「その手にのるか。さあ、もう行け」

 

 ちぇっと少女が舌打ちした。

 じゃあね、と小さく手を振り、お土産の紙袋を手に駅に向かっていく。


 小さくなっていく背中を俺は見送った。

 さやかと出会ってからのことが脳裏によぎる。


 ヒッチハイクで車を停めたら悪態をつかれたこと。

 車でスピードを出しすぎて危うく事故を起こしかけたこと。

 ベッドに飛び込め、と背中を蹴り飛ばされたこと。

 レストランで無理やり通訳を務めさせられたこと。

 そして――彼女の胸の中で泣きわめいたこと……。

 

 気づいたら俺は歩き出していた。

 速足で追いつくと、後ろからさやかの手首をぐっとつかむ。

 驚いたように少女が振り返った。


「行っていいの?」

「話し相手がいなくて退屈しそうでな」

「もう泣いたってなぐさめてあげないよ」

「ばかやろう」


 36年間、親の敷いたレールの上を歩いてきた。

 たまには道を外れてみるのもいいかもしれない。

 その先に何が待っているのかわからない。

 ただ、さやかの指し示した方向ははっきりしていた。

まだしばらく二人の旅にお付き合いください。


感想ありがとうございます。すべて目を通しています。

一段落したらコメントを返させていただきます。

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