1 ヒッチハイクで金髪JKを拾う
「はじめまして、ペンネーム・月夜のレタスです。チサトお姉さん、レタスの悩みを聞いてください。トモヒトくんとは高校の時から付き合っていて――」
DJの女性が言葉を切る。がさがさと紙をめくる音がした。
「えー、ここから原稿用紙八枚にわたって〝月夜のレタス〟さんとトモヒトくんの馴れ初めが書いてあるのでカット。当番組は公共の電波を使って放送しておりますので、あしからず」
咳払いして仕切り直す。
「そのトモヒトくんが、もう二ヶ月以上もレタスを求めてきてくれません。トモくんは私に飽きたのでしょうか? チサトお姉さん、本当のところを教えて下さい、と……」
ふむふむ、と声に出し、思案する気配を見せる。
「レタスさんは18歳だから、まだ男の子の生理が分からないと思うのよね。かと言って、友達にも聞きにくいしね。チサトお姉さんがお答えしましょう。二ヶ月もアレがない? それは絶対に飽きられ――」
……ブチッ……ガッガッ……ガー、スピー……
「午後三時、ナラサキケンジの〝ビフォア・ナイト・レディオ〟。リスナーのみんな、一週間ぶり。元気にしてたかな? 今、このラジオを恋人と二人で聴いてくれている人もいるんじゃないかな」
今度は低音の渋い男の声が流れてくる。英語部分の発音がやたら良かった。
「実はナラサキ、マネージャーに起こされたのがついさっき、台本が頭に入ってません。実は昨日、三年付き合っていた彼女にフラれました。徹夜で飲み続けて頭が痛いです。というわけで、今日はD・Jの独断で大失恋特集!」
最後の部分、エコーがかかって声が伸びる。
「あ、今、ディレクターの佐藤さんが怖い顔したよ。実は今日、懐かしのロックフェス特集だったんですねえ。でも、もう言っちゃったもんね」
てへへ、と悪意のある笑い声をあげる。
「これから失恋の曲に限ってリクエストを受け付けます。それと、自分はこんな悲惨な失恋をしたという人もファックスください。宛先は――」
……ブチッ……ガッガッ……ガッガッ……
「本日は北海道大学教育学部で、精神心理学を専門とされていますムコウヤマ教授におこしいただいています。先生、さっそくですが、この男性は、昔付き合っていた女性のもとへ、三千回にわたって無言電話をかけていたということですが――」
アナウンサーの質問に、教授が重い調子で答える。
「このケースAについては、男性が両親――特に母親から過剰ともいえる期待を背負っていたことから、男女の関係をも失敗してはいえない、ととらえていた節があります。そこへ女性から一方的な別れを告げられ、彼の自我は崩壊し……」
……ブチッ、ガッガッガッ……ガッガッガッ……
「続いてのリクエストは、札幌市在住、ペンネーム〝L特急北海〟さんのリクエスト。西野カナさんの『さよなら』です」
……バキッ!……
車載ラジオから流れてくる音が止まった。
車のオーディオに左足をめり込ませ、俺は唇の端をニヤリと吊り上げた。
けっ、ざまあみさらせ。
戻しかけた膝がハンドルにぶつかり、車体が左右に蛇行する。
うおっ、と吠えながらハンドルを切り、揺れを抑える。
「っぶねえ……」
一人しかいない車内に男の声がもれた。
すでに5キロ近く脇に自販機ひとつない一本道を走っている。フラストレーションを車にぶつけていては、中古のフォルクスワーゲンは停まりかねない。
心を鎮めるため、俺はフロントガラス越しの風景に目を凝らした。
青い空。
沈まない太陽(実際には沈むけど。まあ、イメージだ)。
地平線まで続く一本道。
ここ北海道には、俺が東京で求めてやまなかったものが、売店で絵葉書を買うように簡単に手に入る。なんにも考えないでいい、笑っちゃうぐらい単純な風景がある。
なのに、ラジオをつけてみれば――
恋愛恋愛恋愛恋愛恋愛、こればっか。
だいたい世の中には恋愛以外の話題がないのか? 誰ちゃんが誰を好きだとか嫌いだとか、ほとんど小学生のメンタリティと変わらない。
巷を揺るがす政界汚職も、地球温暖化も、仮想通貨バブルも、遠い世界の出来事。この世界は恋愛だけで成立している気がしてくる。
いや、実際そうなのかもしれない。
一か月前の俺なら、間違いなく「その通り」と答えていただろう。声を大にして「歴史は愛がつくる」説を周囲の人間に吹聴し、眉をひそめられていたかもしれない。
そう、一か月前なら。
今は違った。世界は愛で成り立っているなどとほざくやつがいれば、磔にして火をかけ、銀の玉を撃ちこんでやりたい気分だった。
屈折してる、と自分でも思う。けれど、どうしようもないのだ。
むしゃくしゃする気分に任せ、俺は助手席に置いてあったポテトチップ(増量タイプ)に手を伸ばす。六枚を一掴みにして口に放り込み、ボリボリとむさぼるように食べた。
ストレスが食欲に直結するのが、俺の悪い癖だった。
札幌を出発して以来、ジンギスカン、札幌ラーメン、ミルククッキー、カニ雑炊と食べに食べ続け、俺の一人旅は〝食い倒れツアー〟の様相を呈しつつある。
36歳になる今日まで、学生時代と変わらぬスタイルを維持してきたが、それも今や風前の灯火だ。
東京を出て以来、第二形態、第三形態って、巨大化してる気がするもんな。
車の一人旅は、話し相手がいないので考え込む時間が多くなる。つい口さみしさで何か食べたくなる。気分転換にとラジオをつければ、いっそうむしゃくしゃする始末。
再びポテチの袋に手を伸ばし、袋の中をゴソゴソとまさぐる。
うん?……
空だった。一掴み六枚のペースで食べ続けているせいで、封を切ったと思ったらすぐなくなってしまう。北海道のポテチは東京のより美味しい気がする。アイダホ産とは浴びてる太陽が違うのだろうか。
えーと、コンビニ……コンビニ……。
ナビを操作して、いちばん近い店を探す。どこかでポテチの補給をしなければ。5キロほど先にそれらしきものがあった。よし、と拳を握り、俺は顔を上げた。
ん?……
50メートルほど先の道端に人影が見えた。15、6歳ぐらいの少女が片腕を道路に突き出し、親指を立てている。
ヒッチハイク?
普段、車の旅をしないこともあるが、実際にやっている人間を見たのは初めてだ。
が――俺は減速をせず、目に入らなかった風を装った。
なぜかって? 理由はヒッチハイカーの容姿だ。
金髪だった。胸まで垂れ落ちるブラウンとシルバーの巻き髪。
服装は、上はほとんどランジェリーと言っていいキャミソール(がっつりへそ出し)、下はデニムのショートパンツ。すらっとした細い脚が伸びている。
そう、どこからどう見ても〝ギャル〟だった。
たとえばこれが、大学生ぐらいの若い男ならば、あるいは俺は拾っていたかもしれない。車での一人旅に死ぬほど退屈していたからだ。
が、女はまずい。特に少女は。
相手はどう見ても18歳未満。何かあったとき、洒落にならない。ことわざでは「李下に冠を正さず」と言う。特に俺の場合、職業上、こういったケースを警戒する必要があった。
道端のギャルに眼もくれず、俺はそのまま車を直進させた。
突然だった。
少女が道の真ん中に飛び出し、両手を大きく広げて立ちふさがった。
「うおっ」
キキキキと急ブレーキの音が響き、少女の身体に当たる寸前でフォルクスワーゲンが急停止する。
真っ青な顔で、俺は俺はハンドルを握っていた。心臓がドキドキする。
車の横に少女が回り込んでくるのが見えた。
コンコンと窓をノックされる。
俺は運転席側のパワーウインドウを下ろし、金髪ギャルをにらみつけた。
「なにやってんだ! 危ないじゃ――」
「あんた、スルーしようとしたっしょ?」
被せ気味に少女の不機嫌そうな声がした。
「え?」
俺は目の前の顔をまじまじと見つめた。猫っぽい大きな吊り目、カラコンのブラウンの瞳、長いまつ毛……ハーフっぽいギャル顔メイクの下の素顔は想像するしかないが、まだ幼さの残る年齢に思えた。
「若い娘がこんな何もないところで、一人でヒッチハイクしてんだよ。車を停めて、どうしたのって訊くぐらい大人の義務でしょ。シカトはないんじゃない?」
「いや……」
俺はタクシーじゃない。乗車拒否で文句を言われる筋合いはない。第一、なんで初対面の相手に「あんた」呼ばわりされた上、説教までされなくちゃならないのだ。
「知ってる? こういうのネグレクトっていうんだよ」
なんか違う気はしたが(育児放棄のことでは?)、俺は黙っていた。
「大人のことなかれ主義が少女を非行に走らせるんだよ。まあ、いいや。済んだことはあたしもグチグチ言わない――とりあえず、乗せてくれるっしょ?」
車のルーフに手をかけ、覗き込むように体をかがめる。
キャミソールから深い胸の谷間がのぞく。D? いや、Eはある?
あわてて視線を外した俺の目に、今度はへそのピアスが入ってくる。
「ねえ、いいでしょ?」
「いやいや――それはまずいよ」
俺は顔の前で手を振る。あやうく相手のペースにのせられるところだった。
「まずいって何が?」
「君のことはよく知らないし」
「もう知り合ったじゃん。友達っしょ」
いや、友達のハードル低すぎるだろ。
「とにかく、僕には僕の予定があるから」
「えー、いいじゃん。駅のあるところまででいいからさー」
少女は両手を合わせ、拝むようなしぐさを見せる。
まあ、駅までなら……と思いかけて、あわてて俺は打ち消す。
この娘、どう見ても家出くさい。警察沙汰に巻き込まれるのはごめんだった。
妥協策として、俺は提案した。
「携帯を貸すから、お父さんお母さんに連絡したらどう? それか、ここにタクシーを呼ぶとか」
「親? 無理無理。それに、タクシーに払う金なんてないし」
「お金なら――」
財布に伸ばしかけた手が止まる。
どう考えても、貸した金は返ってきそうにない。それに、この家出少女が警察に保護されたとき(まず、間違いない)、「知らないおじさんにお金をもらった」などと証言されては、話がややこしくなる。
はあ、と少女がため息をつく。
「そんなに警戒しないでよ。別にあんたに援交を持ちかけてるわけじゃないんだしさー」
「当たり前だ!」
「ねえ、助けてよ。ほんとに困ってるの。自転車がパンクして、携帯も充電が切れちゃったの」
少女がショーパンの後ろポケットから真っ黒なスマホを見せる。背後の草むらにはマウンテンバイクが横倒しになっていた。どうやら作り話ではないらしい。
「あーあ、次に通りがかる人が、悪い男のひとじゃないといいなー」
頭の後ろに両手を回し、わざとらしくぼやく。
交通事故ではケガ人を放置した場合、救護義務違反で罪に問われる。女子高生のヒッチハイカーを拾わなかったとしても問題ないだろうが、たしかに何が起こってもおかしくない(襲ってください、といわんばかりの服装だ)。
今度は俺がため息をつく番だった。
「……わかったよ。駅のあるところまででいいんだな?」
「ありがとう!」
初めて少女が笑顔を見せた。あれ、と思った。キャバ嬢みたいなケバい見た目で気づかなかったが、こいつ、案外かわいらしい顔をしている?
「自転車、のせていくんだろ?」
「運んでくれんの?」
「屋根にのせるから持ってこい」
俺は運転席側のドアを開け、車を降りた。
少女がマウンテンバイクを肩にかついで戻ってくる。
俺は受け取った自転車をルーフに設置されたサイクルキャリアに乗せ上げた。車輪を装着してラチェットレバーで固定する。
「これ、ビアンキか?」
後輪をベルトでとめながら、俺はそばにいる少女に訊いた。
「そーそー。よく知ってんね。マウンテンバイク持ってんの?」
「まあな。俺のはもっと安いやつだよ。けっこう高かったろ?」
「知らないよ。コンビニの前に停めてあったのをパクっただけだから」
「…………」
「嘘嘘。ジョーダンだって。値段は知らない。父親が誕生日に買ってくれたんだ」
本当に冗談だろうか? 家出+窃盗、というワードが頭の中に渦巻く。
「いいお父さんだな」
「まあね」
俺は、おや? という感じに少女を見た。ギャルと言えば、母親を「ババア」呼ばわりするのがお約束ではないのか。肩透かしを食らった気分だった。見た目はともかく、根は素直な娘なのかもしれない。
「ま、こんなもんか」
俺はパンパンと手の汚れを払い、ルーフに固定された自転車を見上げた。
「こっちも嘘だよ」
俺はいたずらっぽく笑った。
一瞬、少女がいぶかしげな顔をする。
「俺もビアンキだよ。勢いで買ったんだけど、ほとんど乗らないでオークションで売っちまった。この車の屋根にサイクルキャリアがあるのはそのせいさ。恥ずかしいから人には言ってない」
最初キョトンとし、やがてパッと花が咲くように少女が笑った。小麦色の肌に、健康そうな白い歯がのぞく。
それが俺、奥平浩介と少女・渚さやかとの出逢いだった。