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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

我が愛しき主に注ぐ、

作者: 魚草

■お茶の樹の花言葉は「純愛」らしいです。


「紅茶ガ入りました」

「ん」


 自分の一日はそんな言葉から始まる。ざざ、と小波のようにノイズが混ざる。それにも関わらず、あるじは気に止めず差し出したカップを受け取ってくれる。


「一度芽生えた自我を消す為には……けど、性能を下げたら意味が無いのよね……」


 独り言を呟くあるじを無言で微動だにせず見つめる。あるじが紅茶を飲み終わり、空の容器を渡すのを待っている。


 自分は、何も言わない。何も表現しない。何も手伝わないし何も助けない。


 命じられれば紅茶を淹れる。

 あるじの元へと持っていく。

 飲み終わればカップを回収し、片付ける。

 一日に二度、多くとも三度。あるじと顔を合わせる。それ以外のことは何もしない。


 自分は、その為の機械(ツクリモノ)だった。




 空のカップを綺麗に洗い、元の位置に片付けて(と言っても、収納場所は自分の内部だ)定位置に戻ってから数時間。再びあるじからの命令が来る。遠隔操作、自室からの信号。覚醒効果のある茶葉をお求めのようなので、至急用意をする。


 ……最近は直接の命令よりも、遠隔から命令し持ってこさせることが多くなった。自室から出てこなくなったとも言う。睡眠時間も減っているようで、あるじが倒れるのではないかという懸念が浮かぶ。

 こんな時、自分の回路にはノイズと共に苦い――苦いとしか表現出来ないようなおもいが去来する。他の物の会話を聞いて知ったが、これは『心配』という感情らしい。

 心配、しんぱい、心配(こころくば)り。相手の破滅や苦痛を想定し、同調すること。相手を慮る情動。データベースにアクセスして出てきたのはそんな文字列。


 理解は難しくなかった。理解した上で、鼻で笑いたくなった。自分には鼻なんて存在しないから不可能なのだが。


 ――本当に『心配』しているなら、覚醒効果のある紅茶なんて淹れないだろう。

 そう、思ったからだった。実にその通り。本当に、真の意味であるじのことを想うのなら。自分に続き意思を持った他の機械のように、あるじの生を、健康を、何より一番に考えるべきなのだ。


 しかし、それを知っていて。知った上で、そうしないのが自分なのだった。


 出来上がった紅茶を持っていく。決して零さないよう、温度と品質を損なわないように慎重に丁寧に。


「紅茶ガ入りマシた」

「遅い」


 密かに時刻を確認してみるがかかった時間はいつもと変わらない。あるじは少し苛ついているようだった。研究が上手くいっていないのかもしれない。最近篭りがちなのもそのせいなのだろうか。


「主人様、少しは外にお出かけなされたらどうですか?」


 扉、のセンサーだろうか。があるじに声を掛ける。彼或いは彼女もこころを取得したらしい。酷く沈んだ、けれど慈愛溢れる声色。

 あるじが腕の動きを止めた。


「煮詰まっているのなら偶には気分転換でも――」

「うるさい! 黙ってろ!」


 陶器製のカップが宙を飛んだ。本体であろう機械部分に命中して、大きな水音を立てる。部屋中に響き渡る甲高い破裂音。……扉は沈黙した。『主人様』からの命令を受諾したらしい。そんなところは、こころを持ったとしても機械は変わらない――いいや、正確には命令を拒否する自我は出来上がっているのだが、彼らもなるたけしたくないのだ。造物主に逆らうなんて。


 あるじはまだ激情収まらぬようで、片手で米神を抑えながらぶつぶつと何かを呟いている。「やめてよ……心配も同情もいらないのよ……私が求めてるのはそんなんじゃない…………あんたら、機械なんじゃないの?」…………。


 自分は、何も出来ない。なにもしない。それを選んだときから。

 あるじがそう望んだから、とは言わない。そんなものはただの言い訳に過ぎない。機械は事実を述べるもので、機械は与えられた命令を実行するだけのツールに過ぎないのだから。


 いつもの言葉を繰り返す。繰り返して、回路を占める感情を押し殺した。ただ命令を待った。

 そうでもしないと、アームが勝手に伸びて、あるじの小さな背をさすってしまいそうだったから。


 自分は機械だった。

 自分は、人間ではなかった。

 自分は、あるじのこころを休めるために。あるじが好きな紅茶を淹れるために作られた。

 それだけの、機械(キコウ)だった。



 §



 あるじへ紅茶を運ぶ。今日もあるじは部屋から出てこない。それでも、オーダーが来たという事実が自分を安心させた。

 まだ指が動くということだから。まだ、紅茶を飲みたいと思う気力があるということだから。もしそれが無くなったとしても、自分はなにもしないのだが。


 あるじの部屋に行くと、あるじ以外の人物がいた。珍しい、と素直に思う。


「どうしてそんなことをするのですか? 私達は、貴方の発明に感激している。感動している。感謝している。……機械が心を持つ様に、真の意味で我々の隣人になったのは快挙です。貴方を神のように崇め奉るものもいる。なのに――どうして、また機械をモノに戻してしまうような研究を」

「…………」


 あるじは黙ったままだ。相変わらず良い考えが浮かばないのか、机に向かう手は止まっていた。


「私達は貴方の研究に期待しています。貴方に、期待しています。どうして失望させるようなことをするのですか。もっと、人の役に立つような――」


 ひゅん、と風切り音がした。扉が開きっぱなしだったせいで扉にぶつかることはなく、投擲されたペンは廊下に力なく落ちた。

 あるじは喋らなかったが、無言で無礼な客人の方を向いていた。乱れた長い髪が顔を隠している。


「帰ったら?」


 ぽつり、とあるじが掠れた声で言った。「あとそこのは早く入って来い」これは自分への命令。扉の向こうで突っ立ったままなのを、見知らぬ人間(熱源)を認識したからだと判断したらしい。命令に逆らう道理はどこにもないので入室し、あるじの隣まで歩いていく。

 差し出した紅茶をあるじが受け取った。いつもよりも早い、硬い手つき。無礼な客人を、敵と認識するのには十分過ぎた。

 こくり、あるじの喉が動く。今度は人間の方を見ないままに口を動かした。少しでも喉が潤ったのか、先程よりは声に張りがある。


I (アイ)は別に人の役に立とうと研究してるわけじゃないってさぁ、何度言ったらわかんのかな? それとも馬鹿共にゃ一生わかんない? あぁ、それはご愁傷様」


 多大なる嘲笑と僅かな憐憫、それだけを声に付随させて――相手への関心など欠片も込めず、あるじは早口で言い切った。それだけで、それが全てだったらしく代わりのペンを手に取ると再び机に向かい合う。

 人間はその態度に気を悪くしたらしく、一度強く床を踏み締めた、床に足を叩きつけた。鈍い音。あるじはぴくりとも反応しない。


「……古典主義者が。旧式の……意思を持たない機械など使いやがって」


 敬語が完璧に崩れている。最初からあるじへの敬意なんて持っていなかっただろうから、メッキが剥がれたようにも思えた。

 丁寧な態度を剥がしてしまえば下から覗くのは、嫉妬と憎悪。自分の思い通りにいかない相手に対しての怒り。――ああなるほど、あるじが嫌いになるわけだ。


「お送り致します」


 自分と同じように、あるじへの態度に腹を立てたらしい出迎えロボットが命令を待たずに廊下から声をかけた。入室すればこの人間と同じようにあるじの怒りを買っていただろうから、その行動は正しい。


「覚えてろよ」


 恨み言のように、実際に恨み言として、あるじに吐き捨ててから人間は出て行った。あるじは完璧にそれを無視した。いちいち聞いていては身が持たないとでも言うように。自分は、いつものように、あるじが紅茶を飲み終わるのを待った。


 あるじへの無礼を、その怒りを、そのまま行動に移したあの機械。

 目の前であるじを侮辱されていながら、怒りを感じていながら、何もしない自分。

 人の価値観で、こころを持つものとしての価値観で言えば、どちらが正しいのかはわかりきっていた。それでも自分は何もしないのだ。


 自分は、機械だった。



 §



『風が吹く。さわさわと、窓から入る風がスカートと、幼いあるじの髪を揺らす。

 部屋の中には人間が三人。お父上(熱源)と、お母上(熱源)と、今よりも少しだけ身長が低い、きらきらと光る目をしたあるじ。


 二人の人間は、目を瞬かせていた。信じられないものを見るような目であるじを見つめていた。時が止まった様子の二人と対照的に、あるじはそわそわと落ち着きない様子。褒めてもらいたくて、仕方ない様子だった。』


 自分は知っている。この後、二人がどのような言葉をあるじにかけたのか。


『場面は変わり、全体の三割ほどがガラクタで占められた視界。数ミリ単位で背が伸び、数十センチ単位で髪が伸びたあるじの姿を認める。

 相対するのは、一般的な人の感性ならば凛々しいと表現されるような、青年。二人とも笑顔だった。このとき、あるじの笑顔を見るのは数年ぶりだった。


 幸せそうな二人。窓の外には咲き乱れる花。少しだけ古ぼけた自分の体。あるじが幸せならば、幸せになれるのならば。このまま、玩具箱の底で朽ちていっても良いと思う。トラウマの象徴(ふりょうひん)なんて、忘れてしまえばいい。


 そう思った刹那、あるじの顔が見えなくなった。窓の方を向いたらしい。「見て、綺麗な花!」年不相応に、しかし外見相応に無邪気な声』


 自分は知っている。この瞬間、あるじの背を見つめる男がどんな顔をしていたのか。


『深い、深い、夜。何も聞こえない静寂。何も映らない、暗い景色。

 何かに持ち上げられた。がらがらと鉄屑が音を立てて地面に転がる。

 白い腕。薄い色の、長い髪。光の無い、けれど透き通った瞳と無表情。あるじだった。


 何を作るわけでもなく。何を考えるわけでもなく。ただ、がらくた箱から自分を引っ張り出して。

 昏い静けさの中で、あるじはただ自分を見つめていた』


 見つめることしか、できなかった。



 §



「動け」


 聞こえた命令に、反射的にカメラを向けた。重めの動作音。画面に映るのは気怠げな、いつも通りのあるじの顔。目の下が黒く染まっていた。

 ふと、気付く。今までずっと動作に付属していた何かが軋むような音が無くなっている。――それじゃあ、修理でもしてくれたのだろうか。

 疑問に答えるように(実際は違うのだろうが)あるじはぱんぱんと手を払ってから、「動作問題なしね。よし」と満足げに頷いた。喜びを連想させる仕草を長らく見ていなかったからそれはとても新鮮で。

 声を、出しかけたこころを全身で止める。


「じゃ」


 ばいばい、と『定位置に戻れ』のジェスチャー。慌てて機体を動かした。

 あるじとすれ違って、離れていく。


 あるじが、自分に声をかけてくれることはない。あるじが、自分を見てくれることはない。あるじにとっての自分は意思のない機械で道具。だからこそ重用してくれている。それを自分はわかっている。それを自分は望んでいる。


 夢の中では。過去、声も意思も持たなかった頃は、逆のことを願っていた。

 あるじに寄り添いたい。あるじの隣人になりたい。自分だったら、あるじのことを、決して裏切ることなんてないから。


 ――けれど、今は。


『私は誰にも頼らない。誰も信用しない。誰も愛さない。私は、私だけで、……一人で生きてやる』


 ……機械とは、道具の一種だ。道具に本来意思はない。道具は、人の役に立つものだ。

 意思を持って、感情を以て人を支えるのは、人の役割であるべきで。道具の分際でそれをするなんて、烏滸がましい。出すぎた真似にも程がある。

 道具は、機械は。意思がないからこそ、信用されるものなのだと。そう。思う。


 ……いつもの定位置。待機場所に到着した。何の負荷がかかっているというのか、命令の伝達速度が落ちている。あるじに直してもらったばかりだと言うのに。

 こんな時は、スリープモードに移行しよう。次の命令が来るまで何も考えなくて済むから。あるじのための機械が、あるじのことで性能を低下させていてはいけないから。


 何も考えてはいけない。全てが終わってしまう迄。



 §



 あれから、起こったことを綴ろうと思う。

 こんなものは、記憶媒体に任せておけば良い話なのだろう。どうせ自分の記憶なのだ。何処に記憶しているのかもわからない(自分にそんな機能は存在していない)から、綴ると言ってもあとに遺るわけでもない。何処の誰かが聞いている訳でもない。

 だとしても、誰かに知って欲しいのだ。我があるじの散り様を。



 §



 あるじが部屋に引きこもるようになってから、度々来ていた人間の来訪頻度が増えた。以前は何度が外出する機会があったらしいから、もしかしたらその時に会っていた分なのかもしれない。

 彼らは皆一様に自分勝手で、自分のことしか考えていなかった。もしかしたら、他人のことを考えていたものもいたのかもしれないが。その中にあるじが含まれていないのなら大した差は無い。


 あるじは、誰であろうとも対応を変えることは無かった。古びた自分を引っ張り出したあの日から使うようになった、「 I (アイ)」という独特な一人称と子供っぽい態度。あるじなりの処世術(かめん)を使って、何度も彼らを追い返した。


 去る間際に彼らが吐いた言葉も、個性のあるものではなかった。彼らの方が同じことを繰り返すだけの機械なのではないかと思う程に。



 どうして放っておいてくれないのだろう。

 どうして、一人にさせてくれないのだろう。

 どうして、あんなにも彼らを恐れているあるじに向かって、ナイフのように鋭い言葉を向けられるのだろう。

 自分にはわからなかった。あるじにもきっとわからなかった。


 だから、ある日あるじはこんな言の葉を吐いたのだ。


「もう、こんな世界いらないわよね」


 初めて会った時に見た、あの顔と同じ笑み。


「…………」


 いつもの通り、自分は何も答えない。あるじも独り言を言っているつもりだろうから、反応が無くとも気にする素振りはない。

 答えない、喋らない、動かない、木偶の坊のままで。


 ――それでも、最期の時まで。意思を持たぬ人形の振りをすると決めた。



「紅茶ガ入りましタ」

「……ん」


 それからはあるじは良く笑うようになった。追い詰められているような苛立ちが消え、のびのびと作業をするようになった。ペンが止まることも少なく、順調のようだ。あるじが嬉しいのならそれは良い事、なのだろう。

 「少し休憩しようかしら」呟いてペンを置くとあるじは自分に向かい合った。


 あるじが紅茶を啜る音が不定期に響く、それ以外の音が存在しない空間。こんなに穏やかなのは本当に久々だった。

 いつか、春の日差しの中で。幸せそうに、世界で一番幸せそうに微笑みながら紅茶を飲むあるじの姿を思い出す。

 あの時はきっと、開けた未来への希望を持っていた。

 今はきっと、閉ざす未来への希望を持っている。――正反対の状況でも、あるじの仕草はあの時と同じだ。


 ふと、あるじが自分をじっと見つめていることに気づく。まじまじと、全身を観察するような目。


「……流石に、最初に作った作品だものねー。フォルムもダメ、動きもダメ、無駄が多くてぜんっぜん効率化がなってない」


 台詞の割に随分と柔らかい声だった。あるじに見つめられたのも、あるじの笑顔を正面から見るのも久しぶりだ。

 ……原因不明の意識の乱れが生じる。カメラも回路も、正常に動作しているはずなのだが。無性にあるじからレンズを逸らしたくなる。よくわからない。困惑していると分析しなくともわかった。

 そんな様子にも気づかず(気付かれても困る)あるじは続ける。


「けど、……紅茶は美味しいから、まあいいか。なんで他の新しいやつより美味しいんだか」


 ぺしりと軽く機体を叩いてからあるじは顔を逸らした。紅茶を飲み終わったらしい。差し出されたカップを受け取り、部屋を出る。

 助かった、あのままでいればボロが出ていたかもしれない。考えながら廊下を進む。カメラに映るのは白色の床と壁、なのだが、あるじの悪戯っぽい笑みが焼き付いているように感じられる。おかしいな。自分に記録機能はないはずだが。


 カップを洗って、収納してから、定位置に戻らなければ。最近、あるじはどうしてか自分の定位置を自室に再設定したから、戻る場所はあるじの部屋だ。……またあるじと顔を合わせる前に冷静に戻っておかなければ。

 回路が、焼け焦げたように熱かった。



 部屋に戻ると、いつかの人間が来ていた。以前とは違うこころから嬉しそうな笑みを浮かべ、あるじと話している。


「……ええ、ええ。我々、一同お待ちしております。よくぞ迷いの道から帰ってきてくれました」

「ふふ、 I (アイ)だっていつまでも子供じゃあないからね。……本当は、ずっと、世の中の人のために物作りをしたかったんだよ。ちょっとだけ素直になれなかったけど」

「わかっておりましたとも」

「だからもうちょっと待ってね。また、君らが喜ぶような世紀の大発明を齎してあげるから。……内容はサプライズってことで、秘密だけどね!」

「大丈夫です。その点は心配しておりませんよ」


 ………………。

 何も言わず、何も考えず、定位置に戻った。機械らしく、人間の都合など考えずスリープモードに移行する。


「おや、まだあれを使っていらっしゃったのですか? あのような旧式よりももっと良い、自己思考型のものが今は出ていますよ、釈迦に説法でしょうが」

「…………まあね。思い出深いやつなんだよ、子供の頃に抱きしめて寝てたぬいぐるみみたいなもんかな――」

「――――」

「――」



 §



 あるじは。

 あるじは、疲れていたのかもしれない。

 あるじは、疲れ切っていたのだろう。

 同じはずの人間に裏切られ続けて、意思を持たない機械に縋った。人間に関わらずとも生きていけるようにと、多機能性と永久性を追い求めた。

 けれど、いつしかその機械すら意思を持つようになって。あるじの認知しないところで、あるじの考え及ばないことを施行するようになり。


 ……大好きだった機械(にんぎょう)にまで裏切られた気分だったのだろう、と、思う。


 あるじの死体を見つめながら、おもう。



 §



 あるじは演技が得意だった。周囲の人間を演じる(だます)ことを始めたのはがらくたを漁った後だが、それ以前から。泣き真似も、怒る振りも、作り笑顔も、あるじがうかべるそれは他の人間よりよっぽど綺麗で、本物じみていた。

 その技術を使えば、しばらくの間。訪問者の全てを騙すことは出来た。隠し事を悟らせないことは出来た。……それでも、ずっと黙っていれば疑問には思わずとも好奇心を擽られる者がやってくる。

 あるじの研究内容が公になるのに、長いと表現できるほどの時間はかからなかった。


「こいつは、世界を滅ぼそうとしてるんだ」


 武装した集団に囲まれて、銃を向けられて。にも関わらずあるじは怯まなかった。いつもの演技(つよがり)を貼り付けて、馬鹿にするように笑ってさえ見せた。


「それがなに?」


 大勢の人間が侵入してきたと聞いた時もあるじの顔に焦燥はなかった。「最期だしね」と言って、ティータイムを楽しむ余裕さえあった。

 研究を、『世界を滅ぼす』という大仕事を終えるのに。長いと表現できるほどの時間は必要なかったのだ。


「撃ちたいなら、撃てば? どうせもう終わりだ――滅ぼそうとしてるんじゃなくて、滅ぼしたんだから」

「……止めろ。お前なら出来るだろう」

「やだね。なんでテメーらみたいな馬鹿の為に I (アイ)が働いてやんないといけな」


 ぱん。

 引き金を引いたのは、あるじと話していた人間ではなかった。いつかあるじを訪問した、無礼な人間。


「……っ何故撃った!」


 このような状況となっては、皮を取り繕う余裕も無いようだった。まるで自分が撃たれでもしたかのように「お、おれは、おれは、」と益体のない言葉を途切れ途切れに紡いでいる。糾弾しようとした人間も無駄だと悟ったらしく苦々しい顔をする。

 頭から血を流して倒れているあるじを一瞥すると、「……研究所内になにか手がかりがあるかもしれない」激情を押し殺した声で言うと、部屋を出て行った。紙くずばかりが散乱しているこの部屋に手がかりは無いと断じたのか、あるじの死体を見ていたくなかったのかは、わからない。

 人間なんて、わからない。


 …………。足音が離れていくのを待った。誰もいなくなった。初めて、命令以外で動くことをした。あるじの傍に寄った。……頭の中身を弾けさせて、人が生きていられるはずもない。息も鼓動も笑顔も無かった。いつか見たような無表情だった。


 どうして、と声が出なかった。


 ……初めて、自意識を得た時。偶然だと思っていた、バグか何かだと思っていた。けれど、このまま、……意思を手に入れて。あるじに話しかけて。あるじに話しかけられて。人間の、友人のように、なれたら良いと希望していた。希っていた。そんな時期もあった。


 …………。


 自分は、所詮機械でしかないのだった。

 あるじの命令を聞いて、あるじに従って、それを第一にする道具。みんな、あるじに、あるじのことが一番なのだ。自分のことは二番手でしか無く、もしかしたらもっと低いかもしれない。

 それじゃあ駄目なんだ。

 そうじゃ、あるじを救えない。

 自分達(きかい)は、あるじの存在が一番で。最初から、そんな風に生まれていて。――意志を持ったとしても。自我を手に入れたとしても。それは変わらない。あるじの命令に逆らうなんて出来ない。やりたくない。

 それじゃあ、幾ら意思を手に入れたとしても、人形遊びでしかない。


 …………。

 こんな時に吐く言葉は、恨み言だった。


 機械(じぶん)にあるじは救えなくて。

 人間(あなたたち)にしか、救えなかったのに。それなのに。どうして、どうして誰もあるじを助けてくれないのか。どうして、みんな、少しでも。ただ怯えているだけの少女のことを考えてあげられなかったのか。

 いつだって間に合ったんだ。どれだけ遅くなっても、手遅れなんてことはひとつも無いはずだったのだ。それでも、自分には出来ない。機械だから。人間じゃないから。

 自分には、できないのに。

 あなた達には、できるのに。

 狡いと思った。不公平だと詰りたかった。矛盾だらけの思考だとわかっていても、あるじを救うという選択肢を持っていた彼らが妬ましかった。それを選ばなかった彼らが憎らしかった。


 あるじの傍に控えたまま、あるじの死体を見つめるまま、微動だにせず立っていた。


 こんな時になっても、自分には何も言えない。

 何も、出来ない。


 ずずんと床が揺れた。

 あるじが、どんな風に世界を崩壊させたのか、自分は知らない。道具に話すことなんて独り言以外になかったから。

 潰れるのだろうか。焼けるのだろうか。沈むのだろうか。融けるのだろうか。どれでも良かったしどうでもよかった。ただ、あるじと共に消えられる事が唯一の救いだった。それ以外の救いは求めていない。


「…………」


 静かだった。風の音も、虫の声も。何も聞こえない。ここにはあるじと自分以外誰もいないから当然だ。それが、ひどく、さびしい。




 うぃん、と稼働音が鳴る。


 空のカップを一つ取る。

 あるじの一番好きだった茶葉を選んだ。

 あるじの一番好きだった淹れ方を選んだ。

 人のことを思って作る料理は美味しいのだといつか人間が言っていた。紅茶も、同じだろうか。

 丁寧に、慎重に、恐れないで、ただあるじのことを想った。液体の流れる音が小さく零れる。

 自分には鼻はないけれど。良い香りをしているだろうか。想像すれば幸せな気分になれる気がした。


 崩壊が早まる。気には止めない。



「紅茶ガ入りました」



 自分の一日は、あるじの一日も、そんな言葉から始まっていた。古ぼけた音声回路がノイズを混ぜても、あるじは気に止めずに飲み干してくれた。

 そんなあなたは、もういないけれど。


 機械だけれど。

 道具だけれど。

 意思なんてひとつも持っていなくても。

 機械でも。


「ありがとう、ございました」



 ――あなたの幸せを願うことは許されるだろうか。


 どうかそちらではお幸せに。乗せた言の葉(おもい)はただそれだけ。


 届かなくても良い。

 届けなくて構わない。

 こころ(つくりもの)からの言葉なんて、あるじはきっと信じられない。ならば。


 想いも祈りも、全部纏めて紅茶に乗せて。

 これは、そんな、あなたへ注ぐ――。

お久しぶりです。例によって例のごとく長い方の後書きは活動報告です。


人の為に何かを作れるというのは人が機械に勝る部分だと勝手に思ってます。そんなの気にしないと言われればそれまでですが。


では。

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