[19歳] 勇敢なセイカの戦士(2)
ダグラスの口上を最後まで聞き終えたディムは、まるで準備していたかのように後ろ手に捕らえた騎士服の男を真正面に向けて蹴り飛ばした。
「ぐああああっ……」
腹の底から押し殺したような声を上げて倒れた男は、皆の見ている前で大恥をかかされたというのになかなか立ち上がれないでいる。
ディムは蹴飛ばすのと同時に、後ろ手に極めた関節を捻りあげ、肩関節を外しておいたのだから立ち上がれないのも頷ける。
そして先ほどから預っているこいつの片手剣を手に取って、じっくりと見る。
ヒルトとグリップエンドに緑色の宝石がついてるので装飾用かと思ったら、刃の部分はしっかりと打たれたいいハガネらしく、指ではじくとチーンと高い音で鳴り続けた。
光にかざしてみても傷一つない。よほど丹念に磨きを入れてる逸品だ。
「こんな高そうな剣をぶらさげてたけどさ、これ新品じゃん? 研いだ跡もない。アンタら本当に仕事してんの?」
言うとディムは抜き身の剣を誰もいない背後に放り投げた。
―― ドスッ
剣が地面に突き立ったのを合図に剣を抜いたデカい男、グリューデン・カルタス。
ディムが丸腰になったのを見て剣を抜いたのだ。程度が知れる。
首都サンドラではその名を知らぬ者は居ないほどの豪傑だ。しかし酒癖が悪く、酒場で酔ってはケンカをするなどといった暴力事件が後を絶たないので、騎士団でも持て余したのだろう、こんな辺境の砦で閑職に就かされている。
要するにここケスタール砦は、問題を起こしたりして出世街道から外れた者たちが飛ばされてくる流刑地のような場所なのだ。セイカが獣人たちの襲撃を受けたことで、こいつらが派遣されてきたということか。
ディムが父親の死を知ったときの軍の報告書には獣人たちの兵力は1200とあった。それをわずか500ちょっとの兵で守っているなんて。前線基地に居る獣人たちにこの事実が知れたら一気に攻められて、こんな張りぼての砦なんて簡単に抜かれてしまう。
ディムはレベル55の豪傑が剣を抜いて構えたのをみて、ソードベルトを外し、エルネッタに手渡した。丸腰になったのである。
まだ日が高い昼間ということもあり、ディムにしてみれば短剣スキルがないので、素手でも変わらないと判断してのことだった。しかし相手には"舐めてる"と取られてしまう。
「カルタス! 刃引きの剣を使え。勇敢なセイカの戦士サマだからな、殺してしまってはマズいだろう」
「おいおいディム、俺は? まだこのままプリマヴェーラさん抱いたままでいいのか?」
「ディミトリさんは相手の力量を見る目が正確です。それでも丸腰になったという事は、きっとそれだけ楽な相手なんですよ」
後ろに控えていた兵士から刃引きの剣を受け取った、亜人と見下していたエルフの女に楽な相手と言われたことにいら立ちを隠せない。
このデカい男は剣のグリップを入念に握って感触を確かめると、威圧をかけて構え直す。
鎖帷子を着込んでる盾持ち片手剣使い。身長はたぶんダグラスよりも大きくて195センチぐらい。なんもない平和な砦でフル装備ってことは、このひと今日は何かの当番か何かなんだなと。体型にはスマートさなんて欠片もなく、筋肉質の雄牛のようだ。体重は180キロ+装備品が40キロといったところか。
ディムは丸腰のままゆっくりと歩を進め、このオークのような巨躯をもった騎士に相対した。
「おいチビすけ、丸腰になったからと言って手加減せんぞ? 痛い目に遭う前に大人しく取り押さえられたらどうなんだ?」
「ぼくも一応、勇敢なセイカの村人のひとりなんだよね。だからさ、お前を倒すのに刃物なんていらないと思っただけだから」
「おいおい、刃引きの剣でも本気で打たれたら死ぬこともあるんだぞ?」
「ノロマの攻撃なんて当たらないってば。どうせ獣人がきたら逃げるんだよね?」
刃引きの剣での訓練はだいたいが寸止めで行われる。鎧を着込んでいて斬られなくても鈍器で殴られた程度には効くし、万が一肌の露出している部分や鎧の隙間に入ると刃引きとは言え大ケガしてしまう。
そしてディムは軽装。刃引きの剣であっても打ちどころが悪ければ致命傷にもなり得る。
騎士たちが包囲を狭めている中、じりじりと追い詰められてなお、そんな挑発めいたことを言う。
ディムは勝てる相手だからといって決してバカにしたリはしない。
挑発して、肩に少し力が入るぐらいの緊張感を演出してやっただけだ。
現にこの男、ノロマと言われて頭に血が登ったらしく湯気が出ているようにも感じる。
まるで蒸気機関車だ。
ディムの挑発、言葉が風に流れされてしまったあとも数秒の間睨み合ったか。上から見下ろす脅迫的な視線も、大きな筋肉を誇張しての威圧も戦闘時の緊張から最も遠い存在のディムにはまるっきり効果がない。
チリチリと肌が粟立つ緊張感にの中、グリューデン・カルタスが刃引きの剣を大きく振りかぶる。
ディムは騎士団の事を少しだけ甘く見ていた。ダグラスの口上を聞いて少しは罪悪感に似たような感情を揺さぶられて、思ったように戦闘できなくなると考えていたのだが……。
しかしグリューデン・カルタスは躊躇しなかった。ディムが想像していた以上にヒトの心なんて持ち合わせちゃいなかったのだ。
ソードベルトを外して丸腰の男を相手に、カイトシールドを構えたまま一分の隙も容赦も慈悲も見せず、脳天を狙って、刃引きの剣を力任せに振り下ろす。
ズバッと大きな風切り音がした。初撃は空振りだった。
「まったく、丸腰の相手になんで盾構えてるのさ。バカじゃないの?」
ディムは大袈裟に避けることなくただ、構えていた後ろの足を半歩、左にずらしただけ。
それだけで剣の袈裟斬りという直線的な攻撃は当たらない。身体の中心線を半歩だけずらす。それだけだ。たったそれだけで攻撃が当たらないばかりか、交差法により、敵から遠く、自分から最も近いという必殺の位置取りになる。
カルタスは躱された剣をバックスイングで横に薙いだ。
しかしその手にはもう剣は握られていなかった。最初の袈裟斬りを躱したとき、ディムは腕の神経に障るツボを押していた。カルタスの腕にはビリっと電流が走ったようにしか感じなかったろう。だけど一瞬だけ、ツボを刺激している間だけ、握力が失われる。剣は当然のごとく軽い音を立てて地面を転がった。
腕で薙いだだけの攻撃など頭を下げるだけで躱すと、ディムは腰を落とし、改めて正面を向いたカルタスの胸を手のひらを押し当てた。
―― ぐいっ。
膝に溜めた力でこの大岩のような男が下がるほどに押した。
エルネッタやダグラスには口が裂けても言えないけれど、ディムにとって騎士というのはとても簡単な相手だ。なぜなら押せば必ず押した以上の力で押し返してくる。そう訓練し、身体に教え込ませていることと、投げられることを想定していないから、受け身をとるという発想がない。
胸を押されると反射的に押し返すカルタス。
こんな軽量のガキに押されて下がるほどヤワな男ではない。
そして次の瞬間には脳天から地面に突き刺さっていて、体重と装備品の重量が十分に加速した状態で、石畳に激突し、激しい衝撃が脳を揺らす。
タイミングさえ合えばパトリシアでもこの男を投げることができる簡単な重心の操作だ。
カルタスは脳天から地面に打ち付けられ一瞬だけ気を失ったが、すぐさま我に返ると立ち上がってディムに駆け寄った。
しかし目の前にいるはずの小さな男が遠い。近付くどころか、右に倒れ、立ち上がるとつぎは左に倒れた。足がもつれてまっすぐ歩けないことにやっと気が付いた。足に来ているのだ、30秒程度座っていたら正常に戻るはずだが、いまは30秒座っていることが許されない状況だった。
―― パチ、パチ、パチ、パチ……。
この砦を与るゲイリー・デセニエルは偉そうなヒゲ付きの唇をイヤらしく持ち上げて、ゆったりとした拍手で演出してみせた。
投げられたカルタスは膝を屈したまま動くことができず、ここで闘争は終わり、ディムの "やれやれ" と肩をすぼめる仕草も相まって、王立騎士団は大恥をかかされた格好となった。
「すごいな、いい見世物だった」
「どういたしまして。ぼくたちはこのまま教会関係者と会いたいのですが、構いませんよね?」
「かまわん。亜人の通行も許そう。どうか砦を出て行ったらもう二度と戻って来ぬようお願いするよ」
ふう。
ディムたち冒険者パーティはエルフのプリマヴェーラも含め、ようやく全員の砦入りを許されたけど、そのあと少し離れたところで最初に肩を外された騎士服の中隊長がえらい剣幕で怒られている声が聞こえた。エルフのプリマヴェーラの足跡を奇麗に掃除する罰を与えられたらしい。もちろんわざと聞こえるように言ってる。こいつらの質の悪さときたらチンピラなみだ。
そんな命令を小耳にはさんだエルネッタさんは、ダグラスに「手を引いて砦の中を隅々まで練り歩いてやれ」なんて言って笑ってたけど、当のプリマヴェーラさんはものすっごいストレスで精神疲労、今にも円形脱毛症にでもなってしまうんじゃないかって顔してた。これ以上は酷というものだ。
騎士たちにとってよほど腹に据えかねる出来事だったのだろう、遠巻きから横目で睨まれたりしながら砦の中を奥に移動し、ディムたちは早速、砦の中に併設された礼拝室に通された。
ルーメン教会の関係者は、砦の端っこに陣取るこの狭い礼拝室にいるらしい。そこに関係者が3人と、すぐに勇者パーティと連絡を取り合っていた斥候も呼ばれてきた。
勇者パーティは戦場の奥深くに行く任務であっても、定期的に隠密の斥候と連絡を取り合って現状報告をする。ある時は実際に会って口頭で、ある時は連絡ボックスを隠して、ある時はハトを使い、またある時は矢文も使う。
連絡が取れなくなったのはちょうど28日前、前回に連絡が取れてから5日後の連絡がなかったということだから、最後に連絡があってから33日ということだ。
もう手持ちの食料も尽きている。




