[13歳] 男の見せどころ
20180206改訂
刃物を持った複数のゴブリンに対し、ロリコン武芸者が合気道の技を駆使して応戦する。
このディム、ロリコンのくせに相当強い。ゴブリンなど物の数ではない。ゴブリンの槍の攻撃をヒラリヒラリと躱しながら決して正面に立たず、懐に潜り込むと腕を取り、関節を極めて投げを打つ。
細山田ディミトリなら1対1の戦いなら負けない。そう思っていた。
だけど一瞬、ダグラスがゴブリン二体を相手していて劣勢になったのを蹴りで援護した際、横から飛び込んできたゴブリンの爪が、攻撃を躱したつもりの細山田の、左側頭部に届き、ガリッという衝撃とともに、皮膚を削り取った。骨には影響がないだろう、だけどぬるりとしたイヤな感触が流れ出す。
左側の目に少し血が入ったようだ。攻撃がかすったことに気を取られた細山田ディミトリは、次の瞬間には脚に矢を受け、動きを止められてしまう。
太ももに刺さった矢を抜いて、前を向いたその時、視界の外から巧妙に忍び寄るゴブリンが飛び掛かり、不意打ち気味に青い短剣が胸を貫いた。
細山田ディミトリは激痛に顔を歪めながらも、闘志を前面に押し出し、たった今抜いた矢をギリッと音が聞こえるほど強く握りしめ、手の届く範囲、一番近くにいたゴブリンの首にそれを突き立てたが、胸を貫いた短剣は肋骨の隙間を抜けて内臓を深く傷つけている。おそらくはこれも致命傷だろう……。
―― ガハッ……。
咳き込み血を吐いたディミトリ。だが意地でも倒れず、胸から大量の血液を流しながら膝を屈してなお、動けないメイを守るため、立ち塞がる細山田さんの魂。
目の前は急速に暗転し、何も見えなくなった。目を閉じたのかもしれない。
いや、もう光を感じていないのかもしれない。
今にも死んでしまいそうな体を引きずり、ダグラスとメイを守りたいという鉄の意思で仁王立ちするディミトリの、炎のような気迫に押され、圧倒的優位に立つ獣人たちも一瞬たじろいだ。
しかしそのとき星弥にはもう何も見えていなかったし、何も聞こえてはいなかった。
頭の中では細山田を呼ぶ悲痛な声が木霊する。
『細山田さん! 大丈夫ですか! 細山田さん!』
いくら呼んでも返事がない……。意識が……ないのか。
次にうっすらと光を感じて飛び込んできた映像は、まさに急を告げる、一刻を争うような状況だった。
ディミトリはメイに背中から抱かれながら後ろに下げられようと引きずられていて、視線を上げるとすぐ目の前ではダグラスが盾を構えているのが見えた。
ダグラスは絶対にメイとディミトリを守るという鋼の意思を見せ、気迫で獣人たちを押し返していたものの、重戦車のような大型獣人のオークが二体、最前線に到着した途端、橋の中央で防衛していた大人たちも簡単に抜かれてしまって、橋の防衛線は一気に崩れた。
獣人たちの主戦力が前線に到着した。それだけでこのありさまだった。
身長2メートル近くある豚の獣人が鎧を着ているのだから、サイのような戦闘マシーンが二足歩行で大斧を振り回していると言うしか表現できないような映像だった。絵空事を見ているだけの星弥にはイメージすることしかできないが、あの一撃を食らっただけできっと命を刈り取られてしまうのだろう。
振り回す大斧の攻撃に曝されて次々と吹き飛ばされてゆく大人たち。あれは切れ味などまるで期待していない打撃武器だ。斧でありながら鈍器、見たところ大人ひとりより分よりもまだ重そうだ。そんな質量兵器の、ただ振り回すという物理攻撃を盾ひとつで防ぎきることなどできる訳もなく、大斧の一撃を盾で受け、あっけなく吹き飛ばされるダグラスの姿が見えた。
直撃こそ盾で防いだものの背にしていた壁に激突し、倒れ、うなだれるダグラス。
まだ生きていることに少しの苛立ちを見せながら、追撃を加えようとオークの戦士がゆっくり歩み寄る。
メイも魔法を唱えようとするけれど、もう魔力が残ってない。魔力も体力も尽き果てて、立ち上がって歩くことすら困難な極限状態にありながら、それでもダグラスを助けようと魔法を唱える。
メイはガス欠だ。もう戦う事はできない。
ディミトリは倒れているゴブリンの手から刃の湾曲した青い短剣を奪うと、ダグラスに向けてトドメの一撃を放とうと斧を振りかぶったオークの懐に飛び込み、脇をえぐった。
「メイ!、お願い、ダグラスを連れて逃げて!」
口調がオネエ言葉になっている。これは雨宮ディミトリだ。
渾身の力を込めて、オークの脇腹にナイフを突き立てた。だけど、そんな小さな刃物じゃオークは倒せない……。だがオークの反応を見るに、蜂に刺された程度のダメージを与えたようにも見える。
懐に飛び込んだ雨宮ディミトリに脇腹を刺されはしたが、オークの戦士は頑強で、子どもにナイフで刺されたぐらいじゃひるみもせず、ちょっと痛かったのか眉をしかめた不機嫌な顔でゆっくり振り向くと冷たい、まるで爬虫類のような視線を向けた。
イラっとしたのだろう、短く舌打ちをした音が聞こえてくると、オークは短くも図太い足でディミトリを蹴り飛ばした。軽く蹴られたようにしか見えなかったのに、まるでボールのように放物線を描き、すぐ背後にまで迫って橋を渡ってきたひときわ大きな図体をもったオークのすぐ足もとまで転がった。まるで紙風船を蹴り上げたかのような軽さだった。橋のたもと、ディミトリの傍ら、丸太のように見えたのはオークの足だった。
這いつくばったまま見上げると頭から首を渡り肩にまで複雑な文様の禍々しい刺青が施されていて、このオーク、まるで絶望そのものを見せつけるような、禍々しい強者のオーラを纏っていた。
刺青のオークは地面に這いつくばりながら、ようやく体を起こすことができたディミトリの腕を掴んで、片手で拾い上げると……体重を乗せ、一気に地面に叩き付けた。
刃物で切った訳ではなく、拳を握って急所にパンチをえぐり込んだ訳でもない。人形を壊すのを楽しむように、地面へ向けて、びちゃっと……叩き付けただけだ。
ディミトリの意識はまた闇に落とされた。
オークの戦士は戦う価値のない者を殺すとき、武器を使わないという。
ディミトリは戦う価値がないと評価された。戦いに向かないアビリティを受け、努力も何もせず日がな一日ずっとゴロゴロして暮らしていた子どもなのだから、極めて妥当な評価だった。
意識はあるもののダメージを負ってしまって満足に動けないダグラスに肩を貸しながら、幼馴染のディミトリがなぶり殺されるという酷いシーンを目の当たりにしてしまったメイは、声にもならない声を、叫びにもならない叫びを上げながら、涙と鼻水がいっしょくたになって顔を流れ、幼馴染の名を呼ぶこともできなくなっていた。
「あっ、あああっ、ああああああぁぁ!」
メイは一生懸命ダグラスに肩を貸してこの場から離れようとはしているけれど、恐怖で足がすくんでうまく地面を蹴ることができていない……。魔力を消費し尽したという精神的疲労もあるのだろう。腰を抜かしたように後ずさりするので精いっぱいだった。
それでもまだ一人の少年の戦いは続いていた。目の前でメイとダグラスを救うために命を投げ打った羊飼いのディムが、たったいま地面に叩き付けられたというのに、起き上がることもできず、もう意識も朦朧、息も絶え絶えになりながらも、メイたちに向けて大斧を振り上げたオークの足にしがみつき、二人を殺させるものかと、進行を妨げた。ダグラスの目には、いつもは弱いはずのディミトリが、まるで打たれるほどに強くなる鋼のように見えた。
意志の力とはこれほどまでに強い。
たったいまディミトリを地面に叩き付け、確かに殺したはずの刺青オークは驚きの表情を見せたが、同時にすぐ横にいたゴブリンと二人で、この地べたを這いずる少年を指さして笑った。
ズルズルと動かない体を引きずって斧を振り上げた戦士の足にしがみつき、いったい何をしようというのか。こんなにもしぶといヒト族を見たことがない、こんなにもぶざまなガキは見たことがない。まるで踏み潰したはずなのに内臓を引きずって逃げようとするゴキブリのようだと、嘲笑った。
その時だった。グラグラと地震の前兆のような地鳴りが響き渡った。ゴブリンたちも異変を察知し、一瞬なんの音だ? とあたりを見渡す。しかし考えている時間など与えられなかった。
次の瞬間には物凄い轟音と共に上流から全てを飲み込む濁流が襲った。
―― ドドドドドッゴアアァァァゴアァドドドドォ!!
地響きがして橋を渡ろうとしていたゴブリンたちが慌てふためき、轟音と同時に橋がまるでドミノ倒しのように、なんの抵抗もできず一気に押し流され、ゴブリンの何十体かを巻き込むと橋も橋脚から欄干まで、その一切合切を巻き込んで、悉くを下流に運ばれた。後に残ったのは橋が破壊されたときに飛び散った板っきれと、土台に繋がる何本かの橋脚だけだった。
どうやら湖から川に繋がる堰を壊すのに成功したらしい。だがこれでどれだけ時間が稼げるのか?
少なくとも村人たちの逃げる時間を稼ぐぐらいはできるのかもしれない。
問題は橋を渡ってこちら側に来ることを許してしまったオークが2体と、ゴブリンの生き残りが1体。
こいつらを何とかしないと、ダグラスとメイの命が奪われてしまう。
橋を守っていた大人たちも奮戦したが、オークの戦士がたった2体到着しただけで壊滅状態となった。
防衛していた橋が流された以上、あとこのオークが持っている大斧をメイたちに一振りすれば戦闘は終わるだろう。
いまディミトリ少年を動かしているのは桜田のオヤジだった。
動かしていると言ってしまうには少し格好のつかない。血まみれになって、骨もあちこち折れていて、今にも死にそうな時に運悪くディミトリの主人格に選ばれ、それでもなおダグラスとメイを殺そうと大斧を振り上げるオーク戦士の足に、ただしがみつく事しかできないでいる。
桜田ディミトリは足腰立たず、腕の力だけでオークの足にしがみつき、引きずられながらも、二人を助けるために何かできることはないだろうかと……、そう思った時だ、二人に幸運が訪れた。
村人たちの避難を誘導をしていた衛兵が二人を見つけて駆け付けてくれたのだ。
「うおおおっ、オークだ! オークがいるぞ!!」
さっきメイのお母さんが村に戻らないようにと食い止めていた衛兵のおじさんだった。
村の北側から火炎瓶を投げていたゴブリンの斥候を相手にしていた人も集まってきた。
ダグラスも、メイも大人たちに抱き上げられて、この場から逃れようとしている。
「はよう逃げいや。わしのことはええから、はよう逃げてくれ」
また口調が変わってしまったようだが、中身は桜田のオヤジなのだからオッサン言葉になるのは仕方がない。
『そのセリフ、たぶん二人には聞こえてないよ。だけど桜田さんは立派だと思う』
「うわあ、まってくれ! ディムも、ディムも助けてくれよオッチャン! たのむから! ディムも!」
「うわあああぁぁぁ、ディム! ディムぅぅ……」
衛兵のおじさんたちに引きずられながらも、手を振りほどいてディムも一緒じゃないと逃げたくないと抵抗してみせたダグラスと、ただ泣いて、泣いて、泣きじゃくって届くわけもないのに、必死で手を伸ばしてくれたメイ。
ディミトリも一緒じゃないと嫌だと泣いて、泣いて、抵抗も空しく衛兵たちに引きずられていった二人の姿は、両の目にしっかりと焼き付けた。
『足は動かへん、立ち上がることも出来へん、血を失いすぎたんやろうな。目も霞んでしまって、ほとんど見えへんのに、あの二人が逃げる時間を稼がなアカンねん……。なあ朝霞くん、この状況どう思う?』
『はい、男の見せどころだと思います』
『カッコええこと言うなあ朝霞くん。だけどな、できたらキミには生きてほしいな』
『生きる目があったら考えてみますよ』
桜田ディミトリはしがみついていたオークの膝裏に、さっきから握っていた小さな短剣を突き刺して転ばせた。
ただ転ばせただけだ。
だけど二人が逃げる時間を稼ぐという目的には十分だった。
なぜなら転ばされたオークは、このナメクジのように地面を這うしか能のない少年に転ばされたことで頭に血が登ったのだろう、逃れた者たちを追うのをやめ、残された一人の少年を確実に殺すと決めたのだから。
雨宮さんはダグラスを助けてほしかった。
細山田さんは、メイを助けたかった。
この勝負、二人を助けた桜田さんの勝利だ。