[19歳] まるで攫われてきたような男
ディムはラールに戻り、自分たちの部屋の前に立つまで、腕に抱いたエルネッタを、ただの一度も下ろすことはなかった。
「はあ、帰ってきたね。やっぱ自分の家が落ち着くよね」
「ディム……どうしたんだ? なぜわたしに話してくれない? ずっと黙ったままで……」
「ちょっと疲れただけだよ、寝て起きたら復活するから、今日のところはもう寝よう、朝は苦手なんだ」
「そうか、わたしも眠いな。わかった、今日のところは寝て、明日になったら話そう」
荷物を降ろして風呂にも入らず、旅装を脱いだけというラフな格好になると、二人は部屋に敷きっぱなしの万年床に滑り込んだ。だけどディムはなかなか寝付けず、エルネッタさんの寝息を聞きながら考え事をしていた。
エルネッタさんは、ディムのことがいくら好きでも、これ以上関係を深くすることができないといった。その理由をいくら聞いても頑として話そうとはせず、何かと言えば若い女がどうだとか、トシだからどうだといって話をはぐらかしてきたその理由が分かった。
エルネッタさんは16歳の時に失踪。そのまま遠く離れた街をいくつか流れていまここラールに流れ着き、紆余曲折あって、いまこうやって、二人で暮らしている。
エルネッタさんが通報され、男と一緒に暮らしているということが王都に報告されたら、王族の婚約者が男と同棲してたなんて事実が明るみに出ないよう、きっとその相手は闇に葬られるのだろう、どうせ。
エルネッタさんは実家に連れ帰られ、最悪の場合10年以上前の婚約が履行されるのかもしれない。
その辺のことは良く分からない、だけどエルネッタさんの心が壊れて、二つに割れるほどの苦悩が、少しだけ分かった気がする。
ディムは責任を感じていた。
"エルネッタさんの苦しみは、ぼくのせいかもしれない……"
失踪とか家出とか、絶対に許せないって言ってしまった。ちゃんと一言伝えてから出ていけばいいだなんて、エルネッタさんに言うべき言葉じゃなかった。
エルネッタさんのことだ。そんなの、「イヤだ」「だが断るっ!」と伝えたうえで……きっと断っても断っても、分かってもらえなかったから家出したのだろう。
くっだらない。
そんなこと隠し事しなくったっていいのに。べつにこの国じゃなくても、この世界にはたくさんの国がある。エルネッタさんを抱き上げて、どこへなりとも、追っ手の迫るスピードよりも速く逃げてやるのに。
ディムは自己矛盾に苛立ちを感じていた。
ディムも前世では婚約者ぐらいいた。35まで生きたのだから、それぐらい居ても不思議じゃあない。
愛想尽かされて逃げられたけれど。
エルネッタさんは逃げたほうだ。
婚約者に逃げられた王族ってのにはホント気の毒だけど、愛する女性が突然いなくなるという、その気持ちを知っているだけに心苦しい。
ディムは婚約者に逃げられた男、エルネッタさんは婚約者から逃げ出した女。
皮肉を言っていいならば、二人は驚くほどピッタリ相性のいいカップルなんじゃないかと思った。
その日ディムは、朝から晩までエルネッタさんの胸で眠り、夜になって腹の虫が騒ぎ出すまで目を覚ますことはなかった。
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「んー、おはよう」
「おはよう、よく寝たみたいだな。疲れは取れたか? だいたい休息地に温泉つかりに行って、疲れて帰って来たんじゃ本末転倒なんだからな」
エルネッタはディムを深く心配している面持ちで話し合いをしようと何度も言ったが、ディムの方はもう大丈夫だからとはぐらかした、ディムの拒絶する仕草から察するに、エルネッタはその件にはもう触れないほうがいいと考えた。
いつか必ず話してくれるだろう。
「ねえエルネッタさん……」
「なんだ?」
「エルフの女性ってすごいよね。162歳にもなって42歳で通るだなんて……二度見してしまったよ、42どころか25ぐらいに見えたよ。なんなのあのチート」
「……ディムもようやく理解したか。エルフなら250歳ぐらいまでは若さを保つからな。寿命について行ける行ける自信があるならエルフが最高らしいぞ」
「だからってぼくが若い女のトコ行ったら泣くくせに」
「泣かない」
「絶対泣くね」
「じゃあ泣かせてみるがいい」
「イヤだよ、このバカ女」
勝ち誇ったようにニヤリと唇を歪めて、ドヤ顔するエルネッタさんの顔がもうすんげえ腹立つ。
それでもディムは、泣き顔を見せられるよりはこのムカつくドヤ顔のほうがいくらも好きだった。
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「エルネッタさん、おなかすいたよ……考えてみたら昨日から何も食べてない」
「ああ、そうだな。報告もあるし酒場で肉でも食うか。ちょっといい肉をさ」
ちょっと懐が温かいといい肉を食べたくなるのはどこの世界でも同じだ。
ディムとエルネッタがラールに戻ったことを報告するのと、空きっ腹に何か詰め込むためギルドに行くと、酒場にとんでもない奴がいた。
「おーディム、やっと帰ってきたか。お前らラブラブな婚前旅行に行ったって聞いたから、俺ここで依頼受けて昨日帰ってきたさ、ほんとおまえら爆発しろ」
ラールのギルド酒場でもう荒くれ者たちの中に溶け込んでいるのは、幼馴染のダグラスだった。
「チャル姉……仕事しようよ、なんでダグラスの横に座ってんのさ?」
「ダグと思い出話してるんだからいいじゃん。注文の手が上がったら聞きに行くしさ」
チャル姉、もうギルド酒場に染まり始めてる……ダメだ、こんなとこに長くいるときっと嫁に行けない。
ダグラスもダグラスだ、たしかに絶対遊びに来るって約束したけど、早すぎる。
……というのも、ディムとエルネッタがサンドールの町でやらかしたせいで、フェライのギルドも衛兵が来て大変なことになっているらしい。それがまた例の二人の仕業だったと聞いて、遠路はるばるこんなラールの街まで来てくれたのはいいけど、目当てのディムが2週間ほど休暇取って温泉に行ってると聞いて絶望し、ここのギルドで依頼を2つも受けて、もう帰ってきたという。
ディムとエルネッタが温泉旅行に出た翌日には、こに来たそうなので、ほぼ入れ違いのような感じだったそうだ。
「遊びに来て仕事してたの? もしかしてダグラスってバカなの?」
「これだー、お前らが温泉につかってヌクヌクしてるってのに、俺ってば隊商の護衛を2件……」
「おおうディム、ダグラスはもうラールの子になるってよ! おまえらが温泉でイチャついてる間に、我がギルドは新しいゴールドメダルをゲットしたってわけだ! エルネッタもサボってばっかりだとお払い箱になるぞ」
「アルスは自分がゴールドメダルに昇格することを考えろって」
「嫌だ! 断る! 俺は指名依頼なんて断れないシステムは怖くて嫌だ。ぼったくりバーのお姉ちゃんの誘いと同じく危険な香りしかしない。俺はお姉ちゃんのおっぱいだけでいい。だからシルバーメダルでいいんだ」
いつものようにアルスさんの言動は難解だけど、おっぱいが好きだという事はよくわかった。
「ディム、アルスの話なんて聞くな。耳が腐る」
「でもなエルネッタ、ダグラスがラールで依頼受けるようになったのは本当だぜ? ギルド長も言ってたぞ、エルネッタはカネ持ってる間仕事しないから、代わりの腕利きが欲しかったってよ」
カネがなくなるまで仕事をしないという刹那的な生き方をするエルネッタさんの性格はみんなにバレてる。だからたぶん年単位で仕事を休むだろうってことは分かってるんだけど、相方が捜索依頼を受けたら着いてくるらしいので、コンビの仕事だけで食べていけるならもう護衛になんか行かなくていい。
「ダグラスがわたしの代わりをやってくれるのか? そいつぁありがたい。でも移籍って手続きとか要らないのか? ダグラスもゴールドメダルだからフェライの方で指名とかあるんだろ?」
「いいんじゃないか? ギルド長が口説き落としたって言ってたし」
「手続はしとくから問題ないって言われたんだけど?」
ギルド長のあの人を脅してまで自分の思い通りにしようという乱暴な口説き文句……あまりいい印象がない。
「なあダグラス、うちのギルド長な、人を脅迫しといて口説き落としたなんて平気で言う人なんだけどさ、何て言って口説かれたんだ?」
「いや、ディムはエルネッタさんが絡んだら目の色かわって後先考えず突っ込むバカなんだけど、そんなバカを一人で戦場に行かせていいのかとかって……口説かれたなあ」
「それ口説かれてないから。いつもの手口だから!」
「なあディム、でも話を聞く限りではもうダグラスはうちのギルメンだよな?」
「ハメられたとしか言いようがないよね。これから残念会かお気の毒会でもやる? それとも不憫の会?」
「じゃあわたしは残念会で」
「ぼくはお気の毒会でいいや」
「じゃあ、俺は不憫の会? かな」
ディムとエルネッタだけじゃなく、たった今までテーブル席で一緒に飲んでたアルスにまで不憫と言われてしまったダグラス。べつに仕事がどうってことじゃなくて、単にギルド長の脅迫に屈しただけだ。
「お前らほんとひでえ……」
夜が更けるまで酒の席で、ディムとダグラスが子どもの頃にやったバカ話に花が咲いた。
だいたいチャル姉のおしゃべりがバラしたんだけど。
幼馴染のダグラスとチャルに囲まれて、本当にいい表情で笑うディムを見ながら、エルネッタは少しだけ安堵していた。ディムは自分には何もないといった。だけどそんなことはない。現にダグラスもチャルも、ディムを知ってるし、ディムも同じ過去を生きたことに間違いないのだから。




