[13歳] 死んでゆく魂
20180206改訂
通りからメイの足跡を追って右に折れると愕然とした。いや、暗闇を見通せるのは星弥だけだ。星弥だけにしか見えてないかもしれない。だけど声を上げるより先に、言葉を飲み込んでしまった。
角を曲がるとすぐ橋がある。
橋の上では大人たちが獣人たちの流入を防ぐために必死の防戦を繰り広げていて、今のところは拮抗しているようだけど、その向こう、橋のむこう側、遠くの丘を埋め尽くして数えきれないほどの獣人たちが列をなして押し寄せている。100や200じゃない。視界のほとんどが獣人だった。ゴブリンだけじゃなく……絵本で見た通りの姿をもった大型のオークも少なくない数が混ざっている。
その規模からただの襲撃じゃない事がわかる。
これは侵攻だ。
多勢に無勢、装備する武器も防具も、所詮農民と侵攻のため誂えた武具。
装備の差に加え圧倒的な数の差。状況は星弥のような素人が見ただけで絶望的だった。
もう防衛すること自体が無意味に思えるほど厳しい状況だというのに、大人たちに混ざってダグラスが防衛戦を敷いていて、メイが火の魔法で獣人たちの侵攻を食い止めている。
必死の抵抗、大人たちは錆びたような手入れもされてない剣を慣れない手つきで振り回すだけだ。
残念だけど剣を扱うスキルを持たない、ただの村人が剣を持ったところでこの数の獣人相手にはまるで通用しない。
わざわざ殺されるために出ているようにも見えるほど愚かな行動だった。
―― ボヒュッ!
橋を渡ってこようとするゴブリンにメイの魔法が飛んだ。見た目通りだとするならファイアボールの魔法だろう。だけど星弥が考えていたよりも詠唱が長いわりに魔法の威力が小さい。
すでにメイは疲れているのかもしれない、どうみても拙い魔法だ。いくらアビリティを得たからと言って家庭教師に3年ばかり習っただけの魔法じゃこれほど圧倒的な数の獣人に対抗できるわけがない。
「メイ! 早く逃げろ!」
この鉄火場でまさかディミトリの声が聞こえるとは思わなかったのだろう、メイは咄嗟に振り返り、驚きの表情を見せたあと、間髪入れずにディミトリを恫喝した。
「ディム!? なにやってんのこんなトコで! あなたこそ早く逃げなさい」
「逃げなさいって言われても逃げるわけにはいかないよ。おばさんと約束したんだ、メイを無事に連れて帰るって」
ダグラスもたぶんあの数には気が付いてない。
『葉竹中さん、獣人の数が多すぎる。あっち側、対岸の丘ぜんぶ一面が敵だ』
『マジか!』
葉竹中ディミトリはメイとダグラスを引っ張って後ろに下げようとしたが、いつもゴロゴロしてる一般人レベルの少年がこの二人に力で敵うわけなんかなかった。まるで地に根を張ったようにダグラスの身体はびた1ミリ動かない。鉄の意志でこの場に居座って、この橋を死守するんだという覚悟が垣間見えた。
盾を構えてゴブリンたちの攻撃を防ぎ、橋を渡らせるものかと気迫で押し返している。
「うちの父さんたちがいま上流の堰を壊しに行ってる。河が氾濫して橋が流れたら時間が稼げるんだ。それまでここは俺が絶対に防ぐからディムは先に逃げてろ」
『ヤバいっ! くっそ、誰も気づいてない!』
夜目の効く星弥にしか見えていないのか、橋の下に隠れてゴブリンの斥候が泳いできてるのが見えた。正確な数は分からないが少なくはない。
『橋の下を渡ってきてるやつらがいる!! 左だ、メイを守って!』
ゴブリンの斥候の動きは驚くほど速く、いちいち指示をしていたのでは間に合わないほどだった。
「こんの野郎!」
メイを狙って足もとから突進するのと同時に突き上げられたゴブリンの骨槍……。
葉竹中ディミトリがメイを突き飛ばすという形になったが、間一髪で間に合った。
メイは突き飛ばされて石畳を転がる羽目になったが、怪我をしていない。無事だ。
「ディム! わあああああああぁぁぁ、ディムゥゥゥ!」
メイが駆け寄ってくると、どういう役得なのだろう? 星弥には分からなかったが、ディムと名を呼んで、きつく抱きしめてもらえた。まさかメイが自分に抱き付いてくるなんて思わなかった。
この忙しい時に、抱きしめるだなんて狂ってる。
命を助けたお礼なんて後でいいから、一刻も早く南に避難してほしいのに。
星弥はこの鉄火場に身を置きながらも、どこか他人事に見える映像をぼーっと眺めながら、今度の人生では、幼馴染のメイを助けて、初恋から続く恋愛という展開になるのかな? なんて一瞬だけ、ほんとうに一瞬だけそう思った。
だけどこの世界はそんなに甘くはなかった。
―― げぶぉ……。
ディミトリの喉が反射的にせっついて、ねっとりとした熱い液体が逆流すると辛抱たまらず、ゲボッと吐き出してしまった。
ビチャッと地面に広がったのは大量の血……。夜目の効く星弥には明るく見えるから、血の赤はとても鮮やかに映るけれど、葉竹中さんの反応が鈍い。さっきからみんな口々に名を呼んでいるのに、反応がとても鈍くなった。
何事かと思ったら腹にゴブリンの骨槍が刺さっている。大迫力ファンタジーアクション映画を見せられてる別人格たちには痛みも苦しみも伝わらないから、ディミトリの身体に起きた非常事態を理解するのには多少のタイムラグが生じる。
脇腹から肋骨の裏側を狙って突き上げられて吐血したってことは、骨槍が胃を突き破ったか、もしかすると槍は肺にまで達してるかもしれない。
この医学の未発達な世界で、しかも医者なんていない地の果ての村で致命傷を負うその意味。
星弥には痛みも疲れも伝わらないし、どう刺されたのかも分からない。こんな時に落ち着き払っていて申し訳ないが、この傷は命を奪う傷だ。
『葉竹中さん、葉竹中さん? 大丈夫ですか? 返事してください』
返事がない。地面が近い、映像が薄らいできた……。
星弥は死を予感した。しかし死という絶対的な絶望に対して恐怖を感じることもなかった。
別人格として、手も足も出せず、この世界の空気を肺いっぱいに取り入れて呼吸したこともないし、寒いも温かいも感じない。前世で日本に住んでいた頃、なんとなく感覚が残っている程度に覚えているだけ……。
映像を眺めるだけの別人格にとって生も死も等価値なのだ。
ゴロンと首の力が抜けて仰向けになるとダグラスとメイが覗き込んでいた。
なんで二人ともそんな悲しそうな顔をしてるのか、バカでも分かる。
幼馴染のディミトリが助からない傷を負ったことを知っているのだ。
「うあああああっ、ディムぅ! ディムをよくも! よくもこのやろう!」
ディミトリを襲って槍を突き立てたゴブリンをむちゃくちゃに剣で殴るダグラスの悲痛な叫び声が木霊した。【騎士】のアビリティが発現したお祝いに村長のおじいちゃんが買ってくれたという初心者向けの騎士剣はもう見る影もなく刃こぼれしていて、切れ味なんて期待できる代物じゃなくなっていた。
それでも、小さなころから一緒に育った友達を目の前で殺されたダグラスは、切れなくなってしまった剣を、憎いゴブリンの背中に何度も何度も叩き付けている。
仇なんてどうだっていいから、はやく逃げてほしいのに。
だめだ、真っ暗になった……。葉竹中さんが気を失ったらしい。
『マズい、マズいぞこれは。誰か! 葉竹中さんを起こして!』
どれだけ時間が経ったか分からないけど、ディミトリが目を開けるまでそう時間はかからなかったようだ。次に星弥の目に飛び込んできた映像は、ダグラスが切れなくなってしまった剣でゴブリンを殴打してるシーンから始まった。
ダグラスは我を忘れていて、周囲がまるで見えてなかった。
橋の下から数体のゴブリンが闇に乗じ、見つからないよう川を泳いで渡ってきていることに気付いてなかったのだ。
「オラヨォッ!」
まるっきり無防備だったダグラスの背後を襲ったゴブリンは真っ逆さまに頭から地面に落とされていて、ディミトリは自分の腹に刺さっていた骨槍を引っこ抜くとゴブリンの胸に躊躇も容赦もなく突き刺して地面に縫い付けた。
まさか橋の横から次々とゴブリンどもが現れるとは思っていなかったダグラスは、油断していた自分を助けてくれた男の姿を見て驚きを隠せない。
「おいおいダグラス、おまえちょっと油断しすぎだぞ?」
脇腹から大量に出血するのを手で押さえつつ、それでもヨロヨロと立ち上がり、ダグラスの危機を救った男が立っていた。
口調が変わってしまったようだが、そこに立っていたのは紛れもなくディミトリだった。
ディミトリの中身は合気道五段という腕前の細山田さんに代わってしまっていたけれど。
ペッと唾を吐いたら粘っこい血そのものだった。そんな絶体絶命だからこそ燃えるんだ! とでも言いたげに、熱血男と化したディミトリがメイの前に仁王立ちになり、ゴブリンが何百きても、メイを守るんだという強い決意を見せた。
「メイ、俺がお前を守ってやるからな」
細山田さんがメイにドヤ顔で決めた。ほんと脳筋キャラのくせにロリコンだなんて想像以上のダメ人間だった。ずっとメイ可愛いだの、メイ天使だの、メイは俺の嫁だのって言ってきた。もう何年も言い続けてきた。そんなダメ人間がいまヒーローになろうとしている。
「ってかやっぱメイお前は逃げたほうがいい、多勢に無勢すぎて守り切れない。いい加減に引け!」
ゴブリンどもの狙いは遠隔魔法攻撃をしていたメイだ。ダグラスの守備をかいくぐって魔法使いを先に倒そうとしていることはよくわかった。獣人たちの作戦を思い通りにやらせると、次に死ぬのはメイだ。