[19歳] 現れた悪魔
発症したというよりも入れ替わったのか。そして入れ替わった瞬間はきっと、さっき手を引いてて、抵抗がなくなった時だ。
そっとエルネッタさんの手を取って、ソファーから引き上げると、すんなり立ち上がった。
エルネッタさんはもうディムの顔を見られない様子で、ただ手を握っていて、
そしてディムは、甘い香りのするうなじに顔を埋める。
「あっ……ディム……抱いて……」
「うん、もう我慢しないって言ったよね」
エルネッタさんは"抱いて"と言った。そして抱き合ったまま。
心なしか女性らしく可愛らしい声になってる。
ディムは自分のシャツのボタンを上から順番に、ひとつ、ふたつとはずして肌を露出させ、エルネッタさんの服の、胸のボタンに手をかけようとした。
なにも抵抗しない。
でもなんで涙が溢れてるのさ。
「ねえ、エルネッタさん。ぼくさ、分かっちゃったかも。ステータス見るからね」
「……っ?」
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□ ディアッカ・ライラ・ソレイユ 29歳 女性
ヒト族 レベル048
体力:59205/59400
経戦:S
魔力:E
腕力:S
敏捷:C
【聖騎士】B /片手剣A/短槍A/盾術S/両手剣D
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やっぱり。ステータスに変化はないし、アビリティも【聖騎士】ひとつ。エルネッタさんのなかに何人も別人が住んでるわけじゃない。
「ねえ、キミは誰? 名前を教えて欲しいな」
「……ディアッカ」
「ありがとうディアッカ。もうひとりの、いつものエルネッタさんはどうしてるの? 泣きながら黙って見てるの?」
「……っ!」
ディアッカを名乗るエルネッタさんはポロポロと涙を流しながら息を呑んで、ただディムの顔をみつめている。その瞳からはいつもの勝気な突き刺すような眼光が失われ、優しく包み込むようでいて、内に何か激しいものを秘めている、例えるなら海のように引き込まれずには居られない眼差しだった。
「ねえディアッカ、キミはとても魅力的だし、抱き締めて朝までいっしょに愛を語らいたいと思うけど、いまは男勝りのほうのエルネッタさんと話をしたいんだ。代わってもらえるかな?」
ディアッカ(エルネッタさん)はベッドの角に浅く腰を下ろす。
スローにスローに、まるでもったいぶるように瞑目すると、ひとつ胸で大きく深呼吸したあと袖でゴシゴシと涙を拭い、クイッと顎をあげた。
次にその瞳が開かれたとき、そこには少し疲れたように力が失われているものの、いつもの勝気な眼差しがあって、少し斜めにぼくを見つめた。泣いていたせいか少し目が赤くなってる。
「……いつ気付いた?」
言うと同時に、エルネッタさんはベッドにゴロンと大の字に寝転んで、また大きく溜息をつくと、暗闇にようやく慣れた目で傍らに腰かけるディムを見上げた。溜息が連続するってことは、精神状態が安定してないようだ。
「ディムの前じゃ恥ずかしいトコ見せてばっかりだな。なあ、教えてくれ、なんで分かったんだ?」
「ぼくを誰だと思ってるのさ? いつもエルネッタさんのことを見てるんだ」
「さすがディムだ。そう、わたしには悪魔が憑いている。もう長くないと言ったろ?」
「はあっ? 悪魔あぁぁ?」
悪魔憑き? この世界じゃ二重人格を悪魔憑きというらしい。
「そう、悪魔だ。こういうのは昔から悪魔憑きと言われていてな、教会の悪魔祓いで祓い切れないと、最終手段として、わたしは火あぶりにされてしまう。ほんとディム。わたしとお前は、つくづく結ばれない星の下に生まれてきたようだ」
「そんなの一人で解決しようとしてたの? 言っとくけど無理だよそれ」
「うん、そうだな。ディムにはわたしが火あぶりにされたあと亡骸を引き取ってもらって、埋葬してほしいって言ったら、イヤか?」
「イヤだよ。……それにしても、悪魔ねえ……本気で悪魔なんていると思ってるの?」
「ディムには信じられないだろうが、悪魔はいる。そして私の心を今も蝕んでる」
「悪魔なんていないよ」
ディムはそれだけ言うと、言葉の続きを待っているエルネッタさんに添い寝するように足もとから毛布をかけて、ゴロンと寝転んだ。
「おいおい、わたしはいくら口説いても落ちないぞ。せっかく悪魔が出てたのに引っ込めたディムのミスだな。いまは気をしっかり持ってるからな」
受験のお守りか!
でも落とすのが目的じゃない。
もぞもぞと身体をくねって顔を近づけてゆく。腕枕してもらう態勢だ。
どうせエルネッタさんにはあまりよく見えてないのだろうけど、視界の大半がエルネッタさんの顔が占めるまで近付いた。
エルネッタさんとの賭けには負けてしまった。もうキスはもらえない。ならそれ以外のところで埋め合わせをしてもらうとして……、いまはとりあえず。
「ん。じゃあ、話を聞こうかな」
「息がかかる距離だな。心臓が破裂しそうだ」
「大丈夫だよ、心臓は破裂したりしないから、話を聞かせて」
「ん。そうだな、わたしはディムのことが好きだよ。たぶん、わたしは女として、10も年下のディムを愛してしまったんだ。ダメだダメだって思ってたのに」
「ありがとう。ぼくは幸せ者だ。自覚し始めたのはいつから?」
「はっきり覚えてる、きっかけは3年前だ。ディムが16の時、わたしに女の服を買ってくれただろ? あれからだよ男性として意識し始めたのは。見る目が変わると……お前がいい男なんだこれが。ひとつ屋根の下で一緒に暮らすってのは、ほんとーにキツくてな、後ろから抱き締めたこと何度かあったろ? すまん、あれはわたしの欲望だった。それでも我慢してたのにな、それなのに、カタローニで盗賊団に襲われてるのを助けたりするもんだから、わたしの中に悪魔が現れたんだ」
「それで人格を分離させたの? なんつー精神力だよ。そんなにぼくと付き合うのがイヤだったの?」
「そんな訳ないだろ。わたしはディムに幸せになってほしいと心から願ってる。だけどな、わたしはディムを不幸にしてしまう。なんど言っても分かってもらえないなら何度でも言うぞ。わたしの一番大切なものはディム。おまえだ。だからぜったい幸せになるんだ」
姉がわり、母親代わりという感覚がまだ抜けてないんだ、このひと。
ならそのまんま、エルネッタさん本人がぼくを幸せにしてくれたらいいだけの話なのに。
「……矛盾がある。なら、どうしてディアッカ……ってか、もうひとりのエルネッタさんに自由にさせるのさ。ぼくいま気付かなかったら本当にしちゃってたよ。なんかすっごい恋愛してる感じでさ、心臓バクバクいってさ、リビドーが全開だったよ。19歳の男を舐めちゃいけないよ? 何回でもやれるし、朝までだってできるし」
「あははは、したらよかったのに。なんでわたしを呼び出したんだ?」
「それが矛盾だって言ってるの」
「悪魔憑きだからな。悪魔の思ったようにしかならないさ……ならディムはなぜしなかったんだ? 本当はする度胸がないのかと思われてしまうぞ?」
「二重人格だってわかってたし、エルネッタさん泣いてたし」
「泣くだろそりゃ。だってディムがわたしの目の前で、わたしじゃない悪魔と愛し合うのだからな」
「何言ってんのさ、じゃあエルネッタさん本人がぼくと愛し合ってよ。ほんと拗らせてるよね……人格を分離させるほど拗らせるってどんだけだよ。あのね、悪魔の正体はエルネッタさんの"女性の部分"だからね。そもそも女の部分を否定しすぎなんだよエルネッタさんは」
ってことは、もともと一人だったものが何らかの原因で分離した普通の二重人格だ。
二重人格というのは有名な精神障害で、だいたいは幼少期のトラウマが原因であることが多いらしい。
ちなみに多重人格に対する知識は、もともと教員だったディミトリの基本人格、葉竹中さんから教わったものだ。幼少期から繰り返し虐待を受けたりすると、脳が『いま酷い目に遭わされてるのは自分じゃない』と現実から逃避しているうちに、酷い目に遭ってるほうと、現実逃避してるほうの二人に別れるという。
ディミトリ少年がまだ五人で一つの身体の中に暮らしていた頃は、身体を動かしていた葉竹中も、身体を動かせなかった朝霞星弥も、みんな平等に個人として認め合うことで平和を保てていた。
複数の人格があることは特に問題じゃない。多重人格を悪魔憑きだと悲観することで精神的に不安定になり、結果、混乱してしまうことが問題なのだ。
まったく、こんなのどうやって一人で解決できるのか教えて欲しいぐらいだ。
「ところで、人格が交代してるときの記憶はあるの?」
「うーん、ちょっと夢見心地になっているからフワっとしてるが、記憶がないわけじゃない? それがどうかしたのか?」
「じゃあぼくに"抱いて……"って言ったの覚えてるんだ」
「……んっ、何かの間違いであってほしいがな」
「もっかい言ってほしいんだけど。いまのエルネッタさんの口から」
「わ……わたしが言ったんじゃないからな、あれは悪魔が口走ったことだ」
覚えてるってことは、朝霞星弥や細山田、雨宮たちと同じ、スクリーンで見てる感じなのかもしれない。でも『抱いて』って言ったことを否定せず落ち着いたまま返事をするってことは、本当にあのセリフが自分のものじゃないって思ってるんだ。
べつに多重人格なんて珍しいもんじゃなし、自分の意思で人格を入れ替えることができるなら問題なし。入れ替わってるのを間違えなければ大丈夫。お互いに否定し合う心が二つに分離しただけだ。じゃあ、お互いに認め合えば分かれている必要もなくなる。
問題はそれよりも『火あぶり』だ。




