[19歳] エルネッタさんはキスを賭けた
「知ってる人? 紹介してくれないの?」
「いや、それが……実はその、なんだ。ちょっとお前に謝らなきゃいけないことがあって……」
「えええっ! なにそれ? なんだよそれ」
ディムは状況が飲み込めなかった。どういう状況なのか。
顔を見たまま、まるで時間が止まったように静止していた男、オットー・カンザスとエルネッタさんを交互に二度見、三度見してしまう。
無様にも焦りが先行して混乱気味のディムに、相手の男から先に言葉をかけてきた。。
「あっ、あのっ……」
カンザスという男がディムに何か話そうとした、その男の口が開く前に、エルネッタさんが何も言わずに制止した。ただ手のひらを見せただけ。何も言うなって意味だ。
ディムの知らない町にエルネッタさんが知ってる男性がいないなんて、さすがにそんな考えをもってた訳じゃない。護衛であちこち定期便で通っているのだから、行く先々で知り合いがいてもまったくおかしいとは思わない。だけどこんな無言のやり取りをするような仲の人がいるなんて聞いてない。
最初の挨拶じゃそれほど親しいようには思えなかったけど、ディムの感じた疎外感は相当なものだ。
「エルネッタさん、行かないの? ぼくは行くよ」
「おいディム、ちょっと待て」
例えようのない苛立ちと、二人の作り出すこわばった空気に理由の説明できない不安感? のようなものを感じて、気が付いたらギルドから飛び出していた。
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一方、オットー・カンザスはいま、三年前に店を訪れた女性が、記憶を失ってしまった妻とウリふたつの顔を持つ青年のことを「ディム」と呼んだことで立ち尽くしていた。娘のディミトリアという名前も、妻の好きな名前だということで名付けたのだ。そして妻は、娘のことをディムと呼ぶ。
この女性が、三年前、自らが経営する雑貨屋を訪れたとき、どういう理由で立ち寄ったのか、ようやく理解することができた。間違いない、やはりあの女性は、妻の過去を知る人だ。
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ディムは無意識のうちに、ちょっと早足になって、ギルドから逃げ出すようにメインストリートを外れて薄暗く人気のない街区まで来てしまった。
エルネッタさんは何も言ってくれない。ここは街灯もなく、ディムには目に優しい柔らかな景色が広がってみえる川のほとり。橋を渡って少し行くと、川向のほうは繁華街なのだろう、ランタンに明かりが灯っていて町の一角そのものが明るく『聴覚』スキルにガヤガヤと雑踏の声がやかましく響く。
そして、エルネッタさんが追ってくる足音も、息遣いも聞こえてきた。
あの男がどういう知り合いなのかは知らないけど、ディムは初対面の挨拶すら止められてしまうという、扱いに傷ついた。
何とも言い難い心のモヤモヤを抱えて、あの男とどう接すればいいのか分からなくて、結果、逃げるようにギルド酒場から飛び出してきてしまった。
咄嗟の作り笑すらできなかった。精神年齢54歳とはいえ、まだまだだと思った。
追いついたエルネッタもディムに対してうまく説明できない。
「なあディム、ちょっと。ちょっと話を聞いてくれ。わたしが悪かった。いままで黙ってて……」
追いかけてきたとおもったら開口一番これだ。女はズルい。まず謝ってから話をしようとする。先に謝ったんだから怒っちゃイヤだなんて身勝手すぎる。
「なんだよ! 何を黙ってたんだよ、エルネッタさんが悪かったって何の話だよ! 話なんか聞きたくないよ。すっごくイライラする」
「わたしが悪かった。実は3年前の話なんだが……」
「聞きたくない! もういい。もういいから何も言わないで」
「ディム。こんなに謝っても許してくれないのか? わたしは過ちを犯してしまった。だけどわたしはあの日、ディムに話さないほうがいいと思ったんだ」
「過ち? 過ちを犯したの!? うわあああダメだ。聞きたくないってば。話さないで欲しかったよそんなこと。ダメだダメだ。頭がクラクラする。倒れそうだ……こんな人生なんてやっぱり無意味だ、ぼくはこの依頼が終わったら家を出るよ。ありがとうエルネッタさん。大好きだったよ……」
「ええっ? ちょ、まっ……家を出るなんて言わないでくれ、お願いだ」
「ぼくを引き止めたいなら、あの男ともう会わないって約束して。約束するなら出て行かない。もうサンドールにくる依頼なんて絶対に受けさせないからね……。ぼくはエルネッタさんが思ってるよりもずっと嫉妬深いんだ。きっと二人の邪魔をしてしまうから」
「はああああああああ??」
「なんだよ! 無神経なエルネッタさんなんてキライだ」
「くふふふう……、どうしよう、涙が出そうだったのに笑いの方が勝ってしまう……」
「なにがおかしいんだよ! 腹立つなあ……」
「ディム。お前は盛大に誤解してる。あの男性とわたしはなんの関係もない」
「は? 知り合いだったじゃん。なんかぼくの知らないサインのやり取りとか、目配せしてたしさ。最初からエルネッタさんが依頼受けろっていうのもおかしいと思ってたんだ。あの男もぼくの顔を見て、なにか言いたそうにしてたしさ。絶対何かあるよ」
「ああ、黙ってて悪かった。あの人は雑貨店の店主で、わたしは一度だけ店に行ったことがあるんだ。ディムに依頼を受けてほしかったのも、あの人の名前があったからだ。女神に誓って言う、あの男とは何の関係もない。いまはそれで納得してほしい」
「イヤだ。気に入らないね。女神に誓って? エルネッタさんって、そもそも女神を信仰してないよね? 絶対何か隠してる」
「隠し事はお互い様じゃないか。なあディムお願いだから機嫌を直してくれ」
「……話せない事もあるんだよ。言いたくないこともあるじゃん。エルネッタさんには知られたくないことも。だけどあの男の事は話すべきだよ」
「同じだ、わたしにもある。だけどこの件はわたしの口から話すことじゃないと思う。ディムが話すんだ」
「ぼくが? よくわかんないけど分かったよ。明日あの男と話せばいいんだね? ケンカになるかもしれないよ? で、何を話せばいいの?」
「きっと話はあの男のほうから切り出してくれるからさ。……いいだろ? もうこの話はオシマイでいいな? 頭を切り替えて、まずは依頼をこなそう。ところで、なんでこんなとこにきたんだ? 行方知れずになった子どもの家族に会うならこっちじゃない……」
「……いや違うんだ。さっき酒場にきたホープの、名前なんだっけ、あの先に帰った人。エルネッタさんのせいで名前忘れちゃったけど、ここの探索者のひとさ、ぼくと目が合った瞬間に『足跡消し』のスキルを起動してギルドを出て行ったんだ。たったそれだけなんだけど、何も手がかりがないし、何から手を付けていいか分からないから、とりあえず尾行してみた」
「尾行してたんかい!」
「そうだよ? 仕事じゃん……」
「くっ、こ、この……まあ、それは怪しいと疑うには十分な動機だと思うが、スキルの起動まで分かるのか? ……た、たしかにギルド酒場に入ってきたのに、ビアーも飲まずに出て行ったからな」
「ぼくと目が合ったからステータス読んだんだけど『足跡消し』スキルもってるんだな……って思ったところで急に足跡が希薄になった。スキルの起動なんて分かんないよ。でもあいつ確かに怪しいとは思うけど、8割ぐらいの確率で何もないよきっと。ぼくたちは歓迎されてないからね」
「じゃあわたしは何かあるほうに賭ける」
「何を賭けるの?」
「何でもいいぞ。ディムが欲しいものを賭けてやる」
「じゃあキスを」
「分かった。わたしが勝ったら機嫌を直して、わたしを許してくれ」
「なんだよそれ、そんなの聞かされたら機嫌直っちゃうじゃん」
「ディムがイライラしてるのなんて見たくないんだ。ストレスは大敵なんだろ?」
ディムは勝ち誇ったようにドヤ顔を決めるエルネッタのことを少しだけ、ほんの少しだけ抱きしめ、耳元で囁くように今の気持ちを伝えた。
「ホッとしたよ」
「んー、もう勝った。キスは要らないのか?」
「唇にしてもらうからね」
「ちょ、まて。まってくれ。こういうのはまずホッペというのがセオリーだろうが!」
「はあ? この前ちょっとだけ唇にチューしたじゃん。あれの続きだからね濃厚なのお願いするよ!」
「つ、続き? 濃厚? ちょっとそれは……」
俄然やる気を出したディムは『足跡消し』スキルを上回る『足跡追尾』スキルを使って調査を再開した。
歩幅は少し広めで変わらず、迷いもない。町外れにある冒険者ギルドから町の中心部へと向かっていて。夜でも街灯があって明るい繁華街のあるメインストリートから一本外れた隣の、薄暗い路地に足跡は続いている。
繁華街の裏路地っていうのは、だいたいどこの街でも暗部だ。
賑やかな通りから呼び込みに連れられて入ってしまうぼったくりバー、女連れだというのに呼び込みは声をかけてくる。次に声を掛けられたのは個室で裸のお姉ちゃんが横に座って酒を注いでくれるという風俗酒場だった。ものすっごい興味があるけど、これはアルさん向けのコンテンツだ。もしいま興味を示しただけで向こう半年ぐらいはエルネッタさんにネチネチと不満を言われるに決まってる。
チラチラと見える売春婦、ちょっと道を通ってるだけなのに睨みを利かせてくるごろつき、アヘンの密売人。エルネッタさんがこれ見よがしに槍を持ってるから誰も絡んでは来ないけど、ここはよそ者には厳しい路地かもしれない。ここはラールよりも治安が悪いようだ。




