[19歳] ドロセラ・カペンシス(偽名)
サブタイトル変更。
エルネッタさん湯治三日目。
この休息地に来てもう二泊してしまった。なんかハイになっちゃって、楽しんでいたら瞬く間に二日が過ぎ去った。
ラールのゴミゴミした雑踏から解放された気分で、この湯治場の湯気を含んだ空気が好きになった。
やっぱ温泉はいい。
エルネッタさんが盗賊団との戦闘で負った傷は浅く、後遺症が残るほどのものはないが湯治により、左肩の古傷もあまり痛まなくなりつつあるのもいい。ここじゃあ仕事がないから暮らしていけないけど、たまの旅行で滞在するにはとてもいい村だと思う。
「ディム、温泉っていいな。一緒に入ろっか?」
「ここ混浴じゃないし、女風呂に入るってのは男の夢の一つだけど、そんなハイリスクローリターンなことする必要ないよね」
「せっかくの温泉だってのにそれで済ますのか? おまえ普通さ、覗くとか、木の上から落ちてきてザッパーンとかあるだろ? セオリーを折り曲げるよなあディムは」
「なんのセオリーだよ。どこの三文小説読んだのさ。ザッパーンのあと極刑に処される未来しか見えないよ」
「あははは、死刑だ。せっかくの温泉なのにな」
「あのさ、それって一緒にお風呂に入ったことがない男女のムフフイベントだからね。ぼくは13の頃、エルネッタさんにお風呂入れてもらってたから。エルネッタさんの裸は何度も見てるし」
「あはは、家じゃあいっしょに入らないからな」
エルネッタさんは鼻歌交じりで脱衣所の方に行ってしまった。今日は三度目の風呂だ。
んー、この世界の湯浴み衣はガウンのようなチュニック?っぽいデザインだ。エルネッタさんに浴衣着て欲しかったのだけど。外国のことは知らないけど、もしかして日本みたいな和の文化の国もあるかもしれないな。こんど外国のことが書かれた本を読んでみよう。浴衣があるなら個人輸入すればいい。
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温泉三日目にともなると温泉の効能が理解できて来た。
身体に、とくに血行がとてもよくなる。身体の代謝が促進されるので特に怪我の治りは早い。
なるほど、ならば入浴剤を作ってエルネッタさんの風呂に入れるときっと古傷にいいはず。
ディムは温泉の泉質を調べるため、温泉の案内所にきた。
実はここ、冒険者ギルドの出張所とカウンターが掛け持ちになってて、昨日ちょっとアンナ・ダムフェルド殺害事件のことで話を聞きにきたときは、アルバイト店員みたいな年配の女性が居ただけなんだけど、今日はちょっと奇麗なお姉さんが迎えてくれた。
「すいません、ちょっと泉質について教えてもらっていいですか?」
「はい、いらっしゃい。泉質? 温泉の事ね。はい、ここの熱源は火山じゃなくて、1000年前この国を救った勇者さまが岩盤に伝説の剣を突き刺したところ勢いよく温泉が湧き出したと言われてます。なので泉質は火山性の温泉とは違っていまして……」
ギルドの受付嬢だと思ったら、本職はどうやら温泉ソムリエだったらしい。
しかし胡散臭すぎてゲップが出そうな勇者伝説だった。
この辺りは火山もないのに温泉が湧き出してる。そんな熱源を説明できないことと客寄せのために勇者の湯なんて謳ってるんだろうけど、日本で言うと有馬温泉のような土地柄だろう。火山がなくても安定した温度で湯が供給される。まあ源泉なんて熱くて入れたものじゃないのだけど。
「いや、泉質というよりも効能でアドバイスいただきたいです。えっと、戦闘で肩に受けた古傷なんだけどさ、短剣を深く刺されて7センチほどの切創。もしかすると刃先が肩関節に入ったのかもしれない。6年間ずっとメンテナンスしてるマッサージ師の見立てでは筋肉、腱、神経には異状ないんだけど、傷を受けてない右肩と同じように使うと先に悲鳴を上げちゃうんだ」
「痛みはありますか?」
「酷使したら痛むって言うね」
「ならばまず古傷が完治してない可能性も視野に入れて温まりやすくなる成分がいいですね。ここの温泉には塩が混ざっててシュワシュワ泡立つ炭酸泉だから、とても温まります。筋肉痛、関節痛、神経痛、四十肩、五十肩、疲労回復、うちみ、くじきに効能があって。飲めば慢性的な下痢にも効くし、男性には分からないと思いますが、女性には冷え症にいいと評判なんですよ」
「飲んでもいいの?」
「コップに半分ぐらいね。この世のいかなるものも過ぎれば毒になるから、あくまで控えめにね」
実は『拾い食い』スキル、これは少々腐ったものを食べても、軽い毒キノコ程度ならすぐに解毒するんだけど、このスキルを意図的に起動して飲食すると、だいたいだけど成分が分かる。
これはこれまで、うまい料理を食った時に自宅で再現できないか? と思って味の秘密を盗むためぐらいにしか使えなかった趣味スキルだ。あくまで趣味スキルなので成分分析まではできないのだけど……。
……っ!
ディムは一瞬、空気が変わったのを感じた。
温泉ソムリエのお姉さんと語らっている楽しいひと時を邪魔するような、微かな、本当に微かな音が『聴覚』スキルに響いてきた。
―――――――― シャッ。
聞いただけで戦慄する音が聞こえた。微かな、微かな音。
油断してるところに皮のシースが擦れる音? 音が短い、短剣を抜いたか。
まさか、このソムリエのお姉さん? カウンターの陰に隠れて短剣を抜いた?
左手が不自然に隠れてるし。……短剣は手の後ろに隠せば前からは見えないのに、あまり上手じゃない。
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□ マリーダ・アネクテンス 28歳 女性
ヒト族 レベル028
体力:17256/18850
経戦:C
魔力:-
腕力:C
敏捷:B
【盗賊】C /短剣B/温泉の知識B
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ここにはディムと受付のお姉さん以外に誰もいない、こんな場末の温泉案内所みたいな施設で、なんだか強烈にこわばった空気が変わってゆく。
まるで空気の中に何か鉛のような重金属が混ざってゆくかのように。
「へえ、奇麗な女の人なのに【盗賊】アビリティをもってる人なんて初めてだ」
「あら? 非接触の鑑定眼もってるの? すごいわね。でも女性のアビリティを勝手に覗き見だなんて悪いコ」
「だって短剣抜いてるでしょ? カウンターに隠してさ。警戒するよそりゃあ」
「ラールの捜索者はすっごい凄腕だって聞いてたけど、まさかこんな可愛い男の子だなんて知らなかったのよ。ごめんね、試すようなことをして。ほんと悪気はなかったの」
すっごい凄腕って言われても喜んでいいものか首をかしげてしまうよ。
なんだか超ウルトラスーパーだって言われてるようなものだし。
「本当かなあ?」
なんて言いながら、戦闘にはならないと判断し、抜いた短剣をシースに戻す。
「本当よ。わたしは温泉ソムリエと冒険者ギルドの掛け持ち職員だからね、【盗賊】アビリティを有効に使った事はないから安心して。短剣はそこそこ使えるんだけどね、あなたが抜いてたことにも気が付かなかった。噂通りみたいね、ディムくん。私ドロセラっていうの。よろしくね」
「あ、そうでしたか。こちらこそよろしく」
このひとも偽名を騙る人だった。でもまあ、エルネッタさんみたいに訳ありなんだろう。
温泉ソムリエのドロセラさんに一通りの社交辞令、丁寧にお礼をいってこんなストレスの貯まるいやーな案内所から、そそくさと出た。ディムの作り笑顔は引き攣って見えたろう。
ほんと、やってられない。
せっかく休息地に来て温泉を楽しもうと思ってるのに、なんでいきなり短剣抜かれたのか?
理由が"ラールの捜索者が、まさかこんな可愛い男の子だった"からって本気かと。冒険者ギルドって暗殺者ギルドとか、そんな側面あるんじゃないかって思った。アサシンが言う事じゃないとは思うけど。
せっかく奇麗なお姉さんだと思ったのに、なんでこんな怖いこと平気でするのかと小一時間問い詰めてやりたくなった。そもそも【盗賊】アビリティもちで偽名だなんて、信用に難アリだ。
でもまあ、敵意を感じなかったのは本当だしスキルとして『温泉の知識B』もってるから、はなから疑ってかかるのも悪い。
あのお姉さんの足跡も覚えたけど、今の今まで油断しっぱなしでホント気を抜いていられたのに、ピリピリした空気を当てられてから油断も隙もなくなってしまった。
ディムは心底、ストレスはイヤだと思った。
だけどせっかくドロセラさんに教えてもらったし『温泉の知識B』の実力を確かめるため、早速温泉場へ向かい、沸きたてアツアツの温泉の成分を少しでも理解しようと口に含むことにした。




