[16歳] ディムの帰るところ
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この依頼は嫌だ。もうやめたい。
サンダースさんの行方を探すはずが、いつの間にか浮気調査になっている。正直いって最悪だ。
「なあディム、なんであんな嘘を言ったんだ? 明日にはバレるぞ?」
「あの男の身体からさっきの女の残り香がプンプンしてた……。吐きそうだったよホント、サンダースさんの事なんて言えないよ」
「そんな酷い臭いだったのか?」
「ええっ?!」
エルネッタさんのことが信じられない思いだった。
真顔でそんなカマトトぶりっ子なことを平然とおっしゃる。
エルネッタさんが生娘というのが本当だってことは分かった。
槍を持っては天下無双だけど、男と女の事に関してはまったくダメ。まだ9歳のサラエのほうがいろいろ詳しいのだから頭を抱えてしまう。
「ほかに分かったことは?」
「サンダースさんの奥さんはここにリンゴを運んできて、まあ、小一時間ほどここに居て、いろいろあったんだろうな、そう、いろいろやって、そしてぼくたちと入れ違いになったように家を出て、えーっと、一旦街の方に戻って西の街区に戻ってるから、家に向かってると思うよ」
「いろいろってなんだ? こういう調査の時はあやふやな事は言わないほうがいいぞ?」
「エルネッタさんに言いにくいだけだよっ」
もう夕刻過ぎて暗くなりはじめてるから、多少遠回りになっても明るい道を選んでる……か。
足跡の間隔が広い。子どもたちがお腹を空かせて帰りを待ってるから急いでる。
寄り道も買い物もせずに西の街区へ向かう足跡。追っていくと小さな家の玄関に入っていた。
迷いもなく、後方を振り返りもせず、まっすぐ入った。ここがサンダースさんの家だ。
サンダースさんの家は平屋の借家で、飛び越えられそうな低木を垣根にしてある小さい庭があって、陶器のプランターには紫色のスミレの花が植えられていた。
小綺麗な家だ。まるで小さいながらも幸せに暮らしている家を具現化したかのような。
目を凝らすとここの家の玄関、ここの庭、プランターの世話、この可愛らしい家の庭を世話して、芝を刈ってる足跡が浮かび上がる。消えかけているけど、誰にも上から踏み荒らされてない、一週間ぐらい前に付けられたものでも、現場を荒らされなければこれぐらい残るのか。
ディムはそっと目を閉じて奥歯を噛み締める。
この足跡は、さっきヘイシー・ディレルの家の周りを何度もグルグル回って、中を窺っていた足跡と同じものだ。空き巣か皮泥棒と思った足跡はサンダースさんのものだった。
つまり、サンダースさんは妻の浮気に気付いてたってことだ。
「ディム? どうしたんだ、黙り込んで」
「これはとても嫌な依頼だよ、はやくサンダースさん見つけて終わらせよう」
「ああ、だがひとつだけ。傭兵が帰らないと家族は不安なんだ。察してやれよ」
「……うん、わかった」
夫が帰らないことをいいことに浮気してる妻が不安? まさか……。
どうせ何を考えてもイライラは止まらないんだから、気乗りはしないけどドアをノックすることにした。
―― コンコンコン
ノックの音は思ったよりも小さく響いた。
「はいはーい」
しかし中から響いてきた声は思いのほか元気が良かった。
ドタドタと幼い声が聞こえると、可愛い顔がのぞいた。ディムたちを迎えてくれたのは娘さんだろう、見事な碧眼でブロンドの髪を三つ編みに結わいておさげにした女の子だった。ギルドから預かったサンダースさんの情報からするとこの子はカノッサ。後ろのほう、三歩引いたところから恐る恐るディムとエルネッタの顔を窺ってる男の子がグレイロ。
子どもたちが出迎えてくれてから時間を置かず女性の声が聞こえた。
「はーい、どなた?」
夕食の支度をしていたのだろう、濡れた手をエプロンでパタパタ拭きながら小走りで来た女性、ゲイラ―・サンダース、この可愛らしいブロンドがサンダースさんの奥さんだ。30歳らしいけど、ぱっと見、26歳のエルネッタさんより若く見える。ワイルド感ゼロ。まったくもって可愛い系の女性だ。
「夜分お休みのところどうもすみません。初めまして。ギルドからきました捜索者のディム。こちらが傭兵のエルネッタです」
この夜分にギルドから捜索者が来たと言うと、夫人はみるみる青ざめ、動揺を隠せなくなった。
「あ、あの……。主人に何か? 何かあったんですか?」
ま、だいたいこんな反応だろう。傭兵の夫が帰らず、ギルドの捜索者が家庭を訪問することの意味を知っているからこその動揺だ。
サンダース夫人の双眸は不安に支配され涙目になりながらも、口元を抑える手を小刻みに震わせて、次の言葉を待っている。
捜索者のディムは、さながら家族の訃報を知らせる死神の使いみたいなものだ。
もちろんサンダースさんは今のところ手がかりも何もなし、生死不明の行方不明であるうちは、まだ報告すべきじゃないのかもしれない。
だけど……言わずにいられない。この女の身体からは、まだあの男の匂いがするのだから。
ディムは少し視線を落としたまま、抑揚を抑え、無機質に、あくまで事務的に話を進める。
「サンダースさんが行方不明です。先日、冒険者ギルドと狩人組合の間で刃傷沙汰になったことはご存知ですよね? 実は数日前、サンダースさんがとある狩人の家に行った事までは消息が判明しているんですが……そこでパッタリと消息が途絶え、そこから行方が分からないのです。申し訳ありません、今ここで、こんなことを言うのは本意ではないのですが……最悪の場合の覚悟はしておいてください」
エルネッタは耳を疑って後ろからディムの表情を覗った。
いまサンダース夫人に話したディムの言いようは、最悪と言っていいほど酷いものだった。
サンダース夫人は土間だというのに足の力が抜けたのだろう、口を押えたままぺたんと座り込んでしまった。
エルネッタは脇をすり抜けざま、キッとディムをひと睨みして夫人に駆け寄る。
言葉がなくとも意味が分かる。これは『あとで怒るからな!』という意味のアイコンタクトだ。
「……あ、あのっ、主人が行った狩人の家ってどこですか? 私も、私にも狩人に知り合いが居ます。主人の行方を調べられるかもしれません、だから教えてください、お願いします」
ポロポロと涙を流しながら夫の行方について質問を続けるサンダース夫人を見るディムの目は冷ややかだった。
夫が行方不明だというのに、いま頼りにしようとしているのが浮気相手だからだ。
「協力していただけますか?」
「はい、私にできることならなんでも……」
ディムは残酷な事実を冷たく言い放つ。
「数日前、ご主人が最後に行ったと確認された家は、狩人ヘイシー・ディレルの家です。恐らく、この男の家で何かあって、それからご主人は生死不明となっています」
サンダース夫人は目を見開いたまま瞬きも忘れた様子で、話しかけても反応しなくなってしまった。
よほどショックを受けたのだろう。
何も言うことはないのか? ディムは動きが止まって立ち尽くしたまま夫人の返事を待ったけれど、エルネッタさんに服を引っ張られたこともあり、この場から一旦離れることにした。
サンダースさんの庭から角を曲がったところ、ディムの肩を掴んだエルネッタさんは、怒りと失望が混ざったような、とても残念そうな視線を向けた。
「ディム、おまえな……今日はもう部屋に入れてあげない。どこかよそで寝ろ」
「怒ってるの? 嘘は言ってないけど?」
「言っていいことと悪いことがあるだろ? なぜ怒られたか考えて、反省するまで帰ってくるな」
「いやだよ、ぼくは反省しないから、そんなこと言われたら帰れなくなる」
「じゃあ帰ってこなくていい」
ディムは奥歯をギリッと噛み締めると、エルネッタから視線を外し顔をそむけた。
「わかったよ。でももうちょっと手伝ってくれるよね? ぼく一人に任せておけないでしょ?」
「ああ、乗り掛かった舟だ」
「じゃあエルネッタさんはここの入り口が見える位置で見張ってて。あの奥さんは子どもにご飯食べさせるか、寝かしつけたらきっと飛び出してくるから。もしぼくがまだ戻ってなければ尾行お願い。ぼくはエルネッタさんの足跡を追って必ず合流するから、あとは臨機応変でお願い。万が一があるかもしれないから飛び込むタイミング、逃しちゃダメだよ」
「飛び込む? 何のことだ?」
エルネッタがそう聞き返した時、ディムはもう辺りには居なかった。
「あのバカ、もう消えた……」




