[16歳] フィトンチッドの風に吹かれて
新章はいりました。
1・まったり進行
2・ちょっとした事件勃発
3・大事になる
4・えらいことになる
5・解決して愛を語らう(または盛大にやらかす)
各章そんなパターンで進行するつもりです。よろしく。
20180207改訂
スカッと高い青空に、高いところをゆっくりと滑るように流れてゆくスジ雲。
今日はとてもいい天気だ。いつのまにか夏が終わっていて、外に出るとても秋空が広がっている。いつものように昼過ぎま布団でぐっすり眠っていたディムは二日酔い症状が終息したばかりのエルネッタと二人、いつものようにギルドへ依頼ボードを見にいった。
いつもちょっとしか依頼カードの貼ってない探索者用のボードを見ると、薬草採取、薬効キノコ採取、毒消し草採取など、ディムが気兼ねなく受けられる依頼がいくつか目についた。
「あ、薬草とキノコ両方あった。ぼくこれを受けるよ」
「こっちはウマそうなのなかった。ディムは森にいくのか? 私もついていこうかな……でもシルバーメダルのBランク捜索者が薬草ってダメじゃないのか? 低ランクの人たちから仕事を奪っちゃいけないと思うのだが」
……っ。
そこまで気が回らなかった。そういえばこれまでもランクの高い探索者と森で出会ったことがない。簡単な依頼は、駆け出しの探索者に譲る、それは当然のことだ。自分もきっとそうやって育ててもらったに決まっている。じゃないとこんな簡単でウマい依頼が昼まで残ってるわけない。
受付のカーリさんに目配せしてみると少し渋い顔をしている。あれは好ましくないって言ってる顔だ。
ってことは、高ランクの者がミニマムな依頼を受けちゃいけないなんてルールはないけど、マナーとしてもう薬草取りはできませんよと。しかし人探しなんて依頼、月に何度もないだろうに……。
「じゃあいいや。今日はぼくもなし。でも森に行って白トリュフでも探すよ」
「おおっ、私もついて行く。ヒマなんだ」
エルネッタさんはヒマだなんて言いながら部屋に走って槍だけ担いできた。
その姿を一歩引いた位置から見て、ああ、槍っていいものだなと、そう思う。両手剣ほど物々しくもなく武骨でもない、なんだか上品な武器にも感じる。ただし見た目だけ。力と技術とスピードを併せ持つエルネッタさんに槍を持たせると剣じゃあ相手にならない。
だけど今から行くのは護衛でも救出でもなく、白トリュフ探しだ。
「戦闘ないよ?」
「わたしは都会育ちなんだ。蛇が出ても槍が必要だ」
蛇?
「ええっ? エルネッタさんまさか蛇こわいの?」
「わたしに怖いものなどない。ただ嫌いなだけだ」
なんて迂闊な人だろう、その情報は絶対に他人に知られちゃダメでしょ? 弱点情報だよそれ。
ディム的にはお金を払ってでも欲しかった情報だ。
この世界のどこか、人魔境界線の向こう側にはモンスター級の大蛇はいると聞くけど、この辺にいる蛇はだいたい毒のない "レッドスネーク" だ。
トリュフ探しと並行して、蛇を探すことも目的のひとつに加わった。
森育ちのディムに蛇が嫌いだなんて自殺行為かと。それはどうぞわたしに投げてくださいと言ってるのと同じだ。
そしてキャァ! なんて悲鳴上げて、抱き付いてもらおう。
密かに心の中でガッツポーズを決めた。ディムは誇る。我ながら素晴らしい作戦だと。
街の北から出ても、東から出ても、森までは徒歩で20分ぐらい。荷車の轍のついた街道をエルネッタさんとのんびり歩いてる。ディムはそんなまったりした空気を愉しみながら道からはみ出して生える雑草をちぎって手に取り、子どもの頃よくやった麦笛を作ってる。
「森かー、なんだか冒険するみたいでドキドキするな」
「何もないからね。むしろ心静かに落ち着くところだよ。はいこれ」
「なんだこれ?」
エルネッタさんは難しそうに眉根を寄せて麦笛を見てる。これが何なのかを知らないらしい。都会育ちって麦笛も鳴らさずに育つのかと思って、ちょっとしたカルチャーショックを感じたところだ。
麦笛は高く澄んだ音のする草笛の一種で、麦じゃなくても似たような植物ならだいたい鳴るのだけど
お手本を見せてやるために自分用に作った麦笛を吹いてみせた。
ピョ――――――ッ
「あははは、変な音だな。わたしもやってみる」
プス――――――ッ
というエルネッタさんの麦笛の音はこんなもんだった。
「音すらしないじゃん」
「あれっ? おかしいな。なんで音がしないんだ?」
麦笛に限らず、草笛と言うのはひとつコツを知ってると応用が利く。エルネッタさんは草笛を吹いて遊んだことなんてないんだ。この調子だとエルネッタさんに麦笛を教えるのに一日かかりそうだ。
エルネッタさんの笛がプースカと微妙な音を放ち始めた頃、ディムとエルネッタは森の入口についた。
もうちょっとで音が鳴りそうではない、ただ筒に唾が溜まってるだけ。
森の入り口、新しい足跡が一人分、これは小さな足跡だ。まだ時間がたってない。ってことは薬草取りか、薬効キノコ狙いかのどちらかだろう。
あとたぶん『足跡消し』スキルを使ったと思われるボンヤリしたのも一人分。こんなスキル、狩人以外は使う理由がないので、狩猟目的で森に入った狩人だ。
森への入り口に差し掛かると少し引き留めて、きょとんとするエルネッタさんにひとつ心構えなどを説いてみることにした。
「ここが森と、外界の境界だよ。ここまでがぼくらの世界、ここから一歩でも中に入ったら森なんだ」
「そう言われると何かこわいな……」
境界線を一歩こえて、二人が森に入ると、こんどは予想しなかった神妙な語り口調で言葉を投げかける。
「ひとは自然に対して畏怖すべきなんだ。これは礼儀に近いものだと思う」
いつもと様子の違うディムを見て、エルネッタは少し違和感を覚えた。
「どうしたんだディム。今日はなにかおかしくないか?」
「ごめんエルネッタさん。いまのはぼくの父さんの言葉なんだ……」
「そっか、ディムは森のほとりに住んでたらしいな」
「うん。ぼくは森で学んで、森で育った。父さんはセイカ村でいちばんいい綿花をつくる農家だったんだよ。寡黙でね、家ではあまり話さなかったけど。ぼくがいたずらをして村の人たちにこっぴどく叱られても、父さんは怒るどころか逆に笑ってたんだ。だってさ、ぼくは生まれた時から小さくて身体も弱くてさ、きっと大人になるまで生きられないだろうって言われてた。そんなぼくがワンパクに育って、人並み以上に悪さをして、村の大人たちを困らせて怒られるのは愉快だって、そういって笑うんだ」
エルネッタが不審に思うほど今日のディムは饒舌で、どうかしている風にしか思えなかった。
「いいお父さんじゃないか。ディムが家族の話をするなんて初めてだな。でもわたしは家族の話なんてしないぞ。クソ親父とケンカして家を飛び出してきたんだからな」
「うん……別に家族の話をしようだなんて言わないよ。でもさ、ぼく捜索者になったことで、役所の戦死者リストを見られるようになったんだ」
エルネッタはハッとして息を飲んだ。
チャルから聞いていた父親の情報、ディムはもう辿り着いてる。ディムの優秀さだと母親の情報に辿り着くのも時間の問題なのかもしれない。
「……戦死者リスト……そ、そうだったのか」
「うん。ごめんねエルネッタさん。ぼくは父さんにエルネッタさんを見せて自慢したかったんだ。でもそれができなくなった。だからせめて、エルネッタさんには、父さんのことを少しだけでも知っておいて欲しかった。それだけなんだ」
「いったい何を自慢する気なんだ?」
「こんなにきれいな人はセイカの村には居なかったからね、見たら絶対に手に持った鍬を落とす」
「あはははは、落としてほしいな」
「畑仕事してるおじさんたち、みんなドサドサ落とすからね」
二人は雑談をしながら森の奥に繋がる道をずっと奥へ奥へと向かった。
森林浴と言うのは、自律神経を安定させ、とてもいい睡眠を促す。自己回復の機能も上がるらしい。
さらには小川のせせらぎの音、風に揺れる葉擦れのざわめく音、空気の心地よさ、そして香り。
森は心身ともに人をリフレッシュさせる。
ディムはこの美しい女性と二人、のんびりと森を歩いていることを、とても幸せに思った。
これこそが癒しなんだなと。そう思う。
やっぱり、父さんに自慢してやりたかった。
ディムの心にひとつ悔いが残った。
美しく艶のあるブルネットの髪に西に傾いた太陽が木漏れ日を落として黄金に輝くエルネッタさんは、森の空気を胸いっぱいに吸い込むと、気持ちよさそうな表情で森の香りを愉しむ。
「森っていい匂いがするんだな。これは何の匂いなんだろう?」
「フィトンチッドだね」
「布団?」
「んー、難しい話になるんだけどさ、木は大地に根を下ろして一歩も動けないじゃん。だから自分たちの身を護るための手段がないんだ。毒を持ったり、トゲを生やしたりという積極的に防御する植物もあるけど、だいたいはそんなの持たずに、葉が傷つけられた時にフィトンチッドっていう物質をばらまくんだ。森の香りはフィトンチッドの香りと言われてる。抗菌作用があって、近くにいる細菌を死なせたり、特定の虫を寄せ付けなかったりとか、そういう効果があるらしいけど、ぼくら人が呼吸によって身体に取り込むとリラックス効果が得られる。森は生きてるんだ」
「おっ、ディムは学者なのか? それもお父さんに習ったのか?」
「ああ、違う違う。これはね、ぼくのウンチク。知ったかぶりをして、エルネッタさんにいいカッコしたかっただけだよ。本当は良く知らないんだ」
ただ森を散歩するだけで得られるものは多い。
せっかくの雰囲気を悲鳴でぶち壊すことはない。
実はさっきトリュフを探すふりして茂みに入ったときからポケットにレッドスネークを忍ばせている。
"レッドスネークカモン" の掛け声ひとつで、ズボンの股間部分から出す準備もできてるんだけど、エルネッタさんを口説いて、ここの森に小屋でも建てて別荘のような感じで生活の半分を森で暮らしてもいいなあ、なんて思ったからにはレッドスネークカモンは得策じゃない。
エルネッタさんには森好きになってもらいたい。
もう二度と森にはいかないなんて言われちゃ困るのだから。
まあ、気付かれないよう、この蛇さんにはあとで森に帰ってもらおう。




